内情 2
(えっ…!?)
今度はクーンツの眼球が眼窩から飛び出す番だ。誠実さと威厳を持って王国民に尊敬され、慕われていた前国王殿…彼が婚姻の契りを交わしていない女性と逢瀬を重ねていただと?
(でたらめな噂だ!前国王殿を侮辱している!いい加減な事を言いやがって!)
クーンツは一瞬冷静さを失いそうになった。怒りが沸き上がる。腰に下げていた長剣に手が伸びそうになった。その瞬間、手首をそっと、しかし素早く抑えられるのを感じた。クーンツはハッとなって、そちらを見る。
(いけません。冷静になって下さい。クーンツ殿)
そこにはそう語りかけるデファンの顔があった。落ち着き、説得する様な彼の表情を見て、クーンツはギリギリで冷静さを取り戻した。
「大変無礼な振る舞い失礼した。お許しいただきたい」
クーンツは慌てて謝罪した。剣を抜こうとクーンツの右手首が動いたのが、彼にも分かったのだろう。プアニの顔は恐怖に染まっていた。口元が痙攣している。
「…クーンツ分隊長は、国王に仕える騎士団分隊長でいらっしゃいます。国王に並々ならぬ忠誠を誓っております。それが故の振る舞いです」
人を安心させるような落ち着いた声。デファンだった。クーンツへ顔を向ける。その表情は(ここは私にお任せください)と言っていた。
追跡者隊という職業柄、尋問の経験や技術もあるのだろう。怯えた相手を責め立てても委縮し、口を閉ざすだけだ。クーンツは素直に代わって貰う事にした。
「プアニ殿…我々は貴殿に話を聞きたいだけです。決して口外もしませんし、威圧することも致しません。信じて頂きたいのです」
デファンはプアニの緊張を緩めるような、優しく安心する声を掛けた。温かみのある笑顔を見せながら。横にいるクーンツすら癒しの感情に包まれた。大したものだ。
「そうおっしゃって頂きまして安心いたしました。私はあなた方を信用しても良いのですね」プアニの緊張がほぐれてきている。
「ええ。もちろん!だから知っている事を全てお話して頂きたいのです」
デファンは完璧な笑顔で答える。
「分かりました。推測や…その…確証の無い噂もあるかも知れませんが。よろしいか?」
プアニの眼球が眼窩に収まりつつある。顔面の筋肉の緊張も弛緩し始めている。デファンは魔術師スキル持っていない筈だが勘違いだったのか?実は達人級の幻惑魔術の使い手ではないのか?
「ええ。知っている事を教えてくれるだけで良いのです!どんな情報でも感謝いたします。我々には必要なのですから」デファンはニッコリと、とっておきの笑顔を見せた。白い歯がこぼれる。
(デファン…こいつ、女にモテるだろうな…)
横でデファンの様子を見ていたクーンツは、場違いな感想をデファンに対して抱いていた。
「それでは、さっきの話の続きですが、前国王とデファン殿が逢瀬を重ねていたという…少し穏やかならぬ話ですが。詳しく教えて頂けませんか?まずは…その話はどこから漏れ出てきたのですか?」
「ええ!お話いたします!」安心しきったプアニ。プアニはさっきとは打って変わって饒舌に語り始めた。見事陥落。
「デファン殿、漏れ出しも何も、王宮魔術院の面々は皆知っている事であります。時間の空いた時に国王殿が来られて、ヴェホラ様と仲睦まじげに御歓談されていた御姿を拝見しておりました」
「なるほど」
「逆にヴェホラ様の御姿が、魔術院から見えなくなることも多くなりまして、確実な情報として流れたのが、ヴェホラ様が国王に逢いに行かれているという話でした」
「その話の出所は知っていますか?」デファンは顔色一つ変えずに質問を続ける。
「そのような情報を集めるのが得意な者は王宮に一人しかおりません!ヘイワースですよ!ご存じでしょう? ”鷲の眼と猟犬の嗅覚を持つ、女中長ミタ・ヘイワース”を!」プアニの舌の回転は絶好調だった。
(なるほど。立場上そういったネタ話を、目にして耳にする機会は多そうだな。腹立だしい内容の話だが、この話は信憑性が高そうだな。そして、恐らくこの時点では女中長はヴェホラに操られてなかったみたいだ。それにしても…)
心の中でクーンツは呆れた。
(よくもまぁ、ペラペラと喋る御仁だ。情報収集は問題なく終わりそうだが、王宮魔術院の防諜体制には問題大有りだな)
「なるほど、よく分かりました。ところでこれはクーンツ殿も気が付いていたのですが…その仲睦まじかったお二人の仲が、ある時から非常に険悪になったようなのですが、何か理由は御存じないですか?」
「…それが…ここからは本当の噂ですし…お気に障る内容になるかと思いますが…」プアニは我に返ったような顔をして、クーンツの方をチラリと盗み見た。
「大丈夫です。どんなお話でも冷静に受け止めます。こちらのクーンツ殿も騎士団分隊長として、多くの部下を率いている御方です。感情的になったりは致しません」再びデファンは魅力的な笑顔を見せた。その笑顔をクーンツの方へも向ける。
(クーンツ殿…頼みます)
(分かっている。大丈夫だ)
クーンツもプアニの方へ顔を向けると、飛びっきりの笑顔を作って頷いて見せた。クーンツの笑顔を見たプアニは、不思議な事に不安な色をより一層深めた。なぜだ。
「そ、それではお話致します…国王殿とヴェホラ様は逢瀬を重ねられていた。…大人同士の付き合い…その意味…お分かりでしょう?」プアニはこちらを窺う。
「ええ。分かります。それで?」デファンが先を促す。プアニは一息息を吸い込むと、思い切ったように次の言葉を発した。
「ヴェホラ様は、前国王殿の子を懐妊されたようなのです」
…?
……?!
(嘘だろ?)
クーンツは頭を殴られたような衝撃を受けた。まさか…。
(清廉潔白で、正妃ナタリア様を愛していたはずの六世殿が…まさか不義密通の上、ヴェホラとの間に子まで作っていたとは…)
「なるほど…それは…本当であれば、かなり衝撃的な話です。真実かどうかは今は置いておいて、その話の結末は?」デファンは淡々としている。その態度は、明らかに尋問の訓練を受け、感情のコントロールに長けた者のそれだった。それでもプアニに質問する口調が、ほんの少しだけ硬くなっているのが分かった。
(当たり前だろう。逆になんでこの噂が王宮内を巡らなかったんだ?いや、さすがにこの噂は一部で留め置かれているのだろう。これが流れるのはマズいというのが分かっていたのだろう。…この口の軽いプアニでさえ洩らさなかったんだからな)
「堕胎しました…いえ、ヴェホラ様は、『産みたい』とかなり抵抗されたようですので、堕胎させられた。というのが正確なところでしょう」
「その話の情報源は?」
「ヘイワース女中長です。王宮付きの医師が堕胎の施術を行ったのですが、その時、ギリギリまで付き従って主任医師の手伝いをしていたそうで。その時、医師同士の断片的な施術内容の話や施術器具から、堕胎の手術が始まると察したそうです。そして医師と、患者に鎮静魔法を掛ける為の幻惑魔術師が向かった先というのが…ヴェホラ様の私室であったという訳です」
「なるほど…その後、回復したヴェホラと前国王殿の仲は、まぁ当然、険悪になったという事ですね」
「そうお考えいただいて結構かと」
「ヴェホラは、その後王宮魔術師の職を辞めざるを得なかった…というか辞めさせられた」
「ええ。突然でしたが、魔術院に勤める我々は薄々予想しておりましたので、余り驚きは無かったですな」
「分かりました。それに関係しているのかもしれませんが、我々にも一つ情報がありまして。いえ、我々が知っている情報なので、プアニ殿も当然御存じかと思いますが」
プアニの表情は、こちらが何を言うか予測していた。”あの事だな”。彼の眼は、そう言っていた。