ズレてる
やあみんなー。元気?
りせた。だよー。
え?
いや、違う。違うよ?
ヅラじゃないよ?
だから違うんだ! それじゃないよ!
筆者は、幼い頃から、結構、ひととズレていると言われていたのだ。感性とか、感覚とか。
例えば、日曜日にわざわざ早起きしたくないから……と、ニチアサ? というの、観たことないとか。
とにかくなんでも疑問に思うとか。
まぁ、そんな感じ。
ものの捉え方とかも、ズレてるんだと思う。
認知の歪みとでもいうのかなぁ……。
「なんでそんなふうに捻くれてんの?」
と、何度言われたことやら。
どうしても、『なぜそのような行動をしたのか』という原因……つまり、動機を考えてしまうのだ。
親切の裏側、とか。
それを、言語化して説明すると。
ひとに親切にすると、気分がいい。
だから、親切にする。
つまりは、自己満足なのだ。
と、なる。
こういう言い方をすると、まぁ、すんごく嫌な顔をされるわけだ。
いや、別に自己満足を否定してはいないが?
なぜ、そんな否定されたみたいな受け取り方になる?
と、思うのだが。
あえて使うが、"普通"の感覚では、『親切にされたら、ありがとう』とだけ思えばいいそうだ。
そうじゃない言い方をすると"捻くれている"と、なるらしい。
いや、非常に素直な意見を述べただけなのに。
なんでだよ。
別に、その奥や裏を考えたっていいだろ。
そもそも、利他性は、利己性があるから成立してるだけだろ。
まずは、自分在りき。それが生物ってもんだろ。
とは思っていたが。
そんなことを言ってばっかりだと、この現世は中々に生き辛いので、場面や相手を選んで話すようにはなったね。
さて。
ズレてるといえば。
それだけではないのだ。
生きていると、他者から、自身がどんな奴か……と、認識をされる。
つまり、評価だ。生きていると、自然に評価されるのだ。
別に成績だけに限った話じゃないよ。
性格とか、ひととなりだねぇ。
このひとはこんな感じ。と、判断するアレだ。
筆者、幼い頃から、頭ごなしに上から押さえつけられたり、押し付けられたりするのは、嫌いだった。
嫌いだったのだ。
だが、ある時。
「お前の話し方は、親父にそっくりだな。何でも頭ごなしに否定しやがって」
と、弟 (生きてる方) に、言われてしまった。
そんなつもりは、全然なかった。
なんということでしょう。
どうやら、自己認識と、他者の評価が、著しくズレていたのだ。
これって、体感的に、生き辛くなる要因のひとつだと思った。
自分ではこう! と思ってるのに、他者からは、そうは思われない。
このズレに、非常にイライラしたり、落ち込んだりするのではないか。という話である。
精神的な安定感を作ろうと思ったら。このズレくらいは、なるべくなくす方向に認識を改めていく方がいいだろうな……と、思った。
「そうか。そんなふうに見えてたのか。なるほど。それはすまん」
だから、筆者は、そう言って、反省したのだった。
筆者は元々、あまりひとからどう思われてるかを、気にしていなかった。見た目の方は気にしてたけど、振る舞いは、ね。
とても腑に落ちた感覚がした。
他人から、『お前みたいなやつは!』みたいに言われるのが、嫌なくせに。
自分でそう振舞って、拍車を掛けてたんだろうな。そりゃ、生き辛くもなる。
我ながら、阿呆極まるなぁ……と、思った。
そう気が付いて以来。
より一層、物事を俯瞰的に見るクセがついた。
そして、世間とズレてると、言われることが増えた。
でも、自覚してると、わりとそれも平気になったのだ。
ついでに、色んなことに、いちいち動じなくもなった。
多少楽にはなった。
が。よかったのかどうかは、わからない。
なぜなら。
相変わらず底辺な生活をしているからだ。
人生つらいよ。
ああ無情。




