強行突破
討伐隊は不完全な円形防御陣で、オークの攻撃を防いでいた。クーンツが撤退を決意し三人の伝令を走らすと、その意思が通じたのが円形の半径が少しづつ縮まり始めた。
更にはジョナス騎士団長が震えているであろう中央付近から、軍楽隊の指揮曲が鳴り響き始めた。撤退準備と撤退戦を促す雄大な調べだ。
全軍命令曲 『栄えある行進』
兵達の士気を落とさぬように作られた、敢えて勇壮な曲名とメロディーライン。意図は分かるが、この状況下、余りにも皮肉が効いていた。
クーンツは左翼防御の指揮を執りながら、時々後ろを振り返って討伐隊全体の動きに注意を払った。重装歩兵隊は、リーキ(西洋ネギ)の皮のように縦に分断されてしまっている。”皮”の部分はもちろんオークの巧妙な作戦によって孤立してしまった右翼部分だ。
クーンツの撤退命令を受けたシャルディニーは、厳しい決断を迫られていた。…だが、苦渋ともいえる決断は行わなければならない。
孤立した右翼を助けようとしていた重装歩兵隊が、オークと戦いながらジリジリとこちらに向かって移動し始めた。重装歩兵隊から呼子が鳴り響く。陣形が整理されて綺麗な円形を構築する。
陣形が乱れていたのは、こちらの防御線に浸透して乱戦を挑んできたオークに対応するためだった。崩壊した右翼を助けようとして陣形が崩れていたのだ。
陣形を再構築することによって、明らかに防戦はしやすくなったはずだ。だが、それは同時に孤立した右翼を見捨てること他ならなかった。
(すまない…シャルディニー…そして重装歩兵隊)
支援を失った重装歩兵隊右翼は、オークの波に埋もれていく。全方位から攻撃は防ぐことは不可能だった。クーンツは悔しさで涙が出そうだった。
「クーンツ分隊長殿!軍馬を連れてきました!」従兵の一人が息を切らせながら報告してくる。
「分かった!脱出路を構築したら騎士を中心に、騎馬で強行突破する。斜面を駆け抜けて後方より脱出する!」
クーンツが大声で答える。その直後、野太い声がクーンツの耳に飛び込んで来た。
「クーンツ! 騎馬で強行突破するなら、左翼の防御は俺達の部下に任せろ!すぐに交代する。騎士を乗馬させろ!撤退準備だ!」
ウデラだった。緊張で引き攣った顔をしていたが、士気は衰えていなかった。ギラギラ光る眼は血走っていた。
「分かった!すまない!…ユーハーソン!?お前無事だったのか!?」
従兵に肩を借りながら、苦しそうな表情をしたユーハーソンがウデラと一緒に戻ってきたのだ。
「怪我をしているのか?!…大丈夫か?」
「大丈夫だ…くっそあの豚が思いっきりぶん殴りやがって…」
クーンツはユーハーソンの左肩と左上腕部の異変に気が付いた。鎧の肩当と上腕当が大きく破損してひしゃげている。メイスか何かで思いっきりぶん殴られたらしい。しかも肩と上腕部の二カ所。連撃を喰らったようだ。
(ユーハーソンが、あんな力任せの攻撃を連続で受けるなんて…ケーア様の決闘を間近で見ていたから、敗戦のショックで反応が遅れたのか…仕方がないか…)
無敵を誇ったケーア様の敗戦を目前で見たのなら、自分だってショックをうけるだろうし、いわんや討伐隊全体に大きな隙が出来たはずだ。決闘の勝利の余韻に浸らず、その隙を逃さず速攻を仕掛けてきたオークが上手だったとしか言えなかった。
(そうだ…ケーア様は…?)
「ユーハーソン!ケーア様はどうなった?ご無事か?怪我をされているのか?」
ユーハーソンは疲れた眼でクーンツの顔を見ると、すぐに下を向いてクーンツから視線を外すとぼそっと呟いた。
「最後までは確認できなかったが…恐らく戦死された…」
「…そうか」
クーンツは呻いた。神が遣わした王国の救世主ケーア様…その彼が、オークに負けるのか。
(アイギナ様…貴女はどういうおつもりなのでしょうか?どうか王国をお救い下さい…)
クーンツは一瞬、神に対してやるせない思いを走らせた。
「クーンツ!ボーっとしてる暇はねぇぞ!」
もう一人の怒鳴り声。クーンツはハッとして、声のする方を向く。シャルディニーだった。
「陣形は整理できた。これで暫くは豚どもの攻撃を防げるだろう。仲間を見捨ててしまったがな…くそが…あいつら許せねぇ…皆殺しにしてやる!」
ウデラに負けず劣らず、シャルディニーも意気軒高だった。全くこの二人の闘志は底なしなのか。
「シャルディニー…兵を借りれるか?騎士を騎乗させて左翼の防御線を強行突破する。俺の部下を使う。騎乗準備させたいから戦闘を変わってほしいんだ」
「分かった!二班!騎士団と戦闘を変われ!」
防御陣を小さくしたおかげで、若干だが戦力に余裕が出来ていた。クーンツの命令を聞いていたウデラも振り返って部下に野太い声で命令を下す。
戦闘を交代するために、歩兵総隊も兵を貸してくれるように手配してくれたのだ。
負け戦。しかも包囲されて、追い詰められているのに戦力に余裕がある…奇妙でもなんでもなかった。防御陣を縮めたからだ。実際、オークの包囲攻撃は更に峻烈なものになり、その圧力はクーンツにもヒシヒシと感じられた。
「時間がもうない!分隊!騎乗は出来たか!?」
「はっ!」
クーンツの部下は全員馬に乗り、脱出路付近に馬の鼻面を向けている。これからオークの包囲網の一部に集中攻撃を仕掛けて、脱出路という名の穴を穿つ。多少不完全でも、騎馬を突撃させて強引に突破するという作戦だった。
「ユーハーソン!お前も騎乗しろ!馬は乗れるだろう?」
クーンツはユーハーソンに大声で呼びかける。
「ああ、大丈夫だ。なんとかなる」
「よし、お前は騎士団の指揮を執れ。谷を抜けた先の撤退ルートを考えてくれよ」
「分かったが…クーンツ…お前はどうするんだ?一緒に来ないのか?」
「知らないと思うから言うが…俺は、使い物にならなくなったジョナス騎士団長の代わりに、勝手に討伐団の指揮をしている。だからこそ、最後まで責任を取りたい。だからここに残って指揮を執る。全員が脱出するまでここに残る」
「クーンツ…おまえ…」ユーハーソンが絶句する。