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24.天秤②

 アルバート卿は更に話を進めた。


「お話はわかりました。ただ、ミスター・ベネット、先ほどロビーでお話ししたときに、あなたもおっしゃっていましたが、警察の疑いは今、あなたのお母様ミセス・ベネットに向きつつあるようですね。私が警察の知人から聞いたところでは、事件当日ミセス・ベネットはあなたや他の会員と本部で会合をしていたそうですが、その間に犯行を行うことが不可能だとは言い切れないとか。何かお母様の無実を示せるような要素はありますか?」


 アルバート卿が話している間、アメリアはティーカップに口を付けるふりをしながら、さり気なく各人の表情に視線を走らせた。

 ミスター・トーマスは何度か髪をかき上げており、ミスター・グリーヴスは何か考え込んでいるように見えた。

 また、ミセス・プレストンの瞳には心配が滲んでいた。


「一つ言えることがあるとすれば――」


 最初に口を開いたのはミスター・トーマスだった。


「あの日、会合を終えて本部を離れる直前に、母も僕も、ミセス・グリーヴスが作業室でミシンを操作する音を聞いています。つまり、母が本部を出たときミセス・グリーヴスはまだ生きていた。そうすると、やはり母に犯行は不可能です。もっとも、僕自身、遺体を発見した際にはそのことをすっかり忘れて、母が彼女を殺したのだと思ってしまったのですけどね」


 ミスター・トーマスはそう言って少し肩を竦めた。

 アメリアは彼が正直に証言しているのか、母を庇っているのかをすぐに判断することはできないと思った。


「なるほど。でも、ミセス・ベネット本人と息子である君の証言しかないのは弱いな。母子揃って嘘をついていると思われかねない。私も事務弁護士として確認したが、君たちの会合に同席していたミス・ハーディーとミス・ロビンソンは、会合中にはミシンの音を聞いたと証言している一方、本部を離れる際はどうだったか覚えていないらしいからね」


 と残念そうに言ったのはミスター・グリーヴスだった。

 彼は一つ咳払いをして更に続けた。


「私から言えることは……警察が政治的な動機の線を持ち出した場合、妻がミセス・ベネットと同じく穏健派を堅持するつもりだったことは、彼女を擁護する要素になるかもしれません。しかし、警察によると、ミセス・ベネットは最近まで妻が急進派に転向するつもりだと思い込んでいたらしいので、それは不利な要素になってしまいます。どうしても勘違いで殺してしまった線が残る……」


 ミスター・グリーヴスはそう言うと少し視線を落とした。

 すると、ミセス・プレストンが彼に言った。


「そのことなんだけど、アグネスは、あなたとヘレンが活動方針で揉めているような会話を聞いて、彼女が急進派に転向すると思ったらしいの。トーマスもヘレンから同じようなことを言われたのよね?」

「ええ、僕も3月にミセス・グリーヴスに『いつの間にか夫婦で別の方向を見るようになっていた』というようなことを言われたのです。でも、彼女は本当に穏健派に残るつもりだったということで良いのですよね、ミスター・グリーヴス?」


 ミスター・トーマスがそう言ったとき、ミセス・プレストンがアメリアに目配せをして僅かに首を振った。

 先日、ミセス・プレストンはミセス・グリーヴスが明確に穏健派堅持の意向を書き記していた手紙を見せてくれたが、慎重な彼女はここにいる紳士たちにはまだその手紙を見せていないらしい。

 確かに一度警察に目をつけられてしまったミスター・トーマスや事務弁護士としての立場があるミスター・グリーヴスが手紙の存在を知れば、ミセス・プレストンの意思に反して警察に伝えてしまうかもしれない。

 アメリアは了解の意図で頷き、この場では手紙の存在に言及しないことにした。


 一方、ミスター・トーマスに問われたミスター・グリーヴスは少し思案してから口を開いた。


「生前、妻は穏健派を堅持すると言い切っていたよ、トーマス。私たち夫婦の方針の違いというのは、寄付方式のことではないかな?私は家計のことを考えて月次寄付を勧めたのだが、当初、妻は年額一括寄付を譲らなかった。でも、最終的には私の助言に従って月次寄付にすることで落ち着いたよ。彼女自身が年次総会でそう申し出たのは皆知っての通りだね」


 ミスター・グリーヴスはそう言って微笑んだが、すぐに真面目な顔になった。


「しかし、それでミセス・ベネットに誤解を与えてしまうとは。このことが不利に働かないといいんだが……」


 そこで、ミセス・プレストンが敢えて明るく言った。


「アグネスの性格を根拠に弁護することはできないかしら?彼女は典型的な小学校の校長先生ですから、規律はしっかり守ります。今だって、トーマスが両親の反対を無視して結婚したことと、警察の捜査を攪乱したことを理由に家から追い出したわ。私にも三人の子供がいますけど、子供たちを追い出すなんて、よほど規律を重視していないとできないと思うの。特にトーマスは一人息子だし」


 しかし、それにはミスター・グリーヴスが反論した。


「それはどうでしょうね?トーマスの結婚を知ってすぐに追い出したのなら、規律を重視する性格だと言い切って良いかもしれませんが、ご夫妻は当初はそれを世間から隠して彼を教師として働かせ続けていました。これは逆に息子のためなら規律を曲げると見られかねない」


 ミスター・グリーヴスはミスター・トーマスに向き直ると、穏やかな口調で付け加えた。


「もちろん君のご両親を非難しているわけではないよ。私だって、妻が君たちの結婚の証人になってしまったことを隠したくて、君の結婚が周囲に知れない方が良いと思っていたからね。ただ、ミセス・ベネットを擁護するのにはもっとしっかりとした証拠が必要だと言っているだけさ」


 ミスター・トーマスは「わかっていますよ」と言って礼儀正しく微笑んだ。

 そこで、これまで発言を控えていたアメリアがミスター・トーマスに問いかけた。


「そうなると……ミスター・ベネット、あなたは事件当時現場をご覧になったと思いますが、現場で何かお気づきのことはおありでしょうか?意外なことがお母様の無実を証明するかもしれませんわ」


 アメリアはミスター・トーマスの事件現場での気づきは是非聞いておくべきだと思っていた。

 ミスター・トーマスは思案するように腕を組んだ。


「うーん、特にはなかったかと。そもそも、僕は旗にスローガンを書いたときも、部屋のごく手前までしか入らなかったのです。遺体に近づくのは気が引けましたから……」


 そう言ったきり彼は黙り込んでしまった。

 すると、ミセス・プレストンが彼の後を継いで話し始めた。

 

「現場を見たのはトーマスだけでなく、私たちもよ。ミスター・グリーヴスなら何かお気づきになったのでは?」

「私がですか?ミセス・プレストン?」


 とミスター・グリーヴスは首を傾げた。


「あなたが一番冷静でしたもの。ヘレンに近づいて身元と脈を確認なさっていましたね?」

「そうでしたね。まさか妻が亡くなっているとは信じられなかったので、一応顔を見て本人であることと、脈があるかどうかだけは確認しました。結局は残酷な現実に直面しただけでしたが……」


 ミスター・グリーヴスは力なく首を振り、手元のティーカップから一口だけ紅茶を飲んだ。


「それから、あなたは落ちていた本を拾い上げてくださいましたね。ヘレンの好きだった二冊が床に広がった血で汚れないようにと……」

「ええ、<SWSA>共有の本ですが、妻はあの二冊を気に入って本部に来る度に繰り返し読んでいました……」


 とミスター・グリーヴスが言ったのに、ミスター・トーマスが反応した。


「その二冊とは、もしかしてミルの『女性の解放』とウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』でしょうか?」

「ああ、そうだが……」


 とミスター・グリーヴスは少し目を見開いて言った。

 

「僕も現場でその二冊が落ちているのを見た気がします。彼女はそれらを気に入ってくれていたのですか……実はその二冊を本部に寄付したのは僕なのです。英語教師として文章の力で運動を推進したくて」


 ミスター・トーマスの言葉にミスター・グリーヴスは「そうだったのか……」と呟いて、躊躇いがちに切り出した。


「もし、<SWSA>他の皆さんからも異議がなければ、後で私がその二冊をいただいても構わないかな、トーマス。ヘレンの思い出にしたい」

「もちろんですよ」


 ミスター・トーマスは気づかわしげに微笑みながら頷いた。


「あら、それを言ったら、私、ヘレンが亡くなる前日に渡してくれた襷を持っているわ」


 ミセス・プレストンはそう言ってハンドバッグの中から小さく折りたたまれた布を取り出して、広げて見せた。

 それは光沢のある生地でできた襷だった。 

 アメリアがその襷を見つめていると、ミセス・プレストンは彼女にそれを手渡した。


「事件の前日、ヘレンは本部の作業室のミシンでこれを縫っていました。私が本部に行くと、ヘレンがちょうど完成したと嬉しそうに渡してくれたのです」

「ああ、僕も同じ日に襷を受け取りました。僕の分が最後だったようで、ミセス・グリーヴスはもう暫く襷を縫う必要はないと喜んでいました。家に帰ったら次はいよいよ旗に取り掛かると――」


 ミセス・プレストンとミスター・トーマスの話を聞きながら、アメリアは手元の襷を観察した。

 色は事件現場にあった厚手の麻製の旗に縫い付けられていたバイアステープと同色の水色で、素材はサテンのようだ。


「サテンはミシンでは縫いにくいとヘレンはよく文句を言っていましたが……素晴らしい出来栄えでしょう?」


 ミセス・プレストンが誇らしげに言った。

 確かに薄くて縫うのが難しそうなサテン地なのに、襷の両端の縫い目は整然としていた。

 アメリアが微笑みながらミセス・プレストンに襷を返すと、彼女もまた微笑んだ。

 

「<女性の戴冠式>で身に着けるつもりでしたが、代わりのものを用意できますから良かったらこれも差し上げますわ、ミスター・グリーヴス」


 ミセス・プレストンがミスター・グリーヴスに向き直って言うと、彼は微笑みながら首を振った。


「ありがとうございます、ミセス・プレストン。でも、襷はあなたがお持ちになってください。ヘレンはあなたのために縫ったのですから」


 すると、ミスター・トーマスが不意に言った。


「ああ、今ミシンと聞いて思い出しましたが、先ほどの二冊の本はミシンのペダルに引っかかるように落ちていましたよね?本の重みでペダルが傾いていたような気がします」

「どうだったかな?ミシンの近くに落ちていたのは覚えているが……」


 ミスター・グリーヴスはそう言いながらその緑の瞳を細めてミスター・トーマスを見た。


「ミセス・グリーヴスはミシンで作業をしながら読んでいたのでしょうか……」


 ミスター・トーマスはそう言って少し俯いた。

 

「ミスター・グリーヴス、気を悪くなさらないでほしいのですが、彼女が最後に読書を楽しんでくれたとしたら、僕は英語教師として少し救われる心地がします」

「いや、ありがとう、トーマス。私もそう思うよ」


 二人の紳士は視線を交わし、ただ頷き合った。

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