王宮魔術師
◇
「クーンツ分隊長殿、どうでした?」
王宮の入り口、衛兵の詰所の片隅で、クーンツとデファンは声を小さくして言葉を交わす。
「第五陸防師団が救援に向かう。国王への報告は少し虚偽を交えた。ヴェホラや儀式の事は伏せたからな。重装歩兵隊がオークと撤退戦を行い、その隙に我々が脱出した事になっている」
「分かりました…それでは第五陸防師団が現地に到着して、嘘が露見したら事ですね。彼らは何時ごろ出発する予定なんですか?」
「明日の昼前だ」
「なるほど、これから準備をすると歩兵は寝られない。準備完了してから完全兵装のまま、仮眠を取るという段取りですか。ご苦労な事だ」
デファンはそう言いながら、かなり離れた兵舎から湧き出る喧騒の音に耳を傾けた。
(兵士達は夕食中だったのだろうに。確かに気の毒だな。これから装備を身に付け装備点検を受ける。騎士団と騎兵隊は馬の準備…補給隊は当座の水と食料の準備と配布を行い、全員が街外れの平原で集結して隊列を整え、装備を付けたまま僅かな休息をとって出発か)
クーンツは、第五陸防師団に降りかかる出動準備を考えると、少し同情の気持ちが沸いた。
「明日の昼前に出発して、”蜥蜴の這う谷”に到着するのは五日くらいだろうか?全軍五千名の進軍だ」
「歩兵中心の陸防師団なら、それくらいは掛かるかと思います。討伐隊二千名で四日間でしたから」
「オーク一族は我々に協力的な態度を取ってくれた。陸防師団との戦いは回避しないといけない」
いくら勇猛なオークとて千名弱の戦力で、二個陸防師団約一万名の攻撃を撃退するなど絶対不可能だ。
「おっしゃる通りです。オークの民は筋道を通してくれました。こちらを殺したりしなかったし、話を聞いてくれ撤退もさせてくれた。裏切ることは出来ませんね」
実際に命を救ってもらったデファンは深く同意する。
「そうだ。その通りだ。俺達はオークの民に対して、誤解していたのかもしれんな。無秩序で野蛮なだけの戦闘部族だと…それはそうと一番の懸案は、ヴェホラの企みを暴かないといけない事だ。猶予は五日」
クーンツは残された五日間という日数が、長いのか短いのかも分からなかった。
「そうですね。ただ…」デファンが言い淀む。
「どうした?」
「もし、ヴェホラの企てに対して、王国軍の助けを借りないといけなかった場合、クーンツ殿が国王殿に虚偽の報告をした事も露見してしまいますね」
デファンは酷く心配そうな顔で言った。国王への虚偽の報告は重罪だ。地位剥奪は当然のことながら、投獄といった可能性だってある。
「それは覚悟している」
「え?」
「自分は王国を救うための、最善の行動を取っていると信じている。王国の存続か、自分の地位や命のどちらが大切か。と考えたら、自分は喜んで罰を受ける方を選ぶ」
「クーンツ殿…」デファンは何とも言えない顔をした。
「デファン、そんな顔をするな。うまく事が収拾するかもしれない。そのための行動をするんだ。まずはヴェホラが在籍していた王宮魔術院に行くとににしよう。一人、気になる人物がいるんだ」
デファンは真剣な顔で返事をした。
「クーンツ分隊長殿。承知いたしました。お供致します」
◇
プアニは王宮魔術師として、城の内部に設えられた王宮魔術院の食堂で食事をとっていた。
一日の食事で一番豪勢なのが昼食。なので薄暗い燭台の下で食べる夕食はひどく簡素だった。ただそれはいつもの事である。プアニはさっさと食事を終わらせて、魔術の研究の続きを行おうと考えていた。
「ん?」
プアニは王宮内の騒めきに気が付いた。その後しばらくして王国軍の兵舎の方から、人の叫び声と金属が触れ合うような音が聞こえ始めた。同時に厩舎からは、馬の嘶きがしきりに聞こえてくる。
「一体、何の騒ぎだ」
プアニは驚く。一緒に食事をとっていた見習い魔術師…つい最近入学したての新参者だった。彼も驚いた表情をするが、すぐに立ち上がった。
「何事なんでしょうね。様子を見てきます」
暫くして見習い魔術師が速足で戻ってきた。彼は少し緊張した面持ちでプアニに早口で伝える。
「どうやら第五陸防師団に出動命令が出たようです」
「こんな時間から…なぜなんだろうか?」プアニは訝しむ。
「話によると、オーク討伐隊がかなりの被害を受けて、その救援に向かうらしいです」
「オーク討伐隊。確か”神の遣わし子”ケーア様とユメカ様が随伴していたはず。あのお二人が従軍されてからは、討伐隊は無敵だったのでは?」
「それが…どうも風向きが変わったようで」見習い魔術師は、身体を曲げてプアニに顔を近づけると小さく囁いた。
「噂ですが、ケーア様とユメカ様は戦闘の混乱で生死不明、行方不明になっておられるようです」
「なんと…もしそれが本当なら一大事ではないか」
陸防師団全軍の緊急出動命令など、滅多な事では起こり得ない。その為、それについての噂が早くも王宮中を駆け巡っていた。そして微妙に不正確な噂が流布されるのはどこの世界でも同じだった。
(”神の遣わし子”がお二人とも…これは大変な事態になった。こんな時間から王国軍司令部は緊急会議だな)
プアニはそんなことを考えながらも、どこか他人事だった。プアニは王宮魔術師として長年仕えていた。もう老年と言って良い歳だ。
だからといって幹部として活躍している訳ではない。それどころか現在は若手の見習い魔術師の指導を行う、現役引退間近の役職無しの状態だった。
隣国の軍勢が魔術師を従えて、王国に攻撃を仕掛けて来るような事態にならない限り、魔術師としてのプアニの出番はないだろう。責任から解放された気楽な身分だった。
なので陸防師団の全軍出動などは、プアニの平凡な日常と野次馬根性を刺激する一要素に過ぎなかった。見習い魔術師が次に発した言葉を聞く前までは。
「その事に関係しているかは分かりませんが、討伐隊所属の兵がプアニ様に聞きたい事があると訪ねて来ております。先ほど様子を見に行った時、廊下でお会いしました。入り口でお待ちです」
「私に何か用があるのか?討伐隊が私に聞きたい事があるとは思えんが…一体、どなたなのか?」
「第三騎士団所属のクーンツ分隊長殿と追跡者隊隊員デファン殿です」
「クーンツ殿?騎士団だったか?名前は聞いたことはあるが…」そう言いながら、入り口に眼をやると、防具を付けたままの二人の兵がこちらの様子を窺っている。
(…ん?)
片方の兵士。手入れのされた金属鎧を身に付けた兵士を見た時、プアニの記憶に引っかかりを覚えた。
(あの兵士…いや、あの鎧からすると騎士。つまりクーンツ殿だな…あの方とはお会いした事があったかな…?)
クーンツ分隊長は、王国エリート部隊の騎士団分隊長だ。所用で王宮内を出入りする事などよくある事だ。その時お見掛けしたとしても不自然ではない。
(いや、そう言うのではない。もっとこう…アレだ…タイミングが悪い時に…お見掛けしたような…)
思い出そうと、入り口に立つ騎士を見る。戦闘の連続だったのだろう。ほんの少し殺気だった雰囲気を醸し出している。
その研ぎ澄まされた精悍な表情を見た瞬間、先程の見習い魔術師の発した単語が思い出される。
”ケーア様”
”オーク討伐”
プアニの記憶保管庫が突然情報を吐き出し始めた。
”会議が間もなく始まります”
プアニの鼓動が不吉なほど速くなる。
”そうか…それで、そのヴェホラという魔術師は、どこにいるんだ?”
”ヴェホラ”
(まさか…聞かれていたのか?)
痺れを切らしたクーンツが食堂内に入ってくる。彼は真っ直ぐプアニを見つめながら迷いなく近づいてくる。
(あの眼…間違いないっ!クーンツ様との会話を聞かれていたんだ!…今回の討伐隊とヴェホラ…何か関係があるのか!?何を知りたいんだ?!)
彼の表情は硬くなる。緊張で目の玉が飛び出る。眼窩から飛び出して、床に転がり落ちてもおかしくない程だった。