7.事情聴取③
最後は<SWSA>代表のミセス・プレストンだった。
彼女は艶のある黒髪の凛々しい40代後半の女性だ。
今日の夕方、被害者に会いに本部に来た彼女が遺体の第一発見者だった。
「あなたが最初に被害者の遺体を発見したということですね?」
「はい、そうです」
とミセス・プレストンははっきりとした口調で答えるが、視線は遠くを彷徨っていた。
――知人の遺体を見てしまったのだから動揺するのも当然だが……。
――先ほどのベネット母子の証言が本当なら午後4時までは被害者は生きていた。
――その後、本部を訪れたミセス・プレストンが第一発見者を装って被害者を殺害した可能性はある。
警部はひとまず詳しい経緯を尋ねることにした。
「遺体を発見したのは何時くらいでしたか?」
「午後4時40分だったと思います」
「あなたはどうしましたか?」
「床に倒れていた彼女の背中にナイフが刺さっていて少しも動かなかったので、すぐに下の階の弁護士事務所に行って、警察に電話しました」
「本部には電話はなかったのですね?」
「ありませんでした。必要なときにはいつも弁護士事務所の電話を借りていました」
ミセス・プレストンは深い溜息をついた。
「本部に来る前はどこにいたのですか?」
「ロンドン市街にいました。午後1時半からストランドのレストランで他の女性参政権運動組織の方々との昼食会に出席しました。その後、午後4時前の列車でリッチモンドに戻りました」
明日、昼食会の他の出席者に話を聞いて、裏を取る必要がありそうだと警部は思った。
「そして、リッチモンドに戻ってすぐに<SWSA>本部に立ち寄ったと……その目的は?」
「ミセス・グリーヴスと話したくて。彼女が夕方に本部でミセス・ベネットと会う約束をしていると聞いていたので、本部に残っていると思ったのです」
「話したかったこととは?」
「……来月の<女性の戴冠式>の準備についての相談です。彼女を中心に旗と襷を作る予定でしたので」
「現場に旗があったようですね。旗はいつも同じようなものを作っていたのですか?」
「ええ、いつも同じです。厚手の麻の盾形の旗で、端は水色のバイアステープで処理していました」
"バイアステープ"が何のことかわからなかった警部は、手元の現場検証資料を確認した。
それによると、現場にあった旗は縁が水色の布でくるまれていたらしい。
警部はその水色の布が"バイアステープ"に違いないと思った。
警部は一度頷いてから次の質問に移った。
「旗には"DEEDS NOT WORDS"(言葉より行動を)というスローガンがペンで書かれていたようですが、これもいつも通りですか?」
「それは……いつもとは違います」
ミセス・プレストンの黒い瞳には戸惑いが浮かんでいた。
「というと?」
「<SWSA>の旗に書くスローガンはいつも"VOTES FOR WOMEN"(女性に参政権を)でした」
「"DEEDS NOT WORDS"(言葉より行動を)はあり得ないと?」
「ええ、"DEEDS NOT WORDS"(言葉より行動を)は急進派ではよく使われるスローガンですが、穏健派の<SWSA>ではまず使いません。それに、ミセス・グリーヴスは、いつもスローガンをアップリケで作っていました――ペンで書いたことは過去にありません。私も現場で旗に書かれた文字を見ましたが、そもそも筆跡が違う気がしました。ミスター・グリーヴスに確認すればはっきりすると思います」
ミセス・プレストンの証言を受けて、警部は暫し思案した。
もし、"DEEDS NOT WORDS"(言葉より行動を)が被害者が書いたものではないとすると、誰が何のために書いたのだろう。
今答えを出すことは困難だと判断した警部は別の質問をすることにした。
「被害者は活動に使うものをよくミシンで作っていたのですね?」
「ええ、彼女は昨日もミシンで襷を縫っていました。水色のサテンでできた襷です。薄くて滑りやすいサテンを縫うのは難しいのですが、ヘレンは本当にミシンが上手でしたから……」
そう言ってミセス・プレストンは少し目を伏せた。
ヘイスティングス警部は敢えて淡々と次の質問を切り出した。
「あなたは急進派に転向しようとしていたようですが、被害者も一緒に転向する予定でしたか?」
「彼女も検討はしてくれていたようです」
ミセス・プレストンは迷いなく言った。
先ほどまで所在なさげだった黒い瞳は、今は警部を真っ直ぐに見ている。
「でも、この点は皆さんの見解が一致しないのですが……」
「まあ……彼女は迷っていましたから」
それだけ言うとミセス・プレストンの瞳は再び遠くを彷徨い始めた。
***
ミセス・プレストンから話を聞いた後、警部は一同に帰宅を促した。
ミスター・グリーヴスにだけは、ミセス・プレストンが指摘した旗のスローガンの筆跡の件を追加で確認したが、彼も妻の筆跡ではないと言っていた。
その後、警部は同じ建物内の遺体発見現場を見に行ったが、詳しい現場検証は翌日に持ち越すことになった。
そうして、彼はなんとか午後11時前にリッチモンド駅に着き、ロンドン市街に戻る最終列車に乗った。
二等車の座席に沈み込んだ彼は、疲労困憊だった。
――午後4時までは生きていた被害者。
――とすると、一番怪しいのは第一発見者のミセス・プレストンだが……他の謎がぴったりはまらない。
――<SWSA>内での活動方針の違い、現場に残された旗のスローガン、被害者とトーマス・ベネットの関係。
――どれが事件に関係していて、どれが無関係なんだ?
そんなことを考えていると、列車はいつの間にかロンドン市街のウォータルー駅に着いていた。
徒歩で自宅に帰り着いた彼を迎えたのは、静寂だった。
もう深夜なので家族も住み込みのメイドも既に寝ている。
ただ、誰かが居間に点けたままのランプを置いてくれていた。
彼はランプを手に静かに寝室に入った。
ミセス・ヘイスティングスを起こさないようにそっと着替えようとしたとき、サイドテーブルの上の本に気が付いた。
ミセス・ヘイスティングスが読んでいる本に違いない。
彼女は古典的なロマンス小説――特にブロンテ姉妹の作品の愛好家だ。
いつか姉妹の故郷ハワースに行ってみたいと事あるごとに話していたが、夫である彼は全く文学に興味がないので、長女がもう少し大きくなったら母と娘で行ってもらおうと思っていた。
そんなことを考えながら、彼は興味本位でサイドテーブルの上の本をランプで照らしてみた。
”「オレンジのリボン」 アメリア・バー著”
表紙にはそう書かれていた。
数十年前のロマンス小説のようだが、当然、彼はその内容には興味がなかった。
彼の心に留まったのは著者名の方だった。
――"アメリア"か……。
――去年伯爵家の殺人事件を解決したあの若い"探偵女男爵"の洗礼名も"アメリア"だった。
寝巻に着替えた彼はランプを消してベッドに滑り込んだ。
隣のミセス・ヘイスティングスは寝返りを打ったが、目を覚ましたりはしなかった。
そのまま彼は何となく天井を見つめていた。
――明日、その"探偵女男爵"を訪ねた方がいいのかもしれない。
そう考えた彼の頭には先ほどの主任警部からの忠告が思い浮かんだ。
しかし、彼はそれを無視し、固く目を閉じた。




