心の慟哭(どうこく)
馬車はすぐに見つかった……が、誰かが馬車の外で賊たちと戦っている姿が見える。
――ラリー!
いくらラリーの腕が立つと言っても、多勢に無勢。一人では、数には敵わないのだ。
私は、躊躇することなく魔法を行使する。
「誰だ! おまえ、どこから来……」
男たちは最後まで言わせてもらえなかった。
全員一斉に深い穴へ落ちたが、彼らが死ぬことはない……泥の落とし穴だから。
「ラリー、大丈夫? どこか、ケガをしていない?」
「マリベル!? どうして、こんな所に……」
馬車に寄りかかり肩で息をしているラリーを、とにかく座らせる。
パッと見たところ擦り傷や軽度の切り傷だけで命にかかわるものはなさそうだが、有無を言わせずポーションを飲ませた。
――ラリーが無事でよかった……
気を張っていた肩の力が抜け、自然と涙が出てきた。
突然泣き出した私に慌てつつも頭をぽんぽんとしながら慰めてくれるラリーに、思わず抱きつく。
彼の温もりが優しくて心地良くていつまでも自分から離れようとはしない私を、ラリーはずっと抱きしめていてくれた。
「マリベル……君はどうやってここまで来たんだ? アナベルは一緒じゃないのか?」
「…………」
「それに、あの魔法……君が行使したんだよな?」
「…………」
私を抱きしめながらラリーは次々と疑問を投げかけてくるが、言葉が出ず返事をすることができない。
ここまで見られてしまった以上もうごまかすことはできないし、最初から覚悟を決めて行ったことなのに、いざとなったら真実を告げる勇気が出ず怖じ気づいてしまった。
「マリベル……どうして何も答えてくれないんだ?」
「ラリー、私は……」
「……転移魔法を行使して、ここまで来た。我々の馬車に結界魔法をかけたのも、君なのだろう?」
馬車の中から、テディの冷静な声が聞こえた。
「テディは……どうしてそう思うの?」
「賊に襲撃されたとき、この馬車そして御者に彼らは一切手出しができなかったことが理由の一つ。それに、君はここまでどうやって来たのだ? 町からこの距離を移動するなど、早馬に乗らない限り絶対に無理だからな。それで、私は気づいた……君が魔女であることを」
「魔女って……マリベル、それは本当なのか?」
真っすぐに私を見つめるラリーは、信じられないと言わんばかりの顔だ。彼の困惑している様子がひしひしと伝わってくる。
ついに彼に正体を知られてしまったが、もう恐れるものは何もない。
「ラリー、今まで隠していてごめんなさい……」
私が変身魔法を解くと、彼は目を丸くした。
目の前でマリベルが大きくなりアナベルとなったことに、かなり戸惑っているようだ。
「マリベルは、もともと存在しない架空の人物なの。だから……あなたの申し出を、どうしても受けることはできなかった」
「待ってくれ……では、俺に正体が知られた今なら、受けてくれるということか?」
「それは……」
逃げようとしたがラリーに素早く腕を掴まれてしまい、強制的に正面を向けさせられる。
彼の空色の瞳は真剣で、私に視線を逸らすことを許してくれない。
「アナベル、俺は君を心から愛している。魔女だろうと何だろうと、君は君だ。だから……」
「私は魔女だから……人よりも長く生きる。皆が寿命を全うしたあと……一人取り残されることには…どうしても耐えられないの。だから……ごめんなさい」
強引にラリーの手を振り解くと、私は彼から離れた。
もうこれ以上傍にいると、自分の決心が揺らいでしまう。「はい」と、彼の申し出に頷いてしまいたくなる。
「ラリー、さようなら……」
私が転移魔法を行使しようとした、その時だった。
「我々の最後の計画を台無しにした、この悪魔め! 死ね!!」
木の陰から突然男が現れ、私にナイフを突き出した。
咄嗟のことに避けることも魔法を発動することもできない。
「アナベル!」
ラリーが剣で応戦し私は既のところで一撃は逃れたが、ラリーの攻撃はすべて弾かれている。
私の結界魔法のせいだ……男は、御者の一人だった。
すぐに魔法を解除し男を倒したが、ラリーの腕が切りつけられていた。
傷はかなり深いようで、血がポタポタと地面に滴り落ちている。
「ラリー! すぐに、ポーションを」
「ナイフに毒が……」
ラリーが吐血し、その場に崩れ落ちた。
即効性の毒が塗ってあったのか、毒の巡りが異様に早い。
体が痙攣しているラリーの口を無理やりこじ開けポーションを流し込むが、彼が飲み込むことはできない。
「お願い! 一口でいいから飲み込んで!!」
このポーションは師お手製のものだから、一口でも飲めば効果を発揮し回復する。そうなれば、もっとポーションを飲むことができるようになるはずだ。
「ラリー、お願い!」
私の悲鳴に近い叫びも、ラリーには届いていない。
体の痙攣は治まったが、今度は全く動かなくなった。
「ローレンス、しっかりしろ! 目を開けろ!!」
いつの間にかテディが馬車から降りてきていたが、なぜか髪色が違う。
以前は青色だったはずなのに、今の彼は輝くような金髪でまるで別人だ。
「私たちは…まだ…やらねばならぬことが…沢山あるだろう…国を建て直す父上を支えていこうと…約束したではないか…だから…死ぬな…」
テディの涙声は徐々に弱々しくなっていく。
何度揺さぶっても呼びかけても、彼から反応は返ってこない。
ラリーの唇は紫色になり、そして……ついに呼吸が止まった。
「ラリー、どうして……」
私は呆然と彼を見つめる。
さっきは窮地を救うことができたのに、なぜ最後にこんなことになってしまったのだろう。
私が御者に結界魔法をかけなければ、ラリーは死なずに済んだのだろうか……
私が自分の正体を正直に打ち明けていれば、こんな結果にはならなかったのだろうか……
私と出会わなければ、彼は今も生きていたのだろうか……
私さえいなければ、よかったのだろうか……
考えても考えても、答えは出てこない。
でも、一つだけはっきりとしたことがある。
――ラリーを絶対に助ける……
ラリーの亡骸にすがりつくテディの肩に、私はそっと手をかけた。
「テディ、ラリーから離れて……そして、今から私が行うことをしっかりと見届けてほしい」
「アナベル……何をするつもりだ?」
「『魔女の奥義』を見せてあげる。これが最初で最後だから、見逃さないようにね」
「止めろ! そんなことをすれば、其方も死んでしまうぞ!!」
「大丈夫! 私は師の言葉を信じているから……」
私は大きく息を吸い込むと、ラリーの口から直接体内へ空気を送り込む。自分の中にある魔力を集めて、それを全てラリーへ移すのだ。
彼の体が拒絶反応を起こさないよう、少しずつゆっくりと、しかし確実に体内へ行き渡るように……
最高奥義、『死者の蘇生』
師から弟子へ、口伝でのみ受け継がれてきた術だ。
もしかしたら、テディの言うように私は死んでしまい、もう二度とラリーに会えなくなるかもしれない。
それでも構わなかった。
ラリーには、生きていてほしいのだ。
生きて故郷を復興させ、彼が愛した『自然豊かないい国』をもう一度取り戻してほしい。
時間をかけて魔力の注入を続けていると、血の気が失われていたラリーの顔に赤みが差してきて、微弱ながら心音が戻ってきた。
――もう少し。あともう少しで、彼が目を覚ます……
先ほどから頭痛や耳鳴りがひどく、体の震えが止まらない。自分の体を支えているのも、やっとの状態になっていた。
おそらく、私の中の体内魔力が枯渇しかかっているのだろう。
ラリーの呼吸が戻ってきたことを確認した私は魔力の注入を止めると、フラフラする体を酷使してじっと彼の容体を観察する。
結果を見届けるまでは、何があっても倒れるわけにはいかないのだ。
しばらくすると彼の唇が少し動き、瞼がゆっくりと開く。
「……アナベ…ル」
声はかすれているが、彼は私の名を呼んでくれた。
それだけで、もう思い残すことは何もない。
「ラリー…愛して…る」
私の記憶は、ここで途切れた。