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17.心の鬼

「行ったか……」

「はい……なんという憎らしい鬼だったのでしょう。あんな姿になっても、尚生きているとは……あの首を差し出せば大金が得られたと思うと、口惜しゅうございますね」

「いやいや、命あっての物種じゃ」

「そうですわね。また別の鬼を退治すれば、お金は手に入りましょう……ああ、無事で本当によかったです!」


 初が満面の笑顔で善住坊に抱きついた。


「そう言えば、先ほど言いかけていた事は何でございましたか?」

「う、うむ……初、心して聞いてもらいたいのだが……」

「はい?」

「……お主の弟の又三郎だが……」


 初の顔色がサッと変わった。


「本当に心苦しいのだが……」

「おやめください! おやめくださいっ、善住坊さま! あぁ、なんて事を……!」

「……すまぬ……」

「なぜっ!? 一体どうしてっ!?」

「酒呑童子だ……奴は、お前たちと一緒に日本からの船に乗っておった……船内で又三郎を殺し、弟に化けてマカオに来たようだ」

「なんてこと……なんてことを……私にとって、家族が全てなのに……な、なんて事をおおおぉぉーーーーっっっ!!!」


 初はその場に倒れ込み、赤子のように泣き叫んだ。

 善住坊もそれ以上かける言葉が無く、ただ木偶でくのように黙って初を見下ろすことしか出来なかった。


「……ヒック、又三郎……うぅ……ヒック……か、家族に、会いたい……ヒック、ど、どうしたら……」

「初……お前の気持ちはよく分かる。儂にできることなら、何でもしよう……」

「善住坊さまに……ヒック、でき……できること……?」

「うむ。じゃがな、まずは家に帰らねばならん。そろそろ日も傾いてこよう。歩けるか?」

「はい……」


 初はゆっくりと身を起こしたが、顔はなお下を向いたままであった。

 その間に、善住坊は素早く荷物をまとめていく。


「では屋敷に戻るぞ。肩を貸そうか?」

「……いえ、それには及びませんわ。差し支えなければ、そちらの杖を……」

「おぉ、もちろんじゃ」


 善住坊は竹造りの仕込み杖を手渡し、街に向かって歩き始める。


(酒呑を討ち逃してしまったが、初が無事で本当によかった……もう二度と、初をあんな目に遭わせる訳にはいかん。初は儂が全力で守る。そういえば、部下たちは無事であったろうか……?)


 そんな事を考えながら歩いていた時、善住坊は、ふと辺りが静寂になった事に気付いた。






(うん……?)


 後ろから付いてくる初の姿を見ようと、善住坊が振り返ろうとした時であった。

 初が善住坊の背中越しに斬りかかり、その背中から、真っ赤な鮮血が吹き出した。


「ぐわああぁぁーーーーっ!? は、初!? な、何を……っ!?」

「ううううーーーーっ! し、死んでぇぇっーーーー!!」


 崩れ落ちた善住坊の上に、初が馬乗りになってのしかかる。

 仕込み刀が首元に押し付けられるが、善住坊も必死でもがいた。


「初、やめろっ! 初っ! なな、何故だっ!?」

「私には……私には家族が全て! 私には、もう日本で別れた兄妹しか残っていないんだっ!! アンタに懸かってる賞金……それを使って、兄妹を……私の家族を探すっ!!」



(ああああぁぁ……!!)


 この時、善住坊は初の右目を見て驚愕した。

 青い瞳には、絶望した己の姿が映っていたが、その顔に確かに見覚えがあったのである。



(あぁ……俺の為に死んだ影武者……今の俺は、あの時のあいつと……同じ……顔……)


 酒呑童子との死闘、背中への一撃、初の裏切り、過去の亡霊……

 善住坊の心身は、もう限界であった。


 初の全体重が乗せられた刀身は、次第に善住坊の抵抗を制し、その喉首を捉えていく。

 最初に喉仏を削り取ったその刃は、次に、首筋の筋肉に喰い込んだ。



「ゴグッ……ゴォオエッ!」


 喉奥に溜まった血に、堪らず善住坊が嘔吐えずいた。

 だが、なおも初は力を込め、今度は一気に気管へと刃を進める。

 刀身が蓋のようになって呼吸を止めたため、善住坊の動きも、ピタリと動かなくなった。



(あ……あ…………………………………)


 もはや善住坊の眼は、鼻先に迫る初の顔を見ていなかった。




(……ふむ、あれが信長か……立派な出立ちじゃのう……おや? 儂の影武者が鋸で斬られておる。あいつ、何かしでかしたのか? ……又右衛門の野郎、いつも欲を張りおって……ほら小太郎! 今日は特別に肉付きの骨をやるぞ……!)



 仕込み刀は頸椎に達し、鈍い音を立ててその骨を砕いていく。




(その方、名は? おぉ、初と申すか。良い名じゃ……酒呑童子め、どっちが鬼か分からんなどと抜かしおって……そうか……初は、鬼であったか……)



 刀が皮まで到達すると、初は力任せにその皮膚を引き破り、善住坊の首を掴み上げた。


 人はその首が切断されてからも、数秒間は意識があるという。

 首だけになった善住坊も、ほんの一刹那、意識を取り戻した。




「(……こ、ころの、鬼は……)」



 生首の唇が動いたことに、初が一瞬凍りつく。

 だが、冷静さを取り戻すと、初はその首を小脇に抱え、街に向かって静かに歩き始めた。






 ◆


「バウッ! バウ、バウッ!」

「本当にこっちで良いのだろうな、白!? くそっ、全く先が見えん……!」


 善住坊が死んでから数刻後……


 部下の手当てを終えた本智は、忍犬の白を連れ、必死で主人を探していた。

 辺りは完全な暗闇であり、手に持った龕灯がんどうも全く役に立たなかった。


「バウッ! ……クゥン……」

「うん? どうした、何か見つけ……あぁ!?」


 白の方に灯りを向けた本智が、驚愕の声を上げる。

 龕灯に照らし出されたそれは、血溜まりの中に仰向けになって横たわった、首の無い死体であった。


「まさか……そんなっ……!」


 本智は呆然としたが、瞬時に意を決し、死体が着ている野良着の中をまさぐった。

 血糊に難儀しながらも、すぐに、目的とするものを探り当てた。


「あぁ……頭……なんで……」


 本智は手中のものを握り締め、その場に崩れ落ちた。


 彼が見つけたのは、割符わりふであった。

 割符は、文字や記号が書かれた薄い木札を複数枚に割ったものであり、忍びがお互いを確認するための証明書のようなものである。


 無論、本智はその野良着や体格からして、主人であると内心分かってはいた。

 だがこうして割符を見つけてみると、万が一にも善住坊の死が間違いでは無いことが分かり、絶望したのである。


「……おのれ、酒呑童子……! 近くにいるんだろうっ、どこだっ!? 甲賀の誇りを見せてくれるぞっ! 出てこいっ、出てきて俺と勝負しろっ! しゅてん童子じいいぃぃーーーーっ!!」


 本智の叫びは荒野の中で木霊したが、その声に応える者は、誰もいなかった……

次回でいよいよ最終話になります。

明日土曜日に投稿予定です。


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