毒牙 2
それでも、物理的に毒からのダメージを防ぐ装備をしているというのは…
(それ以上に強力な毒を扱うのか。それとも訓練や防御魔法の情報は間違っていたのか。そのどちらかだな。何とかこいつらの情報を手に入れる。そして生きてそれを持ち帰ってやる)
水溜りには、次々と”毒牙”のメンバーの姿が映し出される。鳥人間の黒い影。更には、馬にもそのマスクが付けられていた。当たり前と言えば当たり前の話だが、鳥マスクを付けられた馬の顔は、巨大な牙を持つ異形の怪物のように見え、非現実感が半端なかった。
…カチ
…カチカチ
何か硬いものをぶつけて叩くような音がした。その音がすると、別の所から同じような音がする。その音は密やかで決して大きくはないが、よく通る音だった。
(こいつら、見た目だけでなく会話も鳥の囀りかよ…)
内心クレトは歯噛みした。何か会話をすれば、それは大きな情報源となる。 作戦目的や戦術のような重要な事でなくてもいい。言葉を発してくれれば、その構成員の年齢や性別、もちろん偽名だろうが、メンバーの名前を口走る可能性だってある。クレトはそれを期待していた。
だが彼らは、左手の平に収めた小さな二片の石か金属を叩き合わせて会話を行っていた。これでは何も分からない。打ち鳴らされる音には規則性があり、明らかに意思疎通が図られているようだが、当然のことながらクレトには全く理解することが出来なかった。
…カチッ!
少し遠くで鋭い音がする。二頭の馬がゆっくりとそちらに向かう気配がした。クレトの後方だ。クレトは身体を捩って確認したい気持ちに駆られたが、そんな事をしたら即座に見つかって殺されるだろう。諦めて耳を澄ます事だけに専念した。
カリッ!カチッ!
クレトの後ろで少し大きい音がした。その音がするやクレトの周りの馬が一斉に後ろに向かって移動を始めた。一~二分後、後方から鋭い音が打ち鳴らされる。
カチンッ!
その音が鳴らされた瞬間、”毒牙”のメンバー全員が動き出す気配がした。馬が速足になり、その後すぐに駆け足になる轟きが地面を振動させる。その音はどんどん遠くなっていく。奴らは何らかの目的を果たして離脱したのだ。
(まだだ。馬が完全に立ち去って、人の気配が無いのを確認してからだ)
”毒牙”がこちらを殺さずに立ち去ったのは意外だった。殺されることも覚悟していた。だが、こちらを皆殺しにする為に、何名かが身を潜めているかもしれない。クレトは五感を研ぎ澄まして彼らの気配を探り続けた。
直ぐに十数騎の馬の気配は消えて行った。走り去った方角は隊列から見て右側。方位で言えば南東。クレトはその方角をしっかりと頭に刻みつけた。
周辺は森閑とした静寂に包まれた。風が草を薙ぐ音。羽虫が飛ぶ音。遠くから聞こえる鳥の鳴き声…
(毒を喰らった騎士団の連中の気配はする。効果時間の長い麻痺毒だな。まだ身動き一つ出来ないのか。…だが連中以外の人の気配はしない…大丈夫か?)
クレトは指先と足先に力を入れてみた。動かせそうだ。呼吸と胸の拍動も落ち着いている。隊長が毒の罠に掛かったの見た直後、咄嗟に口の中に詰め込んだ薬草の効果のおかげだ。すぐにでも起き上がって周囲の状況を確認したい所だったが、念のため俯せの姿勢を取り続けた。
暫く待機した。辺りが薄暗くなってきた。陽が落ちかけている。
(人の気配はしない。もう大丈夫だろう。”毒牙”は見張りを残さなかったし、俺達を殺し来ることもなさそうだ)
クレトは周囲を警戒しつつ用心深く起き上がった。残照を浴び、その場に倒れ伏している人馬。未だに毒の効果は続いているらしく、彼らは細かく身体を震わせてその場から動けないでいた。
(皆、麻痺はしているが生きているようだな。良かった。暫くすれば毒の効果は消えるだろう。それにしても、”毒牙”の奴ら…一体何が目的だったんだ?)
奴らが立ち去る前、クレトの後方で何かあった。”毒牙”の数騎が集まっていた。それを思い出して膝立ちで立ち上がると後方を確認する。
(何事もないじゃないか…なんだったんだ?)
その時、微かな違和感を感じた。
(いや、違う…)
クレトは人と馬が折り重なって倒れている箇所を凝視した。
(ユメカ殿…ユメカ殿がいない???)
クレトは慌てて立ち上がると、ユメカ殿が存在したであろう場所に近づく。彼女が騎乗していた馬は、横倒しに倒れて辛そうな表情で身体を震わせている。 そしてその周囲には、”毒牙”が残した蹄の跡が残っている。だが肝心の彼女の姿は無かった。
(”毒牙”に攫われたのか?奴らの目的はユメカ殿の身柄だったのか?)
なぜ”毒牙”がユメカ殿を拉致したのは分からない。だが、これで連中が致死性の毒を使わずに麻痺毒を使用してきたのは理解できた。
(致死毒で攻撃すれば、ユメカ殿を殺してしまう可能性があるからだな。生け捕りにする必要があった。だから麻痺毒を使った…こちらを殺さなかったのは…全員を殺す時間が惜しかったからか?)
そう考えるのが自然だった。
(だが何故、ユメカ殿を拉致する目的は何だ?身代金?いや、こんな手の込んだことをする必要があるのか?何かもっと大きな目的がある気がする。だが、分からない。これについては考えるのはやめよう。俺はこれから何をなすべきか…)
クレトは推測で物を考えるのを止めて、今やらないといけない事を優先させることにした。
(まず第一に、この事をすぐに伝えないといけない。そうだ”32号”は…)
クレトは背負っていた四角い籠を下ろすと中を確認した。白羽の鳩はピクリとも動かない。蓋を開けると、ぐったりとした鳩を手のひらに載せる。強力な麻痺毒に小さな鳩の身体は耐えられなかったらしい。絶命していた。
(お前の繊細な身体では無理だったか…”32号”、すまなかった)
心の中で謝罪すると鳩の遺骸を籠に戻す。心の中で、”32号”を”25号”と一緒に空へ放てばよかったという後悔の念が沸いた。そうすれば王国本部へ連絡も出来たし、”32号”が無駄に死ぬことも無かった。ただクレトの後悔と感傷は一瞬だった。すぐに気持ちを切り替える。
(ユメカ殿拉致を王国本部に伝えないといけない。何としてでもだ…俺一人でも行動するか?いや、焦るなクレト。徒歩で行動しても時間が掛かりすぎる。慌てずに騎士団の連中の毒が抜けるのを待ち、当初の予定通り陸防師団本部を目指すべきだ。救援が出ていれば途中で出会うかも知れない。急がば回れだ)
クレトは腰に付けた小物入れを探る。ペオニアの薬草が僅かばかり残っていた。それを手に取ると、まずはユーハーソン分隊長の元へ近づいた。
(そうだ。バラーシュ隊長殿の小物入れにも薬草が残っている筈…隊長に投与したら、その残りも使おう)
王国軍の中で医務班を除けば、解毒用の薬草を常時携帯しているのは追跡者隊隊員だけだった。バラーシュ隊長の分を合わせても、騎士団全員と軍馬の分を合わせると到底足りるものではない。それでもクレトは、やれることはすべてやろうと考えていた。