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第一章 光と闇

 がばっ。

 はっと目が覚めて、あたしは飛び起きた。

 目の前には、カーテンの隙間から柔らかい朝日の光が差し込んでいる、あたしの部屋。

 何だ、夢だったんだ……。

 はふ。思わず溜め息が出る。窓の外ではスズメがしきりにさえずっている。まったく緊張感のない、平和な朝の風景がそこにはあった。よかった。

 枕元の、愛用の目覚まし時計を見ると、針は六時半を指していた。

 ピピ、ピピ、ピピ……。

 とたんにアラームが鳴り始める。時計を取り、裏のアラームスイッチを切る。目覚し時計より早く起きるなんて、何だか変な感じだ。

 あたしはベッドから下り、パジャマの上に薄手の上着を羽織って部屋を出た。階段を降り、キッチンへ向かう。

 キッチンと続いているリビングには、まだ電灯が灯っていなかった。パパはまだ起きてないんだ。たぶん、また夜遅くまで仕事していたんだわ。そういえば、雑誌に連載しているコラムの原稿の締め切り日が近かった。

 パパは、フリーのジャーナリストをしている。国際情勢、とくに戦争地の取材を中心に活動しているけど、今は日本にいて、出版社の専属コラムニストをしているのだ。

 あたしはリビングの電灯とテレビのスイッチを入れて、再びキッチンへ戻った。冷蔵庫を覗き、包丁を取り出し、ガスコンロに火を入れる。あたしの日課、パパと自分のお弁当作りのため。

 この家には、ママはいない。パパは、実はまだ独身なのだ。そして、このあたしはパパの妹。おかしな関係だけれど、戸籍上ではそうなっている。

 あたしがなぜパパと呼ぶのかは、自分でも分かっていない。あたしがパパに出会ったときには、そう呼んでいた。

 パパの妹となって五年になる。以来、あたしは随分とお世話になった。中東に居たときはさることながら、日本に戻ってからは、わざわざ学校にも行かせてもらっている。だから、せめてもの恩返しと思って、家事はほとんどあたしがすることにしているのだ。パパがああいう仕事をしているから、とっても喜ばれている。

 しばらくして。

「おはよう、さやか」

 パパが起きてきた。見事な、爆発的寝癖と一緒に。

「あ、おはよ、パパ」

 パパはそのまま玄関へ行き、ポストから溢れている六種類の新聞を取ってくる。それからリビングでそれを広げ、一つ一つに目を通す。

 やがて、テレビは七時の時報を報じた。トーストとベーコンエッグ、コーヒーをダイニングテーブルに置いて、パパを呼んだ。

「パパ、朝ごはんが出来たよ」

「ん、ああ」

 生返事をして、新聞を持ったままテーブルに付く。そして、それを読みながら食事を始める。五年も付き合っていると、もう気にもならなくなった。

「ねえ、パパ」

「ん、なんだい」

 だけど、せめて人が話しかけているときくらい、新聞から目を離して欲しい。

「あのね、今朝あたし、夢を見たの」

 こう言うと、パパは新聞から顔を上げた。夢を見たときには報告する約束になっている。

「どんな?」

「えっと、砂漠の町でね、あたしの武器をたくさん使って、戦争してるの。で、それから……」

 そこまで話して、その先の記憶が真っ白になっているのに気づいた。

「どうした?」

「うん……、どうなったんだっけ」

「覚えてないのか?」

「……うん、みたい」

 どうして思い出せないんだろう。

「メモリーのなかになにも残ってないの。システムは正常なのに……」

 パパはしばらく思案して言った。

「夢の内容に対する拒絶反応じゃないかと思うが……」

「拒絶反応……?」

「その内容を思い出すことによって、システム環境に影響をあたえる。だから、メモリーから削除したんだろう」

「影響を与える夢……。それって、例の戦争のこと?」

 パパはゆっくりと頷いた。例の戦争――五年程前にあった、中東での大戦争のことだ。パパの推理では、あたしはその戦争にかかわっていたどこかの国で作られたらしいのだけれど、詳しいことは何も分かっていない。

「昔の記憶のなかには、戦争によって消えてしまったものが多い。だけど、さやかがそれを夢で見れるということは、ガードのかかったメモリーがあるんだ」

「ガード?」

「そう、自分からは思い出せないし、おそらく外部から取り出すこともできないだろう。夢は記憶のシステムとは別のものらしいからね。とにかく、このことはこれ以上深く考えないほうがいいみたいだな。無理にガードを外したら、余計にまずいかもしれない」

 ガードのかかった記憶。それはいったい何なのか。でも実は、大体の内容は見当がついているのだ。だけど、思い出したくなかった。それを知っても、たぶん、悲しいことに違いないのだから。

「気にするんじゃないよ、さやか」

「うん」


     ☆     ☆


 あたしの名前は、野村さやかという。中学二年生。といっても、普通の中二ではない。四年前までパパについて中東に居たから、日本での生活は小学六年生からなのだ。そして、それ以前の記憶があたしにはない。

 普通の生まれて十四年間育ったんじゃない。十四歳というのは仮の年齢なのだ。もしかしたら、もっと年上かもしれないし、もっと年下かもしれない。

 記憶喪失。普通はそう思われるだろうけど、あたしの場合はちょっと違う。それは、あたし自身が普通じゃないから。というか、つまり――。

 あたしは、人間じゃない。最新のメカトロニクス技術を結集させて製造されたロボット――アンドロイド。

 見かけは少し赤味のあるショートの髪に小柄な体つきの、ごく普通の女の子なんだけど、体のなかには様々な機械の類がびっしりと詰まっている。ただ、これが単に機械だけならまだよかったんだけど、内蔵されていたのはそれだけじゃなかった。

 戦闘用ロボット。そう、あたしのなかには、大量の武器が装備されていたのだ。

 今から八年前――西暦2039年。イスラム世界と中央アジア、東ヨーロッパなどを含めて、大規模な戦争が始まった。最初は、領土拡張を狙う国家を国連が武力で押さえ込むことが目的だったらしい。けれど、それはいつの間にか国家間の戦い、民族間の戦い、そして宗教戦争へと泥沼化していったのだ。破滅的な勢いで続けられる戦いに終止符を打ったのは、2043年にサウジアラビア北部の砂漠で使われた数個の核兵器だった。

 そのころ、パパはアラビア半島南部の砂漠の町で取材をしていた。その途中、砂漠をボロボロの状態で彷徨っているあたしを見つけたのだ。パパはあたしを助け、知り合いの大学教授に頼んであたしを修理してくれた。でも、核爆発の影響でか、メモリーだけはどうしようもなかったという。

 その後、パパは日本に戻ってきた、あたしをつれて。

 日本――2041年の憲法改正により、武装の完全放棄を唱った世界初の平和憲法を成立させた、世界一平和な国。この国に来て、あたしは本当に安楽の場所を得たような気がした。日本に来て以来、あたしは一度も『力』を使おうと思ったことはない。それだけ日本は平和だったし、使う必要がなかった。いや、どこにいたって、この力は使ってはいけないのだ。

 砂漠を彷徨っていたとき、あたしはその言葉だけを思い返していた。あたしの力は戦争の原因にしかならない。悲惨な現場を見てきたせいで、そのことだけはあたしの心のなかにしっかりと刻まれている。あたしが原因になってはいけないんだ。

 もう二度と、悲しい思いはしたくないから。


     ☆     ☆


「ね、ね、さやか、宿題やって来た、数学の宿題?」

 教室で今朝最初に声をかけてきたのは、あゆみちゃん――沢村あゆみちゃんだった。

「うん、やってるよ」

「お願い、あたしやって来なかったのよ、写させてくれない?」

「いいよ。……はい」

「サンキュ」

 あゆみちゃんはノートを受け取ると、軽く敬礼みたいなポーズを取って彼女の席へ去って行った。まったく、相変わらずなんだから。ここ最近、数学の宿題が多いんだけど、そのたびにあたしのノートを借りに来ている。

 始業五分前。教室の入り口を見ると、定刻通りに、吹奏楽部の朝練習を終えた舞ちゃん――国見舞ちゃんが入ってきた。彼女はあたしのもっとも親しい友達で、彼女にとってもあたしは唯一の親友なのだ。

 ふと、舞ちゃんの姿を見て、いつもと違うことに気づいた。そうよ、髪。

「あ、おはよう、さやか」

 舞ちゃんは驚いているあたしに微笑むと、自分の席にカバンを置いてあたしの席にやって来た。

「舞ちゃん、髪を切ったの?」

 腰の辺りまであったストレートの髪が、ショートカットになっている。

「うん」

「どうして、あんなにきれいだったのに」

「前からいつか切りたいって言ってたでしょ。でも、なかなか時間がなかったから……。で、昨日は日曜だったし、定期演奏会も終わったし、やっと切る時間が出来たの」

 ふうん。確かにそう言っていたのは覚えてる。前の髪もよかったけど、うん、少し雰囲気変わっていいじゃない。

「おかしいかな、この髪」

 あたしが舞ちゃんの髪を見つめてると、舞ちゃんが不安そうに尋ねてきた。

「おかしくないよ。でも、前のヘアスタイルって、ちょっと神秘的な印象だったから、雰囲気が変わった感じで」

「益々暗くなった?」

「逆、明るくなった」

 どこか神秘的で暗い陰があった前のヘアスタイルより、今のほうが明るい感じでいい。四年前に初めて舞ちゃんと知り合ったときなんて、一人で教室の隅に暗くなってじっとしているような、根暗少女をやっていたんだから。今ではそんなにひどくなくなったけど、あたし以外の人とは相変わらず話せないでいる。

「さやか、ノートありがと」

 あたしの数学のノートを持って、あゆみちゃんがやって来る。

「うわあ、舞ちゃん、髪を切ったんだ」

 舞ちゃんは、はにかみながらうつむいた。ダメだなあ、どうしてあたし以外だとこうなっちゃうんだろ。

 あゆみちゃんは、くすっと笑って。

「かわいくなったじゃない、ねえ、さやか」

「うん、あたしも今、そう言ってたのよ」

 舞ちゃんは頬はますます赤くなっていく。

「あ、ところであゆみちゃんの相棒は? 今日はどうしたの?」

「祐子は、朝練に行ってるよ。もうすぐ新人戦だから、あの子、はりきってんのよね」

 祐子――西村祐子とあゆみちゃんは、校内でも有名な陸上ペア。あゆみちゃんは百メートル走で、祐子は走り高跳びでそれぞれ県記録を持っている。お互い親友同士で、けど、――これは本当に面白いって言うか、凄いんだけど――この二人は性格が全然違うの。あゆみちゃんは今までのやりとりを聞いててもわかるとおり、とっても元気で背が低いせいかちょろちょろとすばしっこいし、祐子は逆に無口で大人しく、背が高くてのったりしている感じがある。あゆみちゃんが陽で、祐子が陰、それくらい違う。

「あゆみちゃんは? あなたも新人戦に出るんでしょ?」

「わたしは宿題があったから休んだの。だってさ、部活より勉強のほうが大事だからね」

 よく言うわ。この前の散々たる結果だったテストのときは、『わたしは勉強が出来なくったって、走れさえすれば幸せなのよ』なんて言い訳していたくせに。

「じゃ、他の勉強もしなくちゃ。ああ、忙しい」

 手を振って、今度はクラス委員長のところへ行ってしまう。見ると、どうやら社会の宿題を借りているみたい。

「宿題を写すのが勉強なのかしらね」

 あゆみちゃんには、悩みなんてないんだろうな。ほんと、羨ましい。

 あゆみちゃんから視線をそらすと、あたしの右隣の席の佐藤くん――佐藤隆典くんがちょうど登校してきたところだった。

「佐藤くん、おはよう」

 あたしは毎朝こうして声をかけているんだけど、佐藤くんはまだ返してくれたことはない。今日も声をかけられて少しタジッとしたけれど、口を開かないまま席に座ってしまった。

 どうしてなんだろう。今学期、あたしは彼と同じ園芸係ということで、一緒に作業をすることが多い。彼はさぼることはないんだけど話をしてくれることは滅多にない。これは、舞ちゃん以上にひどい性格だと思う。

「今日の三時間目はホームルームだったね」

 舞ちゃんが、ようやくはにかむのをやめて、あたしに言った。

「うん。今日は生徒総会の議案書審議だったわよね」

「でも……、また騒がしくなりそうね」

「そうね……」

 このクラス――二年三組の特色は、良く言えば明るくて楽しいクラス。でも、実際のところは、けじめがなくて授業中でも騒がしい。それさえなければ、いいクラスなのだけれど。


     ☆     ☆


 三時間目、ホームルーム。案の定、大騒ぎになってしまった。この時間、クラス担任は学年会議って理由で席を外している。こうなればもう歯止めは効かない。審議はまったく進まなかった。

「では、つぎに生活委員会の後期活動方針案について審議します!」

 議事進行のクラス委員長――菊池弘明くんも、いい加減頭に来ているらしい。険しい表情で、それでも声を張り上げて議事を進めている。あれを見てると、何だかとっても気の毒に思う。賢明に司会しているのに誰も聞いてくれないんだから。

 クラスの大半の人が、それぞれグループを組んでお喋りしている。特にひどいのが、クラス一のわがまま、大倉いつみさんのグループ。大倉さんの席の周辺に、その取り巻きの人六人が椅子を持ち寄って話をしている。話し合いをボイコットしているどころか、故意に邪魔をしているとしか思えない程大きい声で喋っているものだから、前から二列目に座っているあたしでさえ、委員長の声が聞きとりにくくなる。

 けど、全て大倉さんグループが悪いわけじゃない。小声でもみんなが喋っているんだから、相当うるさい状況になっている。

 大倉さんたちの笑い声が高らかに響くのが聞こえた。と。

 菊池くんは進行を止めた。そして、掌を大きく開いて振り上げ。

 バンッ!

 教卓を思いっきりぶっ叩いたのだ。大きな音とともに、教室は水を打ったように静かになった。

「大倉さんたち、いい加減にしろよ! 全然審議が進まないじゃないか!」

 堪忍袋の緒が切れるっていうのは、まさにこんなふうなんだろう。無理はないわよね。けど、静かになったのはわずかな時間だけだった。

「どうしてわたくしたちだけ注意するのよ!」

 即、大倉さんが言い返してきた。つづいて。

「そうよ、わたしたちだけなんて、不公平じゃない」

「他の人だって喋ってたのに!」

 大倉さんグループから次々と罵声が飛び出してきて、菊池くんもちょっと押され気味になる。でも、ちょっとひどくない? 菊池くんだって、なにもわざと大倉さんたちだけを注意したんじゃない。みんな喋っていたなかで一番ひどかったから注意したのだ。あの人たち、自分たちには非はないと思っているんだろうか。あれじゃ、菊池くんがかわいそう。

 バン、バン、バンッ!

「うるさいんだよ!」

 菊池くんは再び教卓を叩いて叫んだ。

「あんたらが一番うるさいから注意したんだ。話し合いなんて全然聞いてないだろ。そんなに喋りたいなら教室から出ていけよ!」

 この言葉は、少し効果があったみたい。大倉さんたちは、反省の色はまったく見受けられないものの、さすがに静かになってしまう。でも大倉さんだけは委員長をにらみつけていた。

 と、そのとき。静寂を破って、教室の前側の戸が荒々しく開いた。クラスのみんなが、いっせいに戸口に注目する。で、事態は悪化することを知った。

 戸を開けたのは、このクラスで一番問題のある人、谷山孝一くんだった。厭らしく嗤って、だらしなく拍手をしている。

 「なかなか面白い演説を聞かせてもらったよ、委員長。まったくその通りだよな、委員長が正しいぜ。大倉、教室から出てったらどうだ?」

 この台詞が、決して真面目な考えから出ているものでないことはすぐにわかった。激しく抗議した菊池くんと、抗議された大倉さんを、からかっているだけなのだ。大体、谷山くんがまともに発言しているところなんて、見たことがない。学校にはいつも遅く来るし、気づいたら教室からいなくなる。噂では万引き窃盗の常習犯で、警察のブラックリストに載っているとか、いつもタバコを持ち歩いているとか、喧嘩でナイフを持ち出して相手に重傷を負わせたとか。先生たちも声をかけられないほどの人物なのだ。

「あなたに言われる筋合いはないわ、谷山孝一」

 プライドの高い大倉さんは、からかわれて頭にきたようだ。真っ向から反論している。普通の人なら出来ない芸当だ。

「俺が言ってんじゃねえよ。クラスの全員がそう言ってんだぜ。なあ、お前ら」

 みんなに尋ねるけれど、誰も返事をしない。谷山くんは、ケッと言葉を吐き捨てて、再び大倉さんに言った。

「大倉よ、どうせ議案書の審議なんて聞きたくもねえんだろ? だったら、わざわざ教室に残ってねえで、どっか喫茶店にでも行って喋りゃいいじゃねえか」

「あなたじゃあるまいし、わたくしがそんなことをすると思って? あなたこそ、今頃ノコノコやってきて、何をしようとおっしゃるの?」

 二人の間で、激しい睨み合いが始まった。この二人、顔を合わせればいつもこんなふうに喧嘩を始めてしまう。よほど虫が好かないのか、馬が合わないのか。こんなことが出来るのも大倉さんぐらいしかいないけどね。

 一方菊池くんは、もう文句を言う気力もないみたい。先生用の椅子に座り込んでしまっている。

「ちょっと、もういい加減にしてよ!」

 そんな状況の中で、急にあゆみちゃんが立ち上がって言った。すごい、谷山くんに文句を言えるなんて。

「喧嘩をするんなら、どこか別のとこでやってよ。迷惑するのは、わたしたちなのよ!」

「あなたには関係ないでしょ、黙ってなさい!」

 大倉さんが睨み合いをやめずに言う。でも、あゆみちゃんも引き下がらない。

「関係あるわよ。これだけ騒いで、先生に叱られるのはクラスのみんななんだからね。そのときは、あんたたちが責任とってよ!」

 すると、大倉さんが菊地くんを一瞥して言った。

「あら、それは筋違いというものよ。こういう場合、責任は監督不行き届きの委員長にあるんじゃない?」

「なんだと!」

 座り込んでた菊池くんも立ち上がる。

「どうして僕の責任になるんだよ! 勝手に騒いで喧嘩してるのは、お前らじゃないか!」

「そうよ、菊池くんは悪くないわ」

 また、別の人が立ち上がる。

 もう、いい加減に嫌になってきた。こうなったら、先生が来るまで誰にも止められないわ。どうしてみんな、こうも喧嘩っ早いんだろう。殴り合いにはならないまでも、口喧嘩はどんどんエスカレートしていく。

「さやか……」

 どうしたらいいのかわからない、という顔で、舞ちゃんが言い寄ってくる。

「あたしだって、知らないわよ、もう」

 こうなったら、傍観を決め込んじゃおう。もう、呆れちゃって加わる気にもならないわ。

 と、そのとき。

 突然、あたしの頭のコンピューターが、危険を示すレッドサインを出した。何、いったい。レッドサインが出るなんて、日本に来てはじめてだ。あたしは急いで解析を始める。

「ねえ、床が揺れてない?」

 結果が出る前に、舞ちゃんが答えてくれた。確かに、揺れている。教室のみんなも気づいた様子。

 地震だ。

 そう思うと同時に、解析の結果が出た。この地震……、とてつもなく大きい!

 とたんに。

 ドーンッ!!

 爆弾が爆発したような轟音とともに、床が大きく上下に揺れ動いた。震度六……、七? とにかく、立っていられない。天井の蛍光灯も振り子のように大きく揺れ、椅子や机も床を滑っている。

「舞ちゃん!」

 混乱してただ机にしがみついたままの舞ちゃんの手を掴んで、あたしの机の下に引っ張り込んだ。こんなとき、防災訓練を真面目にやって良かったと思う。外に逃げると余計に危ない。揺れが収まるまで、こうして待ってたほうが安全だ。

 ところが、揺れは二分を過ぎても一向に収まる気配を見せない。これは変だ、そう思ったとき、とんでもない事態が起こった。

 これって、常識じゃ考えられない。床が……、教室の床が、その中央から、抜けていったのだ!

 いや、少し表現が違う。消えていった、と言ったほうが正しいわ。床が、突然真っ黒な空間に変わっていったのだ。その空間に、クラスのみんなが吸い込まれる様に落ちていく!

「舞ちゃん!」

 あたしは舞ちゃんの手をしっかりと握った。あっと言う間に教室一杯に広がったその空間に、あたしたちも落ちてしまった。コンピューターのレッドサインは出たまま。いったい、これはどういうことなの?

 暗黒空間を、みんなが下へ下へと落ちている。何かに強く引っ張られているみたいに、グングンと下へ。机も椅子もカバンも、床にあった全ての物が、下へ向かって……。

 下へ……しばらくすると、その感覚すらおかしくなってきた。教室の天井も見えなくなってしまって、上も下もわからなくなる。閉じ込められた暗い空間を、どこへとも知らずに、引っ張られていく。

 時間も麻痺してきて、ふとまわりを見渡すと、何も聞こえてこない。目の前の舞ちゃんも他の人達も、悲鳴を上げているようなんだけれど、なぜかあたしの耳まで届いてこない。音自体がなくなってしまったように。

 しばらくして、遥か果てに光が見えてきた。グングン近づいてくる。あれが、出口? 何となくそう感じた。だけど、どこに出るんだろう。

 光はだんだん大きく、そして強烈な光線になっていく。体に突き刺さるような、冷たい光。

 何もわからないまま、あたしたちは光のなかに吸い込まれていった。

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