魔女と騎士
──魔塔の一室に、静寂が満ちていた。
月光がカーテン越しに差し込み、淡い銀の光が室内を照らす。
ロザリアは窓辺に腰掛け、手元の本をめくるふりをしながら、深く息をついた。
(……あの時のことが、頭から離れない)
ダンジョンで魔力を封じられた時、アレクシスが命を懸けて彼女を守った。
その剣さばきは、まるで神話に語られる戦士のようだった。
──自分の命を、誰かに預けること。
それが、あんなにも安心するものだとは思わなかった。
(けれど、それは甘えではないかしら……)
ロザリアは魔女だ。
しかも、暁光の魔女という、ただ一人しか存在できない特別な存在。
世界の法則を司る“神の代理人”となるべき存在が、誰かに守られてばかりで良いのか。
だが、そんなことを考えていても、答えは出なかった。
──コン、コン。
扉を叩く音がして、ロザリアは顔を上げた。
「ロザリア様、失礼します」
低く整った声が響く。アレクシスだった。
「……入っていいわ」
扉が静かに開く。
彼はいつものように軍服をきっちりと着こなし、蒼い瞳をまっすぐにこちらへ向けていた。
「何かしら?」
「……傷の具合を、確かめに参りました」
ロザリアは思わず瞬いた。
「……大丈夫よ」
「ですが、ロザリア様は魔力を封じられた状態で戦闘に巻き込まれたのです。
些細な影響が残っていないとも限らない」
アレクシスの表情は真剣そのもので、彼の頑固なまでの忠誠心がにじみ出ていた。
「……なら、診てもらおうかしら」
ロザリアはそっと袖をまくり、細い腕を差し出した。アレクシスは跪き、その手をそっと取る。
「失礼します」
彼の指先がロザリアの手首に触れ、微かな魔力が流れ込んでいく。ひんやりとした感覚が走ると同時に、彼の魔力が彼女の身体を巡り、異常がないかを確かめているのがわかった。
「……問題はなさそうですね」
安堵したように呟き、アレクシスは手を離そうとした。
──だが、その瞬間。
「……っ!」
アレクシスの指先がそっとロザリアの手首に触れた瞬間、彼女の身体に稲妻のような衝撃が走った。
一瞬、意識が白く染まる。
肌を撫でる温かな感触が、異様なほど鮮明に脳裏に焼き付く。
胸の奥がざわめき、心臓が大きく跳ねた。
(……なに、これ……)
ロザリアは自分に起きた現象を理解できず、戸惑いのままアレクシスを見上げた。
彼は真剣な瞳で彼女の状態を確かめるように見つめ、魔力を流し込んでいる最中だった。
彼の魔力が、自分の魔力に触れたことで何かが共鳴したのかもしれない。
だが、それだけではない。
彼女の心の奥に眠っていた、何か別の感情が目を覚ました気がした。
アレクシスの手はいつも冷静で、慎重だった。
それなのに、今はどうしてこんなにも彼の温もりを意識してしまうのだろう。
「ロザリア様、大丈夫ですか?」
不安げに彼が問いかける。
だが、ロザリアはその声すらも遠く感じていた。
まるで魔力ではなく、彼自身の存在が、彼の想いが、
ロザリアの内側に直接触れたような気がしてならなかった。
(……違う。わたくしは、こんなことで動揺するはずがないのに)
そう思いながらも、確かに感じた衝撃は、無視できるものではなかった。
「……問題ないわ」
努めて平静を装い、ロザリアはゆっくりと手を引いた。
だが、まだ指先に残る感覚が消えず、名残惜しいような気すらする。
その違和感に、彼女は内心舌打ちした。
(何かが変わろうとしている──けれど、今はそれを認めるわけにはいかない)
「……ロザリア様?」
アレクシスの優しい声に、ロザリアはほんのわずかに微笑む。
「気にしないで、アレク。わたくしは、どこもおかしくないわ」
そう言い切ったものの、心の奥で小さな火が灯ったような違和感は、彼女の胸に残り続けていた
「……無理はなさらないように」
アレクシスはゆっくりと立ち上がり、少しだけ口元を緩めた。
「ロザリア様が無事で、本当に良かった」
その言葉に、ロザリアの胸が僅かに疼く。
(……私は、彼をどう思っているのかしら)
今までは“忠実な騎士”としか思っていなかったはずだった。
だが、それだけでは説明できない感情が、彼女の中に確かに芽生えていた。
──それは、まだ形を成していない感情。
ロザリアはそっと、胸に手を当てた。
その夜、彼女は久しぶりに夢を見た。
それは、幼い頃に見た“神の予言”の夢。
──暁の魔女よ、お前は世界の均衡を司る者。
──だが、決して一人で歩むことはできぬ。
──お前の影となる者が、お前を守るだろう。
彼女が見た夢の中には、一人の騎士の姿があった。
深い蒼の瞳を持つ、ただ一人の騎士の姿が。
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