29 1泊出張
1泊出張
俺はたまに出張がある。
東京の近県なら日帰り出張であるが、ちょっと距離があると1泊以上となる。
設計応援である。
今回は営業所等ではなく、現場の応援であった。
日本海側の海に近い場所に、新築の工場を建てるプロジェクトである。
俺はそのプロジェクトの初期段階から参加していたので、客先とも顔見知りで、設計完了後もよく応援をしていた。
当初は、客先の本社がある東京で打ち合わせを行っていたが、現場事務所が出来たので現地での打ち合わせと図面内容の再確認である。
新幹線で、現地に向かう。
途中、新幹線の各駅停車に乗り換え、現場近くの駅で降りた。
現場は駅から近い。プラプラ歩いたら、直ぐに着いた。
地方の人なら、必ず車で移動する距離であるが、都市部の人間ほど歩く事を苦にしない。
近頃の工事現場はセキュリティが厳しい。
当社の単独工事であるが、現場入り口で社員証等の身分証明書を示しただけでは入場出来ない。
ガードマンに社員証を見せ、当社の現場担当者を呼んでもらう。
何度も訪問する事があるならば、現場専用のICカードを発行してもらわなければならない。
電車等で利用しているIC定期券等と同じシステムである。
暫くして現れたのは、俺より少し先輩の建築部の男である。
敷地が広いと大変だ。
現場の入り口近くに現場事務所が建つとは限らない。
最終的に建物の完成形を予測し、完成時に邪魔にならない場所を選ぶ。
工場の敷地が広いので、結構歩く。
現場事務所に到着した。
事務所は鉄骨を骨組みにした3階建てである。
工事作業員の建物は別にある。
まだ、本格的に稼働していないのでそれ程の人数はいないが、それでも最盛期の10階建てマンションの現場以上の作業員数はいた。
順調に打ち合わせは進み、お昼となった。
工場が完成すれば、周りにも色々なお店が出来る予定であるが、始まったばかりで、近くに飯屋の類いがない。
弁当を用意してあると、最初に会った時に言われていた。
保温効果のある弁当箱に入ったやつである。
ICによる入場システムは、勿論現場管理に有効であるが、弁当の発注にも役立つ。
各職方の棒芯からIC入場システムに、スマホかタブレットでアクセスし、弁当の必要人数を入力する。
システムが集計した人数分を弁当屋に発注するだけである。
会社ごとに弁当の数は集計され、月末締めで各社に請求するシステムである。
弁当屋を1軒に限定している。
セキュリティの問題と、価格交渉の為である。
弁当の数が多いので、ワンボックスで運んでくる。
毎日の事なのでIC入場カードを渡している。
当然、弁当屋さんにも、会社どうしのセキュリティに関する取り交わしが行われている。
基本・根本をナアナアのいい加減にすると、絶対痛い目を見るからである。
よく役所で失敗する例があるが・・・
東京辺りの弁当と違って、内容が素晴らしい。
この値段でこの内容かと驚いてしまう。
入り口に俺を迎えに来た先輩は、初めの頃は「愛妻弁当」であった。
奥さんの実家が近いので、単身赴任ではなかった。
最初は愛妻弁当持参であったが、金額と内容を聞いた奥さんは、弁当を作るのを止めたそうである。
東京の会社を辞めて夫に付いてきた奥さんは、この地で仕事を探した。
才覚のある女性だった。
夫である先輩から現場の規模を聞いていた。
奥さんは実家の遠い親戚である弁当屋に、パートで営業職の仕事をしていた。
直ぐに現場所長に会いに行けと、弁当屋の社長の尻を叩いた。
彼女も同伴した。
会ってみた現場所長は、自分達の仲人を頼んだ人だった。
人脈は大切である。
トントン拍子で、現場の弁当を受注した。
奥さんは、現場が完成しても会社(弁当屋)が困らないようにと、工場に新設される食堂の入札にも加わった。
現場所長の口利きもあり、入札前に食堂業務もその弁当屋が一手に行う事となった。
その頃には彼女は正社員になり、肩書きも「営業部長」となっていた。
現場工期が長いので、先輩は転勤になっている。
給料は地域手当が下がっただけである。
同じ仕事でも、地方は東京等とは賃金格差がある。
給料に関しては、本社が東京にあるメリットは大きい。
当然、先輩の奥さんの給料は東京で働いている時よりは少なくなった。当初は。
しかし、営業部長になった奥さんの給料は、先輩を遙かに超えた。
彼女は弁当屋の合理化を行って、無駄を排除し、社員やパートの給料をアップさせた。
社員やパートの人達は,働く環境が良くなり給料が上がったので、彼女に敵対する者はいなかった。
そんな彼女の名刺には「営業部長」の肩書きの隣に「取締役」の文字もあった。
現場が完成し、先輩が東京勤務になっても、単身赴任は確定である。
奥さんの方が給料が高いのを嫌がる男がいるらしい。
育った環境か?
くだらないプライドか?
ある女が、そんな考えの男と結婚した。
仕事内容と給料の内容を隠して結婚したらしい。
普段は良かった。
しかし、テレワークの時に奥さんの仕事内容が分かったらしい。
ネットで奥さんの給料のおおよそはつかめた。
男の倍以上の所得だった。
男は荒れた。
奥さんには何も出来なかった。
月日が過ぎても荒れる男に愛想を尽かし、離婚に有利な写真等を揃えた。
子供を連れて離婚したらしい。
度量のない男である。
本当に奥さんを愛していなかったのであろう。
先輩は違った。
心底喜んだ。
奥さんの方が自分より給料が多くても。
奥さんの方が仕事が出来ると言われても。
「俺の奥さん、凄いんだぜ!」
幸せな先輩だ。
スムースに現場での仕事は終わり、駅近くに最近出来たジムに行ってみた。
東京のジムよりも大きい訳ではないが、なんと言っても田舎だ、駐車場は広大であった。
たまに普段通っている以外のジムに行くと、異なるマシンがある。
古くても良い、新しくても良い。
珍しいのが嬉しい。
一通りトレーニングをして、プロテインドリンクを飲む。
1泊以上の出張をする際は、必ずジムがあるのか調査し、ウエアーやシューズを持参する。
どうせ、パソコン等も持って行かなければ仕事にならないので、ガサが大きくなるだけでパソコンほど重くはない。
経費節減にもなる。
その情熱を仕事に向けろと言う人がいる。
仕事ではないので、情熱を燃やせるのである。
今日も頑張ったなと思いながら、気分良く予約していたホテルに向かう。
予約したのは、ビジネスホテルだが温泉大浴場付きである。
ここは海が近いので、塩化物泉らしい。
ホテルのフロントで、チェックインしようとすると結構混雑していた。
今日は満室らしい。
近くで何処かの会社が研修をやっているからの様だ。
俺の前にチェックインをしている若い女性がいた。
4人組だが、満室の為、隣り合った部屋は取れなかったらしい。
1人だけフロントの女性から説明を受けていた。
続いて俺の番である。
手続きを終わらせると、フロントの女性から謝罪の言葉があった。
先程の女性が泊まる筈だった部屋の扉のオートロックの調子が悪く、修理を依頼している最中であると。
女性であり、何かあったら問題があるので、男性である俺と交換させてもらったという。
満室でなければ問題無かったが、今日は空きがなかった。
ドアノブを1・2回動かせば、ロックは出来るらしい。
トラブル防止と安全の為である。
「ドアチェーンを必ずお願いします。料金は1割引にさせていただきました。」
会社経費である。経費節減にはなった。
まして男の俺に、夜這いを掛けてくるヤツもおるまい。
フロントの女性にお勧めの夕食が美味しい店を聞いてみた。
「ホテル横のお寿司屋さんが、美味しくてリーズナブルです。」
今日の夕食は決定!
ひとっ風呂浴びてから、お勧めの寿司屋に行った。
結構混雑している。
大きい店だが、テーブル席はイッパイであった。
気軽なお一人様である。
寿司屋でカウンター! 大ラッキーである。
お店お勧めの日本海側の地魚中心のコースをお願いする。
「お飲み物は?」と聞かれ、「お茶で!」と答えた。
「売り上げに貢献しなくて悪いね」と言うと、「食べる方でお願いします」と言われてしまった。
寿司屋の主人から、「日本海の白身魚がメインで、マグロを食べたい場合は、別コースです。」と言われた。
自分の好みを優先したい人ならいざ知らず、この場所で捕れたかどうか分からないマグロは食べるつもりはない。
「やっぱり、地元優先で!」で注文は決定。
よく、海外に行ったのに日本食ばかり食べてきたと言う人がいるが、地のものを食いたい俺には理解出来ない。
流石! お勧め!
どれも美味い。
今度、ナオミとドライブ旅行で来るぞ!と決めた。
ただ、寿司屋でベロンベロンに飲まれると支払いが大変だと思ったが。
コース全てが終了した所で、白身魚の一通りをおかわりしてしまった。
支払いを終えてホテルに戻って、もうひとっ風呂。
化粧水いらずの温泉らしい。
美人になってしまいそう・・・そんな訳あるか!
気分良く部屋に戻ってベッドに横になる。
電車に乗っている方が、車の運転よりも疲れる気がする。
運転が好きだからだろう。
簡単に寝てしまった。
俺は寿司屋のカウンターで食べていた。
ホテルでのチェックインで俺の前にいた女性4人組が、奥のテーブル席で盛り上がっていた。
途切れ途切れに聞こえてきた話の内容では、1人の女性が男にフられたらしい。
俺の前に受付していた若い女性である。
何やらフった彼氏はボディビルダーで、同じジムの女性ボディビルダーに鞍替えしたらしい。
フられた女性は「筋肉フェチ」らしい。
他の3人にカウンターの俺を「口説けに行け!」とけしかけられていた。
背中の筋肉だけでの推しであった。
顔を見てもそうであって欲しい。
俺として来る者拒まずだが、俺がもてるはずはない。
俺を好きになって結婚までしてくれたナオミは奇特だ。
有り難くて涙が出る。
それだけの筈であった。
フられた悔しさが酒で増幅された女は、結構千鳥足でホテルの自室に戻ってきた。
他の3人は一つ下の階の並びの部屋だった。
3人との別れ際に、「飲み過ぎだからお風呂は止めた方が良い」とのアドバイスを受けていた。
「明日、朝、入ればい~じゃん!」
皆、軽かった。
女は、ベッドに横になると益々目がさえてきた。
シラフの時は冷静だった。
フられた事は思い出したくもないので、忘れたと思っていた。
酒を飲まされ、話の肴にされ、マザマザと悔しさが蘇った。
殆ど忘れていた言葉を思い出した。
フロントの女性が言っていた言葉。
宿泊する予定の部屋のオートロックが不調だと。
自分の後ろにいた男と部屋を交換したと。
そんな筈はないと女は思いながら、フラフラと部屋を出て、今日の部屋になる予定だった扉のドアノブを押した。
オートロックの筈である。
開かないと思っていた扉が開いた。
うつ伏せに寝ていた男の背中が見えた。
自分をフった男の広い背中だった。
悔しさと酔いで、判断能力はなかった。
寝ていた男は寝返りを打って仰向けになったが、顔など見なかった。
女は筋肉フェチで、背中の筋肉が好きだった。
女をフった男を好きになったのも、その男がラットマシンをやっている時だった。
顔なんて気にもしていなかった。
逆に、その歪んだ気持ちが男を離れさせたのであった。
女は着ていたものを脱ぎ捨て、男に跨がろうとした。
まさにその時、目の前に黒いミニのスーツを着た、背の高い女が現れた。
胸が大きく、スタイルが良い。
自分をフった男の新しい女かと思った。
黒いスーツの女は、裸の女の髪を掴んで、投げ捨てた。
何度も投げ捨てられた。
投げ捨てたが一番適切な動きだった。
暫くして、投げ捨てられた女は着ていた服ごと消えていった。
黒いスーツの女はベッドで眠っている男に近づいた。
黒いスーツの女が男にキスをしようとした瞬間、男に抱き締められた。
胸の谷間に顔を押しつけ、「ナオミ、愛してる!」と言った。
黒いスーツの女は「こいつ、起きているのか?」と思った。
男の頭を撫でると眠っていた。
嬉しそうに微笑んだ黒いスーツの女は、満足そうなステップで歩き出した。
急に真顔になり、焦った感じで扉の側に行き、ドアノブをチェックし、ドアーチェーンもシッカリ掛けた。
小さい声で指先呼称をしていた。
愛する夫の影響である。
小さく「良し!」と言って消えていった。
黒いスーツの女は、男に抱き締められたとき、そのまま一緒にベッドに入ろうと思った。
思ったが、楽しみは残しておこうと我慢したのであった。
「明日だ!」
酔っ払った女は、既に酔いが覚めていた。
起きた所は、自分の部屋のユニットバスの中であった。
恐ろしい夢を見ていた。
黒いスーツの女に髪を掴まれ、何度も床に叩きつけられる夢であった。
本当に殺されると思った。
特に、女の目の恐ろしさは、決して忘れる事は出来ないものだった。
何故か身体が痛かった。肩や腕、足を見ると痣だらけであった。
女が驚いたのは痣や裸で寝ていた事ではなかった。
失禁し、脱糞までしていた。
慌ててバスから飛び出て、シャワーでバスの中の汚物を流し、換気扇のスイッチを「強」にした。
俺は、何故か快適に目が覚めた。
ナオミに抱かれて眠っていた夢を見ていたから。
鮮明に覚えていた。ナオミの匂いもまだ鼻の中に残っていた。
朝風呂だ!
気分の良い温泉だった。
風呂から上がって、朝食会場に向かった。
地産地消のバイキングであった、
今日も元気だ、朝飯、美味い!
朝食を終え、エレベータを待っていると、昨日の女性4人組が降りてきた。
朝食会場に向かう様だが、何故か1人だけ、目の下にクマさんがいた。
部屋に戻って、もう1回風呂に入ろうかと思ったが、現場に行ってサッサと仕事を終わらせ、ナオミの元に早く帰ることにした。
建築現場は、基本8時から作業開始。
人間が緊張を持続出来る2時間を4回に分けて仕事を行う。
作業効率だけではなく、安全も考えての合理的な方法である。
従って、7時頃に現場事務所に人がいるのは、珍しい事ではない。
俺は7時半には現場に到着し、ナオミに会いたい一心で仕事をした。
アサイチのラジオ体操に誘おうとした先輩社員も声を掛けられなかった。
昼前までに図面の修正とその説明を終え、昼飯も食べずに駅に向かった。
「後はウエブで対応します」と言って。
新幹線で東京駅。と思ったが、大宮駅で乗り換えた。
スマホで調べると、東京駅経由と時間的には変わらない様だが、1秒でも早く帰りたかった。
いつもの駅の改札を抜けると、ナオミが待っていた。
手に提げたマイバッグの中を見ると、精がつくようなもので溢れていた。
夕食はニンニク系が多かった。
ニラもあったか?
「臭わないか心配だ」というと、「2人で食べているからOK!」という事になった。
その夜、かなり激しく頑張ったのは言うまでもない。




