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14.暗闇の中②

女男爵が作成した経緯表はこちらにも掲載しています:https://ncode.syosetu.com/n7008lc/2/

 アメリアは次の観点に進む前に背筋を伸ばした。


「では、次は『誰が』です。この点については、まず時系列を確認しましょう。事件当日の経緯をまとめたので、こちらを見てください」


 彼女は手帳に挟んでいた一枚の紙を取り出してテーブルに広げた。

 その紙の内容は――。


----------

経緯表 :

 

・午後2時 <SWSA>本部

 グリーヴス夫妻が<SWSA>本部に到着。

 お茶を飲んだ後、ミスター・グリーヴスは帳簿付け、被害者はミシンで旗を縫う作業を始めた。

 

・午後3時 <SWSA>本部

 ベネット母子が本部に到着し、ミセス・ベネットがパントリーでお茶を淹れる際にミセス・グリーヴスの分も用意した。

 ミスター・グリーヴスが空いたカップと引き換えに妻の分のお茶を取りに来たところで、残りの女性幹部二人も本部に到着し、ミスター・グリーヴスが四人に作業室に入らないよう伝えた。

 その後、ミスター・グリーヴスは下の階の弁護士事務所に向かい、四人は会合室で会合を始めた。

 会合中、被害者がミシンを操作する音が聞こえていた。

 ミスター・グリーヴスは弁護士事務所では執務室にこもって仕事をしていた。

 

・午後3時半 <SWSA>本部

 ミセス・ベネットが会合途中で一度手紙を受け取りに玄関へ。

 

・午後4時前 <SWSA>本部

 会合後、ミス・ハーディーとミス・ロビンソンがパントリーで食器を洗い、ベネット母子は会合室に暫し留まった。

 

・午後4時少し前 ロンドン市街

 ミセス・プレストンがロンドン市街からリッチモンドに戻る列車に乗った。

  

・午後4時 <SWSA>本部

 ベネット母子と女性幹部二人は近所の演説会場に向かった。

 ベネット母子は玄関を出るときに被害者がミシンを操作する音が聞こえていたと証言。

 

・午後4時10分 講堂

 ベネット母子と女性幹部二人が演説会場である近所の講堂に到着した。

 その後、ミセス・ベネットは二番目に演説し、他の人の演説中は聴衆席の最前列に座っていた。

 

・午後4時40分 <SWSA>本部

 ミセス・プレストンが本部に到着し、被害者の遺体を発見した。

 

・午後4時50分 グリーヴス弁護士事務所

 ミセス・プレストンが弁護士事務所から警察に通報した。

 通報後、ミセス・プレストンとミスター・グリーヴスは一旦本部に遺体の確認に行ったが、二人はその後弁護士事務所で待機した。

 

・午後5時30分 <SWSA>本部

 リッチモンド署の巡査が現場に到着し、その後到着した検死官が被害者の死亡を確認した。

----------

 

「素晴らしい経緯表だわ。さすがアメリアね」


 経緯表を一読したレディ・グレイスが軽く拍手をしながら言った。

 彼女の隣のアルバート卿も微かに笑みを浮かべて頷いたのを見て、アメリアは急に体温が上がった気がしたが、それを誤魔化すように話を続けた。


「これを参考に犯行の機会があった人を挙げてみましょう」

 

 アメリアはまずは自分の考えを述べることにした。


「まず、先日グレイスが指摘した通り、単純に考えれば最も怪しいのはミセス・プレストンですわ。ただ、時系列を考えると彼女に犯行は困難です」


 ミセス・プレストンは本部に来る直前までロンドン市街で他の女性参政権運動家との昼食会に参加していたというアリバイがあり、彼女が乗った列車の発車時刻からして本部に着くのはどんなに早くても午後4時40分だ。

 そうすると、やはり午後4時50分に警察に通報するまでの10分間で、被害者に睡眠薬を飲ませナイフで刺すのは難しい。

 せっかく睡眠薬を飲ませておいてその効果が出る前にナイフで刺したとは思えないし、その場合は被害者の抵抗に遭うはずだが、そのような痕跡は検死報告書にも記載されていなかった。

 

「ミセス・プレストンでないとすると、次に怪しいのはベネット母子――特にミセス・ベネットです。彼女は午後3時頃に本部に到着してすぐに被害者のためにお茶を用意しているので、それに睡眠薬を混ぜておくことは可能だったと思います。そして、手紙を受け取るために一時会合を離席した際、作業室に立ち寄って、既に眠っていた被害者をナイフで刺した……ということはあり得ます」


 続いてアメリアがそう言うと、兄妹も頷いた。

 

「その場合、郵便の配達時間を予め計算していたのかもしれませんね。そうでなくても、一時離席する理由くらいは何とでもなりそうです」


 アルバート卿の言葉に誰も異を唱えなかったが、一同の表情はなんとなく晴れなかった。

 皆、同じ疑問を抱いていた。

 それを口に出したのはレディ・グレイスだった。


「でも、午後4時に演説会に出かける直前にも被害者のミシンの音が聞こえているのが難点ね」


 レディ・グレイスは不満そうに眉を寄せた。

 ただ、アメリアには一応の説明が可能だった。

 

「それについてなのですが、ベネット母子が口裏を合わせて証言しているだけの可能性はあります。他の女性二人はミシンの音がしたかは覚えていないと言っていますから」


 アメリアが資料の山から何とか女性二人――ミス・ハーディーとミス・ロビンソン――の調書を探し出して二人に示すと、レディ・グレイスの表情が少し和らいだ。

 しかし、アメリアは別の調書も探し出して一緒に二人の前に置いた。

 ミセス・ベネットたちと同じ演説会に出席していた他組織の運動家の供述調書だった。

 

「ただ、少し引っかかるのが、この演説会の出席者の証言です。ミセス・ベネットは演説会の二番目に見事な演説をし、自分以外の人が演説をしている間も最前列で姿勢正しく聞いていたようです。犯行直後にそんなことができるものでしょうか?」


 ミセス・ベネットが冷酷な殺人者であれば、殺人を犯した後でも平然としていられた可能性はある。

 また、被害者ミセス・グリーヴスが犯人に罪悪感を抱かせないほど邪悪な女性だったという可能性もなくはない。

 しかし、アメリアは会ったこともない女性たちの人柄を勝手に推測するのは危険だと思った。


 侯爵家の兄妹も少し考え込んでいたが、暫くしてアルバート卿が言った。


「ミセス・ベネットが犯人だとも言い切れないとすると……ミスター・グリーヴスにも全く可能性がないわけではありませんよね?被害者に最も近い夫であれば、他人よりも色々な工作ができるかもしれませんし」


 彼の指摘にアメリアは一瞬言葉に詰まった。

 先日、現場検証に出かけた際に、図らずもミスター・グリーヴスと会ってしまったことを言うべきか迷ったのだ。

 事件関係者と直接話したと言えば、二人とも心配するかもしれない。

 しかし、結局は、正直に打ち明けることにした。


「実はそのミスター・グリーヴスですが……私、リッチモンドで彼に偶然会ってしまって少し話したのです。彼の弁護士事務所が本部の下の階にあるので、仕事をしにやってきた彼と鉢合わせしてしまって――」

 

 アメリアがそう言いながらアルバート卿の表情を窺うと、その灰色の瞳に一瞬だけ揺れが映った。

 

「――でも、ミセス・グリーヴスを悼みに来た匿名の女性参政権運動家ということにしましたから、事件の捜査をしているとは気づかれなかったと思いますわ。自動車用のヴェールも着けていたので、顔もほとんど見えなかったはずです」

 

 そう言いながらアメリアは自分のラベンダー色の訪問用ドレスの襟にそっと触れた。 

 一方、レディ・グレイスは興味深そうに少し目を細めた。

 

「ミスター・グリーヴスにお会いになって何かわかったことはあったかしら?」

「ええ、少し話しただけだけど色々なことがわかったの。例えば、ミセス・グリーヴスは結婚の証人を頼まれて、わざわざハワースに出かけるほど気持ちの優しい女性で――」

 

 アメリアはそこまで言って我に返り、口を噤んだ。

 元々今回の事件では、安全とレディとしての立場を弁えて、事件関係者に"気づかれないよう"捜査を進めるはずだった。

 最初にそう言ったのは他でもないアメリアだ。

 それなのに、これでは自分が進んで本格的な探偵活動をしたがっているみたいだ。

 

 ――私は進んで"探偵"をしたいわけじゃない……と思うのだけど……。

 

 アメリアは視線を落としたまま上げることができなかった。

 アルバート卿の表情を知りたくない気がした。

 

「ええと、ミスター・グリーヴスが犯人である可能性についてでしたわね?」

  

 アメリアは仕切り直すように一度咳ばらいをし、事件現場の建物全体の図面を探して二人に示した。

 

「先ほど経緯表で確認した通り、グリーヴス夫妻は午後2時に本部に到着しています。一階の薬局の薬剤師もその時刻に夫妻が建物に入る様子を見たと言っています。そして、ミスター・グリーヴスのみが午後3時に本部を出て、下の階にある弁護士事務所に向かいました。その後、彼は遺体が発見された作業室の真下の執務室にこもって仕事をしていたそうです」


 アメリアは図面上で、三階にある<SWSA>本部の作業室と二階にある<グリーヴス弁護士事務所>のミスター・グリーヴスの執務室を指し示し、それらが真上と真下の位置関係であることを確認した。


「図面上、二階の執務室から真上の作業室に直接移動する梯子などはありません。それから、私も現場で建物の外観を確認しましたが、外階段もベランダもなかったので、上の階に移動するには一度事務所を出て内階段を通るしかないと思います。窓から出て壁をよじ登るというのも否定はできませんが……」 

「とはいえ、壁をよじ登るのはやはりあり得ないでしょうね?そんなことをすれば、通行人にも目撃されるでしょうし」


 アルバート卿の言葉にアメリアは頷いた。

 建物の前の通りは通行人が多かったし、何よりあの整った口ひげの専門職階級の紳士が壁をよじ登る姿は到底想像できなかった。

 

「少し気になることがあるとすれば通気口です。図面によると建物の各部屋には通気口があるのですが、作業室のミシン台の背面の壁にある通気口の蓋が何故か外れていたのです」

「通気口?あんな感じかしら?」


 応接間の中を少し見回したレディ・グレイスはアメリアの背後の壁の下の方にある通気口を覆っている装飾的な銀色の蓋を指して言ったので、アメリアも振り返って確認した。

 

「ええ、そうよ。ただ、現場の通気口はもっと小さくて壁の上の方――警部の頭よりも高い位置に付いていたわ。通気口の蓋は事件の数日前から外れてしまっていたらしいのだけど、壁にネジで留められていた蓋が外れるなんてことがあり得るのかがよくわからないの」


 それはアメリアが先日からずっと頭の片隅で繰り返している疑問だった。

 ロンドン警視庁は一定以上の身長の男性しか採用しないので、警部の背丈より高い位置にあるということは、たいていの英国人の頭よりも高い位置にあるということになる。

 そうすると、偶然何かがぶつかって外れてしまったという可能性も低い。


「そして、図面によると上下の位置関係にある部屋の通気口は壁の中のダクトで繋がっているのです。つまり、作業室の蓋が外れていた通気口はダクトを通じて真下のミスター・グリーヴスの執務室に通じています」

「でも、まさかミスター・グリーヴスが通気口から出入りしたなんてことあり得ないわよね?」


レディ・グレイスが冗談半分に尋ねたので、アメリアもつい笑ってしまった。


「ええ、それはどう頑張っても無理だわ。現場の通気口の穴はせいぜい写真立てくらいの大きさだったもの」


 アメリアがそう言うと、レディ・グレイスも「やっぱりね」と言って笑った。


「――最後は、外部の犯罪者でしょうか?」


 暫しの沈黙の後、アルバート卿がため息交じりに言った。

 

「午後4時から午後4時40分の間、被害者は本部に一人で残っていましたから、強盗などが侵入してきた可能性はあります。ただ、私が先ほど読んだ資料の中に本部から盗まれたものはなく、被害者の財布も手つかずだったと書かれていましたから、現実的ではなさそうですね」


 彼は被害者の所持品リストが資料の山の下の方にあるのを引っ張り出して、アメリアとレディ・グレイスにも見せてくれた。

 その所持品リストには、ミセス・グリーヴスの手提げ鞄に入っていたものとして、以下のものが記載されていた。

 

 ・財布(中身は手つかず)

 ・訪問カード

 ・ハンカチ

 ・手帳と鉛筆

 ・手鏡

 ・黒い布を切り抜いて作られた"VOTES FOR WOMEN(女性に投票権を)"のアップリケ

 

 リストの横には「被害者の夫ミスター・グリーヴスによると、なくなっているものは何もないとのこと」と付記されているので、やはり外部の強盗などによる犯行の可能性は低そうだ。

 

 アメリアはこれで一通り犯行機会のあった人たちを列挙することはできたと思った。

 しかし、「この人だ」と思えるほどの確信は誰に対しても得られなかった。

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