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蘇生の呪文

『それで”深い水底の魚”…この人間の死体に何か気になるところでもあるのか?』

 

 ”百人隊長”が静かに問う。”深い水底の魚”は立膝の姿勢になり遺体を検分し始めた。検分している”深い水底の魚”に犬がそっと近づき、鼻面を突き出して匂いを嗅ぐような素振りを見せた。涙で潤んだような真っ黒な瞳は、どこか心配そうな表情に見えた。

 

 『これは…なんと…不思議な事もあるものだ…。我々と人間達の信奉している神は違う。だが、”生命”、”魂”が導かれる場所は違うにしろ、”生命の摂理”は同じはずだ…それなのに…』

 

 そこまで呟いてから”深い水底の魚”は顔を上げると、英俊の顔を見つめ、それから言葉を続けた。

 

 『この人間の兵士は…まだ肉体と魂が切り離されていない…そんな気配がするのだ…分かりやすく言うと、彼はまだ死んではおらん』

 

 『それはどう意味だ?…額に矢が突き刺さっている状態なのに?』英俊は問い返した。

 

 『そう。不思議なものだ。なぜなのか…お前は何か知っておるのか?』”深い水底の魚”はそう言いながら、犬の方に眼をやる。犬の方も”深い水底の魚”にしっかり眼を合わせる。

 

 ”深い水底の魚”と犬の視線が絡み合う。まるで会話をしているようだった。いや、動物を魔力で操ることが出来る”深い水底の魚”だ。本当に会話をしているのかもしれない。

 

 『なるほど。お前の主人を想う気持ちがよく分かった。その念が、お前を生と死の狭間の地へを赴かせたのだな』そう言いながら、犬へと手を伸ばし、首筋を優しく撫でた。そして、何かに気が付いたように犬の首筋から何かを摘まんだ。

 

 人差し指と親指で摘まんだ先には、真っ黒で太い獣の毛があった。犬の毛色は茶色と白だ。黒ではない。黒い毛は別の獣の毛が付着したようだった。

 

 『そうか、お前は主人を護る為に、生と死の狭間に巣食う獣と戦ったのだな。そして、敵である我らに救いを求めている。その気持ちに答えてやらねばな』

 

 ”深い水底の魚”は犬に語り続けていた。周りの者は、教え諭すようなその言葉を聴いているだけで、この兵士と犬に一体どのような事が起きたのか、おおよその事は理解できた。

 

 『”深い水底の魚”…では、この兵士をオークの呪術で蘇らせるのか?』

 ”百人隊長”が問う。

 『そうだ。この犬が主人に対する念に心を打たれた…というのも理由の一つだが、オークも人間も、肉体がその役目を終えた時、魂とは速やかに切り離されるはずなのだが、彼はそうではない。なにか運命的なものを感じるのだ。彼を生き返らせ、彼の運命…いや宿命のようなものを知りたいと思っている。…そして』

 

 ”深い水底の魚”は、少し離れたところに横たわっている啓亜の遺体の方に眼をやりながら、

 

 『先ほどの魔力の波動、人間のリーダーの胸に突き刺さった短剣の意味。もしかしたらこの兵士が何か知っているのかもしれん。これより蘇生の呪術を執り行う。オークの蘇生呪術が人間に通用するかは分からぬが…』

 

 そう告げると、一息つくと目を瞑り両手を複雑に組み合わせる。何か印のようなものを結んでいるらしかった。

 

 『គឺ អ្នក ដែល ត្រូវ បាន ជ្រើស រើស ឲ្យ ក្រោក ពី ដី នៃ អ្នក ស្លាប់ ។!!』

 

 この世界に来てから、オークの言葉も人間の言葉も何故か理解できていた。本当は違うのかもしれないが、少なくとも脳内で認識するときは、日本語として聞こえていた。

 だから理解できない言葉を聞くというのは、この世界では初めての経験だった。

 

 実際、一騎打ちの直前、啓亜がこちらに対して挑発して来た時、英俊には啓亜が何を言っているのかはハッキリ分かったが、”百人隊長”は理解できずに、何を言っているか尋ねて来た。当たり前だが人間とオークの言語は全く違うものなのだろう。

 ただ、英俊にとって啓亜と”百人隊長”、二人が話している言語は日本語にしか聞こえなかった。英俊には同じ言語…しかも日本語として理解できたのだ。

 

 (なんか、不思議な話だ。これこそ神の思し召しなのか。それとも、やっぱり事故で意識を失って醒めない夢を見ているのか…)

 

 ふと英俊は、病室で複数のチューブに繋がれ酸素マスクを装着して、ベットに横たわっている自分を想像した。医師は辛そうな顔で両親に告げる。

 

 「ご子息の意識を戻るのは…。いえ、こういったケースでも意識が回復したケースが無い訳ではありません。決して望みを捨てないで下さい。私たちも全力でサポート致します」

 

 …両親はその言葉を聞いて

 

 どんな顔をするのだろうか。

 

 

  …陰キャで友人も皆無。そしてイジメを受けている雰囲気を身に纏い、いつも一人で部屋に閉じこもっている自分の息子。その息子が事故で植物状態になってしまったら。

 

 

 

 どんな思いを抱くのだろうか。

 

 

 

 そこまで考えて、英俊の心に何とも言えない思いが沸き上がり、頭に描いていた不吉な想像を慌てて振り払った。

 

 (こんな事を想像して何になる。それよりも、いま現在の状況だ。この状況を打開することの方が大切だろうが…)

 

 英俊は、そう考えると心を切り替えるかのように、”深い水底の魚”と兵士に視線を向けた。

 

 英俊には理解できない呪文を唱えるオークの呪術師。複雑に結ばれた両手のいん。その時、不思議な事が起き始めた。

 結ばれた印から光が漏れだすと兵士の遺体を覆う。矢が突き刺さった額。特にその部分が強く光っていた。

 

 ”深い水底の魚”は、ふと眼を開くと左手は印の形を保ったまま、いきなり右手を突き出すと、突き刺さっていた矢を握るとそれを引き抜いた。

 

 血は出なかった。というよりも、引き抜かれた瞬間に額の傷口に光が集まり、その矢傷は消滅した。僅かに肉が盛り上がり傷跡らしきモノが残ったが、パッと見ではケガをしたかどうか分からないくらいだった。

 

 (凄い…これが、蘇生魔法ってやつか…ゲームではお馴染みだけど…実際初めて見るとこんな感じなんだな)

 

 英俊は初めて見る蘇生魔法に驚き、眼を離せなかった。”深い水底の魚”はその後も呪文を静かに唱え続けたが、声は低く小さくなり、その蘇生魔法の儀式が終わりに近づいているのが、英俊にも何となく理解できた。

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