防御線 2
ベーレンズは、防御線が薄くなっている場所に飛び込むと歩兵達と共に剣を振るう。周りの兵達は必死に戦っている。第二歩兵総隊と同じく、第一歩兵総隊も正規兵でなく兼業兵士が多い。
(何かあったら逃げ出す…そう思っていたが、…もう逃げる場所なんてないからな…)
この場から逃れるためにはオーク達を返り討ちにするか、脱出路を構築しなくてはいけない。そして脱出路を作るためには、オークの包囲網の一部を打ち破り、突破口を確保する必要がある。
結局は眼前の敵を打ち倒し、まずは少しでも戦いを有利にする必要があるのだ。逃げ隠れする場所なんてなかった。
ベーレンズは戦いながら、左右の兵をチラリと見渡す。
歩兵達は極度の緊張で顔面を引き攣らせていた。頭の後ろから両眼の端と左右の口角を、糸か何かで引っ張り上げられたような表情。まるでそれは笑っている狐のような不気味な表情だった。
『死神に魅入られた者の微笑』
実戦を何度も経験しているベーレンズら正規兵達は、この場違いな笑顔に似た表情を、死神に例えてそう呼んでいた。
死神の姿が見え隠れする様な極限状態に置かれた兵が浮かべる表情は、悲哀でも憤怒でも…運命を受け入れた悟ったような無表情でもない。緊張で顔面の筋肉が引き攣って、一種独特な笑顔に似た表情を浮かべるのだ。
それに対して眼前のオークどもは、相変わらず雄々しく力強い表情を浮かべていた。ベーレンズ達とは全く違い、その表情は強い確信を持っていた。
”人間どもを全員ぶちのめす。この戦いに必ず勝つ”と。
「くそっ!負けねーぞ!おめーら豚どもにやられてたまるかっ!」ベーレンズ分隊長もまた、極限状態に置かれ、無意識のうちに笑った狐のような薄気味悪い表情を浮かべながらも闘志を掻き集め、目の前のオークに斬りかかった。
強烈な金属音が響く
オークの粗末な戦斧が、叩きつけられたベーレンズの剣を受ける。その瞬間を狙って、傍に控えていた従兵の長剣が鋭い突きを繰り出す。オークの脇の下に従兵の剣が深々と突き刺さった。
「よし!いいぞっ!」ベーレンズが思わず叫んだ瞬間だった。左の視野に黒い影が飛ぶ。咄嗟に頭を下げようとしたが間に合わなかった。
凄まじい衝撃。目の前に真っ白な火花が散った瞬間、ベーレンズの身体が斜め後ろに吹き飛ばされた。あっという間も無く眼の前が暗くなる。地面に叩きつけられた身体は全く動かない。あれだけの喧騒とざわめきの音が急激に小さくなっていく。
地面に身体を横たわらせ、暗い幕が降り始める視界の中に、ひときわ身体の大きいオークが巨大な戦槌を軽々と振り回しているのが見えた。
ベーレンズに痛烈な一撃を加えたオークだ。
さきほどベーレンズと協同でオークの一人を倒した従兵が、果敢にも、戦槌を持ったオークに躍りかかる。そのオークは従兵の攻撃を見るや、戦槌を滑らすように短く持ち直すと、先程とは打って変わって短い弧を描くように素早く廻し、従兵の決死の剣を受け止めた。
巨大で無骨な見た目とは思えないような巧みな武器捌きだった。戦槌と剣が交わる。だが、人間と巨大な体躯のオークの身体差は絶望的だった。 従兵の必死の思いが込められた長剣は、戦槌に当たった瞬間に弾き飛ばされ、衝撃でよろけたところを恐ろしい速さの追撃が迫る。
従兵の側頭部に戦槌がまともにめり込むのが見え、そのまま叩きつけられるように地面に倒れ込む。ベーレンズと従兵が倒れて、小さく開いた防御線の綻び。周りの兵がその穴を塞ぐ前に、それを押し開かんとオークの攻撃が集中する。
歩兵達は奮闘するが、豚どもの勢いを阻止するのは不可能だった。あの巨大な体躯のオークが、長大な戦槌を振り回すたびに味方の歩兵が吹き飛ばされ、次第に巨大な突破口が拡がっていくのが見えた。
元々薄い防御線。一か所が破られるともう踏みとどまる事は不可能だった。防御線に馬鹿でかい大穴が開けられ、そこからオークが湧き出てくるのがベーレンズの暗い視界に飛び込んできた。
奴らは風のような速さで防御線を抜け、横たわるベーレンズを無視して駆け抜け、背後から一班、二班に襲い掛かる。
(申し訳ありません…ウデラ隊長殿…そして…シャルデニー隊長殿…重装歩兵隊の右翼を護り切れませんでした…)
薄れゆく意識の中で、ベーレンズは心の中で詫びの言葉を発した。もう自分の身体は動かない。恐ろしい事に、あれだけの一撃を受けたのに痛みを全く感じない。
(痛みを感じることすら出来ない…俺はここまでか…オークの豚どもを打ち倒したかったが…敵わなかった。…あの巨躯のオークがリーダーなのか?あいつがケーア様を倒したのか?…あいつは…どんな相手でも打ち倒すのか…?…なんという戦力…攻撃力…いや…ちがう…)
死の今際、ベーレンズは、自分を死に至らしめたオークを表現する言葉を探し続け…意識が途切れる瞬間に…やっとの思いでぴったりの言葉を探し当てた。
”殺傷力”