強行突破 2
騎乗している者たちは脱出できるだろう。オークで動物に騎乗して戦っている者はいない。騎馬の速度を生かせればオークの追撃を振り切る事は簡単だ。
歩兵達も身軽だ。上手く指揮すれば、全員は無理でも脱出に成功する者は多いはずだ。
…だが重装歩兵隊は違う。逃げ切ることは不可能だ。彼らが生き残るにはオークを全滅させるしかない。そして、それもまたこの状況下、事実上不可能だった。
クーンツはそのことを考えると、自分だけ逃げ出すなんて事は出来なかった。勝手に名乗ったとは言え、自分は討伐隊隊長としての責任があるのだから。
「クーンツ…馬鹿な事を言ってるんじゃない。死んじまうぞ!騎乗しろ!ここから逃げるんだ!」ユーハーソンが悲痛な声で叫ぶ。
「カッコつけるんじゃねーぞ。ここは俺に任せろって言っただろうが!」シャルディニーも叫ぶ。いや喚き声に近かった。
「いや、俺は此処に残って指揮を執る。現在、俺は討伐隊隊長だぞ。言う事を聞け!」
「同期の癖に偉そうにすんなよ!」王国教育隊時代、クーンツとユーハーソンは同期だった。入隊時期も年齢も同じ。タメ口で話をする仲だった。友人としての感情も混じり、ユーハーソンの声には必死さが滲み出ていた。
「同期だけど、分隊長はお前より先任だぞ?先輩のいう事を聞けよ」
「クーンツ…お前…」
「お涙頂戴をしている暇はない!ユーハーソン!早く馬に乗れ!」
ユーハーソンは、クーンツの眼をじっと見た後、突然顔をそむけると、従兵に愛馬をここまで持ってくるように指示をした。馬を連れてきた従兵に助けられながら乗馬する。クーンツの顔を見る事はもう無かった。
「ねぇ!あんたら!どうすんのっ!ここから逃げるんでしょ!?早くしなさいよ!」
突然、人を不愉快にする事に特化したような、耳障りな金切声がクーンツの鼓膜を突き刺した。
「ユメカ殿…落ち着いてください…ジョナス騎士団長殿と一緒に待機していて下さい。すぐに脱出します」
「ごちゃごちゃ言ってないで早くしなさいよっ!この無能!」
「はっ。申し訳ございません。もう少しだけお待ちください」
クーンツは、こちらを逆撫でするような甲高い声に、感情が乱されそうになるのを必死で耐えながら言葉を返した。
ユメカ殿の後ろに視線を向けると、騎乗したジョナス騎士団長が見える。その表情は…虚無だった。瞬きせずに眼を見開き、口を半開きにしていた。
(全く使い物にならないな。だが、この状態なら余計な事はしないだろう。大人しくしてくれている方が、こっちは助かる)
「ユーハーソン!行けるか!? シャルディニー!ウデラ!包囲網突破準備は?!」
「大丈夫だ!」
「いけるぞ!」
即座にシャルディニーとウデラの声が響く。ユーハーソンの返答がない。クーンツがユーハーソンの方を見ると、ユーハーソンは追跡者隊隊長と何か話をしていた。
「ユーハーソン!急げ!何をしている!?」
「脱出ルートの選定だ!」
「早くしろ!…バラーシュ隊長!お前の判断に任す!時間が無い!」
「では、ユーハーソン分隊長殿、提案した”カフカの平原”を抜けるルートで行きます!」
「”瓦礫の荒野”の方が近道だが…やはりマズいか…」
「あそこは、武装山賊集団の巣です!特に野良メイジを引き連れた山賊集団が多いです!危険すぎます!」
治安の行き届かない辺境に近い場所に位置するオークの生地。この辺りには、多くの武装山賊集団が徘徊している。
特に、”野良メイジ”と呼ばれる魔術師を引き連れている山賊団が危険だった。
魔術師と言っても、ハーシュ王国を含めた各国が定義するような、高位の魔術を操れる訳ではない。低レベルから、精々中レベルの魔術の一部を使えるだけだ。
だが舐めては掛かれなかった。奴らはその中低レベルの魔法を巧みに組み合わせて、こちらが驚くような攻撃を仕掛けてきた。
山賊の面子も元兵士という兵士崩れが多く戦闘能力も高い。奴らは剣の攻撃力と魔法の攻撃を上手く組み合わせ、スピードを身上とした機動戦を挑んで来る。
敗残した討伐隊を見つけたら、それは武装山賊集団にとっての美味しい食事だろう。しかも、オーク相手とは違って、こちらが騎乗しているというのはアドバンテージには成り得ない。なぜなら、ほぼ全ての武装山賊団は騎乗しているからだ。
「バラーシュ!”瓦礫の荒野”を根城にしている山賊集団の名前は!?」
クーンツはバラーシュに問う。
「悪名高いのは”毒牙”…あと一番厄介なのが、”闇の踊り子”です!」
「あいつらか…ユーハーソン!バラーシュのいう事を聞け!」
クーンツは騎士分隊長就任時に受講した、”武装山賊集団対策”の座学で学んだ知識を想い出していた。
”毒牙”は数多く存在する武装山賊集団の中でも謎に包まれていた。理由は明快だ。彼らに”獲物”と目された対象者は皆殺しの憂き目に遭い、生きのびて正確な報告を出来る者がいなかったからだ。
冷静にして冷血。残忍で狡猾な集団だった。正統派魔術師とは異なり、魔術師界隈では”邪道”と言われている、毒魔法に習熟した者を主体とした集団だった。待ち伏せを得意とし、毒の罠を仕掛けて、それに嵌って混乱した標的を、魔術師と弓兵の毒矢の火力で一気に畳掛けて殲滅を狙ってくる。
凶悪な毒魔法と毒に関する知識を評価する反王国体制派から、密かに要人暗殺も請け負っているという噂も流れていた。
そして、もう一つの集団…”闇の踊り子”…剣と魔術を組み合わせた戦法を最も得意として、武装山賊集団の中でも最強として恐れられていた。
実際、王国の特殊部隊と言って差支えない、追跡者隊の精鋭小隊を退けたこともある実力の持ち主だ。
その脅威は”毒牙”を上回るとされていた。索敵と奇襲。強襲と撤退を繰り返し、目標が全滅するまで執拗に追撃してくる。追われた側が神経を擦り減らして自壊することもあるという、吐き気がしそうな戦法を使ってくる強敵だ。
「”毒牙”に闇の踊り子”か…そうか…よりによってアイツらか…分かった。”瓦礫の荒野”のルートはやめよう!バラーシュ、乗馬は出来るな?先導してくれないか?…クーンツ!バラーシュを借りていくぞ!いいな?」
ユーハーソンも、彼らの危険性を思い出したらしい。素直に自分の意見を引っ込めた。
「構わん!誰かバラーシュに馬を!」
「はっ!」従兵が空いた馬を一頭廻す。
「バラーシュ!通信兵の生き残りはいるか?いたら連れていけ!」
クーンツは馬に跨っている最中のバラーシュに叫ぶ。
「クレト!お前も馬に乗れ!」バラーシュは傍についている部下に声を掛ける。
「クレトか。追跡者隊の通信兵だな?伝書鳩は何羽残っている?」
「二羽です!」
クレトは背中に背負っている四角い籠を揺らして見せた。籠の隙間から、鳩の白い姿がチラチラ見え隠れしていた。
「よし、安全を確保できる場所まで脱出したら、第7陸防団の本部に伝書鳩を送れるか?第7陸防団までのルートを知っている伝書鳩が残っていればいいが…彼らがここから一番近い。救援要請を送るんだ」
「承知しました!大丈夫です。第7陸防団までが一羽、王国本部までのルートが一羽です」
「良かった…ヴィカーリ率いる軽騎兵隊が助けに来てくれるはずだ。マファルダ・ヴィカーリ…知っているだろ?」
「ああ。あの美女で有名な…」
「そうだ、女神アイギナが嫉妬するって噂の美貌の持ち主だ」
「お会いしたことないんですよ…だから必ず生き残って軽騎兵隊と合流して、その御顔を拝見させて頂きますよ」クレトはクーンツの冗談に少し笑顔を見せた。
「よし!もういいなっ!?早くしろ!もう限界だ!」ウデラが叫ぶ。
「すまない!ウデラ!よし!騎士団突破準備!…重装歩兵!歩兵総隊!包囲網左翼中央に集中攻撃しろ!攻撃開始!」
クーンツはありたっけの声を張り上げて命令を下した。