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6.事情聴取②

 次に警部が呼んだのは、<SWSA>の書記で実質的な副代表のミセス・ベネットとその息子ミスター・トーマス・ベネットだった。


 小学校校長のミセス・ベネットは、ダークブラウンの髪を後ろできつくまとめた40代半ばの女性だ。

 目元で光る丸眼鏡がいかにも厳格な校長らしい。

 一方の息子トーマスは数年前に大学を卒業して父親の経営する学校の英語教師になった若者だ。

 彼は時々母と同じダークブラウンの髪をかきあげていた。


「あなた方は今日の午後3時前に本部に来て会合室で会議をしていたのですね?」

「ええ、そうです。ミス・ハーディーとミス・ロビンソンも一緒でした」


 ミセス・ベネットが明確な口調で答えた。

 殺人事件の事情聴取を受けるのは初めてだろうに、丸眼鏡の奥の青い瞳は揺らいでいない。


「元々予定されていた会合だったのですか?」


 警部は試しに話す気配のないトーマスの方に視線を向けたが、彼はただ俯いていた。

 そして、やはりミセス・ベネットが答える。


「ええ、予定されていた会合です。そのために会合室を予約していました。会合室は一つしかないので、使いたい場合は予約表に記入しておくことになっています」


 警部の手元には予約表の写しがあった。

 トーマス・ベネットの名で午後3時から午後4時までの予約が記入されていたようだ。


「お二人が到着したとき、本部には被害者夫妻がいたそうですがお会いになりましたか?」

「はい、ちょうどミスター・グリーヴスが作業室から出て来たので、お茶を飲むか尋ねると、ミセス・グリーヴスの分だけ頼まれました。その後、私と息子はパントリーのキッチンでお茶の用意をしました。そして、ミスター・グリーヴスが空いたカップと交換に奥様の分をとりに来たところで、ミス・ハーディーとミス・ロビンソンが本部に到着しました。そこで、ミスター・グリーヴスから『ミセス・グリーヴスがミシンを使っているから作業室に入らないでやってほしい』と言われました。その後、彼は作業室にお茶を運んでから弁護士事務所に向かわれました。そうでしたね、トーマス?」


 相変わらず俯いていたトーマスは少し遅れて「はい、お母さん」と答えた。


「被害者はいつもミシンを使うときは一人で作業を?」

「ええ、いつもそうでした。彼女は昨日も本部のミシンでサテンの(たすき)を縫っていましたが、皆邪魔しないように気を遣っていました」

「なるほど。本部にいる間、実際に被害者の姿は見ましたか?」

「いいえ。今日は私たちは作業室には入らず、彼女も作業室から出てきませんでした。でも、会合中に彼女がミシンのペダルを踏む音が時々聞こえていました」


 警部は少し眉を上げた。

 彼女の言う通りであれば、ミスター・グリーヴスが作業室にお茶を運んで以降、生きている被害者の姿を実際に見た人はいないのかもしれない。

 とはいえ、ミシンの音が聞こえていたということであれば、被害者は作業中だった――つまり、生きていたということにはなる。


「その後、あなた方はずっと会合室にいたのですか?」

「概ねそうです。ただ、私は一度席を外しました」

「なるほど?」

「郵便が届いたので玄関に取りに行きました」


 警部はミセス・ベネットの言葉を聞きながら、顎に手を当てた。

 ミセス・ベネットが一人で会合室の外に出たのなら、その間に作業室にいた被害者を殺害する機会はあったかもしれない。


「それは何時くらいですか?」

「午後3時半くらいだったと思います」

「それからはずっと四人一緒だったのですか?」

「ほぼ一緒でしたが、会合後、ミス・ハーディーとミス・ロビンソンがパントリーで食器を洗っている間は、トーマスと私は会合室にいました」

 

 警部はミセス・ベネットの話を聞きながら彼女の表情を窺ったが、特に何の感情も見えなかった。

 

「その後、午後4時には四人で本部を出て演説会の会場に向かったのですね?」

「その通りです。近所なので、午後4時に本部を出て10分ほどで着きました」

「本部を出る際に被害者はまだ生きていましたか?」


 ミセス・ベネットは思案するように手袋をした手を頬に当てた。

  

「ええ。本部を出る直前もまだミシンの音が聞こえていましたから」

「ミスター・ベネットも聞きましたか?」


 トーマスは右手で髪をかきあげてから答えた。


「……聞いたと思います」


 警部は隣の巡査が証言をきちんと書き留めているのを見て頷きながら、次の質問を切り出した。


「今日の会合の目的は何だったんです?」

「7月以降の資金調達の話です」

「資金調達の話なのに会計係のミスター・グリーヴスは不参加だったのですか?」


 意外に思った警部が問うと、ミセス・ベネットは少し躊躇ってから口を開いた。

 

「代表のミセス・プレストンが来月6月に<SWSA>を脱退して急進派に移る話はお聞きに?」 

「ええ、先ほどミスター・グリーヴスに聞きました」

「今日会合をした四人を含めてほとんどの会員は穏健派を堅持して<SWSA>に残るつもりですが……一方で、ミセス・グリーヴスはミセス・プレストンと一緒に急進派に移る意向があるようでした。それで今日、私たちはこれまで資金を提供してくれた彼女が脱退した後、つまり、7月以降、誰に資金提供をお願いすべきかを話し合っていたのです――」


 そこまで言って彼女は一度眼鏡の角度を直した。


「――ただ、一方でご主人のミスター・グリーヴスは穏健派を堅持されると明言されていて、夫婦で揉めているように見えました。なので、彼には声を掛けづらかったのです。奥様が急進派に転向する前提での議論はしたくないでしょうから」


 警部は思わず首を傾げそうになった。

 先ほどミスター・グリーヴスの証言――被害者は穏健派に残るつもりだったという話――とは矛盾する。


「被害者が急進派に移る意向だったというのは確かでしょうか?本人が明言したのですか?」


 警部が尋ねると、ミセス・ベネットは彼を真っ直ぐ見つめながら答えた。


「いえ、明言したわけではありません。ただ、今月5月初めの年次総会で予算について議論した際に、彼女から寄付方法の変更の申し出があったのです。これまで年額一括で寄付してくれていたのに、今年度からは月次寄付に切り替えたいと。それで、私は彼女は7月以降ミセス・プレストンと一緒に急進派に転向する意向なのだと思いました。月次寄付なら6月までは<SWSA>に寄付し、7月以降は急進派組織に寄付するという切り替えが簡単にできるので」


 警部は事情は理解したものの、この点は後でよく検討した方が良さそうだと思った。

 ミセス・ベネットは話を続けた。


「ミセス・グリーヴスは、近く私たちにも正式に意向を伝えてくれるものと思っていました。私は彼女から今日本部で話したいと言われていましたが、その件だったのかも……」

 

 彼女の話を聞きながら、警部は息子のトーマスを見ていた。

 彼は被害者の転向の話になってから少し顔を上げていた。


「あなたは被害者の意向についてどう思われます?ミスター・ベネット」


 警部はトーマスに視線を向けると、初めて彼と目が合った。


「……彼女は穏健派に残るつもりだったと思います」 


 彼の言葉にミセス・ベネットが少し眉を動かしたのを警部は見逃さなかった。

 トーマスもその母の反応を見たからか、よりはっきりと言い直した。

 

「寄付方法の変更の件は……少し迷っていただけかと。最終的には穏健派に決めたはずです」


 トーマスは「確かですよ」と言って、母を見つめた。

 警部には何故かそのトーマスの青い瞳にある種の恐れが浮かんでいるように見えた。


 ***


 次に警部は<SWSA>の書記補佐のミス・ハーディーとミス・ロビンソンを呼んだ。

 彼女たちは今日の午後ベネット母子と<SWSA>本部で会合をしていて、その模様については全員の証言が一致していた。


「――ええ、私たち四人は午後3時前に本部で落ち合って、会合後、午後4時に演説会に向けて出発しました。会合中にミセス・ベネットが途中で玄関に手紙を取りに行ったときと、会合後に私たちがパントリーで食器を洗ったときを除いては、ずっと一緒でした」


 とミス・ハーディーが震える声で言った。


「手紙はいつも同じ時間に届きますか?」

「ええ、平日の午後は、午後3時半頃にいつも同じ郵便局員が届けにきます」


 今度はミス・ロビンソンが答えた。

 そうであれば、ミセス・ベネットが最初から午後3時半に届く手紙を席を立つ口実にしようと計画していたということはあり得るかもしれないと警部は思った。


「あなた方が食器を洗うことになったのは偶然ですか?その間ベネット母子は会合室にずっといたのでしょうか?」

「偶然だと思います。会合前にはベネット母子がお茶を用意してくれたので、後片付けは私とミス・ロビンソンがすると私たちから申し出たのです。ねえ、ケリー?」

「ええ。ポットとカップが六客――会合参加者四人の分とグリーヴス夫妻が私たちが来る前に使った分です――なので二人で十分でした。その間、ベネット母子は会合室に留まっていました」


 二人の若い女性は青い顔で目配せし合っていた。

 どうやら警部がベネット母子を疑っていると思ったようだ。


「会合の目的は何でしたか?」


 警部は少し矛先を変え、先ほどベネット母子にしたのと同じ質問を繰り返した。

 

「新たに<SWSA>に資金を援助してくれそうな方の候補を話し合いました。これまで資金援助をしてくれていたミセス・グリーヴスがミセス・プレストンと共に急進派に転向するようだと、ミセス・ベネットがおっしゃったもので」


 ミス・ハーディーが答え、ミス・ロビンソンも何度か頷いた。

 二人は相変わらず青ざめているので、警部は穏やかな口調で質問した。


「あなた方が最後に被害者が生きているのを確認したのはいつですか?」

「ええと、会合の途中までミシンの音が聞こえていたのは覚えています」

 

 と今度はミス・ロビンソンが答えた。

 

「午後4時に演説会に出発する際は?」


 警部が問うと、二人の女性は同時に首を振った。

 

「すみません、よく覚えていません。そのときは今後の資金調達のことで頭がいっぱいで」

 

 先に答えたミス・ロビンソンは依然顔色が悪かった。

 

「私もです。会合途中にミセス・ベネットが受け取った手紙が、有力な資金提供候補者からの援助辞退の知らせだったので……心配で……」


 後から答えたミス・ハーディーの声は相変わらず震えている。

 

「なるほど。いずれにしても、お二人は被害者と直接会ったわけではないのですね?」

「ええ、そう言われるとそうですね。ミシンの音を聞いただけです」


 そのミス・ロビンソンの声はミス・ハーディーよりは落ち着いていたが、その視線は落ち着かなく彷徨っていた。

 警部は、ミス・ロビンソンに何か心配事があるのではと直感した。


「ミス・ロビンソン、何か気になることでも?」

「ええと……」


 ミス・ロビンソンは口ごもりながらミス・ハーディーに視線を向けた。

 ミス・ハーディーは首を振ったが、それが逆にミス・ロビンソンの決意を促したようだった。


「実は……先月4月に気になる会話を聞きまして……」


 ミス・ロビンソンが切り出すと、ミス・ハーディーはあからさまに大きなため息をついた。

 しかし、ミス・ロビンソンはひるむことなく続けた。


「ベネット家でイースターマンデーのパーティーが開かれたときのことです。子供たちが庭でイースターエッグを探していたとき、ミセス・グリーヴスとミスター・ベネットがテラスで話していました。あ、"ミスター・ベネット"は息子のミスター・トーマス・ベネットです。お父様の方ではありません」


 ミス・ロビンソンは少し慌てたように最後の部分を付け足した。


「会話の内容は?」

「確か……まず、ミスター・ベネットが『僕たちの結婚の件でミセス・ベネットに騙されたと思っているのですか?』と。それに対して、ミセス・グリーヴスが『いいえ、あれは私が馬鹿だったの。ただ、いずれにしてもアグネスとは気まずくなってしまったわ』と言いました」


 警部は手元の資料を確認した。

 "アグネス"というのはミセス・ベネットの洗礼名だった。


「それから、ミスター・ベネットが『母はあなたではなく僕に怒っているだけです。母は結婚を個人の意思だけでするものではないと思っていますから』と言いました。私が聞いたのはそこまでです。そこで子供たちが近くに来たので、二人は会話を止めました」


 ミス・ロビンソンは一気に話し切った。

 警部は証言された会話の内容を解釈しようと頭をひねったが、いささか問題のある解釈しか浮かばなかった。

 そこで彼はミス・ロビンソンにも意見を聞いてみることにした。


「二人は何を話していたのでしょうか?」

「あの……私にはミスター・ベネットとミセス・グリーヴスが結婚しようとしているように聞こえました。ミセス・グリーヴスは既婚者ですが……」


 ミス・ロビンソンの頬には赤みが差していた。

 "立派であること"を重んじる中産階級らしからぬ解釈だった。

 とはいえ、ヘイスティングス警部も同じ解釈をしていた。

 

 ――ミセス・グリーヴスはトーマスとの結婚を望んでいた。

 ――その件でミセス・ベネットとトラブル――トーマスが「騙された」と表現した何か――があり、二人の女性は「気まずく」なってしまった。

 ――それを受けてトーマスは「母は僕に怒っているだけ」と言って彼女を慰めた……という解釈は可能だ。

 

 しかし――。


「ケリー!憶測で不適切なことを言わないで!」


 声を上げたのはミス・ハーディーだった。

 

「だって、フラニー。そうとしか考えられないわ」


 ミス・ロビンソンは口を尖らせた。

 話を打ち明けたことで少し気が晴れたらしい。


「警部、この子の言うことを鵜呑みにしないでください。ミスター・ベネットには別の想い人がいたのですから。もちろん未婚の女性です」


 ミス・ハーディーの頬は少し赤くなっていた。

 恥ではなく、義憤に駆られているようだ。


「別の想い人?」

「去年までミセス・ベネットの小学校で教員見習いをしていたミス・フレッチャーという女性です。ただ、彼女の父は印刷工なので、ベネット夫妻は労働者階級の女性を家族には迎えられないと、交際に猛反対なさいました。それで、結局彼女はベネット夫妻の推薦で去年の9月からハワースの教員養成学校に行かされてしまいました……」


 そして、ミス・ハーディーは咎めるような視線をミス・ロビンソンに向けてから付け足した。


「ミスター・ベネットは階級の違いの恋には落ちたことはありますが、根は"立派な"紳士ですから、既婚女性と不適切な関係になるはずがありません。しかも、前に想い合っていた女性と別れさせられて間もないのに」


 警部は一応頷いた。

 しかし、彼は特に後半部分には賛成しかねた。

 若い男の心など半年もあれば簡単に移りゆくのを知っていたからだ。

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