127 苦手(にがて)
苦手
ゆたかの苦手なものは多くはない。
勿論、無い訳ではない。
まず、お酒。
体質的に合わないのかもしれない。
でも、飲めない訳ではない。
良くて眠くなって、寝てしまう。
悪い場合は、吐いてしまう。
度を過ぎて飲んでしまったのかもしれない。
絶対に駄目なのは、日本酒のお燗したもの。
焼酎でお芋が原料のもの。
匂いが駄目なのかもしれない。
ビールやウイスキーは嫌いではないが、少しの量で酔っぱらう。
安上りである ・・・ ?
お酒が好きな人は、人を誘うのも好きである。
図体が大きいゆたかであるから、そういう人の格好のターゲットのされる事が多かった。
学生の時はゼミ室に入り浸って、必死に勉強していた。
勉強が好きな訳ではない。
必死になって勉強しなければ、ついていけなかったからである。
取れるだけ授業を選択したので、そういう事になった。
つまり、自業自得である。
ただ、夏休みなどの長期の休みの時は、ゼミの教授の紹介で”建築現場”でアルバイトをすることが出来た。
実質的な”勉強”でもあった。
早めに来て机を拭いたりして、定時で帰った。
その所為か、お酒とかに誘われる事は無かった。
もしかすると、最初に「お酒は飲めません」と言ったのかもしれない。
会社に入って、お酒に誘われた。
昔の人は、お酒を飲ませておけば良いと本気で思っていた節がある。
特に建築会社で現場勤務である。
危険と背中合わせと言っても良い仕事である。
仕事が終わって緊張感から解放され、ハッチャケたいと思うのは当然である。
「僕は飲めません。」
ゆたかはそう言ったが、”酒飲み”は酒を飲めない人の気持ちが理解出来ないし、”見た目”でお酒を飲めると勝手に判断する。
何故か、学生の時の様にはいかなかった。
「取り敢えず、ビール!」
作者としては、「取り敢えず」と言う名前のビールが発売されないことが不思議である。
売れると思うのだが ・・・
喉が渇いていると、冷えた苦い飲み物は美味しい。
ゆたかが、グーっと、一気にジョッキのビールを空にしたりするから、次から次へと飲まされる。
空きっ腹にアルコールが染み渡る。
アルコールは、腸迄行って吸収されるのではない。
粘膜からも吸収される。
炭酸も同じである。
同じ量の水をジョッキで飲めないのは、そういう理屈であるらしい。
一気に飲む。
要は、酔っぱらう前、アルコールが身体に影響する前に飲めば、無駄の様にシコタマ飲めるのである。
チビチビ飲めば、コップ1杯のビールを30分近くかけて飲めば、その間にアルコールが回って、飲む量が少なくて済むらしい。
でも、そんな”シミッタレ”た飲み方が出来る呑兵衛は少ないと思う。
我慢が出来なくなってしまうと思う。
そんな訳で、シコタマ飲まされたゆたかは、眠くなって寝てしまう。
まあ、吐かれてしまうよりはマシである。
眠くなるくらいでお酒を止めておくと、意識が戻ると「何とか」家に帰れる様である。
「何とか」と付くのは、家に帰れるという事”だけ”である。
電車で座れたりすると、その路線の端から端迄、何往復もしてしまう。
午後7時台の電車に乗って、気が付くと、終電だったという事もあった。
貴重品は鞄に入れて、両手でガッツリ抱え込む様に持っているので、盗まれた事は無い。
もし、鞄を盗もうとしてゆたかの腕に触ろうものなら、歯止めの効かなくなった”筋肉の反撃”に遭うのは間違いないのである。
酔っぱらっている人間はの行動は、神経だけの繋がりで動いており、普通の状態の人間の様に、脳を介して”動きの指示”が出ていないのである。
自分の家で、たまに巻き藁を手で叩いたり、足蹴りをしたりしているゆたかである。
しかし、姉のヨーコが家にいる頃は、トレーニング防具の”キックミット”を持たされて、”突き”や”ハイキック”を受けさせられていた。
縦が1m近くある大型のキックミットなどではなく50cmほどだった為、姉の動きを見て瞬時にキックミットの位置を変えて、かわしていたのである。
お陰で、ゆたかの動体視力は発達し、瞬発力も優れているのである。
実際、空手の達人がどこかのキャバレーで飲んでいる時、酔っ払いと喧嘩になったらしい。
まあ、自分よりモテている奴に嫉妬して、酔っ払いが喧嘩を吹っ掛けたのである。
酔っ払いに比べれば、達人はまだ”素面”の様な状態である。
達人は当然空手の有段者であるので、一瞬、手を出しても良いのかを考えた。
その時、酔っ払いは、何の躊躇いもなく近くにあったガラスの灰皿を投げてきたという。
あまりの酔っ払いの行動の速さに、かわし切れずに達人は頭に怪我をしたらしい。
病院に行って痛い思いをするのか、警察に行って痛い思いをするのかの違いである。
ゆたかは、飲んだその日は、とにかく家にたどり着いて寝てしまう。
そこまでは、まあ、問題はない。
問題は次の日である。
一応、ゆたかは時間通りに出社してくる。
そこまでも、まあ、問題はない。
問題はその後である。
仕事をしない、いや、出来ない。
頭の回転が滅茶苦茶なのである。
そんな状態が1日続く。
ゆたかのアルコール解毒能力は、時間が掛かるのである。
復活するのは、退社時間になった頃である。
声を掛けても、「はい」以外の返事は帰ってこない。
目を開けているが、寝ているのと変わらない。
ゆたかと昨夜一緒だった者が、上の人間から質問される。
「昨日、彼はどうしたんだ?」
当然、こう返事をする。
「一緒に酒を飲みました。」
さらに質問される。
「どのくらい飲ましたんだ?」
当然、こう返事をする。
「このくらいです。」
大した量ではない。
でも、こんな状態の人間を現場に出す訳にはいかない。
こんな事が2度も続けば、ゆたかを酒の席に誘う者はいなくなる。
ゆたかが誘われても行かないのではない。
誘ったヤツは、次の日にゆたかの分も仕事をさせられるからである。
誘って奴が、責任を取らされるのである。
次に苦手なもの ・・・
ゆたかは食べ物の好き嫌いはない。
でも、これは駄目である。
熱いもの ・・・ ”猫舌”である。
麺類は好きなゆたかである。
でも、熱いラーメンも食べたい。
そして、こう注文する。
「麺硬め!」
冷ましている間に、麺がのびるのを防止する為である。
結婚してからは、ナオミと一緒にラーメン屋さんに行く事が多い。
ゆたかの頼んだラーメンは、ナオミが ”フーフー”してくれる。
勿論、”温度確認”と称して、シコタマ食べられてしまうのである。
ナオミは”猫舌”ではない。
ゆたかは女性恐怖症(気味)ではあるが、姉のヨーコや、ナオミの姉のヒロミの所為である。
「男勝り」と言う言葉があるが、ハラスメントの言葉である。
しかし、姉二人はこの「男勝り」である。
二人揃って、空手が得意で、二人ともヤクザの10人くらいなら、簡単に纏めて叩き潰したと言われている。
しかし、ゆたかは知っている ・・・ 本当はもっと強い。
そして女性であるので、弁が立つ ・・・ 口でも敵わないのである。
ゆたかは建築会社に就職して、現場勤務から設計部に異動になった。
水曜日に設計事務所へ打ち合わせに、原宿に行く。
打ち合わせの帰りに、いつものカフェで打ち合わせ内容を纏める。
魔女や鬼女や魔法使い、そしてその関係者だけが入れるお店である。
当然、お店の中は女性ばかりである。
本当は、マックかどこかでコーヒーを飲みながらパソコンを操作するつもりであった。
でも、カフェのオーナーのおば様に道で出くわして、カフェに連れてこられて、そのまま、毎週カフェに寄る様になった。
横にでかいゆたかではあるが、何故かお店に溶け込んでしまった。
殆ど女性しかいないお店であり、カフェである。
女の人が静かにお話をする筈はない。
でも、ゆたかは平気であった。
何故なら、ゆたかの家は、魔女や鬼女や魔法使いが良く訪ねてくる家だからである。
状況は、原宿のカフェと変わらない。
何故か、自宅にいる様で、安心出来るのである。
お陰で、女性は”苦手”ではないが、あまり興味もない。
ゆたかが唯一興味のある女性は、ナオミだけである。
まあ、それで十分である。
ゆたかは会社で主任になったので、新入社員や移動してきた社員に教える事も多くなった。
男性社員も女性社員もいる。
仕事に男も女も関係ない。
でも、たまに教えきれない事もある。
そう言うのは男性社員ではなく、女性社員である。
普通、人に教えてもらう時は、相手をリスペクトすることが大切である。
例え、そう思えない事があっても、その時に態度で示してはいけない。
それが「大人」である。
ある若い女性社員の教育を部長から依頼された。
縁故入社のお嬢さんである。
どこかの会社の偉いさんの娘さんである。
高校からお坊ちゃま・お嬢ちゃま学校に入学したので、勉強は出来た様である。
高校は女子のみで、大学は男女混合であった。
お嬢さんは普通は嫌いなのか、工学部の建築学科に入った。
可愛くて美人でスタイルも良かった。
工学部から始めて「ミス○○」にも選ばれた。
4年間、勉強もしたが、チヤホヤもされた。
就職の時に、有名設計事務所を選んだ。
ペーパー試験は上位であった。
でも、面接で落とされた。
態度が悪かったのである。
生まれて初めて、普通に扱われた。
小さい頃からチヤホヤされた。
そして、勉強もしたが、大学の時は特別にチヤホヤされた。
それが、就職の面接の時に、”普通”として扱われた。
設計事務所としては、至極当然である。
一人だけチヤホヤすれば、就職希望の他の女子や男子からもSNS等で、何を言われるか分からない。
お嬢さんは面白くなかった。
みんな、足を閉じて神妙にしているのに、一人だけ足を組んだ。
面接官が咳払いをしたが、そっぽを向いた。
自分をチヤホヤしないのが、我慢出来なかったのである。
こんな態度の女性を採用するほど、世の中は甘くはなかった。
有名どころの設計事務所は、同じ様な感じで、全て内定は取れなかった。
流石に親が心配した。
就職試験や面接の状況を聞いても、お嬢さんは本当のことを言わなかった。
お嬢さんはこう思ったのである。
「面接官て、みんな”ウザイ!”」
そのまま、花嫁修業でも構わなかったが、本人は設計が出来るところに就職するつもりはあった。
奥さんにせっつかれ、お父さんは知り合いに頼んで、スーパーゼネコンの設計部に、無理矢理縁故入社をさせた。
技術系新入社員教育は、工事本部の担当である。
毎年、出来の悪い新入社員はいるが、態度の悪いのは多くはない。
昔は”自信過剰”な人もいた様だが、近頃はいなくなった。
久々の態度の悪い新入社員が、その「お嬢」である。
とにかく、デスク上の教育が終わり、実際の現場での実習となるのが普通であったが、「お嬢」は態度に問題があった。
新人教育の”大元”は総務である。
たまに、ゆたかの姉のヨーコが確認に行った。
態度のデカいのが一人だけいた。
勿論、「お嬢」である。
ヨーコは物凄い”オーラ”を漂わせながら、そっぽを向いている「お嬢」の頭を素手で掴んで前に向けた。
「お嬢」は何かを言おうと思ったが、あまりの強力なオーラに負けた。
その後、新人教育担当の先輩社員から、ヨーコは度々呼ばれて、その都度「無言」で「お嬢」を大人しくさせた。
「お嬢」は、きっと、生まれて初めて「殺気」を感じたのであろう。
建築現場は、建物が出来上がる前である。
云わば、「危険と隣り合わせ」である。
「お嬢」を現場に行かせるのを危険と判断して、設計部に配属することになったのである。
そして、その教育担当にゆたかが選ばれた。
「お嬢」が設計部に異動してきた時、歓迎会が開かれた。
ゆたかは一次会の最初に乾杯しただけで、その後は参加していなかった。
勿論、ゆたかの飲んだのはノンアルコールビールである。
いつものパターンであり、誰も不思議に思わなかった。
飲み会では、設計部なので女性が多い。
美人でスタイルが良かろうが、同性であれば、チヤホヤする事は無い。
男性社員だけがチヤホヤしてくれた。
「お嬢」はそれで満足した。
飲み会の次の日も、男性社員はチヤホヤしてくれた。
ただ一人、そんな事をしない男性社員がいた。
ゆたかである。
そんな、男が教育担当である。
ゆたかとしては、美人でスタイルが良い女性は見慣れている。
自分の奥さんは「飛び切り」そうであるし、知り合いの女性は、ハッキリ言って、「お嬢」よりも”上”である。
ゆたかは、いつもの新人教育の様に、淡々と教えていく。
「お嬢」の顔を真近で見たりするが、何とも思わない。
強いて思うとすれば、自分の奥さんの方が、何倍も可愛いと思うくらいである。
女性の感は鋭い。
「お嬢」は、ゆたかが自分に興味がないのが面白くなかった。
いつも、チヤホヤして欲しいのである。
一種の”病気”である。
「お嬢」はワザとシャツのボタンを外したりしてみたが、ゆたかは興味を示さなかった。
ゆたかにとっては、「お嬢」の胸などは”平ら”でしかない。
ゆたかが思う女性の胸は、ナオミクラスの大きいオッパイなのである。
イライラした「お嬢」は、こう言ってしまった。
「ウザイ!」
小さい声であったが、シッカリ聞こえた。
どんなに一生懸命教えても、「お嬢」は同じ様に言う事が多くなった。
「ウザイ!」
ゆたかは早めに会社に来ると、新人教育の状況報告を必ず部長にしていた。
ゆたかは、相手の心理状況を判断するに優れていた。
一種の危険予知である。
特に女性の場合は、ゆたかはその能力が強くなる。
ゆたかは部長にハッキリと言った。
「彼女に教えきれません。」
どういう訳か、部長は驚かずにこう言った。
「やっぱりそうか ・・・ 」
部長は、工事本部が行った新人教育の状況を知っていたのである。
部長は、ゆたかの先輩の女性社員を呼んだ。
ゆたかが主任になった時、課長に昇進したお姉さんである。
「悪いけど、新人教育を、三浦君から引き継いでくれ。」
「はい、分かりました。」
お姉さんは、スンナリと了承した。
そして、お姉さんは「お嬢」のところに行って、こう言った。
「これからは、私が教えます。」
お姉さんは、ゆたかの教えていたところまでを再確認し、その次を教え始めた。
数日間は、普通に過ぎて行った。
しかし、「お嬢」はお姉さんにもこう言ってしまった。
「ウザイ!」
お姉さん、「お嬢」と並んで座っていたが、スックと立ち上がった。
そして、強く、低い声でこう言った。
「仕事なんて、みんなウザイんだよ!」
「今のあなたは教わっているだけで、仕事にもなっていないんだ!」
「これくらいでウザイと思うんなら、サッサと会社を辞めなさい!」
「お嬢」は言った。
「パ、パワハラだわ。」
「人の話も聞けない、教えている人に対して礼儀も辨えない。」
「そんな人が、パワハラなんて言う資格はないのよ!」
ビシバシとお姉さんは言い切った。
昼休みが終わると、「お嬢」は早退した。
最後っ屁に、お姉さんにお手紙を残していた。
「お父様に言いつけてやる!」
お姉さん、いや、課長はそれを部長に見せた。
部長は肝の据わった男であるが、ちょっと顔が曇った。
「お嬢」は偉いさんからの縁故入社だからである。
でも、課長は言い切った。
「後は、私が何とかします。」
2,3日過ぎて、「お嬢」は会社に出社した。
神妙な顔をしていた。
今までは、女子社員の沢山いる席の横であったが、お姉さん、いや、課長の横の席になった。
緊急早朝会議が開かれた。
議題は、「お嬢」の扱いだった。
課長から一言があった。
「これからは、この子は私が鍛え直します。」
「お嬢」は何も言えずに、ただ頭を下げた。
これで早朝会議は終了であった。
ゆたかは、折角コーヒーを会議室に持って行ったのに、飲む暇はなく、再び自分の席に運ぶこととなった。
顔には出さなかったが、「ホッと」したゆたかであった。
周りの連中の顔も、同じ様であった。
後で、部長に聞いたところによると、こうであった。
お姉さんの実家は、「お嬢」の父親が取締りをやっている会社の関係者であった。
それも、「お嬢」の父親よりも偉いさんで、尚且つ、「お嬢」とお姉さんは、遠い親戚だという事である。
お姉さんは、「お嬢」の”名前”で分かっていたらしく、出社しない「お嬢」の家に乗り込んだらしい。
お姉さんは、「お嬢」の父親を知っていて、「お嬢」一人ではなく両親も一緒にしかりつけたという事である。
そして、お姉さんは三人の前でこう言い切ったのである。
「私が、この子を鍛え直します。」
有無を言わせなかったのは、想像に難くない。
ゆたかは、厳しい女性には慣れているのであるが、「お嬢」の様な女性は苦手である。
そして、ゆたかは”変に揺れるもの”も苦手である。
車や飛行機、船に乗っても酔ったりはしない。
でも、以前、山中湖でスワンボートに乗り、湖の真ん中あたりに到着した。
離れていたが、遊覧船が通り、その波でスワンボートがユックリと揺れた。
微妙な揺れだったが、縦横に揺れた。
ゆたかは必死になって岸に戻った。
酔ったのである。
原動機も付いていないスワンボートで、それほどでもない揺れだったのに ・・・
ゆたかの苦手はそんなものかもしれない。
因みにナオミには苦手は一つだけである。
それは、ゆたかの”寂しそうな顔”である。
寂しそうな ”目”と言った方が良いかもしれない。
顔は笑っていても、目が寂しそうという事がある。
普段、会社に出掛けるくらいなら、問題はない。
でも、出張で1泊以上だと、出掛ける時のゆたかは寂しそうなのである。
「お土産を買ってくるね。」
そう言って笑って出かけるのであるが、目が寂しそうなのである。
ナオミは気になって仕方がない。
特に、ナオミが夜になってベッドに一人になると、我慢が出来なくなる。
そして、”瞬間移動”でゆたかの元に行ってしまうのである。
ナオミは、ゆたかが好き過ぎるのである。




