ハプニングがありました
怪しい二人組の慌てようは凄かった。私たちに向かってテーブルひっくり返すわ、他のお客様やウエイターに衝突するわで店は大混乱にっ。
何すんのよとか、がっちゃーんとか、お皿の割れる音やぶつかる音、お客さんの悲鳴がすごい。私はというとテーブルの下で震えていた。アナスタシアが、テーブル蹴倒された時にとっさに押し込んでくれたから。だから幸い怪我はなかったけど無茶苦茶怖いっ。
どれくらいたっただろう。震えていた私は誰かにゆすぶられた。店員さんだった。大丈夫ですかって。気付くと店内はかなり静かになってた。それでもビクつきながらテーブルの下からはい出す私。心臓がまだバクバクいってる。
まず目に飛び込んできたのはタマネギとサバまみれたマリニアの姿。大丈夫? って聞いたら、ビエエと泣きだした。うう、分かるよ、私も怖かったもん。するとマリニア、エグエグ泣きながらサバサンドがめちゃくちゃになっちゃったーと……、う、うむ、大丈夫そうみたい。
私はそろそろと身を起こして店内を見渡した。店員さんたちが、どうしようって言った感じでお互いに顔見合わせてる。床にはお料理とかがベったり。さっきの騒ぎで、服汚された人もいたみたいで、どーしてくれんのよと店員さんに文句言ってる。誰かが、憲兵を呼べとか言ってる。二人組の姿はない。
そこまで確認して、なんかほっとして私はへたりこんだ。怪しい人物を追いかけるとか、映画やドラマで見たことあるけど、あんなの絶対無理だ。まだ足に力が入らないもの。
と思った私は、ふと周りの景色に違和感を感じた。どうして違和感を感じるんだろう。
その原因はすぐわかった。
アナスタシアがいない。おトイレかなー。私も後で行っとこう。
私は何気なく店の外に目をやった。
店の外は、交通量が多い道路。そこをタップダンスのようにステップを踏みつつ車をよけながら渡ってる、長い銀髪の後ろ姿が見えた。あれ? どこかで見たことがあるような――。
私は身を乗り出し、目を凝らした。どこかで、見たことがあるような?
アナスタシアだ!
え? え? ちょっと待って!
どうして外にいるの?
まさかと思うけど、あの二人組追いかけてるの?
いや、そんな、いくら何でも。でも彼女ならやりかねない? もしそうなら止めなきゃ。だって危ないよ、不審者追いかけてくなんて!
アナスタシアが走る先に、あの怪しい二人組らしい背中が見える。私の不安は的中した。彼女はあいつらを追いかけてる。
待って、やめて、ああ、でも足が思うように動かないよ、私のヘタレ! それに店の外にいこうにもごたごたしていてなかなか外に行けない。そうこうしてるうちにアナスタシアの姿がどんどん小さくなって、車の波の向こうに消えて行った……!
「どうしよう、どうしようマリニア」
私がやっと言えたのはそれだけだった。気付いたら私、半ベソかいてた。だって泣いちゃうよこんなのっ。
「どぼじだの?」
マリネしたタマネギが、ぽろっ、とマリニアの髪から落ちる。私はしどろもどろになりつつも必死で状況説明。するとマリニア、もっと派手に泣きだした。アナスタシアがいない――!って。
私もつられて大泣き。周りの視線が痛いけど涙腺が言うこと聞かない。
「どうしました?」
そんな私達のとこに、さっき大丈夫って聞いてくれた店員さんの一人がやってきた。事情を知ると、落ち着かせるためか、お水を持ってきてくれた。いま憲兵さんが来るからねって。
そんなこと言われても、涙が止まらない。何でこんなことになっちゃったの?
アナスタシアが心配でたまらない。もし万が一のことがあったら。
手足がすうっと冷えるのが分かる。なのに心臓がまたバクバク言い始めてる。息が、息が苦しい。
と、その時だった。
「君ら、聖テンペレシオンスの学生さんだね?」
後ろから声をかけてきた人がいた!
振り返ると、濃ゆいブルーの制服を着た兵士さんだった。かなり若い。
「はい」
と二人で鼻詰まりの声で答える。
すると兵士さんの顔が厳しくなった。こんな遅い時間になにをしている。寮に帰りなさい!って。
時計を見るともう八時回ってる。やば、寮母さんカンカンだ、いや、今はそれどころじゃない。
「私が悪いんですぅぅ」マリニアが顔中涙にして叫んだ。「私が、私がギッバーサンドぐいだいっていうがらぁぁぁ」
気付くと彼女、しっかり食べかけのサンドイッチ握ってた。いつの間に……。
「キッパーサンド?」
私もですと泣きながら兵士さんに訴えた。私も、私も誘惑に勝てなかったエグエグっっ。
あのまま帰ろって言えばよかったんだ。
兵士さん、話が見えてこないのか困惑顔。すると店の人が代わりに説明してくれた。ありがとうございますっ。
それからの兵士さんの行動は早かった。ちょっと待ってと言って無線機を取り出し、どこかに連絡。そして私たちに、その子の特徴を教えてと言ってきた。そのさまがすごく頼もしくて、私も少し落ち着いてきて、マリニアと二人でアナスタシアの特徴を変わるがわる伝えた。すると……。
「もしかして、君らの友達ってアナスタシア王女?」
王女?
よくわかんないけど、アナスタシアであることには間違いない。
こくん、と頷いたら、その兵隊さんの顔色がみるみる変わっていった。皇太子殿下の婚約者だもの、そりゃそうなるよねと思ってたら、無線機から、見つかりました、と連絡が。
ヨカッタぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
ヨカッタヨカッタってマリニアと二人、手を取りあった。兵士さんもなんかホッとした表情になってた。良かった。
しかし。
「そうか。だったら今私のいる場所に連れて来てくれ。場所は」
その若い兵士さんが言いかけたのを、無線機の向こうからの声が遮った。とにかく来てください、大変なんです、お願いしますって。それは半ば怒鳴るような声だった。
ナンデスト?
だめだ、くらくらしてきた。これ貧血? たぶん今の私の顔、真っ青になってる。マリニアもだ。
すぐ行くという兵士さんに、連れてってとお願いした。ここで待ってなさいと言われたけど、とても待ってなんかいられないよ。
兵士さんに連れていかれたところ、そこは路地裏だった。
マリニアが私の腕をぎゅっと掴んできた。怖いのかな? だよね、生粋のお嬢様のマリニア、こんなところに来ることなんかないだろうし。
私は何度かある。帝都に遊びに来た時にお父様に連れてきてもらったから。でも別に危ない場所ってわけじゃない。ただの飲食店街の裏通りなんだけど、
ココもなんか見覚えがあるような、ないようなと思ってたら、なんか怒鳴り声が聞こえてきた。危ない、降りなさい、やめなさいって聞こえる。何何何?
私たちの前を歩いてた兵士さんがダッシュした。わーん、まってえっ、
現場は、狭い路地裏をずーっと入ったところにあった。私とマリニアはつくなり悲鳴を上げた。そりゃそうだ、だってアナスタシアが、足すくみそうなほど高い塀をよじ登ってたんだから!
じゅ、十メートルくらいありそう? 数少ないでっぱりに器用に足引っ掛けてる。
見上げる私の足がガタガタ言い出した。なななななな何をしてるのアナスタシア!
降りてきてくださいと下から兵隊さんたちが何とか彼女を説得しようとしてる。そんな兵隊さんたちにアナスタシアが私の邪魔をしないでと叫んでる。あっちに行ってよって。
やめてと声がなかなか出てこない。人間、あまりにも怖いと声がかすれるんだ。マリニアも同じだったみたいで、二人でひっくり返ったてんとう虫みたいにバタバタさせ、金魚みたいに口パクパクさせてたら、上からアナスタシアが怒鳴った。あいつら、この塀の向こうに逃げたのよって。
にに、逃げたって、えーっと、と塀を見ると扉がついてた。多分鍵がかかってるんだろう。かかって無かったらきっと彼女、こんなことしていない――、いや、そんなこと言ってる場合じゃない!
すると誰かが私たちを乱暴に押しのけた。あの若い兵士さんだ。彼はわしわしと塀をのぼり、その事に驚いたように目を見張るアナスタシアの首根っこをひっつかまえ、壁から引っぺがした。猫みたいに暴れるアナスタシア。兵士さんはそんな彼女を片手に抱いてと言うより担いでゆっくりと降りてきた。その間もアナスタシア、離しなさいよこの無礼者、と兵士さんをポカポカ。お願いだから暴れないでぇぇぇ。落っこちるよぉぉぉぉっっ。
やっと地面に降ろされるアナスタシアを見て、もう、もうなんかからだから力が抜けた私。マリニアなんか、また大泣きしちゃってた。
私達の処に、アナスタシア、腕を掴まれてまるで引きずられるように連れて来られた。いい加減離してよと訴える彼女に兵士さんは首を振った。
「そんなわけには行かないね。君がムチャしないと約束するまで」
「私がいつムチャしたのよ!」
「したじゃないか。あんなところから落ちたら死ぬぞ。分かってるのか」
「一兵士の分際で私に命令する気?」
アナスタシア、その言い方はさすがに相手に悪いんじゃ……と思ってたら。
ぱあん、と大きな音がした。
え?
ゆらーっと横に倒れかけるアナスタシア。私とマリニアの目が、まん丸になった。
何が起きたのか分かんなかった。アナスタシアが顔ひっぱたかれたと分かるまでちょっと時間がかかった。
大丈夫と駆け寄ろうとした私たちに、アナスタシアの前身から拒絶のオーラが! その雰囲気を察して私たちの足が止まる。いま近寄ったら間違いなく吹っ飛ばされる。
さっきとは別の意味で青ざめる私達。マリニアも私も互いに、いま何も言うまいと無言で会話。
冷や汗がタラタラ流れる。
ぶたれたアナスタシアの顔がみるみる赤くなる。兵士さんの方を見るとガチ切れしてしてた。こっちはこっちで目が、目が座ってるっ。
ひええっ。
「いい加減にしないか!」
と言うその兵士さんの声は怒鳴ってなかったけど、耳にビンビン響いて来た。彼は言った。だいたい君は女の子だろうと。女性が不審者を追いかけたりするなんて、返り討ちに会ったらどうするつもりだったんだと。相手に危害を加えられたらと思わなかったのかと。
恐る恐るアナスタシアの顔を伺う。砂色の目がらんらんと燃えてる。ウワワワ、何か言いそう。てか絶対何か言う。言いたい放題言われて黙ってる彼女じゃない。最悪張り倒し返す? だったら止めないと、いくらなんでも相手が悪すぎる。
ハラハラして見守る私達。アナスタシアはふんっ、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
「じゃあ言わせていただきますけど? 陛下のおひざ元で、陛下のお命をを狙っていたかもしれない人間を野放しにしているあんたたちはどうなのよ。職務怠慢ではなくて? 私に説教してる暇があったらあいつらを追いかけなさいよ!」
よ、よかった、実力行使はしないみたい。ほっ。
ああ、でも兵士さんは――。
マリニアと二人で、お目をきょろりとそっちにやる。
口元がクールに笑ってる。
つまりその、明らかに相手を小馬鹿にしてる。またそんな、火に油注ぐようなことしなくてもこの人……。
「素人の君に言われなくてもやってる。そんなことより、もう二度とこんなことはするな。いいか?」
素人とユーところに妙に力が込められてたのは気のせい?
するとマリニアがつんつん、と私をつついた。え? 何?
マリニア、そーっとアナスタシアを指さす。彼女はカタカタ震えながら言った。ヤバイと。
「私に二度も命令したわね……!」
めきめきめきっ、て音が聞こえた。何の音だと思ったらアナスタシアのこぶしの音だ。
わー、待って待って待ってと二人で彼女を押しとどめた。実力行使はだめぇぇぇ!
ウガーッと吠えるアナスタシアを止めようと三人団子状態の私達。そんな私達に、このじゃじゃ馬さんを連れて帰ってくれと兵士さんは言い、また小ばかにしたような笑みを浮かべて私達から去って行った。
結局その日は、大人しくその兵士さんの部下さんたちに送ってもらい、寮に帰った。
それにしてもあの人、凄い地位にあるんだな。だって他の人の態度が違ってたもん。
まあでも今の私は、アナスタシアが心配だった。帰り道ずっと黙ってた。あんまり喋るような子じゃないけど、それでも。
寮に帰ってそーっと部屋に行こうとした私達。元気がないアナスタシアを励ましつつ暗い廊下を歩いていたら――。
「貴方たち! こんな時間まで何をしていたんです?!」
見つかった……やばい。
それから一時間くらいコッテリ絞られた私たち。アナスタシアの身に起きたことを話したら、説教の時間がさらに長くなったアワワワ。
でも寮母さん、そのあとほっぺ冷やす氷を出してくれ、私達に暖かいミントティを作ってくれた。御茶請けに出してくれたのは、寮母さんお手製のとっときのクッキー。他の子には内緒よって。
ミントティの香りに、ジンジャービスケットがよく合う。三人で肩を寄せ合うようにしてお茶をすすってると、アナスタシアがゴメンネって謝ってきた。
「いいよ、そんなの」
私は言った。みんなが無事だった。もうそれだけでいいよって。
「そもそも私が余計な寄り道しよって言ったからだよ」
マリニアがしおらしくそう言いつつ、ジンジャービスケットをまとめて……コラコラコラ。
ちょっとそれ私のよとアナスタシア。
やっといつもの調子が戻ってきたかな。
散々な一日だったな……でもみんな無事でとにかくよかった。まる。