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16.大きな進展①

  事件関係者に直接話を聞きに行く――ただし、事件とは無関係を装って。

 

 これについてアメリアと侯爵家の兄妹は時間の許す限り議論した。

 そして、最終的には、やはり女性参政権運動関連の事情を作り出すのが一番自然だという結論に達し、それぞれが準備に取り掛かった。


 まず、アルバート卿が先日の<キャヴェル・サークル>の正餐会で同席したハードウィック子爵夫人――貴族の穏健派女性参政権運動家として顔が広い――に<SWSA>の幹部への取り次ぎを依頼する手紙を書いた。

 子爵夫人は快諾してくれたようで、間もなくアメリアにも子爵夫人から面会の日時と場所を知らせる手紙が届いた。

 

 次にアメリアが未だリッチモンドに詰めているヘイスティングス警部にこの面会計画について知らせる手紙を書いた。

 アメリアはこの動きがローシュ警視の目に留まって警部に迷惑をかけることを懸念していたが、幸い警部からは、事件に無関係の理由で面会する分にはさすがの警視も見咎めたりはしないだろうとの返事が届いた。

 また、警部は同じ手紙の中で、この事件の検死審問が完了し、ミセス・グリーヴスの死はやはり故意の殺人によるものだと判定されたことも知らせてくれた。

 この検死審問の詳細は郊外で起きた謎多き殺人事件の審問として、新聞でも報じられたので、アメリアにとっては都合が良かった。

 <SWSA>の幹部と面会するときに、新聞で読んだ話として事件のことを持ち出せるからだ。

 

 そして、子爵夫人との約束の日――もう6月に入っていた――、アメリアはミス・アンソンを伴って自動車で面会場所に向かった。

 アメリアは通り過ぎていくバークレー・スクエアを眺めながら、前日に受け取ったレディ・グレイスからの手紙のことを考えた。

 彼女は父である侯爵と領地で行われる社交行事に出席するために数日前からロンドンを離れていて、今回は同行が叶わなかった。


 "――事件のことも気になりますが、私は自分で生き方を選んでいる女性とお話ししてみたかったので、本当に残念です。"

 

 レディ・グレイスは手紙の中でそう嘆いていた。

 "自分で生き方を選んでいる女性"――アメリアはその一節を幾度も反芻した。

 

 現在、1911年の英国で、"自分で生き方を選んでいる女性"はどれほどいるだろう。

 上流階級の女性にはまずいない――そもそも、上流階級では紳士ですら家に縛られた生き方しか選べないことがほとんどだ。

 それでも、結婚後に家の"跡継ぎ"と"予備"を産み終えたレディの中にはいくらか存在するかもしれない。

 ハードウィック子爵夫人がその例だ。

 子爵夫妻に二人目の息子が生まれて以来、子爵夫人が政治活動にかかりきりなのは有名だし、その一方で、夫の子爵が恋愛にかかりきりなのも社交界では公然の秘密だった。

 跡継ぎを確保した後はお互いに干渉しないのが、家のために結婚した子爵夫妻の黙約らしい。

 上流階級の中には、そのような夫婦関係が理想だという人もいるが、アメリアは正直疑問だった。

 結局、"不干渉"がどこまで守られるかは、より権限の強い夫次第だからだ。

 

 とはいえ、他の階級、特に中産階級の女性に目を向ければ、<SWSA>のミセス・プレストンやミセス・ベネットのように、より主体的に自分で生き方を選択している女性も、一部ではあるが確かに存在する。

 政治活動への参画はもちろん、昨今では、大学に進学して学問に邁進することだってあり得る。

 更に、小学校教師や看護婦などの女性向けの専門職に就いて職業人生を追求することも不可能ではない。

 

 ――でも、自分で選んだ生き方には、それはそれで困難があるのではないかしら?


 アメリアがそう考えたところで短いドライブは終わり、自動車は約束の場所――グロブナー・スクエア近くの瀟洒なホテル――に到着していた。


 ***


 アメリアは、ホテルの玄関を入ってすぐ、ロビーで待機している人々の中にハードウィック子爵夫人とアルバート卿を見つけた。

 今日このホテルで開かれる女性参政権運動家たちの交流会で、子爵夫人がアメリアとアルバート卿を<SWSA>の幹部に紹介してくれることになっていた。

 二人に合流したアメリアが子爵夫人に礼を言うと、彼女は柔らかく微笑んだ。


「お気になさらないで、レディ・メラヴェル。私は自分の組織だけでなく、他の組織も活発に活動することが大事だと思っていますのよ」 

「お志が高くいらっしゃって尊敬しますわ、レディ・ハードウィック」


 アメリアは本心から言った。

 そして、改めて今回彼女の伝手を頼った"事情"を繰り返した。


「母も本当に感謝しておりました。手紙でもお伝えしましたが、母は以前から私が落ち着いたら故郷のリッチモンドの女性参政権運動組織に資金援助をしたいと申していたのです。中でも<SWSA>が有力だったのですが、例の事件を知りまして……。ショックを受けている母に代わって私が関係者の方にお話を伺いたく――」

 

 これがアメリアと侯爵家の兄妹が考え出した"事情"だった。

 リッチモンド出身のアメリアの母ミセス・グレンロスの名前を借りている。

 当初、アメリアはこの"事情"を口実に事件関係者と面会することを母が認めてくれるか心配だったが、母は渋い顔をしつつも禁止はしなかった。

 子爵夫人の付き添いの下で、アルバート卿も同行する見込みであることを併せて伝えたからかもしれない。


 ――お母様は捜査よりも私の縁談の進展に期待しているのだわ……。


 アメリアは一瞬俯いたが、すぐに子爵夫人の方に視線を向け直した。


「ご心配も当然ですわね。でも、私も新聞で事件のことを読みましたけれど、<SWSA>の方々はあんな残酷な事件とは無関係に決まっているわ。何度かお話ししたことがありますけど、皆さん"立派な"中産階級の紳士淑女ですもの」


 子爵夫人はアメリアを安心させるように"立派な"を強調した。

 "立派"というのは、当代の英国の中産階級の人々が共通して重んじている"善良で適切で正しくあるべき"という価値観だ。

 娘が襲爵するまでずっと上流中産階級に属していたアメリアの母が規範にこだわりがちなのも、この階級的価値観の影響だとアメリアは思っていた。

 

 続いて、子爵夫人は「ところで」と言って、アメリアに含みのある視線を向けた。


「お母様はあなたが『落ち着いたら』女性参政権運動を支援したいとお考えだったのよね?ということは――?」


 子爵夫人はその視線をアルバート卿に移しながら言ったが、アメリアは彼女の意図を量りかねた。

 もちろん、彼女が言及した「落ち着いたら」というのは「結婚したら」ということを示唆しているが――。


 そこでアメリアはヘーゼルの瞳を見開き、アルバート卿の方に顔を向けた。

 すると、彼は既にアメリアを見ていた――その瞳に戸惑いを浮かべながら。

 

「あら?お二人はそういうことよね?」


 子爵夫人は二人を交互に見て首を傾げた。

 どうやら彼女は大きな誤解をしているようだ。

 

 瞬時に思考を巡らせたアメリアは、アルバート卿に視線を送った――「誤解に乗ってしまいましょう」という意図だ。

 それに対して、アルバート卿は眉を寄せた――「とても賢明とは思えませんね」という意図だろう。

 二人は暫く視線を送り合ったが、結局、勝ったのはアメリアだった。


 アルバート卿は一つ息を吐いてから社交的な笑顔を作って切り出した。


 「あなたの勘の良さには参りましたね、レディ・ハードウィック。お察しの通りです」

 「あら、やっぱり!おめでとうございます、お二人とも」


 子爵夫人は満面の笑みで祝福してくれた――二人の"婚約"を。


「それで?正式発表はいつ?それまでは黙っておくわ」

「……ここだけの話ですが、婚姻契約がなかなか落ち着かなくて」


 とアルバート卿は大げさにならない程度に眉を寄せた。


「仕方ないわよね。お二人とも財産がおありだから――」


 二人はそのまま婚姻契約交渉の難しさについて議論を始めた。

 こういう話はレディの側が多くを語るべきではないので、アルバート卿に任せてしまったが、さすがに頭の良い彼は矛盾なく話を作り上げている。

 

 アメリアはさり気なくピンク色の午後用ドレスの裾に視線を落とした。

 子爵夫人の誤解に乗ることで、二人が行動しやすくなると考えての判断だったが、どことなく気が晴れなかった。

 このような婚約話は社交界で湧いては消えていくものなので、実現しなくても子爵夫人はすぐに忘れるだろうとアメリアは自分に言い聞かせた。

 気が晴れない理由がそれとはまた別の点にあるのは明らかだったが、気が付かないふりをした。

 

 アメリアがふとアルバート卿の横顔に視線を向けると、それに気づいた彼も彼女を見た。

 一瞬だけ目が合ったとき、アメリアは微かに目を見開いた。

 彼がアメリアに向けて微笑んだからだ。

 いつも通りどこか皮肉っぽいが、先ほどの作った笑顔とは違う自然な笑みだった。


 アメリアがそれに戸惑っている内に、ホテルの支配人がロビーに現れたので、彼ら三人の視線は自然と支配人の方に向いた。


「交流会にご参加の皆さま、準備が整いましたのでティールームにお進みください」

 

 三人は、レディ二人を先頭に、他のゲストたちの波に乗ってティールームへと向かった。

 アメリアは後ろを歩くアルバート卿を振り返りたい衝動に駆られたが、今は前だけを見るべきだと思った。


 ***


 交流会は運動家の演説から始まった。

 特に、最後の穏健派組織の代表の女性の演説は、論理的でありながら熱意がこもっていて、アメリアもつい聞き入ってしまった。

 演説後、その組織の一員でもある子爵夫人がアメリアに耳打ちした。


「ねえ、レディ・メラヴェル。無事ご結婚されて後継者を確保したら、私たちの組織に入ってくださいな。アルバート卿は反対なさらないでしょう?」

「お誘いいただいて光栄ですわ、レディ・ハードウィック」


 アメリアはそう答えつつも、女性参政権を巡る自分の考えの中で、まだよく整理できていない部分があることを自覚していた。

 しかし、それは子爵夫人に打ち明けられる内容ではなかった。

 アメリアが代わりの言葉を探していると、司会者が歓談の時間に入ることを宣言したので、会話は自然と打ち切られた。

 

 今回の交流会は半立食形式なので、出席者たちは軽食を確保して席に着こうと動き始めていた。


「<SWSA>の皆さんはあちらにいらっしゃるわ」


 子爵夫人がそう言って歩き出したので、アメリアとアルバート卿も続いた。

 彼らが辿りついた先には40代前後のレディが二人と若い紳士が一人いた。

 アメリアは先日偶然会ってしまったミスター・グリーヴスがいないことに安堵した。

 彼は妻の喪中なので、こうした社交行事への参加は控えるだろうと思っていたが、その通りだったらしい。


「皆さま、お久しぶりです」


 ハードウィック子爵夫人が<SWSA>の会員に声を掛けると、彼らも口々に挨拶を返した。

 子爵夫人は早速<SWSA>の会員を紹介した。


「こちらが<SWSA>代表のミセス・プレストン」


 プラム色のアンサンブルを着た背の高い女性が微笑んで会釈した。

 黒髪と知的なダークブラウンの瞳が凛とした印象だ。


「そして、書記のミセス・ベネットとご子息のミスター・トーマス・ベネット。お二人とも学校の先生よ」


 ベネット母子も順に会釈した。

 二人のダークブラウンの髪と青い瞳はほぼ同じ色調だ。

 丸眼鏡をかけたミセス・ベネットが厳格な印象である一方で、優しそうな目元のミスター・トーマスからは教え子たちと一緒になってクリケットでもしていそうな親しみやすい雰囲気が感じられた。


 続いて子爵夫人はアメリアとアルバート卿の紹介に移った。


「こちらがレディ・メラヴェル――事前にお伝えした通り彼女のお母様が資金援助をご検討中です。そして、こちらがアルバート・モントローズ=ハーコート卿――彼も女性参政権運動に共感してくださっています」


 紹介された二人が会釈すると、<SWSA>の会員も礼儀正しく微笑んだ。

 

「お二人はまあ、そのうちに……ね?」


 子爵夫人が付け加えると<SWSA>の会員たち――特に女性二人――は納得顔で頷いた。

 これにはアメリアも気まずく思ったが、ただ微笑んでおいた。

 

 そして、アメリアとアルバート卿は一人ひとりと握手をした。

 最後にアルバート卿とミスター・トーマスが握手をしたとき、ミスター・トーマスが不意に切り出した。


「あの、あなたは、もしかして、この前の<ロンドン・ブック・レビュー>誌に寄稿されていた紳士でしょうか?」

「ええ、そうですが……」


 アメリアは眉を上げた。

 <ロンドン・ブック・レビュー>誌は年数回発行される有名な書評雑誌だ。

 前回号は「英国女性作家の名作」というテーマで、文化に通じた数十名の英国人それぞれが女性作家の作品から一作選んで書評を書いていた。

 アメリアもその号を読んでいる途中だった。

 読み始めたのはかなり前だが、最初の方の書評で紹介されていた作品を読み始めてしまい、雑誌自体はあまり読み進められていなかった。


「あなたの『ミドルマーチ』の書評は素晴らしかったです。後であなたがオックスフォードで古典学を専攻されていたと知り、納得しました」

「それはどうも」


 称賛に応じるアルバート卿は、わざとアメリアの方を見ないようにしているようだった。

 アメリアは目を細めて彼を見た。

 アルバート卿はアメリアがその<ロンドン・ブック・レビュー>誌を読んでいることを知っていたはずだ。

 だって、先日手紙にそう書いたのだから。


 ――どうして教えてくださらなかったのかしら?

 ――知っていたら、彼の書評を真っ先に読んだのに……。


 アルバート卿はどことなく居心地が悪そうだったが、二人の経緯を知らないミスター・トーマスは構わず話を続けた。

 

「私は父が経営している男子校で英語教師をしているのですが、生徒にもあなたの書評を読ませました」

「小説ではなく書評をですか?」


 やや調子を取り戻したアルバート卿は上着の襟を直しながら皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「ええ。小説の方も読んで欲しいのですけどね。この前もブロンテの『ジェーン・エア』を皆に勧めたのですが……男の子たちは女性作家を軽んじていて」


 ミスター・トーマスはため息をついた。

 

「でも、僕はブロンテ姉妹の信奉者です。去る3月に姉妹の故郷に行く機会があり――心底感動しました。列車の窓から荒涼とした景色を眺めていると、行きは『嵐が丘』のヒースクリフの孤独と猜疑心に囚われそうになりましたが、帰りには『ジェーン・エア』の不運に見舞われながらも最後には結ばれた二人への理解が深まり――」


 それを聞いたアメリアは眉を上げた。


 ――あら?もしかして彼は……?

 

 しかし、彼の話はそれ以上は続かなかった。

 母のミセス・ベネットが口を挟んだからだ。

 

「トーマス、それくらいになさい」 

「これは失礼しました。つい話し過ぎました」


 母にひと睨みされた息子は肩を竦めた。

 母子の様子を見ていたミセス・プレストンも苦笑した。


「皆さん、お許しくださいね。彼はご職業柄、英国文学のことには一家言お持ちですから。――さて、実務の話をしましょう」


 そのミセス・プレストンの一言で一同は近くのテーブルに着くことになった。

 アメリアはいよいよ彼らに事件の話を聞かなければならない――ただし、事件とは無関係を装って。

立派な=respectable

文字数オーバーでルビが振れませんでした。

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