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18.大きな進展③

 その後、<SWSA>の幹部たちと別れたアメリアは、ハードウィック子爵夫人と共に他の女性参政権運動家と交流したが、さすがに事件に関連する話を聞くことはできなかった。

 ただ、急進派の女性たちが警官に対抗するために習っているという東洋の"ジュージュツ"なる護身術には大いに興味を引かれた。

 アメリアは、急進派の女性がその護身術を使うことを数年前の雑誌で読んで知っていたが、そのときは話半分に捉えていた。

 しかし、どうやらその護身術を使えば小柄な女性でも自分より大きな男性を転ばせることができるというのは事実らしい。

 

 そして、交流会が終わり、アメリアとアルバート卿、子爵夫人がロビーでそれぞれの自動車を待っていると、<SWSA>の幹部たちに再び声を掛けられた。


 ベネット母子からは資金援助の件を念押しされただけだったが、ミセス・プレストンは何故かアメリアとアルバート卿に話があると言い、二人だけをロビーの隅に呼び寄せた。


「つかぬことをお聞きしますが、お二人にはロンドン警視庁に伝手がおありでしょうか?」


 ミセス・プレストンの言葉を聞いた二人は少し眉を上げた。

 その反応を「伝手がある」と解釈したらしいミセス・プレストンは声を落として続けた。


「実は、事件のことで警察にまだ話していないことがあるのです。ただ、それを公表するとベネット母子に不利になるので……公平に捜査してくださる刑事さんにお話ししたくて」

「あら?ベネット母子を庇っていらっしゃるのですか?」

 

 とアメリアは敢えて率直に尋ねた。


「いえいえ、庇うもなにも彼らは殺人犯ではありません。ベネット家の皆さんはお父様のミスター・ベネットも含めて”立派な”教師の一家です。彼らは禁酒主義者でもありますから、お酒だって一滴も飲まない真面目なご一家なのです。ご夫妻はいつも足並みを揃えて行動されている理想の夫婦ですし、そんな彼らが殺人などあり得ません」


 ミセス・プレストンはそう言い切って、アメリアに鋭い視線を向けた。

 アメリアはたじろいだりはしなかったが、彼女の仲間への思い入れの強さには驚いた。

 

「でも、ミスター・トーマス・ベネットには若者らしい危うさを感じますね」


 アルバート卿が言うと、ミセス・プレストンの視線は彼の方に移った。

 

「トーマスは少しロマンチストなだけです」


 ミセス・プレストンの黒い瞳には諦めとも愛情ともとれる揺れが映っている。

 彼女はため息をついて少し表情を和らげた。


「そもそも、若者には多少の過ちはつきものです。彼のお父様でさえ若い時分には愚かなこともなさったそうですから。同じく禁酒主義者だったご両親に反抗してビールを飲んで一口で倒れたとか――トーマスには内緒ですけどね。ご自身が飲めない体質だとご存じなかったのね。卿、あなただって"若気の至り"のご経験くらいおありでしょう?」


 アルバート卿は頷いていたが、アメリアは、彼も誤ることはあるにしても"若気の至り"とは縁遠そうだと思った。


「ですから、とにかく偏見のない刑事さんにお話ししたいのです」

「そういうことなら、レディ・メラヴェルのお知り合いに優秀な警部がいましたね?」


 アルバート卿が話を振ってくれたので、アメリアはもっともらしく頷いた。

 

「ああ、良かった。後でお手紙を差し上げてもよろしいでしょうか?」

「ええ、<メラヴェル・ハウス>宛にお願いします。メイフェアのチャールズ・ストリートの屋敷です」

「本当にありがとうございます、女男爵様」


 礼を言ったミセス・プレストンは軽い足取りでベネット母子とハードウィック子爵夫人に合流して行った。

 

 そこでアメリアは安堵のため息をついた。

 何とか事件関係者との面会を乗り切れたようだ。

 いくつか役に立ちそうな情報を聞けたし、ミセス・プレストンが何か情報を握っていることも分かった。

 アメリアは予想以上の収穫に微笑みながら、少し離れたところで話し込んでいる女性参政権運動家たちを眺めた。


 すると、不意にアメリアの心に先ほど感じた整理しきれない考えが浮かんできた。

 事件ではなく政治思想の話だ。

 彼女は思い切ってアルバート卿に尋ねてみることにした。


「アルバート卿……あなたは本当のところ女性参政権についてどうお考えですか?」

「おや、珍しいですね、レディ・メラヴェル」


 アルバート卿の返答に、アメリアは思わず首を傾げた。

 これまでに彼と政治の話をしたことは何度もあったので、「珍しい」と言われる理由に心当たりがなかった。

 そんな彼女の反応を見た彼は「話題のことではないですよ」と言って微かに笑った。


「あなたの質問の目的です。あなたが私に質問するときは、純粋に疑問に対する答えを求めているか、先に自分の考えがあってそれとの比較で私の意見を知りたいか――大抵そのどちらかです。でも、今はそのどちらでもない。何か迷っていらっしゃるのですか?」


 アルバート卿の指摘にアメリアは視線を落とした。

 自分の考えを定められていないことを見抜かれてしまった。


 ――彼に打ち明けても変に思われないかしら?


 アメリアは躊躇いながらも話を続けることにした。

 

「私は女性参政権の理念には賛成しているのですが――どうしてもそれを突き詰めた結果を想像してしまうのです」

「というと?」

「私は、より良い社会を作るためには、より多くの人が政府に意見を伝える権利を持つべきだと考えています。そして、それを突き詰めると、将来的に、性別はもちろん階級の別なく参政権が行き渡るのが自然な帰結です。そうだとすると、私たち貴族はいつか消えてしまうのではないでしょうか?皆が同等の権利を持つことになるのですから……」


 アメリアが一気に言うと、アルバート卿は暫し思案してから慎重に口を開いた。

 

「あなたの想定はごもっともですが、そうなったとしても、私は英国から貴族が消えるとは思いません。我々貴族が特権と引き換えに負っている高貴な義務は、この国にはまだ必要なはずですからね。例えば、戦争が起これば、進んで志願する貴族の子弟がいないと国を守れません」


 そこまで言ってアルバート卿はアメリアに視線を向けた。

 彼の青みがかった灰色の瞳の奥には何故か輝きが宿っている。


「でも、あなたがそれを気にされているのは……本当のところ、貴族が消滅するのも悪くないとお考えだからではありませんか?それを後ろめたく思われているのでは?」

「あら……どうしておわかりに?」


 貴族――しかも、責任ある女男爵の立場で――にあるまじき考えを見抜かれてしまったアメリアは頬が熱くなるのを感じた。

 確かにより多くの人々の幸福のためになるのなら、貴族が消えるのも、それほど悪いことではない気がしていた。

 彼女がつい手で頬を覆いながらアルバート卿を見ると、意外にも彼は微笑んでいた。

 

「この前、グレイスも言っていたでしょう?あなたは他人に見せないようにしているだけで、本当は誰よりも過激派だと」


 アルバート卿はさも可笑しそうに言った。

 アメリアはそんな彼をただ見つめてしまった。


 ――以前からそうだけど、アルバート卿は私が内心で"過激"な意見を持っていようと気になさらないのだわ。

 ――でも、もし、"過激"なのが……"意見"に留まらず、"価値観"や"生き方"だったら?

 ――他人の目から隠しきれないようなものだったとしたら……?


 と、そこでアメリアの思考は急に断ち切られた。

 ホテルのロビーに女性の声が響いたからだ。


 「どういうことなんです?説明してください!」


 アメリアとアルバート卿が声のした方を見ると、ミセス・ベネットが青ざめていた。

 その近くのミセス・プレストンとハードウィック子爵夫人はただ困惑している。

 

 いつの間にか彼女たちの周りには数人の刑事がいた――その中心にはヘイスティングス警部の姿もあった。

刑事たちはミスター・トーマス・ベネットに同行を求めているらしい。

 警部が彼に向かって説明していた。


「ミスター・ベネット、あなたは事件当日、午後4時半頃に一人で<SWSA>本部の建物に入っていくのが目撃されています。あなたが講堂で演説会に参加していたと言っていた時間です。あなたは演説会を途中で抜けて本部に戻っていたのですね?」

「トーマス!本当なのですか?」

 

 母に問われたミスター・トーマスは暫し考え込んでいた。


「しかも、あなたが3月にハワースで被害者と密会していたことも調べがついています。彼女とはどんな関係だったのでしょう?」


 その言葉にミスター・トーマスは顔を上げた。

 そして――。

 

「わかりました。何か誤解があるようなので、警察で話しましょう」


 彼は警部の方に一歩進み出てから母を振り返った。


「お母さん、ミスター・グリーヴスを呼んでください。被害者のご主人だとまずいかもしれないけれど、他に優秀な事務弁護士を知らないし、事情を知っている彼ならきっと力になってくれると思います」


 ミスター・トーマスはそれだけ言うと、刑事たちと出口へと向かって行った。

 その途上、警部はアメリアとアルバート卿に気が付いて、不安げな視線を送った。

 状況からしてミスター・トーマスに容疑がかけられているのは明らかだが、警部本人はそれほど確信を持てていないのかもしれない。

 

 刑事たちとミスター・トーマスが行ってしまうと、再びミセス・プレストンが二人に近づいて来た。

 足取りは落ち着いていたが、瞳の奥が揺れていた。


「女男爵様、先ほど公平な刑事さんの紹介をお願いしましたが、そんな状況ではなくなってしまいました。不躾なお願いだとは承知の上ですが、トーマスを助けてやっていただけないでしょうか。貴族のあなたなら警察上層部にも伝手がおありでは……?」


 アメリアとアルバート卿は密かに視線を交わした。

 そして、アメリアが静かに答えた。


「ええ、伝手はありますわ、ミセス・プレストン」


 これは半分嘘で半分本当だ。

 アメリアがこれまで培ってきた社交界での人脈を辿れば、警視総監だって知り合いの知り合いくらいにはいるだろうが、頼めば紹介してもらえるものなのかはわからない。

 でも――。


 「ただ、先ほどおっしゃっていた『まだ話していないこと』をまずは教えていただけませんか?」


 今は先に事件のことを聞くべきだ。

 特にミスター・トーマス・ベネットが無実であるのならば。

驚くべきことに、20世紀英国の女性参政権運動家サフラジェットが柔術を習っていたのは史実です。


本話で前半終了です。後半もお付き合いいただければ幸いです。

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 実際に女性参政権運動家が柔術を学んでいたことに驚いてしまいましたが、確かに、柔術は力がそこまで強くない人でも護身術として役に立つと聞いたことがあります。受け身を取れるようになるだけでも随分違うとか。…
柔術!? あー!ホームズのバリツネタかな?と勝手ににやついていたら、まさかの史実ーー! いやはやびっくりしました。以前、活動報告でご紹介いただきましたが、当時の運動の過酷さが偲ばれます。 現代のうちら…
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