6.反撃
善住坊を捉えたと思ったが、土門の刀は、虚しく振り払われただけだった。
着物とその下に着込んだ鎖帷子以外に、まったく手応えが無かったのである。
「空蝉かっ!」
空蝉の術は、丸太や藁の人形を身代わりに、相手の虚を衝く忍術である。
(どこだっ!?)
土門やその下忍たちも、みな善住坊の姿を見失っていた。
通常、空蝉は爆竹や煙幕で相手の気を逸らし、その間に入れ替わる術である。
だが、いま善住坊が見せた技には、そうした囮が使われていなかった。
否。
忍術には、爪楊枝を飛ばして相手の気を逸らし、あるいは扇子で相手の顔を塞いだ隙に隠れるという「楊枝隠れ」や「扇子隠れ」などの術がある。
善住坊も、上着で三稜針を払った際、同時に伊賀忍たちの目をも奪っていたのであった。
「……むっ!?」
土門がほとんど天性とも言える勘で体をグルンと捻ると、元いた地面に八方手裏剣が突き刺さった。
「ぐあああぁーーーーっ!!」
「ごあっ!?」
続け様に、藁葺きの天井を突き破った手裏剣で、二名の伊賀忍が貫かれる。
「上だ! 屋根にいるぞ!」
土門の下忍たちが、上空目掛けて、無数の手裏剣を打ちまくる。
だが次の瞬間、天井からカキキキキンッ! という音がしたかと思うと、先刻放たれた手裏剣が勢いをつけて戻ってきた。
善住坊が、全ての投擲を刀で打ち返したのである。
「うわあぁーーーーっ!」
この反撃で、更に二人の伊賀忍が深い手傷を負った。
(動けばやられる……!)
再び土門の勘が働き、彼は天井を睨みつけたまま、ジッと動かなかった。
納屋の中は、今や地獄絵図と化していた。
取火方に焼かれた甲賀衆、肩や背中に手裏剣が突き刺さった伊賀忍、腰を抜かして呆然とする生き残りの姉弟、そして、死体となった無数の日本人奴隷たち……
この血と汗と埃とが入り混じった薄暗い納屋の中で、ただ土門の細い目だけが小刻みに動き、善住坊の姿を探していた。
「う、後ろ……」
倒れていた伊賀忍の一人が、土門に向かって、声にもならぬ声を発した。
土門が後方を振り向くと、そこには音も無く現れた善住坊が、藁葺きの天井からぶら下がっていた。
まさに今、ヌッと刀を取り出し、突き刺さんとするところである。
「ちいっ!」
土門が、振り向きざまに苦無を投げた。
だが善住坊は足の力をグイと入れ、再び藁葺き屋根へと姿を消してしまった。
苦無が虚しく、藁の中へと吸い込まれていく。
次の瞬間、後方で藁が落ちたかと思うと、逆さまになった善住坊が土門の背中に斬り込んだ。
土門も必死に体を捻って刀で防ごうとするが、右肩が抉られる。
そしてまた、藁の中へと善住坊が消えた。
(チッ、狸隠れか。小賢しい真似を……)
狸隠れとは、狸が狩人から逃れるように、忍びが葉の生い茂る木の上などに隠れる陰形術の一つである。
「これでどうだっ!!」
土門はそう叫ぶと、懐中から竹筒を取り出し、藁葺き屋根に向かって取火方を噴き出した。
火はボオオオッ! という音を立てながら瞬く間に天井を焦がし、焼けた藁が次々と地面へと落下した。
「う、うわあああぁーーーー!」
地面に倒れていた伊賀忍の一人が、火の粉をまともに浴びて絶叫する。
甲伊問わず、双方共に負傷して動けなかったが、土門は構わず火を放ったのである。
奴隷の姉弟も、先ほどから恐怖のあまり身がすくみ、ただ震えるばかりであった。
「出てこい善住坊! 信長も獲れなかったその首、俺が頂いてくれるわっ!」
土門がそう叫んだとほぼ同時である。
目の前に、濛々と煙を上げる藁の塊がドサリと落ちた。
土門はその中に善住坊がいると考え、咄嗟に手裏剣を打ち込んだが、反応はなかった。
(……違ったか……んっ!?)
土門が驚いたのも無理はなかった。
燃え盛る藁は見る見るうちにその形を変え、人の姿に変化したのである。
「ああっ!?」
ブスブスと体の至る所から煙を上げていたが、その姿はまさに善住坊その人であった。
「なっ……こ、これは!?」
焼けた藁がさらに二、三落下してきたが、それらもまた、火を身にまとった善住坊へと姿を変えていく。
今や土門の眼には、四体にも五体にも分かれた善住坊が、刀を構えてジリジリと迫って迫ってくる姿が見えていた。
(おかしいっ! こ、このようなことが……いや? 分身の術かっ!?)
土門がこの絡繰に気が付くとほぼ同時に、背後からその喉元に、善住坊の刀が当てられた。
「がっ……!?」
「終わりだ……あの世で、同胞たちに詫びを入れろ」
「は、八方分身とはな……藁葺きの中に、麻の葉でも仕込んだか? 甲賀者は忍薬に長けていると聞いたが、ここまでとはな……!」
甲賀の山々には多様な薬草が群生していたため、甲賀衆はこれらを独自に調合して、様々な薬や毒物を作って忍術に使用していた。
朝熊岳妙法院の朝熊坊(望月家)や多賀大社不動院の多賀坊(百地家)らは山伏姿の売薬人となって医薬や御札を売り歩き、その裏で諜報活動を行なっていたと言われている。
実際、甲賀地方には、現在も多くの薬品関係の企業が存在する。
善住坊が分身したように見えたのは、乾燥させた大麻草を燃やすことで、幻覚を誘発させていたのであった。
「これ以上お前と話すことは無い……御免!」
だが、善住坊が刀に力を込めたその時であった。
「待て善住坊! ……これを見ろっ!」
土門はそう言い放ったかと思うと、おもむろに着物の前をはだけた。
「むっ!?」
背後からであったが、善住坊には一目でそれが何か分かった。
土門の腹部に、焙烙火矢が結び付けられていたのである。
これは、焙烙という平たい素焼き鍋を二つ合わせて球状にし、中に火薬や鉄片を詰めたものであり、現代風に言えば手榴弾である。
土門の手には、しっかりと胴火も握られていた。
「ふははははっ! こいつはとっておきの一発よ! 点火と同時に、周囲三間は吹き飛ばせる代物……さあ、刀を引くがよい!」
「貴様、正気か!? お前の下忍どもも道連れになるぞ!」
「忍びにおいて、下忍は道具と同義! そのような戯言を申しておるから、甲賀は蹂躙されたのだっ!」
「……されば、我が部下も俺に命を預けた身。死は恐れん! この俺とて、命を惜しむものではないわ!」
「ぬううっ……!」
善住坊の刀を握る手に、更に力が込められる。
だが土門は、善住坊が自分を斬るつもりが無いことを、密着する筋肉の動きから察した。
(何故だ……? こいつの腕なら、俺が点火するのと同時に、首を刎ねられよう……やはり、部下の命が惜しいか? ……いや、然にあらず!)
土門は、一瞬で善住坊の真意を悟った。
「あのガキどもか! あいつらを巻き添えにする事、まかり成らんかっ!?」
「ぐっ……!」
図星を突かれた善住坊が、言葉を詰まらせる。
土門の見抜いた通り、善住坊は震える姉弟の姿を目端に捉え、躊躇いを覚えていた。
このまま土門を斬っても爆発は免れることが出来ず、焙烙に含まれた釘や針などの鉄片が、散弾のように姉弟を襲うことになる。
忍術書『万川集海』には、「それ忍びの根本は正心なり。忍びの末は陰謀・佯計なり。これ故、その心が正しく治らざる時は臨機応変の計を運らすことならざるものなり」と説かれている。
忍びが道に背いた行いをすることを、厳に諫めているのである。
善住坊は、とりわけこの正心を心情とするる忍びであったため、姉弟を巻き添えにすることを恐れたのであった。
土門はすかさず善住坊の鳩尾に肘鉄を喰らわせ、素早く拘束から抜け出した。
「ぐ……ぐううぅ……!」
「ふはははははっ! 貴様がそこまで甘い男とは思わなんだぞ! 信長を撃ち漏らしたのも、然もありなんだなっ!」
「お、おのれ……言わせておけば……!」
「ふんっ! この場はひとまず痛み分けじゃ……だがな、貴様から受けた恥辱は決して忘れん! 酒呑童子の首とともに、いずれ貴様の首も貰い受けてくれる! ……お前たち、いつまで寝転がっている! 行くぞっ!!」
そう叫ぶや、土門は霞の如く納屋から消え失せ、その部下たちも、脚を引きずりながら去っていった。
第7話は、明日水曜日に投稿予定です。
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