第2話 田舎の思い出
――夏という季節は、どうしてこうも人を過去へ引きずり戻すのだろう。
青すぎる空。
うるさすぎる蝉。
やたら眩しい田んぼ道。
それから、記憶の奥にしまい込んだまま、時々こちらを振り返ってくる、あの頃のガキンチョたち。
大学二年の夏休み。
俺――佐伯悠真は、五年ぶりに故郷へ帰ってきた。
ここは、俺が生まれてから中学一年の夏まで暮らしていた田舎町だ。
山と田んぼと川くらいしかない。
電車は一時間に一本あるかないか。
駅前にはコンビニどころか、営業しているのか怪しい商店が一軒あるだけ。
都会の大学生活に慣れた今となっては、不便にもほどがある場所だ。
けれど――俺にとっては、間違いなく故郷だった。
「……変わってねぇな、ここ」
駅のホームに降り立った瞬間、思わずそんな言葉が漏れた。
湿った土の匂い。
遠くから聞こえる川の音。
目に痛いほど濃い緑。
夏になると毎日のように走り回っていた道。
全部、覚えている。
俺はこの町で育った。
虫取りも、川遊びも、秘密基地づくりも、夏祭りで綿あめを落として泣いたことも、近所のじいちゃんの畑からスイカを盗み食いして本気で怒鳴られたことも。
そして――俺の後ろを、いつもひよこのようについて回っていた三人のガキンチョたちのことも。
泣き虫で、すぐ俺の服の裾を掴んできた美月。
勝ち気で生意気で、なぜか俺にだけ突っかかってきた凛花。
無口で、気づけばいつも隣に立っていた小春。
三人とも、近所に住んでいた年下の女の子たちだった。
当時の俺は中学一年。
あいつらは小学校低学年くらい。
俺にとっては、妹というより、面倒を見るのが日課になっていた近所のチビたちだった。
川で転びそうになれば手を引いてやり。
虫が怖いと泣けば追い払ってやり。
宿題が終わらないと騒げば横で見てやり。
祭りで迷子になりかければ、手を繋いで家まで送ってやった。
今思えば、俺はずいぶんと面倒見のいい中学生だったと思う。
ただし、当時の俺に恋愛感情なんてものは一ミリもない。
相手は小さなガキンチョである。
こっちは少し年上の兄貴分。
それ以上でも以下でもなかった。
そんな俺が、この町を離れることになったのは五年前。
親父の転勤だった。
急に決まった引っ越しで、ろくに心の準備もできなかった。
ずっと住んでいた家を出て、通っていた学校を離れ、当たり前みたいに続くと思っていた毎日が、あっけなく終わった。
出発の日。
駅前のバス停まで見送りに来てくれた三人は、これでもかというくらい泣いていた。
『悠真兄ちゃん、行っちゃやだぁ……!』
『絶対、帰ってきなさいよ! 約束だからね!』
『……忘れたら、許しません』
美月は俺の服を掴んで離さず、凛花は泣いていないフリをしながら目元を真っ赤にして、小春は無表情のまま俺の手をぎゅっと握っていた。
あのときの俺は、少しだけ背伸びしていた。
年上として。
兄貴分として。
最後くらい、格好つけたかったのだ。
『またいつか帰ってくるよ。だから、それまでいい子でいるんだぞ』
そう言って、三人の頭を順番に撫でた。
美月はさらに泣いた。
凛花は「子供扱いすんな」と怒った。
小春は俺の手の感触を確かめるみたいに、自分の頭に触れていた。
それが、俺にとっての最後の記憶だった。
あれから五年。
高校を卒業し、大学生になり、都会で一人暮らしを始めた。
この町のことを忘れていたわけではない。
けれど、忙しさを言い訳にして、ずっと戻ってこなかった。
祖父母は今もこの町に住んでいる。
今回は夏休みを利用して、久しぶりに顔を見せに来た。
つまりこれは、ただの帰省だ。
懐かしい故郷に戻って、祖父母に挨拶して、昔の友達に会えたら少し話して、のんびり夏を過ごす。
その程度のつもりだった。
……このときの俺は、まだ知らなかった。
五年前、感動の別れをした近所のガキンチョたちが。
俺の知らないところで、とんでもない方向に成長していたことを。
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