4.日本人奴隷
翌日の早朝、善住坊たちは港に来ていた。
彼らの格好は、昨晩の忍び装束から一転、常の形と呼ばれる一般的な袴姿をしていた。
せいぜいが、船荷の警備役程度に見られる出立ちである。
「小太郎……頼んだぞ」
「ワンッ!」
彼らの足元には、一匹の中国犬が鼻をヒクヒクとさせ、主人に忠実に従っていた。
忍犬である。
人間に化けた鬼を見分けるには幾つかのやり方があるが、最も簡易かつ確実なのは、犬の鼻を利用するものであった。
鬼は、人を定期的に喰らわねば生きてゆけぬ。
そのため彼らからは、常に人の血肉の匂いがした。
流石に人間の鼻では分からないが、訓練された犬の嗅覚を誤魔化すことは出来ないのだ。
港の朝は早く、すでに何隻もの船が所狭しと着港していた。
荷下ろしや即席の市を開き、各自商いに勤しんでいる。
善住坊たちはそうした様子を遠巻きに見ながら、はてどの船から探索をしようかと思案していた。
「酒呑童子が乗っているとすれば、やはり、日本からの奴隷船ですか?」
下忍頭の本智が、静かに問いかける。
「ああ、まず間違いなかろう。酒呑童子ほどの鬼となれば、人に化けることなど造作もない。それに、最近は送られてくる日本人の数も増えている……紛れるには、絶好の隠れ場所だ」
一般的にあまり知られていないが、戦国時代には、海外で日本人が奴隷として普通に売買されていた。
彼らは、戦における乱取りや、貧困で自ら身売りした者たちで構成されており、人買い商人を通じて輸出されたのである。
また、イエズス会が仲介役となり、ポルトガルに売られた日本人もいたという。
当初キリスト教に寛大だった豊臣秀吉が伴天連追放令を出したのは、その事を知ったためとも言われている。
「あの南蛮船から行くか……」
善住坊が指さした船は、港に次々と入る船の中でも、一際大きな商船であった。
甲板には、何人ものポルトガル人らしき船乗りや宣教師の姿が見える。
まず積荷が下ろされた後、手に荒縄が結ばれた日本人男女が波止場へ降りた。
その人数は七十を優に越えていたが、その多くが女性であった。
史実においても、日本人女性はその美しさや勤勉さが高く評価され、この当時は高値で売買されていたとの記録が残っている。
善住坊は奴隷たちに近づき、一人ひとり吟味しはじめた。
船乗りたちは、この犬連れの日本人たちを若干訝しった。
だが、奴隷の値踏みでもしているのだろうと、すぐに自分の仕事に戻った。
「頭……」
「うむ、反応がないな」
小太郎は、しきりに鼻をきかせて奴隷たちの足元を嗅ぎ回っていた。
だが特に吠えることなく、そのうち波止場の地面に座り込んでしまった。
ここに鬼はいないという、彼からの合図である。
「外れだったか」
「ポルトガルの船乗り、あるいは同船の宣教師に化けている可能性もありますが……」
「……いや。言葉の問題もあるし、風俗や習慣も違う。化体するとすれば、まず日本人であろう。奴ほどの鬼とは言え、海上で正体がばれて、面倒ごとに巻き込まれたくはあるまい」
「船員を皆殺しにするのは簡単でも、その後、身動きが取れなくなりますからなぁ……承知!」
本智はそう答えると、小太郎を繋ぐ紐をグイと引っ張り、次の船へと進み出した。
部下たちの背中を見ながら、善住坊はしばし考えに耽っていた。
(酒呑童子はどんな姿に化けているのだ……? 女ということも十分ありうる。領主を骨抜きにした傾城の美女が、実は鬼だったという話など腐るほどあるからな……婆の姿で、道に迷った百姓を喰らう鬼もいる……)
「あれも着船したばかりでしょうな」
本智の言葉にハッと我に帰った善住坊は、眼前にたたずむ小ぶりな商船に気付いた。
考え事をしている間に、隣の波止場まで進んでいたのだ。
「見ろ。こいつも日本人を連れてきたのだ。あそこの納屋に、奴隷が集められている」
「彼らの行く末を考えると、同胞としてやり切れませんな……ん? あれは……」
本智は、納屋に近づいていく袴姿の五人組に気づいた。
皆が皆、腰に日本刀を携えているのが分かった。
傭兵業を営む日本人の一団であるが、善住坊は彼らを知っていた。
「土門たちか……」
善住坊がしまったなという表情を浮かべて、呟いた。
彼らは、元伊賀忍なのである。
否、伊賀忍らしいという噂を聞いているに過ぎず、彼らが自分で忍びと認めたわけではない。
それは、甲賀衆である善住坊たちとて同様であり、例えば又右衛門に対しても、善住坊は自分の名前や素性を明かした事はない。
だが、忍びは忍びを知る。
町ですれ違った時など、相手の立ち振舞いや所作から、容易に忍びと看破することができたのである。
「よりにもよって、あいつらと鉢合わせするとは……ちと面倒ですな」
本智も厳しく目を細め、次の出方を考えている様子であった。
彼らがこの伊賀忍たちを警戒するのは、単に、同じ忍びであるというだけではなかった。
あくまで伝聞であるが、この土門某という男たちは、当時伊賀者が警戒していた、畿内・阿波国の三好家から勝手に仕事を引き受けたという。
それが露見して、伊賀の地を放逐された無法者ということであった。
伊賀国の掟『惣国一揆掟之事』では、隣接する三好家への奉公が固く禁じられていた。
掟破りは斬首が決まりだが、腕の立つ伊賀の上忍たちの手から逃れてきたという事実から、彼らが相当な手練れであることが窺えたのである。
不意に、小太郎が何かに気付いたかのように顔をあげた。
紐をグイと引っ張り、グルルルウゥ……と納屋に向かって低い唸り声を出す。
「お、おい、どうした小太郎?」
本智が小太郎に向かって問いかけたその時である。
「う、うわああぁぁぁーーっ!!」
「きゃああああぁぁーーーーっ!?」
納屋にいた日本人奴隷たちであろう、彼らの間から恐怖の叫び声が響いた。
第5話は、明日月曜日に投稿予定です。
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