43 美智子 初デート
美智子 初デート
美智子の両親は弁護士事務所を営んでいる。
両親とも弁護士である。
姉がいる。
登喜子である。
母親は鬼女である。
鬼女も魔女と同じで、女の子が生まれると鬼女になる。
魔女と同じで、一人しか女の子は生まれない。
普通はそうである。
ただ、何百年かに一度、女の子が二人生まれる事がある。
魔女と同じで、一番目の子は普通の鬼女であるが、二番目の子は化け物となる。
見た目ではない、 持っている能力が異常なのである。
どう異常なのか?
何百年に一度なので、よく分からない・・・
美智子はナオミが好きである。
自分の姉よりも、もっと。
魔女も鬼女も男嫌いである。
バカな男に引っ掛からない為に、本能的に備わった機能である。
ただ、何故か美智子はナオミの夫が好きである。
男として好きなのではなく、兄として好きだった。
それを分かっていたナオミは、美智子が夫と一緒でも何とも思わなかった。
ナオミの夫も、自分の可愛い妹としか思っていなかった。
だから、暇があると美智子はナオミの家に遊びに来ていた。
お泊まりもしていた。
ナオミの夫を追い出して、デカいベッドにナオミと二人で寝ていた。
そんな訳で、美智子には、恋人どころか、男の噂すら無かった。
今日も美智子はナオミの家のリビングで寛いでいた。
コーヒーは、勝手知ったる他人の家である。
自分の分と、いる人の分を用意した。
自分用のマグカップも置いてある。
ただ、お菓子類は持参した。
姉の登喜子や、両親に怒られるからである。
いつもはリビングでナオミとだべっていたが、今日は知らない男がいた。
ナオミの夫、ゆたかの従兄弟だという。
興味が無いから、名前は聞いたかも知れないが、覚えていなかった。
結果的に「知らない男」となっている。
顔や体型は大好きな兄に似ていた。
まあ、従兄弟だからかな?
たまに見たときの横顔に、何故かドキっとする事があったが、忘れることにした。
やっぱり、お兄ちゃんが一番なのである。
ナオミがその従兄弟と盛り上がっていた。
釣りの話である。
ナオミもお兄ちゃんも釣りが好きである。
美智子は釣りなどやったことも無いし興味も無い。
話題について行けない。
今、美智子は面白くないのである。
早くお兄ちゃんが帰ってこないかな~!
「ただいま~!」
お兄ちゃんが帰ってきた。
「兄貴! この前の本栖湖の写真見ます?」
あの野郎に先を越された。
面白くないので、美智子はお代わりのコーヒーをいれにいく。
勿論、お兄ちゃんの分も。
まだポットの水が沸かない。
リビングからの話が聞こえた。
「本栖湖で、夜、女神を見ちゃった。」
「その夜は月が大きく見えて、湖に月の光が反射して伸びて、その光の中に女神がいたんです。」
「俺が動いた時、音がしちゃって、その女神が振り向いた顔が物凄く美人で、可愛かったんだよね~。」
「声は掛けたの?」
「夢を見てるんじゃ無いかと思って、目をこすってたら、消えちゃった。」
「もう一回、その女神に会いたいけど、同じ様に月が出るのっていつかな・・・? 」
「寝ぼけてたんじゃないか?」
「いや! あれは本物ですよ。」
「は~い! コーヒー! これはお兄ちゃんの分。」
盛り上がっている中に美智子は入ってきた。
ナオミが提案する。
「そうだ、みっちゃん! 釣りに連れて行って貰ったら? 」
「え~! でも私、この人知らない人だし。」
「ダイジョブ! ダイジョブ! こいつは人畜無害だから! 」
「ナオミお姉さん! 酷すぎますよ! 」
ナオミの夫、ゆたかも同調する。
「俺も、こんなに女に興味の無い奴は見たことが無いよ! 」
「ホモでもないしな? 」
「みんな酷いな~。」
「つよし! お前一人用のテント持ってるだろ?」
美智子は興味のない男の名前が「つよし」だと覚えた。
「うん! いつも車に積んでるよ。」
「お前がテントで寝て、みっちゃんが車中泊。 ガッチリ車の鍵掛けとけば絶対安心! 」
ナオミが何故かノリノリで、推しが強い。
「心配なら、家の車を貸すわよ。」
「向こうに着いたら、ワンボックスでみっちゃんが寝て、狭いうちの車でつよしが寝なさい。」
「この前、借りたけど、キャンピングカー並みよ。」
「あ~、最高だった! エアーマットで寝心地も良いし、カーテンも付いてるし、外からは誰がいるか見えないし・・・」
「あ! 多分、今夜行くと、月が綺麗かもしれないなあ~」
つよしがスマホを確認しながら、言った。
美智子は釣りよりも、綺麗な月に興味があった。
本栖湖に行って月を見たことがあった。
普段見ている月よりも大きく、湖に反射した月の光は幻想的だった。
その時、後ろに男性がいた。
一瞬、お兄ちゃんだと思った。
何故か慌てて、指を鳴らして自分の部屋に戻ってしまった。
つよしが女神だと思ったのは美智子だったのである。
ナオミは勘が鋭い。
つよしに聞こえない小さい声で言った。
「みっちゃん、行きたいって顔してる。」
「ボンクラつよしだから安全だと思うけど、何かあったら、おね~ちゃん!って呼んでくれたら、直ぐ行くから。」
ボンクラだけは聞こえたらしい。
「はいはい! わたしはボンクラですし、安全ですよ。」
「行くなら、着替えと歯ブラシさえあれば、何もいらないっすよ。」
どうやら、つよしはナオミが魔女だと知らないようだ。
美智子は、つよしの車で一緒に行くことになった。
あの時と同じ月を、ノンビリ見たかったのである。
歯ブラシは、ナオミからトラベルセットを持たされた。
ウエアーは、以前ナオミが釣りに行ったときのものを借りた。
サイズはピッタリである。
ついでに靴も借りて、準備万端!
ナオミとゆたかに送られて、出発した。
中央道を河口湖ICに向かう。
二人並んで座っているが、話題が無い。
取り敢えず、美智子が話し始めた。
「ディーゼル車なのに静かですね?」
「排ガス規制もクリアしていて、近頃のディーゼル車は良い車が多いみたいです。」
盛り上がらない。
「車は好きなんですか?」
「いや~、 本当はキャンピングカーが欲しかったんだけど、家族は反対するし、金額も高いし・・・」
やっぱり、盛り上がらない?
「家族って?」
「両親です。 俺、一人っ子なんで・・・」
「だから、兄貴、いや、ゆたかさんトコに行っちゃうんですよ。」
「あそこに行くと、お兄さんとお姉さんと一緒にいるみたいで、楽しいんっすよ。」
「あたしと一緒。」
「一人っ子なの?」
「ううん! 姉がいるけど、ナオミお姉ちゃんトコに行くと、あたしも楽しいの。」
「俺たち、似てることあるんだね。」
「ふふふ、 本当だ!」
つよしは思わず言ってしまった。
「横顔、凄い可愛いね。」
「ちゃんと前向いて運転してね! 」
美智子は嬉しくて照れてしまった。
顔が赤くなったが、暗闇の中でつよしには分からなかった。
昼間は平日でも通行量の多い中央道であるが、夜中の下り車線は混雑が無く、河口湖ICにあっけなく到着。
ICを出てR139を本栖湖に向かう。
途中の谷村PAでトイレと飲み物の補充は完了済みである。
車にはクーラーボックスが置いてあった。
途中の鳴沢を過ぎる辺りから、青木ヶ原の樹海である。
途中ですれ違うのは、高速代を浮かして利益を出さなければいけない中小の運送会社のトラックくらいである。
河口湖、西湖、精進湖と町から離れるに従って、街灯等の灯りは少なくなる、
一番離れている本栖湖は、本当に暗い。
逆に星空を眺めるのには好条件である。
また、湖畔からは富士山が見えないのも、周りに宿泊施設が少ない理由かもしれない。
1000円札裏側の富士山は本栖湖からなのだが、湖畔から30分くらい急坂を上らないと拝めない景色である。
湖の一番奥辺りに車を停めた。
ライトを消すと月明かりがなければ、漆黒の闇である。
美智子は車から降りると、水辺に歩いて行った。
「ノンビリ月を眺めたい。」
そう言われていたつよしは、折り畳み椅子を用意していた。
肘掛けの付いたフォールディングチェアである。
ナオミ達二人が使ったままだったので、2脚積んであった。
畳んだままのチェアを両手に持って、美智子を追いかけた。
丁度月の傾き具合が絶妙で、月明かりが湖面に反射していた。
月明かりの真ん中に美智子が立っていた。
美智子が振り返った。
つよしが以前、ここ、本栖湖で見た女神の光景そのものであった。
動けなくなったつよしに気付いた美智子が言った。
「どうしたの?」
つよしは我に返った。
女神ではなかったのか。
良かった! 人間であるのなら、いつでも会うことが出来る。
組み立てたチェアを渡した。
美智子はチェアに座ると、ぼんやりと月を見ていた。
何も考えないこの時間が好きだった。
いつまで経っても、つよしが自分の横に座らない。
「ねえ、一緒に座ってよ。」
声を掛けられて、慌ててチェアを美智子の横に置いてつよしが座った。
二人は黙ったまま月を眺めていた。
思わず、つよしは自分の思ったことを言ってしまった。
「月も綺麗だけど、君には敵わないな。」
美智子の返事はなかった。
学生時代に、何度も綺麗だと言われたことはあったが、こんなに面と向かって言われたことはなかった。
嬉しかった。
つよしが横を向くと、美智子はもっと綺麗に見えた。
こんなに綺麗な子だから、彼氏はいるんだろうな?
そう思ったら、悲しくなった。
何で兄貴達が自分の車に美智子を乗せ、一緒に来させたのか分からなかった。
雲ひとつない空だったが、いつのまにか雲が出てきて、月を半分隠した。
ゆたかは車に戻ってテントと寝袋を取り出し、明日使うロッドとリールを用意した。
それを車の外に置くと、車のシートを動かして、エアマットを敷き、カーテンを閉め、寝袋を用意した。
チェアのところまで戻ると、美智子に言った。
「車中泊の用意は出来たから。僕はテントで寝るんで。」
「あ! これ車の鍵。寝るときにちゃんと施錠してください。」
「テントじゃ寒くない? 一緒に車の中に寝たら?」
「君ほどの美人だから、彼氏はいるよね。 そんなことしたら、彼氏に申し訳ないよ。」
「じゃあ、明日早いので。」
つよしは自分が使ったチェアを畳むと、テントの方へ歩いて行った。
「もう! 彼氏なんかいないわよ! なに勝手に決めてるの! 」
そう言おうと思ったが、つよしがテントに入った後だった。
つよしは寝袋に包まって思っていた。
何で俺って女性に縁がないんだろう?
美智子さんじゃあ、俺には「高嶺の花」過ぎるもんな。
雲に月が全部隠れた頃、美智子はチェアを畳んで車の方へ歩いて行った。
直ぐそばにつよしのテントがあった。
車のインテリジェントキーでスライドドアを開けると、エアマットの上に寝袋が用意されていた。
もし寒くなっても良い様に、毛布も準備されていた。
寝袋に入ると、太陽の匂いがした。
裏返して日光消毒済みの様だった。
そんなに広くないと思っていたが、車の天井が物凄く遠くに見えて、世の中から一人、取り残された様に寂しかった。
あんな奴でも横にいてくれればと思ったら、悲しくなって涙が出た。
何で私が泣かなければいけないの?
そう思ったら悔しかった。
あいつのせいだと思った。
あいつを少し、いじめてやろうと思った。
そう思いながら、眠りについた。
早朝にスマホの目覚ましが鳴った。
つよしのスマホである。
その音に直ぐに反応したのは美智子だった。
釣りなどするつもりはなかった。
やったこともないし・・・
「私に教えろ!」と言おうと思った。
意地悪をしてやろうと思ったのである。
つよしの邪魔をしてやろうと思ったのである。
ササッと身支度をすると、車から出た。
まだ起きないつよしのテントを揺すった。
「サッサと起きろ! 魚がいなくなるぞ! 」
慌ててつよしがテントから顔を出した。
美智子の前で寝袋を片付け、テントを撤収した。
あまりの手際の良さに美智子は呆れた。
「凄~い! じゃあ、私に釣りを教えてよ。」
つよしは、美智子のトレッキングシューズをニーブーツに履き替えさせ、薄い色のサングラスと帽子を被せた。
「な~に? これ?」
「フライフィッシングはフック、針が前後に移動するから、怪我の防止だよ。」
「それと、ロッドを振っている人の後ろに立つと危ないから気を付けてね。」
静かにつよしは歩き始めた。
「魚って、結構岸寄りにいるんだよね。 音や振動は魚を驚かせちゃうから・・・」
二人で水辺に立った。
「ちょっと離れていてね。 下手だけど見本を見せるから。」
そう言って、つよしはロッドを振り始めた。
8番のシンキングラインのシューティングヘッドである。
綺麗にラインが飛んでいった。
普通のフライラインの1.5倍の距離は出ていた。
つよしは慎重にラインをたぐり、腰に付けたラインバスケットにランニングラインを収納した。
しまった! 釣りの初心者が使うロッドではない。
そう思ったが、美智子が言った。
「私もやってみる。」
美智子の腰にラインバスケットを付け直し、ロッドを持たせ、手を添えてキャストの練習をさせた。
初心者なのに直ぐにロッドを振れる様になった。
つよしはちょっと不安だったが、ストリーマーのフライを結んだ。
「軽くやってみて。」
「うん。」
美智子はロッドを振った。
つよしが見本にみせた、キャスティングを1回で覚えていた。
つよしほどではなかったが、綺麗にラインが伸びていった。
「凄い! 天才だ!」
「どうだ!」
美智子は自慢げにそう言って、ラインをゆっくり引き始めた。
ぎこちなかったが、逆に緩急をつけたフライの動きになったのであろう。
一気にラインが引っ張られた。
ラインバスケットに残っていたラインも引き出され、水の中だった。
美智子は反射的にロッドを立てた。
ロッドが立った事によって、フライのフックが、シッカリ魚の口に掛かったのである。
「リールを巻いて!」
つよしが美智子に指示を出した。
10分以上頑張って魚を足元に寄せた。
つよしは、いつのまにか大きいランディングネットを持っていた。
器用に魚をネットに収めた。
60cm近いブラウントラウトであった。
美智子は興奮して声が出なかった。
つよしの指示通りにランディングネットを常に水面から出さず、魚が弱らない配慮をしていた。
ランディングネットのブラウントラウトと記念撮影をすると、フックを外された魚は湖に帰っていった。
魚を見送ってから、二人は手を取って喜び合った。
最後につよしが美智子を抱き締めたが、慌ててつよしは離れた。
「じゃあ、朝飯にしよう。」
そう言うと、つよしはラインバスケットとロッドを美智子から受け取り、ランディングネットを持って車の方に歩いて行った。
ガソリンのストーブを二つ用意し、片方でお湯を沸かし、片方で目玉焼きを作った。
パンは、焼かなくても良い様にクロワッサンだった。
組み立て式のテーブルにコーヒーと皿にのった目玉焼きとザワークラウトがのっていた。
昨日使ったフォールディングチェアにユッタリ座っての朝食だった。
「あなたは釣りをしないの?」
美智子が聞いた。
「今日の分は終わり。 楽しかったね。」
「え? それでいいの?」
「うん。 大満足!」
つよしは本当に満足していた。
60cm近いブラウントラウトを釣ったのが、大好きな美智子だったからである。
本当に楽しかった、嬉しかったのである。
ただ、顔は平静を装ったが、ちょっと、どうしても寂しくて悲しかった。
俺の恋人だったら、もっともっと楽しくて嬉しかったんだろうな?
「これから、どうするの?」
美智子に聞かれた。
「そうだな。 どう? 日帰り温泉に行こうよ。」
つよしの釣行後のお楽しみである。
「どこの温泉?」
「道志村。」
「途中、富士吉田や道志村の道の駅に寄りながら行くんだ。」
「決まり! じゃあ、片付けたら、行こう!」
二人で手際良く片付ける。
来た時の道ではなく、回りきらなかった湖畔の道路を通った。
道が狭くなり、木が生い茂っていたが、助手席の美智子からは湖がよく見えた。
「また、私に釣れてくれるかな?」
「美智子さんのこと、魚も覚えているよ。」
夜中と違って、R139の交通量は多い。
R139から直ぐに左折して精進湖の湖畔を走る。
「助手席からだと、湖が見辛いね。」
そう言うと、次の西湖、河口湖は助手席側から湖畔が見やすいコースを走った。
またR139に戻り、山中湖へ向かう。
「浅間神社、寄ってく?」
「うん。」
参道入り口そばの駐車場に車を停めた。
参道のうっそうと茂る木立の中を進む。
神社の前に立つ。
つよしは奮発して500円玉を賽銭箱へ。
「付き合っている人がいてもいいから、美智子さんと友達でいさせてください。」
美智子は御縁がある様に5円玉である。
「つよしさんが、私を好きだと言ってくれますように。」
美智子が言った。
「本当はここからが富士登山なのね。」
「昔、富士山に登ったけど、五合目からだったから、ズルしたみたいだね。」
何となく話ながら、車で富士吉田の道の駅に到着。
道の駅の売店を回る。
結構人が多い。
つよしと離れたくない美智子は、つよしと腕を組んだ。
つよしがドキドキしている間に、美智子に引っ張られた。
「ほら、吉田のうどん、買って行こ!」
名前の付いたキーホルダーが沢山ぶら下がっていた。
「みっちゃん」と彫られたものと「つよしくん」と彫られたものを見つけた。
美智子は、買い物かごに吉田のうどんと一緒に入れた。
美智子がレジに並んだ。
店員さんがキーホルダーを紙袋に入れてくれた。
支払いはつよしがカードを出した。
会計が終わると、美智子がキーホルダーの入った小さい紙袋をつよしに見せた。
「これ! 私が貰ってもいい?」
つよしは紙袋の中身は何なのか分からなかったが答えた。
「ああ、どうぞ。」
美智子は自分のショルダーバッグに大事にしまった。
「あと、あっちの店で地ビールも買わない?」
お店を出て、駐車場を渡って、レストランに入った。
美智子は嬉しそうにつよしと腕を組んだままだった。
レジの前に、地ビールや乳製品を売っていた。
美智子が買い物かごにぽいぽいと地ビールを入れていく。
結構イッパイになったところで、レジにいった。
サッと美智子がカードを出す。
つよしが「俺が」と言うと、
「重いから車をこっちに移動して!」
と、美智子に言われて店を出た。
車を店の前に停めると、保冷バッグの大きいヤツを持って店に戻った。
既に会計は終わっており、保冷剤も購入済み。
つよしが持ってきた保冷バッグに詰め込んで終了。
「いくらだった?」
つよしが聞くと、美智子に言われた。
「あたしだって働いているから大丈夫よ。」
「デートの度に全額支払ってたら、破産しちゃうから。」
「次のデートの為に、取っておいてね。」
「え?」
美智子の最後の言葉は、何を意味しているのだろう?
「これ、車に置いたら、隣の店に行こうよ。」
組んだ腕を美智子に引っ張られた。
アウトドアのお店である。
美智子が何かを買っていた。
「何買ったの?」
「何だと思う?」
「さあ?」
「アンダーウエアー。 ようは下着ね。」
「お風呂に入ったら、新しいのに替えたくない?」
「あ、そうか。」
「買ってあげようか?」
「車の中に入ってるんだ。」
「何でも、準備が良いのね。 私の分も入れておいて貰おうかな?」
「い、良いけど・・・」
「タオルなんかは準備があるの?」
「二人分なら大丈夫。」
「じゃ、レジ行ってくるね。」
「ぼ、僕が買ってあげようか?」
「一緒になってくれてからで良いわよ。」
やっぱり、美智子の最後の言葉は、何を意味しているのだろう?
車に戻って、山中湖を目指す。
湖畔の道を過ぎて、道志みちへ。
どちらもR413である。
助手席で美智子は鞄を開けて何かしていた。
山道なので、つよしは美智子を見ている訳にはいかなかった。
美智子は紙袋から二人の名前が彫られた二つのキーホルダーを取り出すと、鞄の中にあるDリングにとめた。
外側に付けても良いのだが、無くしたくなかった。
どんな高級ブランドの指輪やネックレスより、今の美智子には宝物だった。
しばらく走ると開けてきた。
道の両側に人家が増えてきた。
そう思っていると道の駅に到着である。
車が多い。
特にオートバイが目立つ。
車から降りてきたつよしを、待っていた美智子が腕を組んだ。
美智子はつよしを離したくなかった。
一緒にいると安心出来た。
道の駅の売店に入るとき、ガラの悪そうなライダー3人組とすれ違った。
横に並んだままの一人がつよしにぶつかった。
故意にぶつかったように見えた。
「馬鹿野郎! 喧嘩売ってんのか?」
ぶつかってきたヤツが、大声で怒鳴った。
「すいません!」
直ぐにつよしは謝った。
立ち位置は美智子を庇うように。
つよしの対応の早さに驚いたのか、3人は出て行った。
建物から出ると、大きな声で話し出した。
「いい女に醜男だぜ! 笑っちゃうよな!」
「俺の方が何倍も良いぜ。」
「大笑いだな!」
つよしに聞こえたかどうかは分からなかったが、美智子にはシッカリ聞こえた。
以前、ナオミの家でつよしに会ったことはあった。
邪魔なヤツだと思っていた。
今、二人は、一緒にいて1日も経っていなかった。
しかし、二人はお互いを意識してしまった。
何年も前から愛し合う二人のように。
美智子は、3人組の声に頭にきた。
何年も何年も前から、ず~っとず~っと、大好きな大好きな人を揶揄されたと思った。
我慢がならなかった。
「ぶっ殺してやる!」
振り返って男達を見た美智子の目の色が違っているのを誰も気付かなかった。
顔は可愛いままだった。
しかし、目は鬼だった。
金色に光っていたのである。
男達はいい加減にヘルメットを被ると、エンジンを掛けた。
周りのまともなライダー達も、あからさまに嫌な顔をする程の「爆音」であった。
アクセルを吹かしながら駐車場から出て行った3バカトリオは、誰もいない歩道に乗り上げた。
3台が重なった。
ハンドルは曲がり、ウインカーは粉々に砕け、自走は不可能であった。
3人とも、肋骨あたりを骨折したのか、歩道上に転がっていた。
美智子はつよしに聞こえないように小さい声で言った。
「ザマーミロ!」
本当は、3人とも道志川に突っ込ませ、溺れさせて殺そうと思ったのである。
しかし、美智子はつよしと腕を組んでいた。
つよしから伝わる優しさに、美智子はキレ切れなかったのである。
つよしと一緒にいる間に、美智子はつよしを好きになっていった。
腕を組んで歩く度に、つよしの優しさに、好きの度合いが上がっていった。
3人組のおバカの所為で、つよしを強く、強く意識してしまった。
愛してしまった。
もうどうしようも無いくらいに・・・。
組んでいる腕の強さが強くなったが、腕を組んでいること自体が嬉しかったので、つよしは気付かなかった。
お客さんが多く居た所為で、野菜類などは残っておらず、特に買いたいものは無かったが、甘党のつよしが草餅を買った。
車に戻って、ペットボトルのお茶を用意した。
外にはパトカーや救急車が来ていたが、二人には関係なかった。
「なんで直ぐ謝っちゃったの?」
「あんな連中相手にしても仕方がないし。 それより君を守りたかった。」
「あなた、本当は強いの?」
「そんなじゃないよ。 ただ、素手のヤツとは喧嘩出来ないよ。」
「お兄ちゃんのお姉さんより強いの?」
「一応ね。 口では直ぐ負けちゃうけど・・・」
2列目の席で、二人は草餅を食べていた。
二人それぞれにペットボトルを用意していた。
つよしの方だけがキャップが開いていた。
つよしが先に飲んでいたのである。
美智子は躊躇なく、つよしが飲んだペットボトルに口を付けた。
「間接キッス!」
嬉しそうにつよしに向かって言った。
つよしの方が恥ずかしくて赤くなった。
草餅で白くなった口元に気付いた美智子は、つよしの顔に近づき、ティッシュで拭いてあげた。
つよしが眼を瞑った瞬間に、つよしの唇に自分の唇を重ねた。
つよしが目を開けたときには、美智子は横を向いていた。
「さあ、救急車も行っちゃったみたいだから、温泉に行こ!」
前の席に移動して出発した。
つよしが唇に手を当てていたが、美智子は知らん顔をしていた。
カーテンを閉めておけば、もっとキスしていられたのに。
そう思いながら、美智子は景色を眺めていた。
程なくして、右折して道志川を越えると、目的地のBTの湯である。
平日の所為か駐車場は混雑していない。
また、平日なので同じ料金で時間制限がない。
お風呂セットを二人分用意し、受付を済ませて男女それぞれの浴室に向かう。
パパッと脱いで、以前ビジネスホテルのアメニティのコットンタオルと、フェースタオルを持って浴室に入る。
硫黄泉ではなく、強アルカリ泉。
かけ湯をして、軽く身体を洗ってから、ぬるい方の浴槽に入る。
お年寄りが二人ほど入っていた。
暫くして、反対側の熱い浴槽に移動。
よし! と気合いを入れて露天風呂に行く。
扉を開けると風が吹いていて気分が良い。
コケないように手すりを使って湯船に入り、一番奥に陣取る。
露天風呂から外を見ると、道志川が見える。
水が澄んでいて川底まで見える。
残念ながら、魚影は見えない。
道志川はキャンプ場や管理釣り場が多いので、台風でも来て魚が仕切りを越えたりしない限り、放流していないところに魚はいない。
渓流釣りも楽しいが、色々やるとお金が掛かるので、今のメインは湖である。
本栖湖で美智子が魚を釣ったのを思い出して、嬉しくなった。
自分が釣らなかったのに、不思議である。
彼女の喜んでくれた事が、自分の幸せなのかと、ボーっと考えていた。
顔に結構汗をかいたので、洗い場で顔を洗った。
いつも、1回入ってから、休憩用の大広間に行ってゴロゴロしてから、もう一度風呂に入っている。
1回目はこれくらいにして、身体を拭いてTシャツに短パンの寛ぎ用に着替えて大広間に行った。
美智子はまだいなかった。
窓際の一角に座布団を敷いて、鞄を枕に横になった。
夜中に運転し、朝も早かったので、目を閉じたら意識がなくなった。
美智子が風呂から上がってきた。
シャンプーをすると乾かすのに時間が掛かるので、身体を洗っただけだったが、久しぶりの大きい浴槽に、長湯をしてしまった。
つよしから渡された「お風呂セット」にはTシャツと短パンも用意されていた。
ほてった身体に長袖は着たくなかったので、有り難く着てみた。
サラッとして気分が良かった。
大広間に行くと、おばさんや老夫婦しか見えなかった。
私の方が早く出て来たのかな?
私より先に出て待ってろよ!
勝手に口元が尖ってしまった。
それに、自分だけしか居ないようで、何となく寂しかった。
美智子が少し歩いたら、テーブルに隠れて見えなかったつよしがいた。
ほっとして、笑顔になった自分が不思議だった。
でも、少し怒りたかった。
何で待ってないで、寝ちゃうんだよ!
しかし、寝返りを打って美智子の方に向いた寝顔は可愛かった。
横に座って、起きるのを待ってみた。
起きない?
あたしが待ってるのに!
周りを見渡すと、老夫婦やおばさんはテレビを見ている。
起してやるぞ!
つよしにキスしてみた。
軽くしたのでは起きなかった。
もう一度、勝負!
ガッツリ、キスをした。
いきなりつよしに抱き締められた。
キスをしたままなので、声は出せなかった。
このままでもいいや!
そう思っていたらつよしが目を覚ました。
気まずい。
起き上がって、まず、周りを確認した。
みな、こちらを見てはいなかった。
問題はつよしの方である。
見ると頭を抱えている。
畳んで置いてあった長机に頭をぶつけたらしい。
「大丈夫?」
「ああ、俺、石頭だから・・・」
「痛いの痛いの、、飛んでいけ~!」
試しにやってみたら、効果があった?
「ご飯、食べようか?」
券売機の前で考える。
このお店の名前が付いた定食を二つ買った。
「ビールは飲む?」
「いいの?」
「運転手は僕だから、飲んだら?」
生ビールではなく、おつまみ付きの生ビールセットを購入。
カウンターの中のおばさんに、食券を渡す。
生ビールセットは直ぐに出て来た。
「遠慮しないで飲みなよ。」
「いただきま~す。」
で、ビールを飲む。
風呂上がりのイッパイは最高である。
「定食のご飯、多いかもしれないから少し食べてね。」
ちょっと可愛く言ってみた。
何故かつよしにじっと見られている。
「さっき、起きる前に、君とキスしてる夢を見ちゃった。」
「本当だったら、良かったのにな~」
「そ、そうね・・・」
危ない、ビールを吹き出しそうだった。
「可愛いな~! 美人だな~! こんな素敵な女の子の彼氏って幸せ者だよな~~。」
「彼氏なんていないわよ!」
全部言う前に定食が出来たと呼ばれてしまった。
二人で定食を取りに行った。
「ゆっくり食べてね。」
「はいはい! 大丈夫!」
つよしは、クレソンのかき揚げを二つに分けて、ご飯の上と、うどんの上にのせた。
うどんの上のかき揚げをつゆに浸すと、うどんをすすった。
「もう! 早いってば!」
「うどんは無理だよ。」
「他はゆっくり食べるからさ。 君を見ながらだから、早くは食べられないよ。」
「ふんだ!」
「あ! 冷や奴、美味しい!」
その後、ビールをお代わりし、うどんの半分と、ご飯の殆どはつよしが片付けた。
大広間が空いていたので、二人でゴロゴロする。
いつもベッドを使っている二人であった。
畳の上で転がるのは気分が良かった。
「もうひとっ風呂、行こ!」
今度はちゃんと出てくる時間を打ち合わせた。
二人とも、露天風呂につかっていた。
頭の上を風が通って行くのが気持ち良かった。
タップリ温泉を堪能して、二人並んででフルーツ牛乳を飲む。
勿論、手は腰に当てて。
車に乗って、R413を相模湖方面に向かう。
中央道の相模湖東ICからは入れないので、甲府方面に向かって相模湖ICから中央道に入った。
小仏のトンネルを抜けると東京都である。
八王子ICを通過して都心に近づく。
美智子の胸の中にドンドン悲しさが湧き上がってきた。
つよしと別れなければいけない。
そう思ったら、涙が溢れてきた。
つよしに気付かれないように横を向いていた。
美智子はナオミの家で車を降りる。
ビールなどのお土産もあるので、つよしも手伝ってくれた。
ナオミが聞いた。
「釣り、どうだった?」
「楽しかった~。 美智子さん、凄いんですよ。」
つよしが、スマホの美智子とブラウントラウトとの記念写真を見せた。
「良かったね~、みっちゃん! 凄い凄い!」
「うん!」
美智子は少し鼻声だった。
「じゃあ、僕、帰りますんで。」
つよしが車に乗り込んだ。
開いていた窓から美智子が声を掛ける。
「また、連れて行ってね!」
今の美智子の、最大限の言葉であった。
つよしは釣り好きの普通のサラリーマンである。
特殊能力など、あるわけが無い。
しかし、美智子は自分の魔法に掛かってしまった。
つよしを大好きになる魔法に。




