ヴェホラ 1
『これは私の予想にしか過ぎませんが、”死穢の禁呪”の儀式が人間の世界だけでは無く、我らオーク…いや、この王国全土に悪い影響を及ぼすものである気がするのです』
『そうなのか?』
『ええ。”アイオンの像”の秘められたる力を利用すると言うのであれば、それだけの災厄を起すことは可能でありましょう。人間だけの話であるなら、我らには関係ありませぬが、これが王国全土となると…』
『こちらとしても協力せねばならぬという事か』
『そうでしょうな。まずは彼らの話を聞きましょう』
きな臭い話をしているのに、”深い水底の魚”は泰然とした表情を崩さなかった。そして彼が言い終ったまさにその時、討伐隊の指揮官も打ち合わせが終わったのだろう。こちらを振り返ると、歩を進めてきた。
◇
「待たせて済まなかった。話の内容が内容なだけに、慎重にならざるを得なかったのだ」クーンツがこちらに詫びて来た。
「だいじょうぶだ。気にしてはイナイ」
英俊の言葉にクーンツはひとつ頷くと、彼は話を続けた。
「シャルディニーと二人で話したんだが、王国内の噂話を材料に含めた事柄も混ざるので推測になってしまうのだが、最悪の結末を予想すると…」
クーンツはそこまで言うと、じっとこちらを見た。
「構わぬ。はなしをつづけてくれ」
英俊は先を促した。クーンツの口調や”深い水底の魚”との話で、何となく予想は出来ていたのだが。
「分かった…そう、もし私らの予想が当たったのなら、我らハーシュ王国は大きな災厄に見舞われる事になる。貴殿らが生活している、この辺り一帯もその惨禍を免れることは出来ぬだろう」
クーンツの表情は真剣そのものだった。嘘を言っているようには思えなかったし、”噂話を含めて予測した”と言いつつも、その結末にも自信があるようだった。クーンツは話を続けた。
「まず、黒のローブを着た謎の女性だが、彼女は恐らくヴェホラだ。以前、王宮魔術師として王国に仕えていた黒魔術師…いや分かり辛いか。端的に言うと言うと召喚魔術師だ。彼女が何かを企んでいるのは間違いない」クーンツは言葉を切ると、こちらの反応を窺う。
「なぜ、かのじょが、その…ヴェホラという者だとわかるのだ?確証はあるのか?」
「ああ、まず容貌だ。長い黒髪に整った顔立ち。美人ではあるが冷徹と憎悪を身に纏った雰囲気。そして魂を封じ込める程の魔術スキル。そのような技量を持った魔術師は、少なくとも王国には彼女しかいない。それについては自信がある」
「なるほど、わかった。…さきほど、『以前』と言っていたが、ヴぇふぉらという魔術師は、現在は王国につかえていないのか?」
英俊の質問に、クーンツとシャルディニーは一瞬互いに顔を見合わせた。二人は既に打ち合わせ済みだったのだろう、眼と眼で頷きあうと、こちらに顔を向けた。クーンツのその表情は、『嘘偽りなく全てを話す』と言う決意が秘められていた。
「ああ、そうだ。知っていると思うが、我が王国は最近国王が変わった。前国王殿が逝去されて、子息であるハーシュ七世殿が、国王として即位された。ヴェホラは、前国王の時代に王宮魔術師として働いていたが、ハーシュ六世前国王殿と何かあったらしく、王宮魔術師としての座を追われた」
「クビになったということか?」英俊が尋ねる。
「人間の言葉に詳しいのだな。その通りだ」クーンツは苦笑交じりに答え、頷きながら話を続ける。
「ヴェホラが王宮魔術師の職を辞して、王国から姿を消した直後にハーシュ六世は病に罹り病床に臥せた。王国中の医師と薬師、治癒魔術師、祈祷呪術師が集められ治療を試みたのだが、その甲斐もなく亡くなられたのだ」
ここまで話すと、クーンツは”ここからが本題だ”という表情をする。英俊は”続けてくれ”という表情を返す。彼は少し息を吸い込むと、いよいよ本題を切り出した。
「前国王殿が逝去されてから、暫くしてから王国宮廷内で妙な噂が出回り始めた。”六世が亡くなられたのは病気ではあるが、それは何者かによる呪いによって引き起こされたもの”で、高名な治癒魔術師、祈祷呪術師にも解呪出来なかった。もちろん、医学、薬学からのアプローチで治すことも不可能なものだった。”前国王殿は自然界に存在する病気でなく、強力な呪いによって呪殺されたのだ”と」
「じゅさつか…おだやかでない話だな。そのうわさだが、うわさというのは、えてして、それを裏付けるような傍証があるとおもうのだが」
「そうだ。噂によると、治療にあたった治癒魔術師が前国王殿の病状を一目見て、強力な呪いによって引き起こされた病であると見抜いたらしい。すぐに祈祷師が解呪を始めたが、前国王殿を暗殺しようと企図した者は入念だった」
「どのような念のいれかたをしたのだ」
「毒だよ」
「毒?」
「ああ。前国王殿は毒、少しづつ確実に体を蝕むような毒によって犯されていた。かなり強力な継続毒だったらしい。これ対しては、医師と薬師が全力を挙げて治療を試みたが解毒することは出来なかった。”呪い”と”毒”この二つは無関係でないと推察されたらしい。前国王殿を殺そうと企んだ人間が同時にそれを行ったと思われた」
「前国王を暗殺した人物というのが…」
「そう、ヴェホラだ。彼女は恐ろしいまでの執念を持って、前国王殿の暗殺を成し遂げた。それが噂だ。だが妙に説得力を持つ話だ」
「だがなぜ?なぜ暗殺など?」
「…そこは色々な噂が流れていてよく分からない。だが事実だけ言うと、前国王殿とヴェホラの仲は、長い間親密だったのだが…ある時期から非常に険悪になった。これは事実だ。自分が王宮会議に出席していた時に、六世殿とヴェホラが激しく意見を対立させていたのを何度も見ていたからな。少なくとも仲が良いとは言えなかった」
「なるほど、だが殺したくなる程の理由とは…」
「それは分からない。だが、デファンの話によると、彼女は”死穢の禁呪”とかいう忌まわしい儀式を行おうとしている。この”死穢の禁呪”というのは、名前の通り世界に災厄をもたらす可能性がある危険な呪術だ。王国内の古い言い伝えにも度々登場するほどだ」
「その儀式というのはどういうものなのだ?何か知っているのか?」
「ああ。召喚魔法だ。最上位の召喚魔法の儀式。それに成功すれば、この地に棲みし”黒の邪神”を召喚することが出来る。彼は最悪の破壊神だ。もし彼を呼び醒ましてしまえば、この王国は破壊しつくされるだろう」
「そう…なのか」
(何か大きな話になってきた。ただ、ゲームなんかでの破壊神は”世界を滅ぼす者”となっているのが定番だが、黒の邪神は”王国を滅ぼす者”なのか。いや、最悪なのは間違いないが、なんか”地元最強”みたいな感じだな)
そこが疑問になり、つい質問をした。
「黒の邪神が目覚めるのが最悪なのは理解したが、彼の力は限定的なのか?その…世界全体を滅ぼすようなモノではないと?」
「それは恐らくそうだ。いや、間違いない。この世界は広い。この世界には多数の神々が存在している。破壊の神もいれば、創造の神もいる。混沌を生み出す神もいれば、秩序を司る神もいる。この世界は神々の力によって均衡が保たれている。貴殿らオークの民にも、信奉する神が存在しているのだろう?」
そう言いながらクーンツは、英俊の腕に装着された”蛇と獅子”の線画が施された鉄製の籠手をチラリと見ながら話を続けた。