右側面
ファランクスに陣形転換したその刹那、狙ったかのようなオークどもの右側面からの急襲。
(クソが…知恵の廻る豚どもが…そんな所に兵を隠していたのか…!)
ベーレンズ分隊長は驚きを隠せなかった。
驚いている時間はない。奴らは狼のように大地を蹴って、重装歩兵隊の側面に喰らい付こうと迫ってくる。
「一斑!二班!前へ出ろ!重装歩兵隊の側面を守れ!」
声を限りに叫ぶ。ベーレンズの命令を聞いた従兵が、命令を伝えるべく呼子を吹き鳴らす。最後の戦いが始まり、戦場は騒然としていた。その喧騒にベーレンズの声は掻き消されそうになっていたからだ。
「分隊長殿!後方から進出したオークがこちらに突っ込んできますっ!!」従兵が喚く。
「三班!四班!援護だ!一、二班を守れ!壁を作れ!」ベーレンズが大きく叫び返すように命令を繰り出す。
逆側、クーンツが守っている左翼と同じ状況だった。オークは後方に余った兵力を斜面伝いに走らせ、こちらを一気に包囲殲滅しようとしている。第二歩兵総隊が敗走したせいで、戦いが始まる前の兵力差は無くなってしまっている。谷の右斜面を疾走して突破口を狙うオークの一隊は、かなりの人数だった。
(くそ…地形に阻まれ、オークに囲まれ…気が付けば本気で包囲されてるじゃないか…)
…
……
崖の上から、速いリズムで打ち鳴らされる太鼓の音
その規則正しくも複雑なリズムに、ベーレンズは何か嫌な予感がした。
「三班!四班!死ぬ気で守れ!抜かれるなっ!」
ベーレンズに迫るオークの一群は、その太鼓の音に呼応するかのように、突然斜面を駆け下り、重装歩兵隊の支援に向かう一班と二班に攻撃を加えようと突っ込んで来る。
それを阻止すべく、三班と四班が立ち塞がり、オークと激しい戦闘が始まる。
「一班!二班!…早く行け! 重装歩兵隊を助けろっ!」ベーレンズは再び大声で叫んだ。
(間に合ってくれ…頼む…頼むぞ…)祈るような思いで、ベーレンズは重装歩兵隊の方へと視線を向けた。
◇
(クソッたれが…っ。あいつらいつもと違うどころか、ファランクスの弱点まで把握してやがる!)
「隊全体を右に廻せっ!奴らに右翼を取られるな!」
重装歩兵隊長のシャルディニーは自分の部下達に大声で叫んだ。クーンツら、他の隊の隊長は具体的なファランクスの具体的な弱点を知らなかったが、重装歩兵隊の隊長たるシャルディニーは、当然、『無敵』と謳われたファランクスにも重大な弱点をひっそりと抱えている事を把握していた。
隊の右側が弱点。
そのために、ケーア様は右側面専用を直掩する歩兵隊を随伴させていたのだ。
だが、この直掩隊はジョナス騎士団長の命令により、後方支援に赴き存在しない。
そして、オークとの戦闘が始まってしまった今、ファランクスを解いて別の陣形へと変換する時間なぞなかった。なんとか隊を右側に廻して、右側面を晒さないようにする事が精一杯だった。
だが…
「二手に分かれたオーク正面主力の一隊…突っ込んできます!奴らの伏兵を援護しようと突撃してきますっ!」従兵が叫ぶ。
急襲を受けた右画の重装歩兵達は、身体を右側に正対してオークの急襲に対応している。そしてそれは隊の先頭も同じだった。
…だが、隊の先頭と対峙する敵は右側からの攻撃だけではない、いやむしろ本命というべき主力は前方からの戦力だ。しかし余りにも鮮やかに不意を突いた側面からの奇襲を受け、それに対処すべく、ファランクスの先頭の右半分が身体を大きく右側に向けてしまった。
無敵のファランクス…その一番堅牢な先頭正面に大きな亀裂が入った。その部分に主力から分派されたオークの一隊が、楔を打ち込むが如く侵入してきた。
(くそ…ジョナスの命令なんか無視すればよかったんだ…まさか豚どもが、ここまでファランクスの弱点を把握しているとは…迂闊だった)
シャルディニーは心の中で呪詛した。…だが、オークの攻撃は執拗だった。徹底して右側からの攻撃を狙ってくる。
「地形が邪魔して陣形を転回させるのは困難です!」従兵が叫ぶ。そう。ここは涸れ谷の谷間。いつもの平原ではない。狭い足場とオークの執拗な攻撃が重装歩兵の陣形転回を阻んでいた。
「頑張れ!何とかして陣形を転回しろ!そのまま半円防御に転換するんだ!侵入してきたオークどもは死ぬ気で排除だ!このままだと前線が崩壊するぞ!」
シャルディニーは大声を張り上げて矢継ぎ早に命令を繰り出した。叫びながら、王国の野戦訓練場で、ケーア様から初めてファランクスの陣形と運用方法について説明を受けた時のことを思い出していた。
『分かるかシャルディニー?…ファランクスを構成する重装歩兵は、緊密な陣形と秩序だった陣形を構成するために全員が右利きの兵を採用している…右手に短槍を持ち、左手に盾を掲げる…つまり正面と左側からの攻撃には滅法強いが、盾を持っていない右からの攻撃には弱い。
特に正面と右側面からの同時攻撃には対応が難しい。…なので、掃除役として右側面を援護する直掩の歩兵隊を常に随伴させる。彼らとの連携と協同がファランクスの肝となる。いいか?忘れるなよ?』
……
…
…忘れるわけがない。だからこれまでの『楽勝』と言われていた戦いでも、彼は重装歩兵隊隊長として慢心に陥らずに常に周囲に気を配り、特に右翼からの攻撃に細心の注意を払っていた。
だが今までの戦いでは開けた平原での戦いが多く、いざという時の陣地転換も難しくなかった。いや、そもそも転換、転回などする必要すらなかった。弱点である右側面には直掩歩兵隊が常に付き従ってくれていたし、更にはクーンツとユーハーソンが率いる騎兵隊が、両翼を護ってくれていた。
(だが今は『騎兵隊という両翼』は、もがれてしまってた…そして右側面を守護してくれていた『直掩歩兵隊』という一番大切な『翼』も無くなってしまっている…)
守護の翼を失った裸同然の重装歩兵隊は、ついに隠していた弱点を敵にさらけ出してしまい、殺気立ったオークどもから激しい攻撃を受け続けた。
重装歩兵隊は弱点を隠そうと陣形転回を試みた。その姿は狼の群れに襲われて必死で身体を捩る、巨大な草食動物か何かを思わせた。