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17.大きな進展②

 一同が席に着くと、間もなくウェイターが紅茶を給仕した。


「あなたのお母様が<SWSA>への資金援助をご検討してくださっているということでしたね、女男爵様?」


 全員に紅茶が行き渡るとミセス・プレストンが早速尋ねた。


「ええ。ただ、母は先日の事件を受けて困惑していますの。<SWSA>に資金援助をしていた女性が亡くなった……あろうことに故意の殺人だと新聞にありましたから」


 アメリアは新聞に書かれていた事柄だけを注意深く選んで話した。

 ミセス・プレストンは「なるほど」と呟いて視線を落とした。

 

「まず、検死審問でそのように判定されたことは事実です。ただ、<SWSA>の会員は一切関わっていません。被害者のミセス・グリーヴスは不幸にも強盗に襲われたのだと私は考えています」


 彼女はアメリアに視線を戻しながら真剣な表情で続けた。


「私は今月6月の<女性の戴冠式>をもって<SWSA>を脱退しますが、現在の代表として、また――新聞で報道されている通り――事件の第一発見者として断言できます。あのような……残酷なことができる者は<SWSA>にはいません」


 そう言ってミセス・プレストンは、記憶を封じ込めるように一度目を閉じた。

 アメリアは気の毒に思ったが、質問を続けざるを得なかった。

 

「それでは私たちが聞いた噂が誤っているということですね?」

「噂?」


 ミセス・プレストンは眉を寄せた。

 この"噂"はアメリアが勝手に作り出した噂なので当然の反応だった。

 アメリアは落ち着き払って続けた。


「ミセス・グリーヴスは<SWSA>内の活動方針の対立が原因で殺されたという噂です」

「いったい誰がそんな噂を?」


 反応したのはミセス・ベネットだった。

 丸眼鏡の奥の青い瞳が見開かれている。


「レディ・レスタリックとその仲間じゃないかしら?」


 ミセス・プレストンが皮肉に言った。

 レディ・レスタリックというのは、先日ヘイスティングス警部が言っていたリッチモンドの大地主の准男爵夫人で"反"女性参政権運動家のレディだ。

 警部はその准男爵夫妻の名前を出していなかったが、アメリアは後日自邸の准男爵名鑑で調べていた。

 

「滅多なことを言わないで、モード」

「アグネス、あなただって本音ではそう思うでしょう?」


 窘めるミセス・ベネットに対して、ミセス・プレストンが冷ややかに言った。

 "モード"というのがミセス・プレストンの、"アグネス"というのがミセス・ベネットの洗礼名だったと、アメリアは捜査資料の内容を思い出した。


「あのレディはそれくらいやるわよ。警察でさえ彼女の歓心を買うために<SWSA>の会員を殺人犯に仕立て上げようとしている節があるわ」


 ミセス・プレストンが鋭く言った。

 

「しかし、僕は前から疑問なのですが、どうしてレディ・レスタリックは、あんなに女性参政権に反対するのでしょう?ご自身も女性なのに。同じ反対派でもご主人のサー・マークの方が対話の余地がありますよ。彼は思想の違いを気にせずミスター・グリーヴスを事務弁護士として重用しているくらいですし」


 ミスター・トーマスが率直に疑問を呈した。

 アメリアはアルバート卿が"サー・マーク"の名に一瞬目を見開いた気がした。

 しかし、それについて尋ねる前にミセス・プレストンがミスター・トーマスの疑問に答えた。

 

「女性だからこそですよ。中でも"特権階級の女性"ね。同じ動物扱いでも、お屋敷の奥で大事に飼われている子猫と屠殺場で順番待ちをしている子羊とでは見える世界が違うのよ」


 ミセス・プレストンの辛辣な皮肉にミセス・ベネットは顔を顰めたが、すぐにアメリアに向き直って言った。

 

「いずれにしても、その噂は事実無根です、女男爵様」

「ええ、私もそう信じたいと思っています。でも、組織内で活動方針の違いは実際あったのですよね?新聞記事にも、事件の不審な点の一つとして、<SWSA>は穏健派組織であるにもかかわらず、現場に残されていた旗に"DEEDS NOT WORDS"(言葉より行動を)という急進派のスローガンがペンで書かれていたとありましたが……」


 アメリアはそう言いながら、<SWSA>の会員たちの顔に視線を走らせた。

 女性たちの表情は変わらなかったが、ミスター・トーマスの頬が微かに強張ったように見えた。

 

「ええ……活動方針の違いについては認めます。私が今月で<SWSA>を脱退するのは、より“闘争心に溢れる”組織に移るためです。そのための仲間を募っていたのは事実です。しかし、ミセス・グリーヴスは決めかねていて、まだ対立する段階に至っていませんでした。旗の件はよくわかりませんが、ただ、旗に書かれていたスローガンは彼女が書いたものではないと私は思っています。ミセス・グリーヴスは旗に付けるスローガンの文字はいつもアップリケで作っていましたから」


 ミセス・プレストンの口調には少しの揺れもなかった。


「僕も旗の文字は彼女が書いたものではないと思います。最終的に彼女は穏健派に残ると決めたように見えましたし」


 ミセス・プレストンの言葉を補足するように、ミスター・トーマスが言った。

 

「まあ、そちらに傾いていた可能性も否定しないわ」


 ミセス・プレストンは軽い調子で応じたが、今度はミセス・ベネットは躊躇いがちに反論した。


「あら、私は彼女は急進派に転向したいように見えたけど……」 

「なぜそう思われたのですか、ミセス・ベネット?口を挟んですみませんが、こうも人によって意見が違うのは少し不思議に思いまして」


 アルバート卿がタイミング良く尋ねてくれたので、アメリアは心の中で感謝しつつ、ミセス・ベネットの表情を観察した。


「<SWSA>の会員なら皆知っていますが、ミセス・グリーヴスは5月初めの年次総会で、寄付方式をこれまでの年額一括から月次寄付に変更すると言ったのです。なので、私は彼女が何か月かしたら<SWSA>を脱退して急進派組織に移る意向なのだと思いました」


 ミセス・ベネットは眉一つ動かさずに言った。

 

「単に資金繰りの都合では?」

 

 アルバート卿が指摘すると、ミセス・ベネットは眼鏡の角度を直してから話し始めた。

 

「それだけならそうかもしれませんが、実は……私は、彼女がご主人のミスター・グリーヴス――彼も当会の会員です――と急進派への転向について議論しているのを聞いたのです。4月にミセス・プレストンが急進派への転向を表明した直後のことでした」

「あら?それは初耳だわ。なんと言っていたの?」


 ミセス・プレストンが首を傾げながら口を挟んだ。

 

「ええと……まず、ミセス・グリーヴスがご主人に『今さら立ち止まることなんてできるわけがないわ』と言って、ご主人は『このままだと誤った方向に進むことになる』と言っていたと思うわ。それで、彼女は『でも、とりあえず寄付は月次で続けるから』と言ったの。穏健派堅持を明言していたご主人と方針の違いがあるのは明らかだったからから、私はてっきり彼女は急進派に転向したいのだと思ったのだけど――」


 ミセス・ベネットはそう言いながら、息子の方に視線を向けた。


「トーマスだって事件の直前までは彼女が急進派に転向すると思っていたのですよ。だからこそ私たちは先月から代わりの資金援助者を探していたのですから。トーマス、あなたが聞いた言葉も皆さんに教えてあげて」


 そう母に促されたミスター・トーマスの青い瞳には躊躇いが滲んでいた。

 しかし、最終的に彼は話し始めた。

 

「……僕はミセス・グリーヴスは最終的には穏健派に決めたと思ってはいるのですが」


 そこで彼は一度言葉を切って長く息を吐いた。


「あれは3月でしたが、彼女に言われたのです。『結婚はよく考えてするものよ。私たちもいつの間にか別の方向を見るようになっていたと思うこともあるわ』と。そのときはよくわからなかったのですが、4月に母が聞いた夫妻の会話と5月の年次総会での寄付方式の変更の件と併せて考えると、彼女が急進派に転向したがっているという意味だったのだと思いました。母の言う通り、ミスター・グリーヴスは当初から穏健派を堅持する意向でしたから」

「でも、既に3月にそう言っていたの?だとすると、ヘレンは私が4月に急進派への転向を宣言する前に何か思うところがあったのかしら?」


 ミスター・トーマスの言葉を受けて、ミセス・プレストンは相変わらず首を傾げている。

 

「ミスター・ベネット、なぜあなたは最終的にミセス・グリーヴスは穏健派に留まることにしたはずだとお考えに?」

 

 ハードウィック子爵夫人が皆が――彼の母ミセス・ベネットでさえ――疑問に思っていたであろうことを尋ねた。

 

「……ここ最近の彼女を見ていたらそう思ったんです。ご主人のミスター・グリーヴスもそう言っているのだから間違いないですよ」


 ミスター・トーマスが肩を竦めて言い、ミセス・プレストンも同調した。


「そうね。妻が急進派に転向する意向だと知っていたら、彼は大騒ぎしていたと思うわ。二人が聞いたのは何か別のことだったんじゃないかしら?彼は正直……急進派はお嫌いなようですからね」


 ミセス・プレストンはため息交じりに言った。

 

「私だって急進派には賛成できかねますよ、モード。法律は守らないと」

「アグネス、これまで法律を守って活動してきた結果を見てちょうだいよ。最初の女性が議会に請願書を出してからもう70年近く経つのに何の成果もないわ」

「最近は機運が高まってきているから――」


 ミセス・ベネットが言いかけたのをミセス・プレストンが遮った。

  

「あなたはどう思います、女男爵様?」


 急に話を振られたアメリアは飲みかけていた紅茶を喉に詰まらせそうになったが、軽く咳ばらいをしてミセス・プレストンと視線を合わせた。

 アメリアを真っ直ぐに見つめるダークブラウンの瞳の奥で何かが燃えていた。

 

「私たちはなぜ参政権を得られないのでしょう?」


 アメリアは頬に手を当てて思案した。

 

 ――皆さんの信頼を得るためには率直に答えるべきなんだわ。


 彼女はややあって静かに切り出した。


「それは……どの政党も女性が参政権を得ても自分たちの利益にならないと思っているからではないでしょうか?理想論は別として、彼らの目下の目的は選挙での勝利です。きっと、どの政党も女性の票が自分たちに回ってくると思っていないので、真剣に取り組もうとしないのですわ」

「……あら、貴族の方なのにとんだ現実主義者ね」


 ミセス・プレストンは、アメリアを観察するように目を細めた。


「でも、おっしゃる通りだわ。それならば、やはり急進派の活動が大事ね。急進派が騒ぎを起こせば、まず男性たちがそれを制御できない現政権を見限り始めます。彼らが女性票に期待していないなら、男性票を失うことに危機感を持ってもらいましょう」


 そう言い切ったミセス・プレストンにミセス・ベネットが不安げな視線を向けていた。

 気詰まりな空気が流れたが、それを断ち切ったのはミスター・トーマスだった。 


「まあ、方針の違いがあったとしても、我々が仲間を殺すなんてことはあり得ませんよ。穏健派にせよ急進派にせよ女性参政権を求めている点では一致しているのですから」


 そう言って彼は口角を引き上げたものの、すぐに俯き加減になった。


「いずれにしても、ミセス・プレストンは円満に急進派に移り、<SWSA>は母の下で穏健派組織として活動を続けます。女男爵様、どうかくれぐれもお母様に資金援助をご検討いただけるようお伝えください。先ほど母が言った通りミセス・グリーヴスは今年度から月次での寄付に切り替えていたので、彼女が亡くなったことで<SWSA>は今月6月以降全く資金を得られないのですから……」


 ミスター・トーマスの口調は暗かった。

 <SWSA>は本当に苦境に立っているらしい。


「でも、ミスター・グリーヴスが奥様の遺志を継いで援助してくださるんじゃない?彼が奥様の遺産を相続なさったのでしょう?」


 ハードウィック子爵夫人が慰めるように言うと、ベネット母子は目配せをし合った。


「それが、ミセス・グリーヴスの遺産は全てお子様方に相続されたのです。ご夫婦相談の上、以前から遺言でそう取り決めていたそうです。事務弁護士でもあるミスター・グリーヴスは公正な方ですから、お子様の財産には手を触れないでしょうし、もちろん、私たちもそんなことを期待してはいませんので……」


 ミセス・ベネットは冷静に言ったが、その青い瞳には不安が浮かんでいた。


「……それに奥様があんな亡くなり方をしたせいか、彼は政治活動から距離を置きたいようです。もしかすると、このまま<SWSA>を脱退してしまうかもしれません」


 と言ったミスター・トーマスの青い瞳にも不安が滲んでいる。

 最後にミセス・プレストンが穏やかだが明確に言った。


「私からもお母様へのお取次ぎをお願いします、女男爵様。これでは私も安心して脱退できませんから」

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