バレンタインデー
年が明けて、部活も学校も始まりいつもと変わらない日々が戻って来た。久しぶりに足を運んだ教室では、みんなお決まりの新年のあいさつを交わし合っていた。
そして一月ほど経って、校内には何やらいつもと違う空気が流れていた。
男子も女子もそわそわと浮足立った様子でほんの少しの緊張感が漂っている。
特に女子は自然に振る舞いながらも今か今かとその時をうかがっている様子だ。
今日はバレンタインデー。
オレは昔から美香からだけは毎年チョコレートをもらっていた。多分今年もくれるだろう。もうお約束って感じだな。たまに他の子からももらうことだってあったけれど、まぁ義理チョコだな。本命ならちょっと困ってしまうし。
その日はところどころで女子が男子にチョコレートを渡す姿が目に付いた。でも大体は軽い感じで、義理チョコなんだろうけど。本命なら一目につくようなところじゃあげないよな。
こんな少しいつもと違った一日。
オレにとっても今日この日は忘れられないものとなった。
オレが初詣の神社で神様にした願い事…。神様ってのはやっぱいないもんだなって思った。それともオレの願いなんて叶うもんじゃなかったのかな?
でも…。
「はい、誠二。義理チョコよ」
放課後、いつものように部活に出ていると紗耶香がバレンタインチョコをくれた。まさか紗耶香から義理とはいえ、もらうとは思ってなかったからビックリだ。
「お、サンキュー!」
「お返しは倍返しだからね」
…やっぱ返そうかな。
「私からもあるよー」
「わたしも~」
なんと理恵先輩とアリサ先輩からももらったんだ。
「ありがとうございます!」
「お返し期待してるからねー」
「期待してる~」
こんなんばっかかよ…。
でも、もらえることに悪い気はしないしね。
「お返しって…クッキーでいいんですよね?」
「それは誠二くんの気持ち次第でしょー。その結果によって今後の対応が変わるけどねー!」
恐ろしい…。
何を期待しているんだ、この人たちは。
それからは普通に部活をこなしていった。多分、美香は帰りにチョコくれるんだろうな。
もう部活も終わりの時間を迎えそうだ。
「誠二、あんた最近ちゃんと練習してんの?」
みんな楽器を片付けてもう帰る準備をしている時に紗耶香がそんなことを言ってきた。
「なんだよいきなり」
「別に。なんとなく気合いが足りない気がしただけよ。今からちょっと基礎練見せてみなさいよ」
「はぁ!?今から!?」
「今からよ」
勘弁してくれよ。もうみんな帰り始めてるんだぜ?
「なー、明日でもいいだろ?」
「いいからやんなさい、少しでいいから」
「んー…どこ?」
「そうね、ここやってみて」
紗耶香はそう言ってスコアブックを広げた。
オレは言われた通りにしてみせた。
「どうだよ?」
「ん、ちょっとリズムおかしいわよ」
そうは思えないんだけどな、ちゃんとメトロノームに合わせてやってるんだし。
「もう一度」
「うへぇー…」
それからまたやらされて、それを何度か繰り返した。
もう周りには数人しか残っていなかった。
「おい、まだやんのか?」
「もういいわ、じゃ、片付けてから帰ってね」
「あ、おい!」
紗耶香はさっさと練習場を出て行った。
なんなんだよまったく…。何度しても変わんなかったじゃんか。
そういえば美香の姿を見ていない。いつもなら呼びに来るんだけど…。
「誠二くん」
「相田さん、まだ残ってたんだ。紗耶香はさっき帰ったよ」
「うん…。あ、あの…ちょっといいかな?」
いつもなら紗耶香と一緒に帰っている相田さんが紗耶香と入れ替わりのようにやってきた。もしかしてバレンタインチョコくれるのかな?
「うん、何?」
「ここじゃちょっと…」
やっぱりそうだ。相田さんは恥ずかしがりなとこがあるからな。
オレは相田さんに連れられて部室へとやってきた。もうみんな楽器は片付けてしまっていて誰もいない。
部室で相田さんと向かい合わせに立っている。相田さんは恥ずかしそうにうつむいたままだ。
そして意を決したかのように紙袋を前に差し出した。
「あ、あの、これ…バレンタインチョコレート」
「あ、ありがとう!相田さん!」
「て、手作りなんだ」
「ホントに!?ありがたくいただくよ」
やっぱ相田さんからなら紗耶香たちからもらったものよりありがたさが違うよなー。
オレはそんなのん気な事を考えていたんだ。
だけど…。
「本命…だから…」
「え?」
な、なんだって?
「誠二くん…私………私…!」
「あ、相田さん?」
な、なんだなんだなんだ!?
「わたし…っ!誠二くんが好き…大好き!」
「えっ…あ、相田さん?なにを…」
「誠二くんは私を救ってくれた。誠二くんは私を叱ってくれた。誠二くんは…私を守ってくれるって言ってくれた!」
「…………」
「ずっと守っていて欲しい。ずっとそばで支えてて欲しい。ずっと…誠二くんに甘えていたいの…」
「うん…うん…」
「私はもう…誠二くんがいないとダメなんだ。誠二くんの笑顔が、声が私を救ってくれる。私は誠二くんがいたから笑ってられる。いつの間にか好きになってた。誠二くんばかりを見てた。誠二くんが私の中にいた。…私は…誠二くんのそばに居たいの…」
「…………」
「だから…私を誠二くんの彼女にして下さい。私を…隣に居させてください」
「…………」
わけが…わからない…。
頭が真っ白だ…。
ただ…目の前で涙を浮かべながら話している相田さんを見つめることしか出来なかった…。
「…………」
「…………」
「ご…ごめんなさい。急にこんなこと…」
「…………」
何か話さないとって思うけれど、何も言葉が浮かんで来なかった。
「あの…返事は一ヶ月後の今日、ホワイトデーに下さい…」
え?どうして…。確かに今すぐになんて答えきれないけれど。
これって…告白なんだよな…。
「わ、私…これで帰るね。どんな答えでも私は受け入れるから…。もし、私を選んでくれたとしても…後悔…ないようにね…」
え?選ぶ?後悔って…。
「じゃあ、誠二くん。美香ちゃんが待ってるよ」
え…?
「ちょっと待っ…」
相田さんを引きとめる間もなく、相田さんは逃げるように去って行った。
美香…?
美香が待ってる?
オレは頭の中が整理出来ないまま校門までやってきた。
「美香…?」
そこには美香が一人待っていた。他の生徒は帰ってしまったのかもういない。
外はもう暗く、近くに寄らないと顔もよく見えなかった。
「誠二…待ってたよ。帰ろう?」
「お、おう」
相田さんが言ったように美香が待っていた。オレは美香の顔を見ることが出来なかった。
それから、特に会話もないまま帰り道を歩いていた。
風が強くて震えてしまうくらい寒かった。それはよく覚えている。
「誠二、ちょっとあそこ寄って行こうか」
美香がそう言ったのは帰り道にある公園。この時間にはもう誰もいない。
そして公園のベンチに二人で腰かけた。
「恵ちゃんから…告白されたでしょ?」
「え!?なんで…!?」
美香の口から思ってもいなかった一言が放たれた。思わず動揺してしまう」
「初詣の時に恵ちゃんと話しをしたの。誠二に告白するって」
「なんでわざわざ…」
「フェアにいきたいんだって。人が良すぎるよね?」
なんのこと…。
「いったい何の話しをしてるんだ?」
「相変わらずだね…。私も…私も誠二のことが好きなの」
!!!
「ずっと…誠二のことだけを見てきた…。小さい時から当たり前のように一緒に過ごして来たもんね。わかんなかったでしょ?」
美香がずっと思ってきた人って…。
「美香…。ごめん、オレ今まで…」
「いいんだよ。何度も誠二に気持ち伝えようって思ってたけど、優花ちゃんのことがあるのわかってたし。それに、誠二は私のことただの幼馴染としか見てなかったもんね」
「そんなことは…」
あの…キスされた時までは確かにそうだったな。なんであの時に気がつかなかった?
「とにかく!私は誠二のことがずっと好きだったの!」
「美香…」
美香はこちらを見ずに声を大きく言った。
「恵ちゃんは誠二がどっちを選んだとしても私と仲良くしていたいって言ったの。私もじゃあうらみっこなしだねって…。誠二にとっては勝手なことかもしれないけど、恵ちゃんは決意したみたいだったから」
…そんなことが…。勝手だよ、二人とも…。
「でも…私は幼馴染としてじゃなくて誠二の彼女として隣に居たい」
「…………」
「私も…恵ちゃんも覚悟は出来てる。誠二がどんな答えを出そうとね。それに、たとえ恵ちゃんを選んだとしても、私は誠二と今まで通りの関係で居たい」
どちらか…選ぶしかないのか?
「聞いたと思うけど、返事はホワイトデーに欲しいの」
「ああ…」
一ヶ月後…それが長いのか短いのかわからない。
だけど、それまでに答えを出さないといけないのか。
「ごめんね、誠二。いきなりだったよね?でも…私も前に進みたいの」
美香も…?
「それと、順番逆になっちゃったけど、これ、バレンタインチョコレート。今までだって本命だったけど、今度のは特別だよ」
「あ…ありがとな」
そうやって小さな箱を受け取った。
「また来年も…私に誠二のための本命チョコを作らせて…」
もし来年、オレの隣に相田さんが居たならチョコレートはくれないだろう。
…美香が震えている。
多分この寒さのせいじゃないんだ。いつも通りの表情でいつも通りの話し方だったけれど、きっと、逃げ出したいくらいの気持ちだったんだろうな。
オレが過去にとらわれていて…美香も前に進めなかったんだ…。
「美香…今まで辛かったんだろ?ごめんな…」
「ふぇっ…誠二…グスッ…そんなこと言わないで…。ほら、先に帰ってよ」
「美香…」
「ほら早く!女の子の泣き顔見るなんて意地が悪いよ?」
「…………」
オレは美香を残して公園をあとにした。
オレは…どうしたらいい?
また傷つけてしまうんじゃないのか?
いや、必ずどちらかが悲しい思いをするんだ…。
わからない。
わからないよ…。
このままみんなで楽しく過ごすことって出来ないのかな?
美香と、相田さんと、みんなで…。
家に帰ってもそんなことばかり考えていた。
いくら考えても答えは出なかった。
相田さんの思い、美香の思い。
どちらもオレにとっては重過ぎるものだったんだ。
その日の夜は…眠れなかった。