1.プロローグ
時は天正三年(1575年)。
日本では、織田信長が長篠で武田勝頼を打ち破っていた頃のこと……
杉谷善住坊ーー鉄砲・種子島を用いて信長を狙撃した、伝説の甲賀忍者ーーは、マカオの商人たちが屋敷を構える、高級住宅街の外れにいた。
部下の下忍たちと共に、目一鬼と部下の青鬼どもを、この地に追い詰めていたのである。
時刻は、まもなく子の刻(深夜12時)にならんとしていた。
「……もはや、お前たちに逃げ場所はない。大人しく、刀の錆となれ!」
忍者刀特有の直刀を握りしめ、善住坊が一喝した。
「グウウゥ……しつこい人間どもがっ! 遠く異国でも、我ら鬼を目の敵にしおって……!」
目一鬼はその名の通り、大きな一つ目の鬼である。
八尺(約2.4メートル)はあろうかという巨体を誇っていたが、善住坊たちの猛攻を受け、今や青色吐息の状態であった。
目一鬼は、天平五年(733年)編纂の『出雲国風土記』にその名が記されている。
史料上、日本に出現した最古の鬼である。
こうした鬼たちは古来より日本に跋扈していたが、各地の大名が力をつけるのに合わせ、徐々にその勢力を失っていった。
そのため、目一鬼のように、遠く異国の地へ逃げ出す鬼が続出したのである。
他にも、このマカオには、日本を切り詰めた浪人や貿易商、キリシタンなど多くの日本人たちが流れ着いている。
善住坊と彼に付き従う甲賀衆も、そんな連中のひとつであった。
「ここはマカオ……港町だ。お前たちが身を隠せる山など一つもない。異国の地では、他の鬼とて呼ぶこともできん。いい加減、観念するのだ」
「くっ……信長に、棲家を焼かれさえしなければ……!」
(信長……?)
予想外の名が出てきたことで、善住坊は内心動揺した。
(こいつも、俺と同じか……)
かつて善住坊は、協力関係にあった六角承禎から、信長暗殺の依頼を受けていた。
浅井・朝倉との戦いからの帰路にある信長を、種子島で狙撃するという内容である。
『改正三河後風土記』では、善住坊を「常々翔鳥を外さず打ちとる者」、すなわち、飛ぶ鳥を銃で撃ち落とす程の名手であったと紹介している。
だが、鬼神の加護でも受けているのか、この時、信長はかすり傷を負った程度で生き延びた。
この暗殺未遂に烈火の如く怒った信長は、その後善住坊に賞金をかけ、全国にその行方を追わせている。
そして世間的に、彼は信長の手に落ち、岐阜にて処刑されたことになっていた。
だが、真実は異なった。
信長を撃ったことで、善住坊は、甲賀の里を構成する甲賀五十三家の希望の星となっていた。
甲賀衆はすでにかつての勢いを失い、多羅尾光俊のように、多くが信長に降伏していた。
だが一方で、信長に下るを良しと思わぬ者も相当数おり、そうした者にとって、善住坊は最後の切り札と考えられていた。
そこで彼に似た者が影武者として差し出され、甲賀再興の人柱として、代わりに首を切られたのである。
ただし、一時は信長を騙せたとしても、もはや国内に、善住坊の安息できる地は残されていなかった。
彼の生存に、いつ、誰が気付くかも分からない……
こうして善住房は、このマカオの地に送られ、部下の下忍と共に身を隠して生きていたのであった。
(俺と同じか……)
善住坊は、心の中で再び呟いた。
信長に追われて落ち延びた、自分と目一鬼……
人と鬼、種族の違いこそあれ、生まれた土地を追われた点に違いはない。
一瞬だが、善住坊の心に、鬼たちへの憐憫の情が生じた。
(だが……)
善住坊は意を決して口を開いた。
「問答無用……死ねっ!」
鬼は人を喰らう、生きるために。
人は鬼を狩る、生きるために。
どちらにも正当な理由がある以上、共存し、共進する道など存在しえなかった。
……いや。
死に物狂いで探せば、あるいは何か希望はあるかもしれない。
だが、少なくとも善住坊に、そうした道は見出せなかった。
善住坊の言葉を受け、下忍頭の本智が、部下たちに目線を送る。
後方に控えていた彼らは、この合図をきっかけに扇状に拡散し、一斉に青鬼どもへと斬りかかった。
「怯むな! 人間風情に敗れるなど、鬼の面目が立たんぞ!!」
目一鬼が檄を飛ばすと、すでに相当な手傷を負っていた青鬼たちにも、再び勢いが戻った。
その鋭い爪を目一杯に広げ、下忍たちに果敢に飛びかかっていく。
ガキンッ!
キンッ!
ザシュッ……!
鬼の爪と忍者刀とが幾度もぶつかり合い、鈍い金属音が、夜のマカオに響き渡る。
「頭」
「目一鬼は……俺がやる」
本智の問いかけに、善住坊が静かに答える。
善住坊が一歩前に踏み出すと、目一鬼も負けじと前へにじり出た。
「所詮は貴様も、国を追われた身であろう? グフフフ……お互い、哀れなものよのう……」
「ぬかせっ!」
善住坊は腰を落とし、素早い動きで目一鬼の側面に飛び込んだ。
グッと体をひねり、高速で忍者刀を抜刀する。
大きく見開かれた目一鬼の眼は、しかし、その動きを完全に捉えていた。
「見えたぞっ!」
目一鬼は太い腕を振ると、刀が繰り出されるより前に、鋭い爪を突き立てた。
ガキンッ!!
「なっ!?」
鬼の爪は、確かに善住坊の体を捉えていた。
だが、その爪先は善住坊の腕に仕込まれた手甲鉤に阻まれ、それ以上喰い込ませることができなかった。
「お前の爪とこの鉄鉤、どちらが先に壊れるか見ものだな……!」
「ふ、ふざけおってぇーーーーっ!!」
ガンッ! ジャリンッ!! ガキンッ!!!
二対の爪が何度もぶつかり合っては互いを削り、周囲に火花を散らしていった。
「どうした? それでも、史上最古と謳われた鬼の末裔か!?」
「ぬうぅっ……! な、舐めるなよおぉぉーーっ!!」
目一鬼が口を大きく開き、紫色の舌をぬらりと突き出す。
次の瞬間、その舌は鞭のように大きくしなり、勢いよく打ち放たれた。
「ちっ!」
善住坊は頭巾を取ると、それを即席の布団扇にして舌を打ち払った。
だが、彼の姿勢がグラリと崩れ、異形の鬼はそこに付け入る隙を見つけた。
「もらったぞっ!!」
目一鬼は雄叫びをあげると、口をさらに広げ、巨大な牛蛙さながらに、大きく一歩踏み出した。
「くたば……うぎゃああぁぁーーっ!?」
そう絶叫をあげた目一鬼は後方へと飛び戻り、そのまま足を押さえてしゃがみ込んだ。
周囲の青鬼たちも一瞬その手を止め、目一鬼の様子を伺う。
「なっ、なんだこれはっ!?」
目一鬼が苦しみの表情を浮かべながら、足の裏を見る。
そこには、撒菱がびっしりと突き刺さっていた。
ヒシと呼ばれる水草の実を乾燥して作る撒菱は、その硬さと形状を活かした足止めの武器として知られる。
善住坊は、頭巾を使って舌を振り払う際、密かに撒菱を放擲していたのであった。
目一鬼は撒菱を抜こうとするが、深く複雑に喰い込んだそれは、容易に取り去る事が出来ない。
「見たところ、二十は踏み抜いたようだな。無理に取れば、余計に血が抜け出るぞ」
「き、き、貴様あぁぁぁーーーーっ!!」
「我らは戦国の世で、鍛えに鍛え抜かれてきた……古の栄光にしがみつき、努力を怠った鬼なぞ、勝ち目はないわっ……!」
「ちいぃっ……!」
バンッ! と両手を地面に打ち付け、目一鬼は強引に空中へと飛び上がった。
商家の屋根に着地すると、両腕を強引に使い、屋根伝いに離れていく。
「本智」
「はっ!」
下忍頭が、すでに着火済みの中筒を善住坊へ手渡す。
中筒は、小筒と呼ばれる一般的な火縄銃よりも口径が大きな銃である。
発射時の反動が大きく扱いが難しいが、その分威力は強力だった。
善住坊が銃床を頬に当て、狙いを研ぎ澄す。
一瞬の静寂が辺りを包んだ次の瞬間、
パアアァァァァンーーーーーーーーッ!!
と、乾いた銃声が付近一体に鳴り響く。
その場にいる全員が、弾丸の行方を見定めようと動きを止めた。
彼らの視線の先、屋根の上に立った目一鬼は、微動だにしなかった。
だが次の瞬間、その体がぐらりと揺らぎ、ドウッ! と音を立てて地面へと落下した。
「ブオオオオォォォーーーッ!!」
青鬼どもから、怒号とも悲哀ともつかぬ咆哮が巻き起こる。
この叫び声を鏑矢に戦闘が再開されたが、頭領を失った鬼たちは、完全に戦意を喪失していた。
青鬼の屍が、次々とマカオの路上に積み上がっていく。
「こちらです」
「うむ……」
下忍たちの交戦をよそに、善住坊が、地面に横たわる目一鬼に近づく。
後頭部がはじけ、その眼球が一撃で撃ち抜かれている。
だがよく見ると、飛び散ったはずの肉片が、徐々に再生しているのが分かった。
「この状態でも死なぬか……やはり、日本刀でとどめを刺さねばな」
日本の鬼が厄介なのは、彼らが日本刀でしか倒せないことにあった。
鬼たちは人に化け、火を吐き、妖術を使うが、これらは全て特別な妖力がもたらしていた。
そうした鬼を殺すには、人間側も、日本古来の霊力が込められた日本刀を用いる必要があった。
「……ゴッ……ガガッ……!」
脳髄が吹き飛んだにも関わらず、目一鬼の口から、絞るような声が漏れ出た。
「お前は死ぬんだ。黙っていろ、しつこい鬼めが……!」
「……ふっ……ハハハハハッ……! なっ……何が鬼だ……き、貴様ら人間の方こそ、真の悪鬼であろうがっ……!」
「この期に及んで、何を埒もないことを……」
「お、応仁の乱よりこの百年……貴様ら人間は、一体どれほどの命を奪ってきた? 儂とて、地獄の底から生まれ出でた鬼の一族。だがな、今の日本と比べれば、地獄など極楽も同然よ……」
「……今からその故郷に送り返してやる。二度と、下らん口をきくな……!」
善住坊が、その刀を目一鬼の首筋に突きつけた時であった。
「『……年ごとに……』」
「うん?」
「『人はやらへど、目に見えぬ……こ、心の鬼は、ゆく方もなし……』……グフッ……!」
「……鬼の分際で、辞世の句でも詠んだか?」
「ハハハッ……ガハッ……! ど、どこまでも無学なやつめ……」
「だまれっ!!」
そう叫ぶと、善住坊は刀を振り抜き、目一鬼の首をバッサリと斬り落とした。
その切り口から、ドクドクと緑色の血が地面に滴り落ちていく。
「……本智。今の歌を知っているか?」
「確か、賀茂某とかいう陰陽家の娘の作、『賀茂女集』にある和歌かと」
「意味は?」
「追儺……節分の鬼払いを詠ったものでしょう。毎年、鬼に扮した人は払うことが出来るけれど、目に見えぬ心の鬼は、追い払うことが出来ぬと……」
「『心の鬼は、ゆく方もなし……』……目一は、我ら人の方こそ、真の鬼であると言いたいのか?」
「鬼の申すことなど、お気になさらぬのが一番ですぞ」
夜が白みかける頃には残る青鬼も全滅し、その骸は、マカオの路上に血の塊となって晒された。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます!
『ロザリオソード 〜私たち「天正遣欧少女使節団」は、刀と十字架を胸に世界の鬼と戦います!』の前日譚になりますので、そちらもご一読頂けたらと。
(女子4人組が、日本刀で戦ったり、恋愛したりと、ライトな作品になってます)
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