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32.理想の二人②

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 親愛なるモードへ


 アグネスとのことは心配しないでください。

 詳細は話せないのですが、トーマスの件で色々あって彼女とは距離ができてしまいました。

 ただ、そのせいでアグネスは私が急進派に転向するつもりだと誤解しているので、その点については何とかするつもりです。

 前にあなたにお話しした通り、<SWSA>に残って穏健派として活動を続けたいという私の意向は変わっていません。

 明日彼女が演説会を終えた後に本部で改めて話して誤解を解こうと思います。

 その前に主人とも話さねばなりませんが。


 愛をこめて

 ヘレン

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「なるほど?この手紙の内容から被害者が<SWSA>に残留して穏健派を堅持するつもりだったことはわかりました。しかし、ミスター・グリーヴスの意向については特段触れられていませんが?」


 ローシュ警視は首を傾げながら、アメリアに視線を向けた。


「見ていただきたいのは最後の行です」


 アメリアは差出人の署名の直前の行を指した。

 

「『その前に主人とも話さねばなりませんが』?文脈から考えると、被害者は、彼女自身が穏健派に留まることを改めてミセス・ベネットに表明する件について、事前に夫婦で話そうとしていたということでしょうか。しかし、考えてみればやや不自然ですね。夫婦一致して穏健派を堅持するつもりなら、それを改めて仲間に表明する程度で『話さねばなりません』とまでは言わない気がします」


 と困惑顔で言ったのは警部だった。

 アメリアは彼の問いかけに、深く頷きながら答えた。

 

「おっしゃる通りです。そうだとすると、『夫婦共に穏健派に残るつもりだった』という前提が誤っているのだと思いますわ。ミスター・グリーヴスは組織内に波風を立てないように表向きは穏健派堅持を表明していましたが、本当は<SWSA>への寄付をやめたかった――もっと言えば、彼は夫婦共に<SWSA>を脱退したかったのではないでしょうか。しかし、ミセス・グリーヴスはそれに反して<SWSA>での活動継続を望んだ。寄付についても、これまで通りの一括寄付を続けることはできずとも、せめて月次寄付の形で続けようとした……それが対等とはいえない夫婦関係の中での、せめてもの抵抗だったのではないでしょうか」


 そこでミセス・プレストンがはっとして口を開いた。


「ミスター・グリーヴス、昨日、あなたは6月で<SWSA>を脱退する意向だと言ったわね。"ブラック・フライデー"以来迷いがあったと。つまり、あなたは本当は去年からずっと<SWSA>を脱退したいと思っていたのに、ヘレンは応じなかった。だからあなたは……?」

「そんなことがあるわけないでしょう、ミセス・プレストン」


 ミスター・グリーヴスは強い口調で言い切ったが、ミセス・プレストンは納得しなかった。


「でも、女男爵様のお話は一応筋が通っているわ」

「だとしても、それだけで私が妻を殺すと思いますか?結局全て想像です」


 ミスター・グリーヴスは周囲に訴えかけたが、関係者たちはただ当惑するばかりだった。

 ただ一人、ミセス・プレストンは警視と警部に向かって問いかけた。

 

「ミシンの細工の件はどうなのでしょう?もし、女男爵様のお話が事実ならその細工をした証拠がどこかにあるのでは?警察の現場検証ではどうだったのです?」

「現場検証ではそのような証拠は見つかっていません。まだ調べていない通気口の内側やダクトの中に紐が通った跡があるかもしれませんが――」


 とヘイスティングス警部が言いかけたのをミスター・グリーヴスが遮った。


「それを調べるには当然追加の令状が必要でしょうね?今、警察は<SWSA>本部の捜索令状を得ていますが、壁の中は対象外です」

「……まあ、そうですね」


 とローシュ警視が渋々認めた。

 

「事務弁護士としての経験上、今の女男爵様のお話のみで追加の令状が得られるとは思えません。物証はミセス・プレストンが持っている手紙だけ。それも解釈次第です」


 ミスター・グリーヴスの口調は穏やかだが、どこか嘲りを含んでいた。

 一方、アメリアのヘーゼルの瞳は彼を真っ直ぐに見据えていた。


「いいえ、物証はあります。辛うじてまだ消えていません」


 彼女が言い切ると、ミスター・グリーヴスも周囲の人々も静まり返った。


「ミスター・グリーヴス、あなたは、当初から一貫して、事件当日ミセス・グリーヴスは本部のミシンで旗を縫っていたと証言していますね?」

「ええ、それが何か?」

「その旗というのは、現場に残されていた麻製の厚手の旗ですね?彼女は本部のミシンを使ってその旗の端を水色のバイアステープで処理する作業をしていたのですね?」

「そうですが?警察にも説明した通りです」

「確かですね?」


 アメリアが再度問いかけると、ミスター・グリーヴスは苛立ちをあらわに唇を歪めた。

 

「何度言わせるんですか。私はあの日、妻がミシンを使って、麻製の旗の端に水色の布を縫い付けているのを確かに見ました」


 その言葉を受けたアメリアは、建物の入口付近に留まっていたその人を見た。

 彼女は一度頷いてから口を開いた。

  

「それはあり得ません」


 その震える声の主は他でもない、アメリアの忠実かつ有能な侍女ミス・アンソンだった。


「……あり得ない?」


 ミスター・グリーヴスはそう言って少し笑い、ため息交じりに話し始めた。


「見たところ、あなたは女男爵様の侍女ですね?」


 彼は苦笑しながら、ミス・アンソンが"侍女"であることを強調したが、彼女はもう黙ったりしなかった。


「ええ、私は侍女です。今の主人メラヴェル女男爵様にお仕えする前から十年以上、侍女としてレディ方の衣服を取り扱っています。職業柄、数えきれないほどミシンを踏んできました」


 ミス・アンソンがそう言うと、警視と警部が彼女に視線を向けた。

 彼らは"専門家"である彼女の話を聞くべきだと判断したようだ。


「私は先ほど女男爵様のご指示で、巡査部長と共に現場のミシンを確認しました。現場は事件後そのまま保存されていると聞いています。でも……ミシン針に矛盾があるのです。今、現場のミシンには薄地用の細い針がセットされています。その細い針で、現場に残されていた旗のような厚手の麻布を縫うことはできません。あのような細い針で旗にバイアステープを縫い付けようとしたら針が折れてしまうか、針が刺さらず空縫いになってしまったはずです」


 ミス・アンソンが言い切ると、群衆は大きくどよめいた。

 ミスター・グリーヴスは目を見開いている。

 人々の予想以上の反応にミス・アンソンが不安げな視線をアメリアに送ったので、アメリアは微笑んで続きを引き取った。

 

「今、彼女が言った通り、現場のミシン針には矛盾があります。何故このような矛盾が起きたのかは明白です。ミセス・プレストンを始めとする<SWSA>会員の方々の証言により、事件前日、ミセス・グリーヴスは本部のミシンで(たすき)を縫っていたことがわかっています。その(たすき)は薄いサテンでできているのです。今セットされている細い針はその(たすき)を縫ったときに使われたものです。その後、事件当日、本当に厚手の麻布を縫ったのだとしたら厚地用の太い針に交換されているはずですが、そうはなっていません。ということは、事件当日、午後2時に本部に到着した被害者はすぐに睡眠薬を飲まされて間もなく眠り込んでしまった、もしくは、ミセス・プレストン宛ての手紙にあった通り、ご主人との話し合いを試みていた途中で眠り込んでしまったのかもしれません」


 そう言いながらアメリアは、最後まで夫に理解を求めようとしたミセス・グリーヴスを想像し心が痛んだ。


「いずれにしても、針は交換がされておらず、現場や被害者の所持品にも他に薄地のものを縫った形跡がないのですから、やはり彼女は事件当日ミシンを使わなかったのです。現場に残されていた旗は被害者が自宅で縫ってきたものだったのでしょう。これまで私たちは、ミスター・グリーヴスの『被害者は旗を縫っていた』という証言、会合中に人々が聞いたミシンの音、そして、現場にバイアステープが縫い付けられた旗が残されていたことを踏まえて、被害者は午後3時台まではミシンで旗を縫う作業をしていた――生きていた――と考えていました。しかし、この針の矛盾からミスター・グリーヴスの証言は疑わしくなります。また、他の人々が聞いた音も被害者がミシンを使用していた音ではなかった可能性が高くなります。すると、警察は追加の捜査令状をとる必要が生じるのではありませんか?」


 アメリアが刑事たちに問いかけると、ヘイスティングス警部ははっきりと頷き、ローシュ警視でさえ首を縦に振った。


「ミスター・グリーヴス、本部の引き渡しは延期します。今から警察署で話を聞かせてもらえますね?」


 警視がそう言うと、警部が即座にミスター・グリーヴスを警察車両に案内し始めた。

 ミスター・グリーヴスは意外なほどあっさりと頷き、警部に続いて歩き出した。

 そして、未だに信じられないような様子のミセス・ベネットが彼に「本当なの?」と問いかけながら後に続いて行った。

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