28.初めての訪問③
「アンソン!」
アメリアはミス・アンソンを呼びながら、地下の使用人区画から上階へと続く階段を早足で上がった。
アルバート卿も後に続いている。
ミス・アンソンは階段を上がってすぐの玄関ホールにいた。
地下から戻ってこないアメリアを呼びに行くところだったらしい。
「お嬢様、どうかなさいました?」
「私、あなたが現場で気づいたことが何なのかわかったの――」
アメリアはそう言ってミス・アンソンに近づくと、二言三言耳打ちした。
ミス・アンソンは目を見開きつつも頷いている。
「どうしてお気づきに?でも、そのようなことは些末過ぎて事件とは――」
「いいえ。大いに事件に関係のある大発見よ!これが犯人を決定付ける"証拠"になるはずだわ!」
アメリアが喜びのあまりミス・アンソンの両手をとったので、彼女の顔には困惑が浮かんでいた。
そして、困惑しているのは、後からやってきたアルバート卿も同じだった。
「レディ・メラヴェル、一体何にお気づきになったのか私にも教えてください。あなた方にはすっかりわかっているのに、私だけわからないなんてまるで“水曜日の子供”のようではありませんか」
アルバート卿が戸惑いつつも微かに笑いながら有名な童謡の一節を引用したので、アメリアは微笑んだ。
"水曜日生まれの子は悲哀でいっぱい――”
「あらあら、"水曜日の子供"だなんてことはありませんわよ、アルバート卿。あなたのような高貴な紳士には馴染みが薄いというだけのこと――」
そう言いかけたところで、アメリアはどきりとした。
ひどく嫌な心臓の跳ね方だった。
「“水曜日”……」
アメリアが呟いたのは童謡のことではなかった。
先日のエヴァレット巡査部長の言葉が彼女の頭の中に響いていた。
”ローシュ警視は、本部の明け渡しを来週の水曜日に後ろ倒しにして――”
「どうしましょう!明日は水曜日……本部の封鎖が解かれてしまうわ。午前中にはもう明け渡されてしまうのかしら?そうしたら"証拠"が――」
アメリアが青ざめていると、執事のミスター・フィリップスが地下から階段を上がってきた。
階段を上がりきってすぐにアメリアを見つけた彼は、一礼して厳かに告げた。
「お嬢様、ヘイスティングス警部がリッチモンド署から緊急の電話を掛けてこられました。なんでもミスター・トーマス・ベネットという方が昨夜睡眠薬を飲み過ぎて意識不明になっているらしいのですが……」
更に、玄関からはフットマンのサムの声がした。
「ご子息様、自動車の準備が整いました!」
アメリアは、アルバート卿、ミス・アンソン、ミスター・フィリップス、そして、サムの声がする方向へと順番に視線を向けながら考えを巡らせていた。
今、彼女が一番にするべきことは――。
「レディ・メラヴェル、すぐにリッチモンドの警部のところに向かわれて、その"証拠"を押さえた方が良いのでは?私の自動車をお貸ししますからどうぞ使ってください。ミス・アンソンもお連れになるのでしょうね?」
アメリアの意図を見透かしたようにアルバート卿が言った。
アメリアはすぐに頷いた。
今ミスター・フィリップスからもたらされた情報が本当だとすると、一刻の猶予もないように思われた。
「ありがとうございます、アルバート卿。そうさせていただくのが良いかもしれません。おそらく、ミスター・ベネットは犯人に命を――」
「そうなのですか?であれば、女性だけで行かせるわけにはいきません。私も同行させてください」
アルバート卿は反射的に言ってから、はっとして困り果てたように額に手を当てた。
アメリアも、前回の事件での反省を踏まえると、アルバート卿の提案通り、彼に同行してもらった方が安全だとは思ったが、今回ばかりは不可能ではないかとも思っていた。
なぜなら、社交界において未婚の男女が二人きりで同じ自動車に乗ることは許されないからだ。
誰かに見つかりでもしたら、非常に不名誉なことになる。
とはいえ、厳密に言うと、二人がアルバート卿の自動車に乗る場合、実際上、彼らが"二人きり"になることはあり得ない。
今日アルバート卿はキャビン式の後部座席を備えたタイプの自動車で来たので、二人がこの自動車を使うならそのキャビンに乗ることになる。
ただ、キャビンの外にある前方の運転席には侯爵家のショーファーが座るし、その隣の助手席にはアルバート卿の供――アメリアは先ほど彼を出迎えた際に、侯爵家のウィリアムというフットマンの姿を見た――が乗るだろう。
更に、ミス・アンソンはアメリアの供として二人と一緒にキャビンに乗り込むはずだ。
しかし、それでもやはりアメリアとアルバート卿は"二人きり"ということになってしまう。
この場合、使用人は数に入らないからだ――非常に理不尽なことに。
かといって、メラヴェル男爵家の自動車の準備を待っていたら出発が遅くなる。
元々のアメリアと母の出発時刻までまだ少し時間があるので、ショーファーのノートン――のんびり屋の彼はまだどこかで休憩しているか、誰かを捕まえてお喋りしているだろう――を探すところから始めなければならない。
ミスター・トーマス・ベネットが命を狙われたことを考えるとそんな余裕はないように思われた。
しかも、アメリアはそれ以上に大きな問題にぶつかっていた。
「でも、そもそも、私の推理はまだ不完全なのです。どうして犯人が殺人に踏み切ったのかだけがまだわからなくて……。今からリッチモンドに行ったとしても――」
アメリアは思わずぎゅっと目を閉じた。
――一体、どうしたらいいの?
――やっぱり、私に"探偵"なんて無理だったのよ。
「アメリア、しっかりなさい」
その声にアメリアは目を見開いた。
いつの間にか玄関の方からミセス・グレンロスが彼らに歩み寄ってきていた。
アルバート卿の見送りのために玄関近くで待機していた彼女にも彼らのやりとりが聞こえていたようだ。
途中で立ち止まった彼女は、まず、ミスター・フィリップスに言った。
「ミスター・フィリップス、あなたは警部に今からレディ・メラヴェルが”証拠”を押さえるためにリッチモンド署に向かうと電話してちょうだい」
ミセス・グレンロスの指示を受けた執事ミスター・フィリップスは即座に「承知いたしました、奥様」と言って、電話をかけるため執務室に戻って行った。
ミセス・グレンロスは今度は玄関の方を振り返って、そこに控えているであろうフットマンのサムに向かって言った。
「サム、あなたはこの後クリザリング夫妻の屋敷に行って、レディ・メラヴェルと私は急に具合が悪くなって今日のお茶会を欠席すると丁重にお詫びをしておいてね。ミセス・クリザリングは私の妹ですから心配ないわ」
サムが「かしこまりました、奥様」と応じる声が聞こえた。
そして、ミセス・グレンロスはそのままゆったりと玄関の方へと歩んでいったので、アメリアとアルバート卿、そして、ミス・アンソンは自然と彼女の後に続いた。
「……それにしても、アルバート卿。今日は一段と良い自動車で来てくださったのね」
玄関を出て、侯爵家の自動車の前に立ったミセス・グレンロスはアルバート卿を振り返って言った。
母の言う通り、今日のアルバート卿はロールス・ロイス社の当代随一の高級車で来ていた。
良く磨かれた車体が銀色に輝いている。
「ええ、まあ……兄たちが今回はどうしてもこれで行けと言ったものですから」
アルバート卿はミセス・グレンロスの意図を量りかねて微かに眉を寄せていた。
すると、ミセス・グレンロスはそのまま侯爵家の自動車の方に進み、当然のようにキャビン式の後部座席に乗り込んだ。
アルバート卿の乗車に備えて控えていたはずのサムは、ミセス・グレンロスに圧倒されて、無意識に彼女の乗車を補助してしまっていた。
前方の座席に座っている侯爵家のショーファーと供のウィリアムも困惑して後ろを振り返っている。
しかし、ミセス・グレンロスは少しも動じずに、玄関先に立ち尽くしている面々に呼びかけた。
「アメリア、早く乗りなさい。アンソンもよ。それから、アルバート卿も一緒に来てくださるのではなくて?娘の安全のために私からもお願いしますわ。この車なら全員乗れますでしょう?」
ミセス・グレンロスの瞳は輝いていた。
何かを閃いたときのアメリアの瞳にそっくりだった。
「アメリア、意志を通すなら頭を働かせなさい。それから、貴族の当主なら上手く人を使いなさい。この場合、私を付き添いとして同行させるのが一番ですよ。それにあなたが言っている"証拠"が確かでありさえすれば、警察が犯人を捕まえます。その後、動機を聞き出すのは警察の仕事よ」
ミセス・グレンロスは威厳たっぷりに言った。
アメリアとアルバート卿は顔を見合わせ、それから、自然と笑みを交わした。
そして、彼らが全員乗り込むと、侯爵家の自動車はリッチモンドへと出発した。
【引用詩出典】
"Monday’s Child"
日本語訳は作者による。
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本話で出題編は終了です。
この後は解決編となりますので、引き続きお付き合いいただければ幸いです。
解決編に入るにあたって、
①犯人を追い詰める証拠
②犯人が殺人に踏み切ることになった最後のきっかけ
あたりの答えをなんとなく考えておいていただけると、よりお楽しみいただけるのではないかと思います。
(もちろん、特に推理しないままお読みいただいても全く問題ありません。)




