24 準備
準備
いつもの時間に目が覚めた。
目覚まし無しでも起きられる程、早起きの習慣が身についていた。
俺より先に起きて朝食の用意をしてくれているナオミが寝ている。
俺の腕を掴んでいるナオミの手が熱い。
体温計で測ると、いつもより高い。
魔女といっても、基本は普通の女性と変わらない。
しかしそこは魔女である。
「治癒魔法」とやらが使えるらしい。
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昔、ジムでバーベルのプレートを交換する際、20kgのプレートを足の親指に落とした事があった。
結構バウンドしてプレートが戻ってきたのに驚いたが、痛みが殆ど無いのはもっと驚きだった。
直ぐに更衣室で靴を脱ぎ、足を確認した。
足の親指が結構血だらけだった。
衝撃が強いと、痛みをブロックするのかと思った。
ティッシュペパーで親指を包み、鞄に入っていたテーピングテープで強く巻いておいた。
ちょっと違和感はあったが、特に痛みは無かった。
風呂に入るとき、ビニール袋をはいて入った。
しっかり消毒をして、ガーゼを巻きテープで親指を固定した。
次の日の夜、ガーゼを外して驚いた。
親指の爪が剥がれていた。
化膿しなくて良かったと、丈夫な身体に生んでくれた親に感謝した。
ナオミと出会う前の大学生の頃の話である。
しかし、ナオミと一緒になってからも、同じ事をしてしまった。
どういう訳か、同じ右足の同じ親指であった。
今回も同じ処置をした。
特に足を引き摺っていたわけではなかった。
いつもの様に、駅からナオミと一緒に家に帰って来た。
二人の部屋に行くと、いきなりナオミに右足の靴下を脱がされた。
ナオミは俺の右足の上に手をかざし、横に動かした。
スルっとした感じで巻かれたテープが丸まったまま外れた。
結構血だらけだが、既に血は固まっていた。
ナオミはちょっと眉間に皺を寄せて「痛くなあい?」と言った。
「痛くない!」と言うと、右足の上に手をかざした。
手をどけると右足は綺麗になっていたが、結構、裂傷の痕が目立っていた。
ナオミはベッドに座ったままの俺の右足を手に取り、頬ずりをした。
暫くして右足を見ると、傷跡は跡形もなく消えていた。
夕食を食べながら、ナオミの説教を聞く。
「朝、ジムに一緒に居たでしょう!なんでその時に言ってくれなかったの?」
「ごめん。でもいつ俺が怪我した事が分かった?」
「ジムに居た時には、何となく。」
「治してくれてありがとう。」
「今度隠し事をしたら、許してあげない!」
「帰って来たら、丸裸にして身体中全部調べる!」
涙目で訴えるナオミを見て、椅子から立ち上がり、ナオミの横に立った。
「ありがとう」ともう一度言って、ナオミのおでこにキスをした。
夕食後のコーヒータイムに「治癒魔法」の説明があった。
「本当は手だけで十分なんだけど、患部に頬をあてると治りが早いの」
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「風邪やインフルエンザなら、自分で治せる。」と言う言葉を聞いて、ナオミの朝食の準備をして会社に出掛けた。
災害対策用のお粥をメインに、梅干し、ほぐし鮭、鶏肉そぼろ・・・
会社でCADを操作しはじめて調子ののった10時頃、俺宛に電話があった。
ナオミを大好き、ナオミも大好きの近所のおばあさんだった。
結構落ち着いた声だった。
「ナオミちゃんが倒れた。」
それ以外も何か言っていたが、聞こえていなかった。
受話器を置いて、部長に話をした。
「すいません、早退します。妻が倒れた様なので。」
焦っていたのでCADの終了処理に手こずっていた。
後ろから平手で頭をたたかれた。
「サッサと帰れ!」
振り向くと、いつも俺に厳しい先輩女性主任だった。
鞄を持って、駅に向かう。
タクシーを呼ぶ事も考えた。
しかし、フライフィッシングを教えてくれた、俺の大好きな叔父の言葉を思い出して、いつもの帰り方を選択した。
「急ぐときほど、焦っているときほど、いつものように行動しろ!」
朝夕のラッシュ時と違って、電車の本数が少ない。
ベンチに腰掛け、鞄を膝において両手で顔を覆った。
手の中が涙でイッパイになった。
よく考えれば分かった事だった。
「治癒魔法」を使えるナオミだったら、俺が起床する前に治していただろうことを。
鞄の上に手を置いた。
右手が左手の薬指の上にのった。
ナオミとお揃いの指輪があった。
指輪に祈った。
「今すぐ、今すぐナオミの元に!」
駅員は気になっていた。
ベンチに座って落ち込んでいる男がいる事を。
悩みすぎて泣いている様な男の事を。
しかし、駅勤務は仕事が多い。
電車が到着し、お年寄りの誘導をしていた。
落ち込んでいる男は、まだベンチに座っている。
その男だけに集中する訳にはいかない。今、電車が扉を閉めて出発する時だから。
電車が出発して、振り向いて男を確認すると既に居なかった。
「もしかしないよな?」
男の座っていたベンチの近くを確認した。
電車が走り去った線路を。反対側の線路も。
ホームドアは設置している。しかし、その気になれば障害にはならない。
真面目で優しい性格の駅員であった。
過去にもっと乗降客の多い駅に勤務していた。
気になる男がホームに立っていた。
どうしても目が離せない男だった。だが、男が立つ反対側に電車が先に入線した。
少し遅れて入線してきた電車に、男は飛び込んだ。
もうこんな思いはイヤだ。駅員はホームに設置された防犯カメラの映像を確認した。
椅子に座って悩んでいた男が、電車に乗る姿が映っていた。
駅員の肩の力が抜けた。
「よかった!」
こんな事ばかりしてはいられない。次の電車が来る。
俺は祈った。
ナオミとお揃いの指輪に。
ナオミの元に、今すぐ行かせてくれと。
そう祈った瞬間、指輪が光った。
そして俺はもう、その駅には居なかった。
ただ、防犯カメラには俺が電車に乗るようには映っていたが。
気が付くと、俺はナオミのベッドの前に立っていた。
ナオミは安心したような顔で眠っていた。
暫く動けなかったが、扉が開く音に振り返った。
ナオミの母親が立っていた。
ナオミの母親に手招きされ、階下に降り、リビングのソファーに座った。
コーヒーが用意されていた。
自分を落ち着かせる為、ブラックで飲んだ。
相手を見ると、少し砂糖を入れてかき混ぜ、ミルクを垂らして渦を作っていた。
「親子だな」と納得した。
「今のナオミは「治癒魔法」では治せないの。病気じゃないから。」
いきなり言われて狼狽した。
「では、ナオミは何故倒れたんですか?」
「ナオミの身体の準備が整ったという事ね。」
何を言っているのか分からなかった。
「準備って?」
すかさず答えが返ってきてもっと驚いた。
「子供が出来る準備よ。」
しばし言葉が出なかった。
しかし、聞いてみた。
「子供が出来たという事ですか?」
「いいえ! じゅ・ん・び!」
やはり何を言っているのか分からなかった。
ナオミのおかあさんの説明が始まった。
魔法、魔術、魔力、何も分からないので質問もままならない。
「魔女の身体は基本的に人間と変わらないの。」
「はい。」
「魔力を持っているのを別にすると、子供の出来方が違うのよね。」
「はあ?」
「人間だと12・3歳くらいでOKになったりするけど、魔女の場合は人?魔女それぞれ」
「それに、結婚したい人が決まると、その人しか愛せなくなるの。」
「はい。」
「結婚したい人以外は身体が拒否してしまうし、元々身体を狙って魔女を襲ったりしたら、返り討ちじゃあ済まないわね。」
「・・・・・」
「ナオミの場合は、頑固だし、融通はきかないし、人の言う事は聞かないし、親の言う事はもっと聞かないし、美人のくせに可愛げはなしいし、・・・・・
・・・・・、男は嫌いだけど旦那の事は好き過ぎるし。」
最後の言葉が無かったら、ナオミの母親でも殴っていたかも知れない。
「ありがとうございます。」
「へ? まあ、良いんだけど、モロモロの反動で、旦那への感情が強く出過ぎるのよね。」
「だからか分からないけど、今頃になって準備完了になったの。」
「呆れるわね。何歳になったと思っているのかしら?」
「自分でコントロールしてたんですか?」
「いいえ!性格の問題ね!ナオミの場合は、頑固だし、融通はきかないし、人の言う事は聞かないし、親の言う事はもっと聞かないし、美人のくせに可愛げはなしいし、・・・・・」
延々と同じ愚痴を聞いた。
「まあ、とにかく子供を作る事が出来る準備が整ったのよ。」
「はい。」
「ただ、やっただけで、イヤ、イヤ、イヤ、愛し合っただけでは子供は生まれないの。」
「お互いに「子供が欲しい」と言う気持ちが、やった時に、イヤ、イヤ、愛し合った時に湧き上がらなければ駄目なのよね。」
「便利なようで、面倒臭いの。」
「北海道の魔女仲間なんかは、寒いもんだから、や、イヤ、愛し合いすぎて、毎回気持ちが合いすぎて、子供が多過ぎるくらいよ。」
「へえ~!何人くらいですか?」
「ちょっと前の魔女子会の時は、野球チームが出来るって言ってたけど、この間はサッカーチームって言ってたかな?」
「・・・・・」
「うちみたいに女が2人生まれる事はないから、女1人に後はみんな男。牧場を経営しているから問題無いみたい。」
「素晴らしいですね。」
「ご近所のおばあさんから電話がいったでしょう? 私が居るから大丈夫って、言ってもらった筈なんだけど?」
「ナオミが倒れた事だけしか聞けませんでした。」
「夫婦揃って、駄目ね!」
「若いうちの準備であれば軽くて済むのに、結構いっちゃってからだと、身体の怠さが凄いのよね。」
「そうなんですか。」
「急に現れたってことは、あなたも魔力が使えるのね?」
「いいえ、よく分かりません。」
「ははあ! その指輪ね。」
「・・・」
「普通の魔女にはないんだけど、ナオミの場合は生まれた時から青い石のペンダントをしていたの。」
「2番目に生まれた特別な魔女にだけ現れる現象で、青い石も意思を持っていて持ち主を徹底的に守るらしいの。」
「らしい?」
「文献だけでしか分からないし、2人目の魔女は数百年に1回とか言われているからね。」
「青い石の力はドンドン強くなって、それを持った魔女が、決められた人とやっちゃう、イヤ、イヤ、愛し合うと二つに分かれるらしいのよ。」
「・・・」
「別れた後も、青い石どうしの疎通は続いているらしいんだけど、良くは分からないわ。」
「何故、俺、いや僕は魔法を使えたんでしょう?」
「その指輪と、ナオミと愛し合ったお蔭ね。」
「僕はこれからも魔法を使えるんでしょうか?」
「多分、ナオミの為にしか使えないと思う。」
「では、僕自身を守るためには使えないんですね。」
「使えるわよ!」
「あなたを守る事はナオミの為になる事なんだから。当り前よ。」
「でも、どうやったら使えるのか分かりません。」
「大丈夫!あなたが分からなくても、指輪がやってくれる。」
「いま、2階でナオミは一人で眠っているけど、暴漢がナオミに襲いかかったら、指輪が黙っていない。」
「冷酷な時のナオミなんてものじゃない終わり方になるわね。」
「凄いですね。」
「恐ろしいくらい、凄いのよ。」
「あなたの指輪は元々ナオミの指輪と一つだったんだけど、前よりもその指輪にあなたは愛されているみたいよ。」
俺は指輪を見つめて撫でてみた。
「ほら、喜んでる! 分かる?」
「何となく。」
「それで十分!」
「あと、注意事項ね。」
「はい。」
メモを取ろうとしたら、止められた。
「このくらい、覚えなさい!」
「はい。」
「食事は食べたがらないけど、あなたが食べさせてあげれば、何でも食べられるわ。子供が出来た時も同じ。」
「へえ~。」
「ただ、副作用があって、甘えん坊になるから気を付けてね。」
「今以上ですか?」
「今の状況も、若いときの反動だから、宜しく頑張ってね!」
「はい。」
「あの~、いつ頃治るんですか?」
「いつも通りになれば。」
「いつも通り?」
「朝のいつもは?」
「俺、いや僕より早く起きて朝食を作ってくれます。」
「そうなったら、ネ!」
「それと、愛してあげればあげるほど、早く良くなるわ。」
「はい?」
「やっちゃ駄目よ。あなたの愛で包み込むの。」
「何か、言ってて、恥ずかしくないですか?」
すかさず、義理の母親に殴られた。
当然かは不明だが、不調が長引くといけないので、やる事も禁止された・・・残念!
「最後に、寝込んでいる間は、アルコール禁止!」
「生まれてくる子が、みんな、酒豪?になっちゃうわよ。ナオミみたいになっちゃうから。」
「おかあさんは、その期間にお酒を飲まれたんですか?」
「ちょっと亭主が他の女にちょっかい出しやがったのよ。」
「二度とそんな事が出来ないようにしてやったけど。まあ、やけ酒ね!」
「あなたはナオミ一筋だし、指輪もあるから心配していないわ。」
「・・・」
「じゃあ、ナオミを見てから帰るから。」
と言って、母親は居なくなった。
近所のおばあさんにお礼を言いに行って、ナオミの元へ。
パソコンに向かい、会社の勤怠システムにアクセスし届け出をして、明日、明後日の木曜日と金曜日はテレワークを申請した。
上司から「お大事に」と返信があった。
本当に大事にした。
優しくした。
大事な大事な俺の奥さんだから。
木曜日、やはりナオミの熱は下がらなかった。
「何でも食べられる」と聞いていたので、料理本片手に精のつくものを作った。
「何にも食べたくない」というナオミに、赤ちゃんに食べさせるように、お皿にとりわけ、スプーンで食べさせた。
スプーンからなら食べてくれるので、3食におやつも同じ様にして食べさせた。
食べ終わったら、ベッドに座ったまま、ちゃんと歯磨きもさせた。
口も拭いてあげた。
身体も拭いてあげた。
絶対にいやらしいことはしてはいけないと、心を鬼にして?
一生懸命ナオミの事を考えながらのテレワークだったが、後ろを向くとナオミの寝顔が見られて、仕事を頑張れた。
金曜日もナオミは寝ていたが、甘えっ子全開で、仕事がはかどらなかった。
どうも・・・既に治っている様だった。




