死神と魂
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(…なんだ…俺は…どうしたんだ?どうなったんだ?)
デファンは一人訝しんだ。岩の陰から急襲するオークの数を把握しようとして…
次の瞬間、自分で自分の姿を見下ろしていた。岩陰からはみ出すように倒れている自分の姿を。
(なんだ…?俺はやられたのか?…なぜ俺は自分の身体を見ているんだ?一体どうなったんだ?)
混乱しながら、もう一度、倒れている自分の姿を見る。脱力し横たわる自分の肉体を。そして、その自分の肉体の眉間に長い矢が突き刺さっているのに気が付いた。
(…そうか…オークの弓撃を喰らったのか…そして俺は肉体と魂が別れてしまった…)
デファンは自分の右手を顔面に挙げてみる。自分の右手は確かに存在する…だが、それは青白く輝き、半透明で向こう側を透かし見る事が出来た。
(俺は、今、魂…治癒師の言う所の”幽体”の状態なのだな。もし自分が幽体ならば…)
今度はデファンは自分の足元を確認する。幽体である自分の左脚のつま先から、青白い紐のような物が伸び、それが死体となった肉体の左脚のつま先と繋がっている。
(この…肉体と魂を繋ぐ紐が切れた時…俺は現世と別れて、あの世に行くことになるのか…)
デファンはそっと周りを見渡す。先ほどオークの弓兵によってデルガド分隊の兵達が多数倒された。それはつまり…
(やはり…俺と同じか。肉体と魂が分かれたお仲間がたくさんいる…)
オークの弓撃によって戦死したデルガド分隊員。彼らもまた、肉体と魂が細い紐で繋がった状態で多数存在していた。
無数に突っ立った青白い影。周りの風景は、生きていた時と同じ戦場…蜥蜴の這う谷だったが、生きている者は存在しない。無数に転がる死体と、それと同数の青白い幽体だけだった。
(このままで、どうなるんだ…?教会での説話だと、いわゆる”お迎え”が来るはずなんだが…)
デファンは教会での司祭が語る説話を思い出した。『善行を積んだものは”天国”に召される。勇敢に戦った兵士は”称賛されし戦士の間”へ導かれる…そして不道徳な者は…”煉獄”へと連れていかれ、現世の罪を償う事を義務とする…償う事も敵わぬ重罪人や、煉獄で罪を償いきれなかったときは…そう、冥府に落ち、そこで永遠の裁きを受ける』
(俺は…兵士として勇敢に戦った…だが、追跡者隊という部隊の性格上、冷酷非道な事も散々やってきた…つまりは…冥府なのか?いや、全ては王国の為に行ったことだ…私利私欲のためではない。だから”煉獄”だろうか?いや、仲間を助けた事も幾度もあった。…だから…ひょっとしたら”称賛されし戦士の間”に行けるかもしれない…)
デファンの心は乱れた。そうこうしているうちに、前方では忽然と兵士の死体が出現する。そして戸惑った様子の幽体も同時に。
死体の数は加速度的に増え続ける。激しい戦いなのは分かったが、死体の出現が多すぎる…不思議なことにオークの死体は一体も出現しなかった。
(いくら何でも、オークの戦死者が居ない事は無いだろうから、死体が出現しないのは違う神を信奉しているからだろう…だから、オークにも被害が出ているはず…それでも…)
そう、それでも討伐隊側、人間側の死体の出現数は多すぎた。いくらなんでも多すぎた。これは討伐隊が苦戦に陥っていると考えてもよかった。
…ふと、前方の兵士の幽体達が放つ青白い光が強く感じられた。それに訝しんだデファンは、その理由にすぐに気が付いた。
(雲だ…暗い雨雲が立ち込めている…周りが暗くなったから、幽体が明るく輝いているように見えたのか…)
暗い雨雲…不吉だった。デファンもまた、”黒馬に曳かれし死神の馬車”の童謡は知っていた。教会の説話に登場する”魂を刈り取る大鎌を持った死神”の話も。
(…死神が来るのか。それとも…)
その時だった、前方から幽体達が発する悲鳴を思わせる声なき声が波動のようにデファンのところまで伝わってきた。
次の瞬間デファンの視界に、禍々しいオーラを身に纏った真っ黒な毛並みの大型の狼のような生き物の群れが、次々と幽体に飛び掛かり魂と肉体を繋ぐ紐を食い千切るのが見えた。
(あ!あれは…説話にあった”死の犬”…!司祭の話は本当だったのかっ…!)
デファンは驚愕した。彼は司祭の話を(生きた人間が、死の世界を垣間見る事なんて出来やしない。半分以上創作だろう)と、全てを信じてはいなかった。
だが、肉体と魂を切り離され”死んだ”状態のデファンの眼に飛び込んできたのは司祭が説話で話した通りの光景だった。
死の犬の群れによって、兵士の肉体と魂は次々と切り離されていく。切り離された魂は人の形を保ったまま、その場で倒れ伏していく…
(司祭の話は本当だった…本当に死の犬は居たのか…それじゃ…次は…)
デファンは上空を見上げた。嫌な予想は的中した。黒雲が不自然に渦巻いた箇所があり…そこから…二頭立ての馬車が舞い降りるのがハッキリ見えた。
余りにも非現実な情景だった。だが、その馬車が地面に舞い降り、荷台から黒いフードを被り、巨大な鎌を持った人物が降り立った時、デファンは恐怖を感じながらも認めざるを得なかった。
(死神は…死神は本当に存在したんだ…)
邪悪な雰囲気を撒き散らしながら、死神は倒れ伏す幽体を大鎌で引っ掛けると宙に放り投げるような仕草をする。
放り投げられた幽体は、馬車の荷台に積まれていく。馬車を曳く黒馬は死神に付き従う為、放り投げられた幽体は、一度の間違いもなく荷台に積まれていった…
時々死神は、死の犬が食い千切らなかった幽体の傍に近づく…そして値踏みするように観察していた。
ある者に対しては、なんの行動も起こさず通り過ぎ、ある者に対しては自ら大鎌を動かし、死神自身がその魂を刈り取って行った。
(くっそ…死神と死の犬が近づいてくる…もうすぐ”裁きの時”だ…俺は一体どっちなんだ…)
当然、デファンはその場から逃げ出したかった。だが幽体は、その場から全く動かすことが出来なかった。だからその場に、阿呆のように突っ立って、死神御一行を待つ事しか出来なかった。