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27.初めての訪問②

「仕組みはわかったけど、結局どういうことなの、アメリア?」


 ミセス・グレンロスが首を傾げながら尋ねた。

 だが、現場の建物の構造を知っているアメリアとアルバート卿には既に答えがわかっていた。


「お母様、現場の建物の三階にあった作業室でもミシンは壁際にあったの。そして、その壁の上部には蓋が取れてしまった通気口があって、その通気口は真下の部屋の通気口と繋がっていた――つまり、二階にあったご主人ミスター・グリーヴスの執務室に繋がっていたのよ」

「じゃあ、あなたはミスター・グリーヴスがこの仕組みを使って二階からミシンを操作したって言うの?」


 大きく目を見開きながら言う母に、アメリアは頷きを返した。


「ええ、その可能性はあると思うの。現場のミシンにこれと同じ細工を施して、ペダルに結び付けた紐を蓋が取れた通気口からダクトに通し、二階の真下の部屋の通気口まで下ろせば、二階の彼の執務室からミシンを操作できるはずよ。弁護士事務所には公文書用の赤い紐があるから紐を入手するのは簡単だわ。ダクトに通すとき、紐だけだと頼りないかもしれないけれど、ある程度固さのあるものをガイドとして使えばいいのよ。グリーヴス夫妻は事件当日に自宅の庭でつる薔薇の誘引をしたそうだから、園芸用のワイヤーが自宅にあったはずだわ」


 アメリアの説明を聞いて、ミセス・グレンロスはとても信じられないというように眉を上げた。

 一方のアルバート卿は深く頷いて言った。


「グリーヴス夫妻は午後2時に一番最初に本部に到着していたのですから、ベネット母子が到着する午後3時までにミスター・グリーヴスが被害者に睡眠薬を飲ませた上で殺害する時間はありますね。そして、他の人たちが本部にいた午後3時から4時の間に、彼は、この仕組みを使って、二階の弁護士事務所の執務室からミシンの音を立てた。つまり、自分が本部を離れてからも、被害者はまだ暫く生きていたと見せかけた。とすると、現場の状況と矛盾しない。そういうことですね、レディ・メラヴェル?」


 アルバート卿の問いかけにアメリアはゆっくりと頷いた。


「おっしゃる通りですわ。この仕組みが使われたのだとすると、ミシンの近くに落ちていたという二冊の本の説明もつきます。二冊の本は、やはり昨日ミスター・ベネットが言ったとおり、ペダルに引っ掛かるように――つまり、目の前の細工と同じようにペダルに錘として括り付けられていたのでしょう。後からミスター・グリーヴスが現場で二冊の本を拾ったと言っていましたが、実際にはミシンのペダルに括り付けていた本を取り外したということは十分あり得ます。はさみや小型のナイフがあれば簡単に紐を切ることができますから」

 

 しかし、ミセス・グレンロスは未だに首を傾げていた。


「じゃあ、もう犯人はミスター・グリーヴスで決まりなの?でも、この前エヴァレット巡査部長が来たときには、ベネット母子が怪しいと話していたじゃない」


 アメリアは先日の巡査部長との会話を母が覚えていることに内心驚いた。

 娘に付き添っているだけの体で同席していたのに、意外にも関心を持ってくれていたらしい。

 

「お母様のおっしゃることはごもっともよ。これでミスター・グリーヴスにも犯行が可能だとわかったけれど、だからといって、ベネット母子の犯行である可能性がなくなったわけじゃないの」


 アメリアはため息交じりに言った。


 ――ミスター・グリーヴスがこのミシンに細工する方法を利用して犯行を行ったのだとしたら、合理的に説明可能なことが多いわ。

 ――二冊の本のことだってそうだし、敢えて被害者を睡眠薬で眠らせてからナイフで刺す方法を選んだのだってきっと……。

 ――でも、今のところ彼を犯人だと断定する証拠があるわけではない……。


「今、私たちの前には二つの可能性があります」


 アメリアは一同に向き直り、頭の中で慎重に論理を組み立てながら続けた。


「一つは、ミセス・ベネットと息子のミスター・ベネットとの共犯の可能性です。その場合、事件当日、ミセス・ベネットは午後3時に本部に到着した際、被害者のために用意した紅茶に睡眠薬を混ぜておき、午後4時までの間のどこかで眠り込んでいた被害者を刺した――郵便を取りに行くために一人で離席したタイミングがそうだと思いますわ。その後、アリバイを確保するため母子が口裏を合わせて午後4時時点でまだ被害者がミシンを使っている音を聞いたと証言しました。そして、ミスター・ベネットが演説会を抜け出して本部に戻って旗の工作を行ったのは、後になって、動機の観点から自分たちに疑いが向くことが心配になって手を打たずには居られなかったのだと解釈できます」


 ミセス・グレンロスはこの説への賛同を表明するように深く頷いていた。

 アメリアはそのままもう一つの可能性についても話し始めた。

 

「もう一つは、ミスター・グリーヴスが犯人という可能性です。その場合、彼は午後2時に本部に到着した後、被害者に睡眠薬を飲ませ、他の会員が本部に来る午後3時より前に、眠っている彼女をナイフで刺しました。その後、素知らぬ顔で弁護士事務所に移動して、執務室に籠って仕事をしていると見せかけながら、さっき実験した方法でミシンの音を立てたのです。そうすることで、本部に来ていた人たちが、午後3時から4時頃まで被害者がミシンを操作する音を聞いたと証言してくれるので、彼にはアリバイがあるように見せることができます」

「それで一体どちらなの?アメリア」


 ミセス・グレンロスがじれったそうに言った。


「お母様、正にそれが問題なの。被害者が事件当日、本部で本当にミシンを使っていたのか否かを証明できる証拠があれば良いのだけど……」


 アメリアは頬に手を当てて考えを巡らせていた。

 

「なるほど。ミセス・ベネットとその息子が犯人なら、被害者は午後3時台までは本当にミシンを使って旗を縫っていたと考えられる。しかし、ミスター・グリーヴスが犯人なら、その日被害者はミシンを使うことなく殺害されたはずだということですね?」


 アルバート卿も腕を組みながら言った。


「ええ、ミスター・グリーヴスが犯人である場合、時間的な猶予を考えると、本部到着後にすぐに睡眠薬を飲ませたと考えられます――午後3時から会合を予定している人々がいつ到着するかわかりませんから。仮に、その状態でミシンで旗を縫い始めたとすると、途中で意識が朦朧としたでしょう。すると、現場にあった旗のような整然とした縫い目にはなりません。なので、この場合は、被害者は予め自宅のミシンでバイアステープを縫い付け終わった旗を持ち込んだのだと思います。被害者の所持品には"VOTES FOR WOMEN(女性に投票権を)"というスローガンのアップリケがありましたから、本来、本部ではそのアップリケを縫い付ける予定だったのかもしれません。他に当日ミシンで縫ったと思われるものは現場に残されていませんでしたし――」


 そう言いながらアメリアがミス・アンソンに視線を向けると、彼女はじっと何かを考え込んでいた。


 ――もしかすると、アンソンが現場で気づいたことが鍵になるかもしれないわ。


 アメリアは後でミス・アンソンと改めて話をしようと思った。

 すると、ミセス・グレンロスが再度彼女に向けて問いかけた。


「話はわかったけれど、動機はどうなの?ミセス・ベネットには息子の結婚問題があるけど、ミスター・グリーヴスの場合は何が動機になるのかしら?」

「その点も私なりの考えはあるの、お母様」


 アメリアの頭の中には、昨日からずっと考え続けていることが改めて浮かんできた。


 ――ミセス・ベネットが4月に聞いたというグリーヴス夫妻の会話で、被害者はミスター・グリーヴスに向けて『でも、とりあえず月次での寄付は続けるから』と言った。

 ――それから、ミセス・グリーヴスがミセス・プレストンに宛てた手紙の内容。

 ――そして、昨日の別れ際のミスター・グリーヴスの言葉。

 ――そう考えると、全てが繋がるのよ。

 ――ただ……。


 アメリアはそこで一つため息をついて再度口を開いた。

 

「ただ、実は、ミセス・ベネットにしてもミスター・グリーヴスにしても、直接会った印象としては、短絡的に殺人を犯すような人には見えなかったの。動機の下地はあったとしても、あと何か一つ決定的なきっかけでもないと――」


 そう言いかけたところで、アメリアは裁縫室の扉の方に顔を向けた。

 彼女以外の三人も同じように扉を見ていた。

 廊下から二人分の足音と話し声が聞こえてきたのだ。


「教えてあげるからやってみなさいよ。アニーったら怖がりなんだから!ちょっと端を縫うだけでしょう?」

「でも、エマ、私ミシンなんて触ったことがなくて……」

「そんなこと言ってたらいつまで経ってもできるようになりやしないじゃないの!」


 どうやらハウスメイドのエマとアニーらしい。

 会話の内容から彼女たちは明らかにこの裁縫室に向かって来ている。

 

 アメリアは少し眉を上げた。

 このまま鉢合わせしたら、彼女たちにひどく気まずい思いをさせてしまう。

 それを察したミス・アンソンが廊下の彼女たちに合図しようと扉に手をかけたが――遅かった。

 

 先に扉を開けてしまったエマは中の様子を見て固まった。

 エマの少し後ろにいるアニーは、白い麻製のテーブルクロスを腕に抱きしめて顔を真っ赤にしている。

 彼女たちはミシンでテーブルクロスを縫うためにこの裁縫室に来たようだ。


「申し訳ございません!お嬢様方、ご子息様」


 先に声を絞り出したのは、第一ハウスメイドのエマだった。

 第三ハウスメイドのアニーはただ恐縮して顔を伏せている。


 アメリアはこれ以上彼女たちを動揺させないよう穏やかに言った。


「気にすることはなくてよ、エマ、アニー。私たちがあなたたちの仕事場にお邪魔したのだから。もう上に戻るからお仕事を続けてちょうだい」


 アメリアの言葉を合図にミス・アンソンが素早くミシンの細工に使った道具を回収し、一同は廊下に出た。

 そこでミセス・グレンロスがアメリアに視線を送った。

 メイドたちとの気まずい遭遇について「ほら見なさい」と言っているようだ。

 

「これで“実験”は終わりね、アメリア?」


 アメリアは些か申し訳なく思いながらも、母の問いかけに頷いた。

 一方のアルバート卿は落ち着き払って言った。


「さて、お二人にはこの後予定がおありということですし、私はそろそろお暇しましょう」

「では、玄関に自動車をお呼びしますわね」


 と応じたのはミセス・グレンロスだった。

 

 アメリアは、ミセス・グレンロスに続いて歩くアルバート卿の口元に笑みが浮かんでいるのを見て思わず微笑んだ。

 彼は実験が一定の成果を上げたことを喜んでいるようだ。

 それから――もしかすると、一応形式的にはアメリアを初めて訪ねたことになるので、その点にも満足しているのかもしれない。

 ついそんなことを考えてしまった彼女は、頬が熱くなるのを感じ、歩く速度を落とした。

 

 先頭を歩いていたミセス・グレンロスはミス・アンソンと何事か話しながら階上へと続く階段を上がっていったが、遅れて歩いていたアメリアはふと足を止め、裁縫室の方を振り返った。 

 裁縫室の方から何か重要な会話が聞こえてきた気がした――。

 

 彼女が引き寄せられるように、裁縫室の扉の前まで戻ると、先を行っていたアルバート卿もそれに気づいて歩み寄ってきた。


「レディ・メラヴェル、どうなさいました?」


 問いかけられたアメリアは彼に視線を送った。

 薄い扉の向こう側からは先ほどの二人のハウスメイドのやりとりが聞こえてきた。


「――だから、このまま縫い始めたら折れちゃうのよ。昨日ミス・アンソンがこのミシンで奥様のシルクの手袋を補強してたから」

「ありがとう、エマ。ああ、危なかった。またミセス・フィリップスに叱られるところだったわ。この前、お嬢様のブラウスのセルロイドのボタンをアイロンで溶かしちゃって……ボタンには代わりがあったのだけど――」

「ああ……アイロンを駄目にしたの、あなただったのね……。本当にクビにならないように気をつけなさいよ」


 アメリアのヘーゼルの瞳は輝いていた。

 ようやく、彼女の中での最大の謎の答えを見つけたのだ。

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