生と死の狭間で 1
やがて死神は全ての仕事を完了して、死の犬を従えてゆっくりと歩み去っていく。段々と小さくなるその姿は、最後に馬車や死の犬の一群となり、闇に吸い込まれるように消えて行った。
荒地にはデファンとロザリアだけが残された。風の鳴る音もしない。耳が痛くなるくらいの静寂だった。
(ロザリア…助けてくれてありがとう…とりあえず、肉体と幽体は切り離されずに済んだが…俺、このあとどうなるんだろうな?)
ロザリアは真っ黒な瞳をデファンに向ける。犬が見せる特有の表情。…濡れたような瞳に切なそうな気配を浮かべた。その姿をじっと見ていたデファンは、ロザリアの姿が段々と薄くなるのに気が付いた。
(ロザリア…お前も行ってしまうのか…いや、最後に助けてくれたんだ…感謝するよ。ロザリア…達者で暮らせよ)
鼻声を鳴らしながら悲し気な瞳でこちらをじっと見るロザリア。その姿は急速に薄くなり…向こう側が透けるくらいまでになり…そして、遂には消えてしまった。
◇
ロザリアが姿を消し、無人の野に一人残されたデファン。この後、一体どうなるかも分からなかった。身体は移動することも叶わない幽体のまま。
長い時間が過ぎたような気がした。いや、実はそうでもなかったのかもしれない。余りにも空虚な状態だったので時の流れを認識することが出来なかった。
ふと気が付くと、前方の少し先に誰かが立っているのが見えた。いつからそこにいたのかも分からなかった。気が付くとそこに立っていた。その人影は後ろ姿で、黒いフード付きのローブを身に纏っているようだ。
(死神?死神が再びこちらに来たのか?)
デファンは緊張した。息を潜めるようにして前方を窺う。なにか様子が変だった。死神に付き従っていた死の犬らしき影は見えない。
そして、その後ろ姿を観察するが先ほど見た死神とは微妙に体型が違う。少しほっそりとしている。デファンは懸命に目を凝らす。
(あいつ…大鎌を持っていないように見える。そしてあの体型…ローブでよく分からないが、女みたいだな。そう、あの体型は女性に違いない。誰なんだ?あいつは?)
ローブ姿の女性らしき人影は、遠目から見ても自分の足元を見下ろしているようだ。デファンも視線をを少し下げる。
足元には、一人の兵士が倒れていた。クーンツの知らぬ間に。いや、戦いは続いているはずだ。命を絶たれてこの地に送られてきた兵士なのか。
彼は一般の兵とは違う金属製の鎧を身に付けている。騎士だろうか?いや、遠くからでも、その金属鎧が騎士が身に付けている高級な金属鎧よりも、更に入念な加工が施されているのが分かった。
磨き上げられ、熟練の鍛冶職人により丁寧に仕上げられたその鎧は、暗い荒野を僅かに照らす陽の光を反射して薄く光っていた。
そのような高級な甲冑を身に付けられる者は討伐隊の中でもただ一人だ。
ケーア様…? まさか…?!
デファンは驚いた。精鋭の従兵に護られていて、本人自身も卓越した剣技の技術を持つケーア様だ。その彼がそう簡単に死んだりしないはずだ。だが、いまデファンが立っているこの地は、生者が存在すべき場所ではない。
その場所にケーア様が出現した。つまり、ケーア様は戦死されたと考える他なかった。
(嘘…だろ?)
ケーア様を見下ろすフードを身に付けた女は、じっと動かない。その姿はどこか不気味な感じがした。
ふと、その女は身を屈めると、足元の地面から何かを拾い上げると、それを右手で握りしめるや否や、ケーア様の遺体に振り下ろした。
(あっ…!!??)
次の瞬間、ケーア様の遺体から青白い何かが飛び出してきた。ケーア様の幽体だ。ケーア様はまだ息があったのか?だが、完全な死を迎える運命にあり、この地に送られてきたのか。
そして、正体不明の女に止めを刺され、生命活動を続けていた肉体から幽体から飛び出した。
それを待ち構えるようにフードの女が左手をかざした。すると奇妙な事が起きた。地面に立つはずだった幽体が彼女の左手に吸い込まれるように消えてしまったのだ。
ケーア様の遺体から伸びる、肉体と幽体。現世と肉体を繋ぐ青白く細長い紐。彼女の左手にはその一端が垂れ下がっている。もう一端は、ケーア様の左脚の爪先に付いている。
女は落ち着き払って右手を紐に触れると、不思議な事に触れただけで、その紐は切れて地面に落ちた。紐は弱く青白く明滅していたが、暫くすると消滅してしまった。
ケーア様の幽体を左手に収めると、女はゆっくり立ち上がった。その時、彼女の横顔が少し垣間見えた。フードの陰に隠れているが、口を動かしているように見えた。何か独り言を呟いているらしい。
(『”力”を分け与えてやったのに…使えない奴…時は満ちておるのに…だが、まぁいい。肉体が滅んでも、”魂”はまだ利用できる…この魂と、あの女の魂も使えば…オークどもの”アイオンの像”使わずとも”死穢の禁呪”を発動できるはずだ…それには”写本の守護者”の力が必要だ。彼女を探さねば…』)
唐突にデファンの耳の中に女の声が響いた。あのフードの女の声か。当然誰もいないと思っていたのだろう。独り言のつもりだったらしい。距離が離れている。聞こえる筈もない。だがその声は耳元で囁くようにはっきりと聞こえた。
若い女性の声だった。だが若い女性とは思えない平板で冷酷な声だった。身体が凍り付きそうなその声に、デファンの身体は硬直した。
突然、女は振り返った。暗闇の中で真っ白な彼女の顔が浮かび上がる。見事なまでの長い黒髪。純粋な黒というより、少し紺色掛かって見えた。形の良い面長の面貌に、形の良い大きな瞳と顔の中心には綺麗な鼻筋が通っていた。
遠目から見ても分かった。美人だった。デファンだけではないはずだ。彼女を一目見た人間は全員そう思うだろう。だが、彼女が身に纏っている雰囲気は、およそ彼女らしくなかった。
冷酷
そして
憎悪
彼女は無表情だった。人形のような無機質さを醸し出し、計算されたかのような均整のとれた顔のパーツの配置。デファンは彼女の顔を見た瞬間、教会なんかの公共の場所に設置された石像を思い出した。そう、城内謁見の間に配置された、高名な彫刻家が作った女神像そっくりだった。
だが、その無機質で冷酷な表情の下に、抑圧された彼女の怒りが潜んでいるのをデファンは見逃さなかった。