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変動

 討伐隊は騎士と歩兵が撤退し、その数が激減した。残っているのは重たそうな鎧を着こんだ重装歩兵隊だけだ。

 

 『そうか、あの重装歩兵…装備が重すぎて脱出出来ないと考えてここに残ったんだな』英俊は呟く。

 『恐らくそうだろう。あとはケガ人は置いていけないと判断したのだろう。仲間意識の強い集団だ。”仲間は見捨てない”という強い気持ちが我にも感じることが出来る。戦士としての誇りも高い。どうする?こちらが攻撃を仕掛ければ、奴らは死ぬ気で抵抗してくるぞ』

 

 英俊は”百人隊長”の言葉を耳にしながら考えた。

 (”死ぬ気で抵抗…?”いや、彼らは文字通り、”死ぬ”その瞬間まで戦うことを止めないだろう。このままだとこちらにも不要な戦死者が出てしまう)

 

 英俊はオークの戦士達を見渡した。勝利目前とは言え、戦いが始まる前に比べて明らかに数が減っている。

 (戦う前は、800名って言っていたな、今は何人残っているんだ?)

 

 戦闘の指揮なんてした事がない英俊にとって、周りを見渡しただけで生き残りの概数を把握することは出来るはずもなかった。

 

 『我らが生き残りは…600名ぐらいだな。人間どもは200名ほどと思われる』

 

 辺りをキョロキョロ見渡した英俊の意図を見抜いて、”百人隊長”が短く伝える。

 

 

 流石は”隊長”だ。いや、指揮官なら彼我の戦力を計るのは、当然必要不可欠な能力なのだろうが、それでも自分には出来ない事を、一瞬でやってのける”百人隊長”に対して驚きと尊敬の念を感じた。

 

 『あ、ありがとう…』

 

 英俊は、驚きでつっかえながらも礼を言った。そして考えた。

 

 (一方的に見えながらも、800名の4分の一である200名が、戦死したり傷を負って戦いから離脱したのか…もうこれ以上は、損害を出したくない)

 

 『なんとか…なんとか討伐隊の指揮官と話し合いは出来ないだろうか?』

 『…話?…この状況での”話”とは、彼らに”降伏せよ”と伝えるのと同義だぞ?そして奴らは、それを受け入れると思っているのか?』

 『…それは…』

 『おぬし…英俊…お前は、もうこれ以上戦って無駄な犠牲を出したくないのだろう?心根の優しい人間なのだな。だが、それは慈悲の心では無いのだ。己の心の弱さから出てくる怯懦きょうだの心だ。そのような気持ちで物事を決定するのではない。それが原因で、もっと悲惨な結末を迎える可能性も有り得るのだぞ?』

 『…』

 

 英俊は何も言い返せなかった。でも、どうする?どうするべきか?

 

 『じゃ、じゃあ”百人隊長”はどうすれば良いと思う?』

 『我にも名案がある訳では無い…だから考えておる。だが、最終的にどうするかの覚悟は出来ておる』

 

 (覚悟か…。つまりは解決策が見つけなければ、武力で決着を付けるという事か…やはりそれしかないのか?)

 

 その時だった。一瞬だが、周りの空気が妙にザワつくような奇妙な感覚が走った。半裸の”百人隊長”の皮膚が収縮する。鳥肌が立ったのがハッキリと分かった。

 

 (なんだ…?今の感覚は…一瞬だが寒気がしたぞ?)

 

 前の世界で例えるなら、怖い話を聞いた時に感じる、”背筋を走るゾッとする寒気”が、感覚的に一番近かった。

 

 英俊は周りを見渡す。他のオーク達も妙な感覚を感じたのか、一瞬だが不可解な表情をし、周りを不安そうに見渡す者もいた。

 

 『今のは…強力な魔力が発動された”波動”のようなものだ。””深い水底の魚の魔力ではない…人間の魔術師が使う魔力に似ているが、もっと…邪悪な気配がする』

 

 ”百人隊長”がそっと呟く。

 

 『”百人隊長”…今の妙な感覚を感じましたか?あれは、強力な魔術師が出現したか、強力な魔力が発動された時の感覚です…だが、討伐隊には魔術師はおりませんでした。オークの魔力とも違う…』

 

 その時、”深い水底の魚”の声が英俊の耳に飛び込んできた。

 

 『魔術師を引き連れた王国の救援隊が近づいているのか?』

 

 思わず英俊は”深い水底の魚”に叫んだ。最初に逃げ出した討伐隊が、王国に応援を求めたのか?それで討伐隊の救援隊が駆けつけたのか?

 

 『それはあり得ませぬ。王国から一番近い軍勢ですら、ここに着くまで半日掛かります。それにもし、そのような応援が駆けつけたのなら、魔力だけではなく、生命力や足音を感じることが出来ます。今の魔力の波動は、突如現れ…そして…忽然と消えたのです』

 

 『この谷で、現れたのか?』

 『そう…ですな』

 

 ”深い水底の魚”は暫く黙ったのち、ゆっくりと答えた。

 

 『波動が起きたのは…”百人隊長”のもう少し後方…”百人隊長”が倒した人間のリーダーが倒れている辺りからです』

 

 (啓亜が倒れている場所?…啓亜は、時間を操る魔法を使っていた…あいつはこの世界では魔術師でもあったのか?)

 

 啓亜は王国の討伐隊隊長で、一流の剣士になっていた。そして魔法をも操っていた。だから、剣士であり魔術師でもあるという可能性も大いにあった。というより、何でもありだろう。

 なぜなら英俊自身はオークと”二心一体”という状態でオークが信奉する神と会話までしたのだ。前の世界の常識なんて通用しない。

 

 (もしかして、啓亜は生きていて、自身に回復魔法を発動させたとか?その魔力の波動を感じたのか?)

 

 殺したと思った啓亜が生きている?…彼を殺したと思った時の事を思い出した。執拗ないじめを受けた憎い相手。バス事故の直前に、初めて”殺してやりたい”という憎悪の炎が燃え盛ったが、実際に彼の命を絶った瞬間は、後悔と殺人を犯したという不快の念しかなかった。

 

 殺してしまったという後悔の念はあった。だが、生き返ったかもしれないと思うと、手放しで”生き返った。良かった”という気持ちにも何故か成れなかった。英俊の心の中を、なんとも形容しがたい気持ちが駆け巡った。

 

 『心を乱すな。冷静になれ…まずは確認だ』”百人隊長”の声が英俊の心の中に響く。

 

 『”虎の足”!人間のリーダーが倒れている辺りを捜索してくるのだ』

 

 ”百人隊長”が部下に命じる。命令の後にすぐに言葉を続ける。

 

 『一人では行ってはならぬ。何人か連れていけ。油断するなよ』

 『分かりました。”百人隊長”…すぐに行って参ります』

 

 ”虎の足”は周りの部下に合図を送ると、彼らは緊張した面持ちで武器を構えると後方に走り去る。

 

 『後ろは振り返るな…人間どもに気取けどられるぞ。冷静さを保て。”虎の足”が報告してくれる。前だけを見ておけ』

 ”百人隊長”は落ち着いていた。こういう冷静さは、オーク一族の長たる所以だった。英俊には真似が出来なかった。

 

 英俊は素直に顔を前に向けて、討伐隊の方に視線を送る。彼らも魔力の波動を感じたのだろうか?

 

 討伐隊の防御陣の隙間から、中心付近にいる指揮官らしき者が数名いるのが見えた。兜の面貌ヴェンテールで覆われ、その表情は分からない。 仕方なく英俊は彼らの様子を注意深く観察したが、全く動じた風はない。

 

 (何も感じなかったのか?それとも、”百人隊長”と同じく冷静さを保っているのか?あんなに落ち着いた態度を取られるとどっちか分からない)

 

 諦めて兵士達の表情を見るが、重装歩兵である彼らもまた兜を装着し、面貌ヴェンテールを引き降ろしているため、その表情を窺い知ることは出来なかった。

 

 討伐隊の様子はどうやったって分からない。英俊は諦めて”虎の足”が報告に来るのを待った。

 

 暫くして後方から足音が近づいて来た。”虎の足”が戻ってきたのだ。彼はこちらに近づくと、少し混乱したような口調で報告してきた。

 

 『”百人隊長”…見て参りました。そこには、だれも居りませんでした…そして奇妙なことに…人間のリーダーの胸に、あの魔剣が突き刺さっておりました。”百人隊長”が切断された右手首が付いたままの状態で…』

 

 『…なんだ…?誰がやったのだ…?』

 

 『分かりませぬ。人間どもにそれをする余裕は無いでしょう。それに…不思議なことに魔剣の呪いの力が無くなっています…間違いありませぬ。我々はかなり近づいたのですが…あの嫌な気持ちが全く起きませんでした』

 

 『人間のリーダーが死んだ時に、魔剣の魔力が失われたのか?我らがオークの誰かが、魔力の失った剣を拾って、落ちていた手首ごと奴の胸に突き刺したのか?』

 

 『我らオーク一族で、そのような…死者を冒涜する者はおりませんでしょう…そもそも…戦いも佳境のあの時、こちらもまた、そのような事をする余裕があるものはいない筈です』

 

 『それでは…一体誰が…』

 『もうひとつ気になることが』

 『なんだ?』

 『人間どもに使役されていたらしき犬が…』

 『犬?』

 『ええ。犬です。その犬が、我々に何かを訴えかけるように、しきりに鼻声で何かを訴えているのです。この出来事と何か関係あるのかもしれませぬ。…犬は勘の鋭い生き物ですから…』

 

 その時、心の中に”深い水底の魚”の声が、静かに響いた。

 

 『今の話、聞かせてもらった。ちょっと調べたい事があるので…これからそちらに向かわせて頂く』

 

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