戦乙女
死の犬を従えた死神が、こちらに確実に近づいてくる。もうこの世に存在出来る時間もあと僅かだろう…
(死神や死の犬が見逃した幽体が何体かあった…あれは、煉獄や冥府行きを免れた者たちなのか…最後まで諦めるな…俺も、もしかしたら刈り取られずに済むかもしれない)
デファンはその思いに縋った。もしかしたら…ひょっとしたら…死神や死の犬は見逃してくれるかもしれない。そうすれば、俺の行先は天国か、称賛されし戦士の間へと導かれる。
その思いはデファンにとって祈りに近かった。なぜなら、眼前の幽体達は殆どが死神と死の犬の的確な仕事ぶりで馬車の荷台へと積まれていき、見逃された幽体の数は極僅かだったからだ。
死の犬達が、自分の周りの幽体をあらかた片づけ、次の幽体が存在する場所に視線を送る…そう、デファンとデルガド分隊の幽体が居るその場所だ。
(…ついに、俺達の番だ…俺は魂を刈り取られるのか…アイギナ様お助けを…!!!)デファンは戦姫アイギナに必死で祈った。…奇跡よ、起こってくれ!
その時だった、上空全体を渦巻く黒雲から、何箇所も穴が開き、その雲間から荘厳な光が光線のように突き抜けてきた。
(なんだ!)思わずデファンは上空を見上げる。黒雲に穿たれた穴。その黒雲の周囲を光が照らし、独特な陰影を作り出していた。そしてその穴から、何かが地面に向かって降下し始めた。
(あれは…戦乙女…!!アイギナ様が遣わしたのか?)
真っ白な翼を力強く羽ばたかせ、白いローブに胸鎧を付けた美しい女神。右手に剣、左手には盾を持っていた。彼女たちは、戦死者を天国もしくは称賛されし戦士の間に連れて行く役目を担っていると言われていた。
戦乙女達は地面に降り立つと、死神と死の犬の選別から逃れた幽体の手を取り上空へと昇って行く。
連れて行く際に、手に持った剣で肉体と幽体を繋ぐ魂の紐を断ち切る。死神が行った、肉体と現世を断ち切る動作だ。
だが、戦乙女に連れていかれる先は天国だ。死神達に連れていかれる場所とは正反対だ。まさに天国と地獄。
死神も死の犬も、戦乙女には無関心だった。己の仕事を黙々と全うしている。戦乙女達も、死神の仕事を邪魔する事は無い。
『天界へ連れて行くべき人を連れて行く』それ以上でもそれ以下でもなかった。ただただ、淡々と仕事をこなしていた。どうやら、『選別』は揺ぎ無い基準があり、迷う余地などないらしく、つまりは戦乙女と死神が争うことも無いようだった。
戦乙女達は数が多く仕事も素早かった。死神や死の犬の選別から逃れた幽体を全て上空へと導き終えると、今度は、今まさに死神が作業に取り掛かろうとしていた討伐隊最後尾…そう、デファンやデルガド分隊の戦死者の選別に、死神達より一足早く取り掛かった。
(先に…先に戦乙女が来た。もし彼女が俺の手を取ってくれたら…俺は、煉獄やら冥府なんかの恐ろしい世界へ行かずに済む。頼みます…お願いしますアイギナ様!俺を天界へ連れて行ってください!)
デファンは必死で祈った。その時その祈りが通じたのか、神々しい光を身に纏った一人の戦乙女がデファンの傍に降り立った。
デファンの心臓は飛び跳ねそうになった(幽体なので心臓があるかは分からないが、その時、デファンの胸は一瞬、強く脈打たれた)
(俺か…?俺だよな?頼むっ!)
戦乙女はこちらに歩み寄ると…傍に立っていた別の戦死者の幽体の傍に膝まづくと、その剣で幽体と魂を繋ぐ紐を断ち切ると、慈愛に満ちた笑顔を浮かべる。そして、彼の手を取ると上空に開けられた穴へと羽ばたいていった。
暗い黒雲に開けられた穴へ向かって、死者の魂を連れて行く有翼の女性。その姿は余りにも神秘的で、高名な画家が描いた宗教画のようだった。
もしデファンが今置かれた状況では無かったら、敬虔な気持ちに心が満たされて、空高く上る戦乙女に祈りを捧げただろう。
だが…残念ながら、今は深い失望しかなかった。自分は選ばれなかった…深い失望感、虚無の心しかなかった。
(いや…まだだ…まだ戦乙女は選別している。引き上げたわけではない)
デファンは心の中で必死で自分に言い聞かせたが、先程まで上空に消えた彼女達が、再び降下して新たな幽体を連れていく作業をしていたのが、段々と戻ってこなくなっているのに気が付いていた。
そして、何箇所にも開けられたいた黒雲の穴が、そのたびに塞がれて戦場が先程の暗さを取り戻し始めていることも。
それはつまり、天界へ行く資格のある幽体が終わりに近づいている事に他ならなかった。
絶望感に苛まれながらも、一縷の希望に縋っていたデファンだが、遂に終わりの時が来たことを察した。
最後に一人残った戦乙女が、一人の幽体の手を引くと上空へと昇っていく。その先は唯一開けられていた、天界への入り口の穴だ。
彼女と幽体が、その穴へと吸い込まれていくと、雲が閉じて戦場は再び薄暗くなった。
残された幽体の数は未だ多い。そして、その幽体は全員が死神と死の犬に、肉体と幽体を切り離され、死神の馬車に乱雑に積まれて、暗い世界へと連れていかれる。
それが決定した瞬間だった。それがここに残る幽体全員の、この地上世界での最期の運命だった。
もちろん、その中にデファンも含まれていたのだが。