17 うちの奥さん強いから
うちの奥さん強いから
ナオミの一日は移動が多い。
朝、俺と一緒にジムに行ったり、夕方に買い物に出て俺を駅で待っていたり。
昼間は何をしているのだろう。
料理教室だけで1日を費やすわけではなく、料理教室も毎日ではないようだ。
実は結構「在宅ワーク」を行っている。
パートやアルバイトではなく、「魔女の為のデジタル化」を行っているらしいが、内容は教えてもらえない。
例え教えてもらっても、根本の魔法や魔力自体が分からない。
彼女の仕事のツールは俺のデスクトップパソコンである。
但しパソコンの立ち上げ方が些かというよりかなり違う。
パソコン本体を撫でると、パソコンが多少身震いする様に揺れて、直ぐに立ち上がる。
ナオミだけが居てこのパソコンを使う時は、ディスプレイの台数が増えたり色々な事が起きる。
通常はディスプレイも立ち上がった後、一回り大きくなる。
キーボードは見た目は変わらないが、各タッチ部分の文字がアルファベットではなく、魔女対応の文字に変わる。
ブラインドタッチの素早い操作で、本当はタッチ部分の文字は必要ないのかも知れないが。
流石にパソコン作業を続けると、魔女といえども疲れるらしい。
汗っかきの俺用に購入したメッシュの背もたれのパソコンチェアーから立ち上がり、両手を上に伸ばし腰も伸ばす。
「よし!」のかけ声で庭に出て、巻き藁に向かう。
仕事の時はジャージの上下だが、スタイルが良いので決まっている。必ず軽いストレッチで身体をほぐす。
「ハっ! フっ!」と気合いの入った掛け声で、巻き藁に対峙する。
ひとしきり身体を動かし、処分しようと積んであったコンクリートブロックを重ねる。
コンクリートブロックには色々種類があるらしいが、見た目は同じでも丈夫なものもある。
処分しようと思っていたものは、結構重量があり丈夫なものであった。
何の躊躇もなく腰を入れて、素手の拳でコンクリートブロックを砕いた。
割れて尖っている部分も素手で砕けきる。
背後に視線を感じ、振り向くと近所のおばさんが門の扉の近くから目だけを出して眺めていた。
ナオミが「こんにちは」と声を掛けると「凄いわね」と返された。
拳に付いたコンクリートの破片を拭き取りながら門を開ける。
拳には「タコ」等は無く、傷の一つも無い。
おばさんから「町内会費をお願いします」と言われ、家に入って財布を持ってくる。
戻ってくると道路の曲がり角に黒っぽい男の姿が見えた。
自分ではなくそちらに視線を向けたのに気付いたおばさんは、同じ方を見ながら「この頃変なヤツがウロウロしているのよ」と眉をひそめた。
「でもあなたなら大丈夫みたいネ」と続けた。
「お義姉さんみたいに道着は着ないのね」に「流派が違いますので」と返す。
「魔女です」とは言えない。
「それでスタイルがよろしいのネ! おほほほほ!」と不敵な笑いで帰って行った。
スピーカーと噂されているおばさんに言いふらされるだろうが、別に何とも思わない。
その日の午後、一つ目の事件が起きた。
隣に住む中学生の娘さんが自宅の近くまで来た時に、先程の男に襲われたらしい。
「キャー!」という叫び声に、ナオミは2階の窓から飛び降り、庭を駆け抜け、塀に手を掛けて飛び越え、男の顔面に蹴りを放り込んだ。
男はそのまま吹っ飛んで動きを止めた。一応生きてはいるようだった。
その女子中学生は「お姉さん!素敵!!」とナオミにしがみついた。
町内会費を集めに来ていたおばさんも当然現れて、隣のおばさんに「ネ!凄いでしょ」と話していた。
後から俺が聞いたところでは、警察から「表彰します」と言われたが、辞退したらしい。
ナオミは近所のおばあさんに気に入られている。
おばあさんは俺の母親と漬物仲間で、ナオミを仲間に引き入れようと思ったのか、ぬか漬けを教えている。
「長い指は便利ね」と褒められてぬか床のかき混ぜをよくやらされているらしい。
最近は慣れたようだが、はじめの頃はぬっちゃっとした感触に涙目になっていた。
二つ目の事件はそのおばあさんのお宅で起きた。
先日隣の女子中学生を襲った男は、昼間年寄りだけがいる家を物色している強盗集団の仲間だった。
おばあさんは娘夫婦と同居しているが、昼間に一人になる事が多い。
昼間だし、道路に面した家なので安心だと誰しも思う。
強盗集団は、捕まった男が色々喋ってしまう前に犯行に及んだ。
丁度ナオミが駅から自転車で帰ってきたとき、おばあさんの家の前にナンバープレートの取り付け方に違和感のあるワンボックス車が停まっていた。
自転車を自宅において、どうしても嫌な予感がよぎり、ダッシュでおばあさんの家に向かう。
何故か粉々にする前のコンクリートブロックを両手にに掴んで。
おばあさんの「ギャー!」という叫び声、両の手が同じ様に使えるナオミは、左手のブロックをワンボックス車の後部扉の窓に投げつけた。
あまりのスピードに後部扉の窓ガラスは、砕けて車内に全てが飲み込まれた。
当然大きな音が発生し、家の中に押し入った男達5人は、慌ててワンボックス車に戻った。
ナオミの右手から放たれたブロックが2人の男を弾き飛ばした。
仲間意識が高いのか、2人を残して自供されると困るのか、強引にサイド扉から倒れた2人を引きずり込んで、急発進していなくなった。
ナオミは家の中に飛び込んでおばあさんを探す。
殴られたのか頭から血を流している。
側にあった固定電話で救急車を呼んだ。
後から入ってきた隣の女子中学生に、警察への連絡を頼んだ。
救急車におばあさんと一緒に乗り込んだナオミは、涙をこらえておばあさんの皺だらけの手を握っていた。
病院に着くと、おばあさんの住所、氏名、年齢、血液型等をスラスラと答え、必要書類に記入した。
持ってきたおばあさんの被保険者証と高齢受給者証を病院の事務担当者に渡した時には、病院の全ての人は実際の孫だと疑わなかった。
程なくして、おばあさんの娘夫婦が到着した。
おばあさんの被保険者証を入れていた引き出しの表に「被保険者証は持って行きます ナオミ」と付箋紙を貼っておいた。
その付箋紙を握ったままのおばあさんの娘さんに「ありがとう」と何度も言われた。
ナオミの行動が早かったお蔭で、特に被害はなくおばあさんも軽傷で済んだ。
頭部の怪我と言うこともあり、様子を看る為入院となった。
おばあさんとの別れ際に「ぬか床を毎日かき混ぜてね」と元気な声で言われて、ナオミは安心の涙を拭った。
おばあさんは現金を家におかず、ぬか漬けを教えてもらった代わりにナオミが教えたインターネットバンキングを使っていた。
「逆にお金が見つからないと分かった犯人は、おばあさんにもっと酷いことをしたかも知れない」。
家に帰った後、先日の事件で顔見知りになった警察官に、現場検証の際そう言われた。
ただ、前回表彰を断ったが、「今度は断らないでくださいね」と釘を刺された。
どうしても我慢が出来ない。
あの犯人どもを野放しにしておく事は、ナオミには絶対に許せない事であった。
何としても探し出して、ぶっ殺す!
その怒りが、ナオミの周りに炎のように立ち上がった。
愛する旦那を迎えに行く時間が近づき、収まらない気持ちを冷たいシャワーで抑えて、駅に迎えに行った。
穏やかに微笑み、駅の改札の近くで旦那様を待つ。
いつもと同じ時間の電車で到着した旦那と手を繋いで、楽しい我が家に帰った。
夕食の後、コーヒーを飲みながら今日あった事件のことをナオミは話してくれた。
「ありがとう、ご苦労様」と言われて笑顔で返したナオミであったが、何かを感づかれてしまった。
「大概の事は心配しなくても大丈夫だと思っているけど、無茶だけはしないでくれよ、可愛い奥さん!」
殆ど消えてはいるが、何か炎の残りを感じた俺の一言に、ナオミはちょっと驚いた様に頷いていた。
二度目の事件から暫く経った頃、おばあさんの家で、消えない頭の怪我を見る度、涙が出るナオミであった。
「大丈夫だよ」と優しく頭を撫でられて、可愛い笑顔でおばあさんとお茶を飲んでいた。
家に戻ったナオミはパソコンをいつもとは違って、強めに叩いた。
ビクっと動いたパソコンは直ぐに立ち上がった。
キーボードも叩かずに「あいつら!」とだけパソコンに向かって、低めで且つ強い声で指示を出した。
瞬時におばあさんを襲った悪党どものアジトが映し出された。
「いつならあいつら全員が揃っている?」
画面の真ん中に、日付と時間が表示された。
パソコンに表示されたその日のその時間、都心の裏通りに黒いサングラスと黒いマスクをして、身体の線が強調された黒いミニスカスーツの女が立っていた。
結構車が行き来し、人通りが多い。
まさかこんな都心に強盗のグループが潜んでいるとは思えないような環境である。
地下は喫茶店、1階は貸店舗、2階以上は貸事務所である10階建てビルの4階の扉の前に女はいた。
ガチャッと音がして入ってきた女に、殺風景な事務所にいた13人の男が一斉に女を見た。
13人の皆全員が見たことが無い女で、顔は分からないが黒いハイヒールをはいて180cm近くの身長と、ため息が出るほどのスタイルをしていた。
一人が下卑た笑いを浮かべて、「おねーちゃん、何のようだ? 遊んでやってもいいぜ」とヨダレを垂らさんばかりに話しかけてきた。
一番奥にいてふんぞり返ったオヤジが「ここじゃ女関係はやってねえんだ。紹介してやってもいいが、今夜付き合ってもらってからだがな。」
オヤジが言い終わると、女は「じゃあ、ここでは何をしている?」と言ったが、思ったよりも色っぽい低い声に、身震いする男もいた。
「さあな」とだけオヤジがいうと、「じゃあ仕事は強盗か?」と言う女の声に、座っていた男達も立ち上がった。
黙ったまま、女は右の人差し指をクルっと小さく回した。
事務所にいた全ての男達が壁にはじけ飛んだ。不思議なことに全員床に足は着いていない。50cmほど浮いたままだ。
何かに言おうとした男の口からは、血の塊が飛び出てきた。
女が指がもう1回まわすと、更に男達は壁に押しつけられ、メキっという音と共に顔や胸や腹から血が噴き出した。
薄いTシャツを着ていた男の胸は奇妙にひしゃげ、肋骨が内側にめり込んで肺に刺さっているようだった。
ある男の腕は関節では曲がらない方向に曲がり、他の男の足は太いズボンからも分かる位ねじれていた。
全員が再起不能な状態になっていることを確認し、女は指を鳴らした。
締まっていた金庫の扉は開き、中の札びらが飛び散った。
元々無かった筈の、血の付いた鉄パイプやナイフや日本刀も転がっていた。
小さく「うん!」と頷いた女は、10cm以上高さのあるハイヒールで扉を蹴った。
ハイヒールではなく、鉄パイプで壊された様になった扉は、その網入りくもりガラスが砕け散り、「・・商事」の部分のガラスだけが辛うじて残っていた。
女が出て行くと、宙づりのままだった男達は床に落ちた。
爽やかな微笑みを浮かべて、ナオミはいつもの駅で俺を待っていた。
手を振りながら改札を抜けた俺と、手を繋いで家に帰った。
まあいつものことだが、気分良さそうに鼻歌をうたいながら、俺の前を颯爽とペダルをこいでいた。
うちに帰って、楽しい夕食も終わり、リビングでのコーヒータイム。
テレビで、近くのおばあちゃんの家に押し入った強盗が逮捕されたとのニュースが流れた。
逮捕された連中は死んではいないが、かなり酷い状態だったらしい。
金が原因の内部抗争らしかったが。
「ナオミ、この前の強盗の犯人が捕まったらしいよ」というと、「良かったわね」と笑っていた。
お風呂から上がってくつろぐナオミに「うちの奥さんは強いけど、無茶はしないでね」と言って風呂に入った。




