13 原宿
原宿
土曜日、原宿に鞄を見に行く。
ナオミの使っている鞄は俺が昔使っていたいわゆる「オフル」だ。
吉田カバンの革仕様の男物で、縫製はしっかりしていて丈夫だが無骨で重い。
「これが良い。大好きだから」と言って譲らないが、原宿でデートも出来ると言うと二つ返事でOKとなった。
毎日俺より早く起きて朝食を作り、俺と一緒に出かけてジムで運動までして、帰りも迎えに来てくれている。
流石の魔女も疲れていて、土曜日くらいは早起きをさせたくなかったが、いつもより2時間遅く起きたが俺の横で寝ていた。
このまま寝かせておこうと思っていたら、ガバッと起き上がって寝具を片付け慌ただしく階下に顔を洗いに行った。
呆れるほどの手際の良さで朝食を用意し、いつもの笑顔で俺が来るのを待っていた。
朝食を食べ終わると鼻歌を歌いながら食器を片付けている。
どういう訳か、どんな小さい声でもナオミの声は俺には聞こえる。
それを分かっているのかわざとか、小さく籠もった声だが良く耳を欹てて聞いてみると「おデート!おデート!」と歌っている。
「車で行く?」と聞くと、胸の前で長い腕をバッテンにされて却下。
「歩き!」と答えられて、電車も使おうと提案し了承された。
もう一つ提案したのが駅までの自転車使用。帰りに夕食の買い出しもすると言う事で渋々OKをもらった。
多分俺が居なくて彼女一人だけなら、荷物は自宅まで魔力で送ってしまうのだろう。
俺以外の人間が見ていないのなら魔力を使っても良いと思うのだが、何故遠慮しているのか分からない。
渋谷から一駅で原宿に到着。
吉田カバンの店は青山通りの方が近かったが、歩きたいとの要望で原宿駅の竹下口から竹下通りへ。
吉田カバンのお店の開店時間は12時なのでノンビリ散策。
朝食が遅かったので鞄を見てから食べようということで、あっちを見たりこっちを見たり。東京出身のおのぼりさんを実践。
12時ちょっと過ぎに吉田カバン到着。メイン通りからちょと入った辺り。
洒落たショールームで、広いスペースの割に商品数を控えているのでユッタリ感が溢れている。
軽く明るい可愛いのを勧めるが、気に入らない様子。
結果的に何も買わずに見るだけ見ていると、年嵩の店員が声を掛けてきた。
「お嬢さん、何かお探しですか?」
ナオミが肩から提げているタイプは生産終了とのこと。修理の関しては対応しますとパンフをもらった。
ナオミは「ありがとう」とお嬢様風にお礼を言って店を出た。
「本当に買わなくても良かったの?」と聞くと、昨夜と同じ答えが返ってきた。
「これが良い。大好きだから」と。
吉田カバンの近くにある喫茶店に入る。
元格闘家がオーナーらしいが奥で仕事中らしい。
人気店らしく混雑していたが丁度空いていた奥の席に座って、お勧めのサンドウィッチのセットを二つ注文。
テーブルの間隔が広く気分の良い店である。
運ばれてきたお勧めのサンドウィッチも、原宿(地籍は神宮前?)価格だが十二分に美味しく、当たり。
サンドウィッチを平らげたあたりでナオミが化粧室へ行った。
周りを見渡すと殆どカップルか女性同士の客だが、化粧室の扉の近くの席だけチャラい兄ちゃんの3人組。
化粧室から出てくる女性客を値踏みしながら声を掛けている。
本来こんなことは出来ない店の様だが、元格闘家の店主がいないのを確認してやっているようだ。
俺たちが座っている席は丁度化粧室から一番遠い席で、お馬鹿3人組がどんな言葉を化粧室から出てくる女性客に掛けているのかは分からない。
ナオミが化粧室から出てくる。入店した時もそうだが、殆どの客と店員の視線はナオミに注がれていた。
いつもの事なので、気にならなくなっていた。
化粧室から出てきたナオミに3人組の一人が立ち上がって声を掛け、腕を掴んだ。
他の客や店員が注意しようとしている様子が見えた。
他の人間には分からないようだが、俺の目にはナオミから魔女の炎が立ち上がっており、目の色が赤く光っていた。
何が起きたか分からないうちに、ナオミの腕を掴んだ男の両腕が背中側にねじ上げられた。
それに気付いて立ち上がろうとした他の男二人は、椅子に座ったまま後ろに思いっ切り飛ばされた。
よく見ていても分からなかったかも知れないが、一蹴の間に男二人を蹴り飛ばしていた。
二人はしこたま後頭部を打って気を失っていた。
20年近く、姉貴が巻き藁を打ったり蹴りを入れていたのを見ていた。
そのお蔭か動体視力はずば抜けて良かったが、ナオミが足を動かしたのは分かっただけで、スピードは姉貴の数倍以上であった。
「やばい!」と感じて止めに入ろうとすると、ナオミが多分魔力で男達だけに声を掛けていた。
「次はぶっ殺す!」いつもの声のトーンではない、地獄の底からの低い声だった。
声は3人組と俺だけに聞こえたようで、他の人には室温が一気に下がったような感覚だけを感じたようだ。
3人の股間は、恐怖のあまり失禁しているのが分かった。
カウンターの後ろから元格闘家のマスターの声が掛かり、ナオミの怒りは多少抑えられた。
3人組はそれぞれの財布から1万円札を震えが止まらない手で、「迷惑料込みです」と、やっと絞り出した掠れた声で店を出て行った。
「お嬢さん」とマスターがナオミに声を掛けるより早く、カウンター近くを占領していた女子高生6人組がナオミに群がった。
「オネーサン!素敵!」「格好良かった!」と口々に黄色い声をあげ、呆然と立ち尽くすマスターにスマホを渡して、ナオミとの撮影会が始まった。
ひとしきり撮影会が終了して、優雅にナオミが席に着いた。
暫く間があって、我に返ったマスターが「申し訳ありません」と謝ってきた。
まずナオミに向かって一礼して、相方の俺にも一礼した。
思わず「大丈夫ですよ。
俺の奥さん強いから」と言いながら押しとどめようとした。
「ご結婚されているんですか?」と驚きの大きい声をあげられた。
カウンター近くの先程の女子高生6人組から一斉に「エ~!」という大合唱が起きた。
ナオミと俺を見比べる視線が痛い。
残っていた冷めたコーヒーを飲み干して、「帰ろう」と声を掛けた。
事前に丁度の金額を用意していたので、レシートを持って会計に向かう。
「本日はご迷惑をお掛け致しました。お代は結構です。」と言われた。
帰ることを知った先程の6人組の「キャー!」の声に、満面の笑みで振り返ったナオミが腰のあたりで手を振った。
「ハア~!」と客と店員全員のため息が聞こえた。
ナオミの満面の笑みにあてられて「ごちそうさま」と話しかけられた受付の店員は、ボーっとしたままだったのでお金を置いて店を出た。
暫く腕を組んで歩いていたが、男3人を叩き潰したので満足げな顔をしていたナオミが、何か気付いたのか俯いてしまった。
「ごめんなさい」
「私が男達に言った言葉は聞こえたよね?」
「あの声を聞いた人は、皆私から離れていくの」
周りを確認して人が居ないところにナオミを引っ張っていく。
両肩を強めに掴むと、涙で潤んだ瞳の奥を見つめて、言った。
「格好良かったよ、俺の奥さん!」
ナオミが何かを言う前に唇にキスをして黙らせた。
表通りに出て地下鉄に乗ろうと右に曲がろうとすると、左側に引っ張られた。
原宿から帰りたいのかなと思い坂を下る。
いつもより強めに組まれた腕を反対側の手でポンポンと叩く。
そのまま明治通りを過ぎ、神宮橋の交差点を駅方面に渡る。
原宿駅に行こうとすると腕を引かれてそのまま直進する。
ナオミが代々木公園入り口前で、飲み物の露店販売からラムネを2本買って1本を俺に渡した。
ナオミは一気にラムネを飲み干して手の甲で口を拭った。
俺も一気に飲もうとしたがビー玉が突起に引っ掛からず出口を塞いでしまって、瓶の向きを考えながらチビチビ飲んだ。
露店のおっちゃんから「男女逆だね」と笑われてしまった。
ナオミはそのまま代々木公園内の空いている木の根元にシートを広げる。
この大きさのシートがあの鞄からどうやって出てきたのか不思議だったが、ナオミのすることなので不思議でもない。
ナオミは靴を脱いで身体を伸ばし、両腕を後ろに伸ばして全身で太陽を浴びる。
俺も同じ格好をしてみたが、身長は多少ナオミよりも高いが足の長さが違いすぎる。
上半身はそのままで、足を曲げておくことにした。
「この鞄のどこが気に入ったの?」
太陽を浴びながら目をつぶったままで「あなたの匂いがする」。
最初は気に入って使っていたが、収納能力が少ないのでそのまま壁の飾りになっていた。
汗の臭いじゃないだろうなと不安になったが、ナオミが気に入っているので問題無し。
太陽光の充電が終わったのか、ナオミの「行こう」で出発。
手際良く畳まれたシートがすんなりナオミの鞄に収まった。
そのまま代々木公園を抜け、NHKの駐車場の横を通って井の頭街道を渋谷に向かう。
NHKの駐車場で高級車に乗りろうとしていた週刊誌にもよく出ているプロデューサーが、車に乗るのを忘れてナオミを目で追いかけていた。
ナオミはそれを無視するように、俺の腕に腕を絡ませたまま前だけを向いて歩いて行った。
井の頭街道のハンズの先辺りで右に曲がり、東急本店前から坂をあがってマークシティの裏に出た。
そこからマークシティの中を通って岡本太郎の絵を眺める。
「へ~!直接3階に出るんだ」と言いながら、絵に興味を示していた。




