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13.暗闇の中①

 アメリアがウェクスフォード侯爵家のタウンハウスにレディ・グレイスを訪ねたのは、彼女がリッチモンドに現場検証へ行った数日後の午後のことだった。

 その様相はいつもの貴族のレディの“午後の訪問”とは違っていた。

 今日の彼女は、装飾用のバッグと日傘に加えて、事件の捜査資料の束を携えていた。

 とはいえ、資料についてはアメリア自身がそれを運んだわけではなく、<メラヴェル・ハウス>の彼女の自室から侯爵家の玄関ホールまではミス・アンソンが、そこから応接間までは侯爵家のフットマンが運んだ。

 

 そして、今、それは侯爵家の応接間の四角いテーブルの上に置かれていた。


「あらまあ。筆跡から考えると、一人の人が全て写しきったのね。素晴らしいけれど……狂気も感じるわね」


 テーブルを挟んでアメリアの向かいに座ったレディ・グレイスが資料を何枚か見比べながら称賛半分呆れ半分に言った。

 

 彼女の言う通り、エヴァレット巡査部長が一人でやり遂げたらしい。

 アメリアは彼の苦労に応えるため、ここ数日で合間を縫って全てに目を通していた。

 ただやはり一人で検討するには限界があるので、こうしてレディ・グレイスを訪ねることにしたのだ。


 アメリアが事前に手紙で訪問を予告していたので、レディ・グレイスはアルバート卿を伴って待っていてくれた。

 レディ・グレイスの隣に座っている彼は時折何か呟きながら現場検証の報告書に目を通している。

 当初はアルバート卿の愛犬ベドリントン・テリアのペネロープが彼の足元でくつろいでいたが、主人たちが忙しそうなのを見て、他の遊び相手を求めてどこかへ行ってしまった。


「それにしても、現場検証の資料だけで七枚もあるわ。これを全て読むには時間が足りないわね」


 レディ・グレイスはそう言ってソファの背に深くもたれた。

 

「ねえ、アメリア。あなたは一度全てを読んでいるのでしょう?あなたが気になった点を教えてもらえないかしら?不審な点を見つけることにかけてあなた以上の人はいないのだから」

 

 彼女がわざとおだてるように言ったので、アメリアはくすりと笑った。

 しかし、各人がそれぞれに資料を読んでいると時間が無くなってしまうのは事実だ。


「前回の事件のときと同様の観点で議論するのはどうです?」


 と言ったのはアルバート卿だ。


「前回の事件であなたが『誰が』『どうやって』『なぜ』に分けて話していたのは非常に分かりやすかったと思います。……ただ、あのときはほぼ全ての情報が集まり切ってからの議論だったので、今の段階でどこまで有効かはわかりませんが」


 彼は少し眉を寄せながら最後の部分を付け足したが、アメリアは兄妹の言う通りかもしれないと思った。


「そうですわね……では、まずは私が現場検証や資料の中で気になったことを『誰が』『どうやって』『なぜ』の観点でお伝えするので、お二人の気になる点も指摘していただけますか?上手くいけば少し前進できるかもしれません」


 アメリアが微笑むと、侯爵家の兄妹は青みがかった灰色の瞳を同じように輝かせた。


 ***


 アメリアは軽く咳ばらいをして、最初の観点を切り出した。


「最初は『どうやって』が良いと思いますわ。最も疑問が少ないので」

「そうね。この検死報告書に被害者のミセス・グリーヴスは、『睡眠薬を飲まされた上で、背中をナイフで刺された』とはっきりと書いてあるわ。直接の死因は失血死のようね」


 即座に反応したレディ・グレイスは、ちょうど手元にあった検死報告書の写しを二人に示した。

 そこには検死結果が文章と簡単な図で書かれている。


「グレイスの言う通り、殺害方法は明確です。ただ、私が疑問なのは……なぜ犯人はわざわざナイフまで持ち出したのでしょう?大量の睡眠薬を飲ませればそれだけで殺害することもできたと思うのです」 

「確かにそうだわ。今日日、家族や友人の中の誰も睡眠薬を使っていないなんてことはないわよね?致死量はよくわからないけど、とりあえず大量に集めて飲ませてしまえば良い気がするわ」


 レディ・グレイスは頬に手を当てながら言った。

 昨今、睡眠の悩みを抱える人が睡眠薬を常用するのは珍しいことでもないし、薬を厳密に管理している人もそういないので、家族や友人知人に頼まれれば分け与えることだって十分あり得るだろう。

 

「それとも、ナイフで刺したくなるような恨みでもあったのかしら?」


 レディ・グレイスは呟くように言った。

 それに首を傾げたのはアルバート卿だった。

 彼は「レディの前で残酷な話になってしまいますが」と断りを入れてから話し始めた。


「いくら恨みがあったとしても刺殺を選ぶものなのか私は少し疑問です。私は兄たちと毎年秋に鹿狩りに参加しますが、そのときに獲物が死なずに苦しんでいると猟場管理人がナイフでとどめを刺すことがあります。動物にナイフを突き立てるのはかなりの力仕事です。相手が人間であっても同じでしょう。それに、出血があるのも犯人とっては厄介だと思います」


 そこで一度言葉を切ったアルバート卿はアメリアに向かって尋ねた。

 

「被害者の遺体は本部の作業室で発見されたのでしたね?部屋の中での位置はどうだったのでしょう?」


 アメリアはテーブルの上の資料の山の中から事件現場となった建物の図面を取り出し、それを兄妹からよく見える位置に置いた。


「遺体は作業室のこの辺りに横たわっていたそうです」


 アメリアは作業室の間取り図上の入り口に寄った場所を指し示した。

 先日アメリアが絨毯の血痕に気づいた場所――入り口から見て、右手の書棚と左手の作業台の間だ。


「遺体は体の左側を下にして入り口に背を向けていて、背中にはナイフが刺さったままでした。ちょうど入り口と平行になる体勢です」


 アメリアが説明すると、レディ・グレイスが「あら?」と言って首を傾げた。


「被害者はミシンで作業をしていたのよね?そうであれば、被害者はミシンの傍で眠り込むのが自然ではなくて?倒れていた場所がミシンから少し離れているのは、犯人が眠った被害者をわざわざ運んでから刺したということなの?」


 レディ・グレイスが疑問を呈したのに対し、アルバート卿が切り返した。

 

「いや、睡眠薬の効果が出る前に自力で移動しただけかもしれない。どう思います、レディ・メラヴェル?」

「そうですね……被害者が当日作っていたという旗は、一応キリの良いところまで綺麗に完成した状態でしたから、睡眠薬の効果が出る頃にはミシンから離れていた可能性はあります――」


 アメリアは頬に手を当てて思案しながら続けた。


「――でも、ちょうど良い具合に入り口と平行になるように横たわっていたのは気になります。そこに何か意味があるのかしら?」


 アメリアが呟くと、侯爵家の兄妹たちもそれぞれに思案を始めた。


「解釈が難しいですね。遺体の位置や様子がわかればわざわざナイフで刺すことを選んだ理由もわかると思ったのですが……。グレイス、君の意見は?」

「そうね。例えば、被害者が睡眠薬を全量飲み切る前に眠ってしまって、もう刺すしかなかったというのはどうかしら?」

「それは良い指摘かもしれない。ただ、私にはどうももっと楽な殺害方法を選ぶのが自然なように思える。いや、積極的に人殺しの方法を考えたいわけではないのだが――」


 兄妹はこの点を暫く議論していたが、結局はほぼ同時に「お手上げ」というようにアメリアに目配せした。

 アメリア自身も考えてはみたが、現時点では説得的な説明が浮かばなかったので、次に進んだ方が良さそうだと思った。

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