129 ちょっと昔話
ゆたかの家族の昔話です。
ですから、そんな昔ではなく、「ちょっと昔」です。
まず、ジイジです。
ゆたかやゆたかの従弟のつよしが釣り、それもフライフィッシングが好きなのは、ジイジの影響です。
ジイジがまだ結婚していない頃のお話らしいです。
世の中の煽り運転、依然として減りません。
昔から「煽り運転」はありました。
今と違って、大型トラックに煽られたと言う話が多かったと思います。
早朝など、交番がある交差点を、平気で信号無視をするダンプトラックは多かったと記憶しています。
走っている車の量も、今よりは少なかったのです。
ドライブレコーダーの映像やSNSへの投稿も出来るので、知らない人の目にも触れる事が多くなったのだと思います。
3車線ある様な高速道路で、走行車線が空いているのにず~っと追い越し車線を走り続けている車は、煽られても仕方が無いと思います。
「通行帯違反」という違反行為をしているのに気付かないのですから、煽られても仕方がありません。
円滑な通行の妨げをして、”利己的な運転”をしているのですから ・・・
以前聞いた話では、ドイツのアウトバーンでは速度無制限のところがまだ残っているらしいのです。
そんな道路で、日本でいう”コンパクトカー”がチンタラと追い越し車線を走っていると、当然の様に煽られます。
本当は煽っているのではなく、チンタラ走っている車が他の車の通行の邪魔をしているのです。
チカチカとパッシングを喰らってルームミラーを見ると、ルームミラーいっぱいに”スリーポインテッドスター”が見える状態になっていたりするらしいのです。
”コンパクトカー”が慌てて転がる様に車線を変更すると、「ゴワーン!」と大きいエンジン音を残して、大排気量の”おベンツ”が走り去っていくそうです。
日本の場合も同じで、法定速度と言いながら、追い越し車線をチンタラ走っている車を見かけます。
そういう輩に限って、スピードメーターなど見てもいません。
そんな車によって、緩い連続した上り坂では”無駄な”渋滞が発生します。
同じアクセル開度を保っていたのでは、速度低下を起こします。
東名高速の大和トンネル付近は、それの有名なところです。
そして、他の車の走行を邪魔しているのにも関わらず、「煽られた」と言う人がたくさんいます。
どういう訳か、そういう人に限って、クルーズコントロールは使わない様です。
SNSに「煽られた」と投稿している人に、追い越し車線を走っている映像が物凄く多いのが分かります。
そんな車に限って、走行車線はガラ空きです。
ガラ空きだから「何処を走っても良いだろう」と考えている様です。
でも、間違いなく「法律違反」です。
「通行帯違反」なのです。
交通法規の本に記載されているのです。
知らないと言うのならば、「高齢だから運転免許証を返納した方が良いといわれている人」よりも、「今直ぐにでも運転免許証を返納した方が良い人」だと思います。
法律を守れない人だからです。
自分勝手にルールをでっち上げられては、他の人が迷惑です。
ルールという言い方をしていますが、「法律」なのです。
でも残念ながら、どういう訳か「煽り運転」を楽しんでいる人もいる様です。
「通行帯違反」を平気でする人と同じで、自分勝手にルールをでっち上げる事が好きな人なのでしょう。
ジイジは、昔、冬になると山梨県や長野県の湖に釣りに出掛けていました。
東京を夜の午後10時か11時に出発して、現地で車中泊をして、夜明け前から釣り開始をしていました。
ワカサギ釣りではなく、フライフィッシングで大物狙いです。
殆ど”坊主”でしたが、「綺麗な空気を吸えて満足」でした ・・・ 勿論、悔し紛れの言葉です。
ジイジのお好みは、山梨県では”本栖湖”と”忍野”でした。
昔の忍野の川は、漁協が管理を放棄していたので、物凄い状態でしたが何とかではなく面白い釣りが出来ました。
魚がいるポイントが「倒木」なら良い方で、川に棄ててある「自転車」や「陶器の便器」とかでした。
勿論、漁協が入っていなので「無料」でしたが、チョークストリームの川なのですが、障害物が多く、お陰でオイシイ思いも出来ました。
当時は、「川はゴミ捨て場」と思われていたらしく、川の中だけではなく、川の周りも”それなり”でした。
夏場よりも冬場の方が、雪でゴミが見えないので「素敵」だったのです。
その時ジイジは、勝手知ったる川の近くの空き地に車を止めて釣りをする為に、車を走らせていたのです。
高速道路のICを出て、国道を走ります。
当時はまだ、ETCなどが無い時代で、現金での支払いです。
後で、いくら確認しても、お金が足りない事がありました。
千円札の間に五千円札を挟んで、渡してしまった様なのです。
冬の真夜中ですから、渡す方も、渡される方も、短い時間で終わらせたいと思ったのでしょう。
ジイジはそれまで千円札と五千円札を一緒にしていた様ですが、それからは千円札と、五千円札と、一万円札は別々に管理する様になったのは言うまでもありません。
そして、高速道路を使う場合は、事前に準備する様になったそうです。
まあ、一万円札でなくて良かったとするしかなく、「五千円」の授業料はチョットお高かったのです。
現在の物価を考えると、当時の五千円は今の一万円以上の使い勝手があったのですから ・・・
現在のETCは、ジイジにとって有難い装置だと思います。
当時のジイジの車は、釣りの為にお金を貯めて買った4WDのワンボックスなのです。
その頃のジイジの「マイルーム」だったそうです。
ジイジ曰く「書斎」だそうです ・・・ ?
今と違って、スライドドアーは左側だけで、”オート”ではなく”手動”です。
でも、サンルーフをオプションで付けていて、それを開けて晴れた冬の空を眺めていた ・・・ 訳はありません。
ジイジは冬の湖でも立ち込んで釣りをしますが、寒いのは嫌いです。
でも、熱いのも嫌いな様で、汗っかきです。
そこは、孫のゆたかも似てしまいました。
おとうさんはそうでもないので、隔世遺伝の様です。
さて、道路は前日までに降った雪で轍が出来、少し凍結もしている様でした。
パワーステアリングでも、ハンドルから感じる前輪の状況は、よく分かるジイジなのです。
伊達に、真冬に長野や山梨には行っていないのです。
4WDをロックにして、標識の40kmを少しオーバーするくらいで走っていました。
4WDをロックにしないと、車が安定しないと感じたのです。
暫く走ると、後ろの車が近付いてきました。
雪道で前の車に近づき過ぎると危険なのですが、お構いなしの様です。
ジイジの車が轍を踏んで、走り易くなっていたのかもしれません。
当時の車なので、後ろの扉に後方直下を確認するミラーが付いていたので、結構接近しているのが分かりました。
今の車ならバックモニターなので、バックギアに入れないと後方確認は出来ません。
ジイジの車に近づき過ぎている所為か、ルームミラーでも運転手と隣に座っている人も確認出来ました。
若い兄ちゃんと姉ちゃんです。
M社の赤い車です。
4WDでもロック状態で、法定速度で走っていたのです。
法定速度とは言っても、夏場の速度設定です。
冬場の、それも多少凍結し始めた積雪路面としては早い方です。
あろうことか、赤い車がパッシングをしてきたのです。
国道ですが、1車線です。
追い越し禁止のところですが、標識だけで道には雪が積もっています。
黄色い路上の線は見えませんし、他に車はいません。
ただ、赤い車は対向車線に出る勇気はない様です。
道路中央の積雪が多く、道路上も結構深い雪の轍だったからです。
暫く走っても、後ろの車はパッシングをしてきます。
ジイジは冬場だけでなく何度も通っている道なので、知らない人では雪で確認が難しいのですが、道路わきが広くなっている場所にウインカーを出して止まりました。
もし、運転している兄ちゃんが何か言ってきたら、ボコボコにしてやるつもりです。
当時ですから、今の様に防犯カメラなど無い時代ですし、雪で殆ど車が通っていないので、空手有段者のジイジにとっては好都合なのです。
姉ちゃんとチャラチャラ冬の雪道なんぞを走っている奴は、一発かましても良いと平気で考えていた「危険思想」の当時のジイジだったのです。
まあ、当時のジイジは「ジジイ」ではなく「にいちゃん」で若かったのですが ・・・
残念ながら?、赤い車はそのまま走っていってしまいました。
「つまんね~の」
そんな台詞を吐きながら再出発です。
アクセルを吹かしたりはしません。
流石のジイジも凍結路面の恐ろしさは良く知っていたのです。
今と違って、スキーがトレンドの時代でした。
中央道を使って、冬の湖に釣りに行こうとしていたジイジでした。
東京都と神奈川県の県境の「小仏トンネル」を抜けると道路上に雪が積もっており、チェーン規制が行われていました。
今では、そんな時期には輸送のトラックしかいませんが、当時はスキーに行く車で大渋滞でした。
何故大渋滞かと言うと、高速道路の本線上でタイヤにチェーンを巻いているのです。
ジイジは呆れながら、隙間を通って前に出ました。
今は死語になっている「アッシー君」が沢山いました。
運転手のアッシー君は、雪の中で一生懸命チェーン装着です。
でも一緒のお姉ちゃんは、車から出てくる気配はありません。
たまに傘をさしてくれているお姉ちゃんがいますが、それは”本当の恋人同士”なのでしょう。
そんな車の間をすり抜けて前に出ると、警察官が規制をしています。
寒い中、ご苦労様です。
ジイジは警察官に聞いてみました。
「4WDでマッド&スノーのタイヤだけど、チェーンが必要ですか?」
警察官はこう言いました。
「この先は雪が強く、除雪も間に合っていないので、4WDでもチェーンを巻いてもらっています。」
当時ですから、プラスティックのチェーンではなく、金属のゴツイ奴です。
因みに、金属チェーンは”消耗品”ではありますが、使ったら乾燥させてCRC556等を吹きかけておかないと、錆で”マッカッカ”になって寿命が短くなります。
チェーンを車に積んではいますがメンドイので、ジイジはこう言いました。
「相模湖東で、高速を降りるのですが。」
警察官。
「分かりました。お気を付けて。」
そうしてジイジは、国道20号線から相模湖の脇を通って、国道413号線の”道志林道”を進みました。
走っている車はいません。
今は明るい外灯が点いていますが、当時はところどころに電灯があるだけの、ほぼ真っ暗闇ですが、まあ、快適です。
雪道です。
車は4WDのオートモードです。
当時の車なので、ロックにするには、車から降りて、フロントタイヤのセンター部分にある装置を手で操作する必要があったのです。
でも、このくらいの雪ならオートモードで大丈夫と考えたのです。
神奈川県と山梨県の県境あたりは、結構な屈曲路です。
まだ、住宅が点在していて、ワインディングではありません。
それでも安全運転に努めます。
以前、長野の沢渡の広いところで、アイスバーンの上で車が1回転以上した事があったからです。
その時の車はスパイクタイヤでしたが、ハンドルを曲げてしまったので、修正が効かなかったのです。
幸い、他に車がいなかったので、大ラッキーだったのです。
道志林道は、以前はグニャグニャと人の家の軒先を通る感じだったのですが、バイパスの道が出来て、谷の様な場所に大きな橋が掛かりました。
真っ直ぐな立派な橋です。
当然、ジイジはハンドルも曲げたりしていません。
でも、道の具合なのか、轍の所為なのか、車が斜めになりました。
15度以上傾いている感じですが、焦っているので大きく傾いた様に感じたのかもしれません。
真っ直ぐな橋なので、ハンドルはそのままで、アクセルも吹かさない様に慎重に操作しました。
走っているというよりも、滑っているという感じです。
確かに大きく長い橋なのですが、もっともっと長く感じたのは言うまでもありません。
谷に掛かっている橋は、下から風を受けて温度が下がり、簡単にアイスバーンになります。
夜という事もあり、本当に「ブラック・アイスバーン」だったのです。
思いっ切り気を引き締めて、ジイジはその後の峠道を走ったので、焦ったのはその「長い橋」だけだったのです。
山中湖の湖畔に着いた時には、当時は24時間営業のお店も多くて、道も明るくて、本当に安心したそうです。
当時ですから車にはカセットステレオが付いていて、眠気防止に音楽を掛けていたそうですが、音楽の”音”を認識したのは山中湖に着いてからだったそうです。
”怖いもの知らず”のジイジですが、本当に緊張していたらしいのです。
思いっ切り横道に逸れましたが、赤い車がいなくなってからのジイジです。
慣れている道ですが、相変わらず安全運転です。
先の方に、雪の吹き溜まりが見えます。
人が二人、手を振っています。
よく見ると、煽ってきた赤い車です。
調子をこいたのか、雪の吹き溜まりに車が突っ込んでいました。
ジイジの車の後を大人しく走っていれば、こんな事にはならなかったのでしょう。
いつもなら、煽られたりしていなかったなら、牽引ロープも持っているので助けてあげるのですが、ジイジはこの様にして通り過ぎたそうです。
わざわざ、窓を開けて「手を振って」 ・・・
「ケータイなんてない時代でしょう? その後はどうしたの?」
と聞いてみましたが、ジイジはこう言いました。
「1kmくらい雪の中を歩けばコンビニもあるし、自分達で何とかしただろう ・・・ 」
ちゃんとシッペ返しを忘れないジイジなのです。
さて、次の「ちょっと昔話」はナオミです。
きららがナオミのパソコンを弄っています。
「待ち受け画面」を変更しようとしているみたいです。
きららが固まっています。
きららはナオミではなく、近くにいたハルミを呼びました。
「ねえ、 ハルミお姉ちゃん。 この写真、原宿のカフェから撮った写真だよね?」
ハルミ。
「そうね。 でも、今じゃないわね ・・・ 5年以上前じゃない?」
きらら。
「ふ~ん。 でも、カフェの外の男の人 ・・・ 」
ハルミ。
「あら? そうね。 この頃のナオミ姉だと、兄貴には会えない筈よね。」
ナオミが現れて、画面を確認しました。
「み、みんな、この画面見たの?」
ハルミ + きらら
「見たよ。 どうかした?」
ナオミ。
「な、何でもないわ ・・・ 」
ナオミが動揺しています。
ナオミは何事も無かった様に、ベビーベッドからゆういちを抱っこするといなくなりました。
きらら。
「変なおねえちゃん ・・・ 」
丁度1階のリビングには、ワンコのタロウとニャンコのクロしかいなかったのです。
ナオミは1階のリビングに行って、ゆういちに話しかけます。
「ゆうちゃん。 あの写真はね、ママがパパと会えなかった時に、偶然、原宿のカフェの前を通る人を撮ったの。」
ゆういちとタロウとクロが頷いている様に、ナオミには感じました。
「毎週土曜日の午後だったかな ・・・ 原宿のあそこの坂道を自転車で走って行く人がいたの。」
「もう、パパに会えなくなって4年近く経っていたかな?」
ここから、ナオミの回想になります。
ナオミは、ゆたかと自分自身に掛けてしまった魔法で、ゆたかに会う事が出来なくなっていたのです。
あまりに強力な魔法だったので、魔法を解く方法が思い浮かばないほどだったのです。
それから暫くしてナオミが大学生になった時、必ず行くところがあったのです。
そう、原宿のカフェです。
毎週土曜日の午後だったのです。
一人でコーヒーを飲みながら、窓の外を見ているだけだったのですが、毎日の様にゆたかと来ていた事を思い出したかったのかもしれません。
そんな時、窓の外を自転車で坂を上っていく”おにいさん”がいたのです。
”ドキ”っとしました。
ナオミの”お好み”だったのです。
でも、何故か顔は分かりません。
でもでも、そのおにいさんが自転車に乗っているのを見るのが好きでした。
でもでもでも、そのおにいさんが自転車に乗っているのを見ると、胸がドキドキしたのです。
でもでもでもでも、 ・・・
そのおにいさんに、ナオミは”恋”をしてしまったのです。
自分にはゆたかという”許嫁”の様な男性がいるのですが、ナオミはそのおにいさんが好きになったのです。
もう、ゆたかには4年以上も会っていないのです。
写真を見ないと、ゆたかの顔を忘れそうだったのです。
でも、ナオミの中のゆたかは、いつまで経っても18歳の高校生だったのです。
どういう訳か土曜日であっても、学生の”お休みの時”はおにいさんには会えませんでした。
そこでナオミは、毎週の様におにいさんの写真を撮ってしまいました。
その中でも、一番良く撮れていた写真をパソコンの待ち受け画面にしたのです。
そんな事があってから何年かすると、ナオミの恋したおにいさんは、原宿のカフェの前を通らなくなりました。
そんな話を、ゆういちとワンコのタロウとニャンコのクロに聞かせたナオミが、2階の部屋に戻ってきました。
ハルミがナオミに代わってゆういちを抱っこすると、きららがナオミをパソコンの前に連れていきました。
きららはナオミの右手人差し指を掴むと、何やら呪文を唱えます。
「さあ、おねえちゃん! その指で待ち受け画面の、この男の人の顔を触ってみて。」
そう言われて、ナオミは自分の意志とは関係ない様に動く、自分の右手人差し指に驚きました。
指が勝手にパソコンの画面に触れました。
今まで、ぼやけていた自転車のおにいさんの顔が、ハッキリとしてきました。
ナオミ。
「あれ?」
きらら。
「ほら、ハルミおねえちゃん。 大成功だったでしょう?」
ハルミ。
「流石、ららちゃんね ・・・ 」
そうなのです。
ナオミの様に”二番目に生まれた魔女”を除けば、きららは”最強の魔女”なのです。
ナオミが昔掛けた魔法が、待ち受け画面にも残っていたのです。
それを、きららが解いてしまったのです。
そして、現れた自転車のおにいさんの顔は ・・・ ”ゆたか”だったのです。
ナオミが恋したおにいさんは、ゆたかだったのです。
”ホッとして良い”のか、”残念”なのかは分かりませんが ・・・
ゆたかは大学生になってから、ウエイトトレーニングをしながら、大学に自転車通学をしていました。
ウエイトトレーニングや自転車通学は、ナオミを忘れる為だったのです。
電車で座ったりしていると、ナオミを思い出してしまいそうで怖かったのです。
大学では、毎年取れるだけ授業を選択してしまいました。
お陰でゼミ室で必死に勉強していないと、授業についていけない程大変だったのです。
工学部ですから実験もあり、レポート提出もたくさんあるのです。
ただゼミ室にいれば、授業で分からない事があっても、先輩はいるし関連書籍はそこいらじゅうにあったからです。
朝早くジムに寄って、そのまま大学に行って、夕方に自宅に帰って来るという生活でした。
夏休みなどの長期のお休みは、ゼミの教授の紹介で、建築現場でアルバイトをしていました。
勿論、自転車で朝にジムに寄って、建築現場で「実習」の様な仕事をして、家に帰っていたのです。
でも、土曜日の午後だけはゼミ室を教授達が使うので、早めに家に帰っていたのです。
毎日、同じ道を通っていましたが、土曜日なので違う道を通ってみたのです。
そのルート上に、原宿のカフェがあったのです。
坂が結構きついので、運動になると思ったのかもしれません。
きらら。
「やっぱり、おにいちゃんだったでしょう?」
ハルミ。
「顔が分からなくても、どう見ても兄貴だよね。」
ハルミに抱かれたゆういちも頷いています。
”ゆたか”だと気付かなかったのは、ナオミだけだった様です。
そんな感じのナオミの「ちょっと昔話」でした。




