ヴェホラ 3
「その…”どくが”とは一体なんなのだ?」
「貴殿らは知らぬのか?この辺りで生活しているのだろう?」
クーンツは少し意外そうな顔でこちらを見る。
(しまった!なんか有名な存在だったのか!)
ここで討伐隊の二人に、どんなことでも疑問を持たれたら話が変なことになるかもしれない。幸い今の発言は人間の言葉だったので、少なくともオークには理解できないはず。なので、周りの仲間には不審がられずに済んだはずだ。それに気が付くと英俊は少し胸を撫でおろした。
『”毒牙”は、この近辺で活動している手練れの武装山賊集団だ。毒の呪術と、毒の武器に習熟している輩だ。我らは人間に比べて、毒への耐性が遥かに高い。それを知っている奴らは我々に手出しをしてこないのだ』
今までずっと沈黙を保っていた”百人隊長”の言葉が響く。英俊はその言葉を聞いて咄嗟に誤魔化した。
「いや、知っておる。ドクを使うブソウさんぞくのヤカラであろう?そなたら、にんげんにはキケンな毒も、われらオークにはそれほどでもない。なので、いっしゅん、そのナマエを忘れておった」
「そうか、オークは毒に強かったな。羨ましい話だ」
クーンツは、それほど疑いも持たなかったようだった。それより、脱出した粟國夢夏の安否が気になるようだった。
「どうするべきか…俺と追跡者隊の生き残りで後を追った方が良いか?」クーンツはシャルデニーに問う。
「無理だ。もし”毒牙”が罠を張っているなら、数騎で追ったところで意味はないだろう。大丈夫だ。追跡者隊隊長のバラーシュが付いている。バラーシュなら、奴らが待ち伏せしても気が付くだろう。騎士団も手練れだ。切り抜けてくれるはず。バラーシュ隊長と騎士団を信じよう」
シャルディニーは、焦りの表情を見せるクーンツを押し留めた。そして更にクーンツに言葉を重ねる。
「クーンツ、お前は城に戻るのだ。国王殿に謁見して今回の件を報告する必要がある。そして王宮魔術師に、前国王殿とヴェホラの確執の件や、”死穢の禁呪”や”魂の取引”について詳しい情報を聞き出せ」
「分かった」
「あと、ヴェホラが口走った”写本の守護者”だ。何か知っているか?」
「いや、まったく心当たりはない。シャルディニー、何か知ってるか?」
「俺も知らん。全然知らん。じゃ、それについても調べてくれ。”守護者”と言うからには人間なのか。いや、もしかしてそう呼ぶだけで魔術書や、神具の類かも知れない…全く見当がつかない」
「分かった。何とかしてみる」
(確かに、今から騎士団を追いかけても追いつけるか分からない。バラーシュと騎士団を信じて託した方が良いな…ユーハーソン、ユメカ殿をお守りするのだ。頼むぞ)
クーンツの心は決まった。オークのリーダー、”百人隊長”の方に顔を向ける。
「我はこれから城に戻る。恐らくこの地に救援部隊が来るはずだ。それに関してはシャルディニーが救援隊に説明をして、貴殿らオーク一族には手を出さぬよう徹底させる。約束だ」
クーンツの言葉を聞いて、シャルディニーは任せろと言わんばかりに深く頷く。
「貴殿らは麾下の怪我人の手当や戦死者の世話をしながら、我が戻ってくるのを待っていてくれ。我ら討伐隊も同じように自分達の戦いの後始末をする。手伝ってくれとは言わない。だが、余計な諍いが起きぬように、お互い不干渉ということを徹底して欲しい。…頼めるか?」
(流石にさっきまで戦っていたもの同士が仲良くってのは無理だな。それが最善の策だ)
分かった。と言いかけて、ふとある疑問が浮かんだ。
「きゅうえんぶたいがくると申したな?彼らにはドクガに対するケイカイをまかせるつもりか?」
「あぁ。そうだが?」
唐突な質問に、少し戸惑うように答えるクーンツ。
「ヴェホラは、きょうだいなマジュツシなのだろう?じしんのマリョクでわれらオークを倒そうとしなかったのはなぜだ?」
「ああ…」クーンツは英俊の質問に納得した顔をした。
「彼女は高位の魔術師だが、あくまで”召喚魔法”についてのみだ。対象を攻撃する”破壊魔法”はからっきしという噂だ。だから己が武器として、”毒牙”を利用しているのだろう。…どうやらその噂は本当のようだな。まぁ、その代わり召喚魔法に関しては有り得ない技量を持っているらしいが。何と言っても、邪神という名の”神”の召喚を企てるくらいだからな」
質問の意図が分かったのか、クーンツは明快に説明してくれた。
「なるほど…ソウダッタのか」
(ヴェホラは己を護る術を持っていないのか…それじゃ距離を詰めれば倒せるという事か?いや、本人もそれは分かっているはずだ。だから”毒牙”とかいう山賊を使っている。それに彼女は”召喚魔法”の使い手…)
英俊は、前の世界でやり込んでいたファンタジーゲームに出てくる召喚魔術師を思い出した。死者を冥府から甦らしたり、異世界のモンスターを呼び出してプレイヤーにぶつけてくる彼らを。
(その想像が当たっていたら…彼女は別に護身の技術を持たなくても問題ない訳か。召喚魔法で呼び出せば、護衛は無尽蔵に湧き出てくる訳だし…そう考えると、かなり面倒くさい相手だな)
「”百人隊長殿”、我はそろそろ城に戻りたいのだが…よいか?」
「ああ、もんだいない。相互不干渉もリョウカイした。どうちゅう気を付けていかれよ」
「お言葉感謝する。王国を動かせなかった場合、貴殿らに協力を求めることになるやもしれぬが…?」
「それについては、我の一存では決めかねるが…”死穢の禁呪”が成立すれば、我らの生地も滅びるのであろう?協力するように、皆を説得してみる」
「かたじけない。良い返事を期待している」
クーンツはそう言うと軍馬に跨った。デファンと数名の追跡者隊の生き残りが同行するため、残っていた軍馬に騎乗した。クーンツは、彼らに対してよく通る声で
「撤退した歩兵総隊を追いかける。総隊に追いついたら、山賊や野生動物が出現する地帯は歩兵隊と一緒に行動する。危険地帯を抜けたら、速度を上げて我々だけで王国を目指す。分かったな?」
「承知しました!」追跡者隊隊員は口々に返答する。
「デファン…お前は大丈夫か?…その…ケガの方は?」
クーンツがデファンに声を掛ける。
「大丈夫です。全く問題ありません!」そう言いながら、”深い川底の魚”に感謝の視線を向けた。
「…そうか。それならば良いのだ。では皆、行くぞ!!」
クーンツと彼を護衛する数騎は、谷を抜けるために馬の横腹を両足で軽く叩いた。馬が速足で動き出す。開けた場所に出ると駆け足になった。
追跡者隊が使役している猟犬達がその後を追う。もちろんその中には、デファンの相棒、ロザリアも居た。彼女は実に楽しそうに跳ねるように駆けていた。