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決戦直前

 ◇

 

 

 

 後方は静まり返ったまま。耳を一心に澄ませれば、雨音のあいだからケーア様とオークのリーダーの、一騎打ちの剣を交える音が聞こえてきそうなまでの静寂だった。

 

 時々、後方からは

 

 「おおっ」

 

 というどよめきが沸き起こる。クーンツは、眼だけは前方のオークに注意を払い、耳は後方に最大限の注意を払っていた。

 

 (どうなっているんだ…戦いの様子は…ただ、ケーア様に対してオークのリーダーが善戦しているのは間違いないのか。もう結構な時間が経っている。こちらが苦戦しているのか)

 

 クーンツは剣を持つ手に力を込めた。伝令から一騎打ちの報告を受けてからずっと、心臓は激しい鼓動を続けている。緊張で心臓が爆発しそうだ。

 

 (まだか…?まだ決着は付かないのか? あまり長引くと、体格と体力で劣る我ら人間は不利だ…)

 

 クーンツがジリジリした時間を過ごし…彼自身にとっては永遠に近い時が流れたと思ったころだった。

 

 「おおおおおおおおっ!」

 

 谷間を凄まじい声が響き渡った。同時に武器を打ち鳴らす激しい金属音が鳴り響く。その声がどちらの声かはすぐに分かった。

 

 (嘘…だろ?)

 

 喜びと勝利を誇示する叫びはオーク達の吠え声だ。雨音を突き破って、クーンツらの居る隊前方までハッキリと聞こえてきた。

 それを追いかけるさざなみのような、敗北のショックが凄まじい速さでこちらまで伝播でんぱしてきた。

 

 そのショックを受けてクーンツもまた、一瞬身体が硬直した。

 

 (まさか…ケーア様が負けるなんて…?)

 

 討伐隊の生き残り全体が、ケーア様敗北のショックに飲み込まれ動きが止まった。その隙をついたオーク達の動きは速かった。

 

 隊の後方で、オークの吠え声と兵士たちの悲鳴が聞こえた。耳をろうするかの如き衝突音。オークが攻撃を開始したのだ。

 

 その瞬間、我に返ったシャルディニーが部下の肩を叩き、指を指し示しながら指示を出しているのがクーンツの目に入った。

 

 瞬時に重装歩兵隊の陣形がより緊密になり、前方のオークの攻撃に備える。…そう、ずっと睨み合っていた前方のオークが、武器を振り上げこちらに向かってじりじりと近づいてくる。

 

 それを見たクーンツは我に返った。

 

 (…遂に奴らが来やがった。決戦の時が来た!)

 

 クーンツの騎兵分隊は隊の左翼を守っている。オーク達は両側面には、距離を充分にとって最小限の戦力しか配置していない。全包囲するだけの戦力がないからだろう。

 そして討伐隊もまた、自身が位置している地形の不利と、崩れかけた陣形を更に崩す事を恐れて、側面突破をせず『待機の状態』を維持し、お互いが睨み合う状態になっていた。

 

 「各班長!豚どもは側面に戦力を廻してくるぞ!戦闘準備!」クーンツが叫んだ。クーンツ率いる騎兵分隊の四人の班長の一人がクーンツに叫ぶ。

 

 「クーンツ殿!下馬しますか?!」

 「…!…馬から降りよう!馬から降りて戦う!」咄嗟にクーンツは叫び返す。

 

 (そうだ…何をしてるんだ俺は…この状態で騎馬の機動力なんて使えない。却って邪魔なだけじゃないか!)

 

 歯噛みする思いで馬から降りる。

 (敵が前方から迫っているのに何してんだ!)自分が想像以上に慌てていた事に嫌悪しながらも、部下の様子を見る。

 

 皆、素早く馬から降りていた。従兵が馬をまとめて隊の中央まで連れて行く。落ち着いていた。この状態になっても、焦って落馬するような間抜けは一人としていなかった。

 

 (…良かった。部下たちはそこまで動揺していない)

 

 クーンツはホッと安堵の息を吐いた。班長達は部下に指示を出し、側面に防衛線を敷く。支援の為、待機していた歩兵隊の槍持ちが槍を構える。

 

 「クーンツ殿!後方のオークの一部が両翼に廻りました!そちらに向かいます!」

 

 伝令の叫び声がクーンツの耳に響く。

 

 「分かった!側面攻撃に注意!来るぞ!」

 

 クーンツが叫ぶように答える。その時、後方から斜面伝いに、オークの一群が風のような速さで向かってくるのが見えた。先ほどまで、こちらを見張っていたオーク達が、その群れに合流する。

 

 重装歩兵隊からは、敵の襲来を知らせる鋭い呼子の音が響き渡ってきた。遂に始まる…最後の戦いだ。

 

 「前方のオーク、突撃せず。ゆっくり距離を詰めてきます!」

 「隊の後方…押されています!防衛線の各所を破り浸透しています!」

 

 (まずい!ケツに火が付く!)クーンツは伝令に叫ぶ。

 

 「後方の指揮は?! 誰が執っている?」

 「ユーハーソン殿ですが…その…」伝令が言い淀む。

 

 専門外の歩兵戦で上手く指揮できていないのか、それともケーア様敗北のショックからか…とにかく指揮系統は機能していないらしい。

 

 「メランダーは?第二歩兵総隊のメランダーはどうした?」

 「メランダー殿は、切り離された後方部隊でして、先程の後方部隊撤退の際に…」またもや沈黙する伝令。

 

 そして何とも言えない表情で、クーンツの顔を見る。

 

 『分かりますよね?』と、その表情は語っていた。

 

 「…そうか。分かった」

 (そうか、メランダーの奴、逃げやがったのか。部下が居なくなったから仕方がないのかもしれないが…アイツ…いや、毒づいても仕方がない)

 

 「ジョナス騎士団長殿!」クーンツは叫ぶ。そう、ケーア様が(恐らく)戦闘不能になった今、現在の討伐隊隊長はジョナス騎士団長だ。

 

 頼れる指揮官とは到底言い難いが、クーンツにはどうすることも出来ない。クーンツが勝手に隊全体の指揮命令を下す権限はない。

 

 …

 

 

 ケーア様が戦闘不能になったいま、

 

 ジョナス騎士団長が、討伐隊の隊長なのだから。

 

 ケーア様が王国に来られる前、討伐隊隊長はジョナスだった。そして戦いは連戦連敗と言っても良いほどの苦戦続きだった。その戦いにクーンツは、ずっと付き合わされていた。クーンツにはその時の苦い記憶が蘇ってきた。

 

 (肝心要かんじんかなめの今、まさか隊長が、再びジョナス殿になるなんて…)

 

 嘆いていても仕方がない、嘆いている暇もない。

 

 動揺のために、口をパクパクさせ眼を真ん丸にさせているジョナス騎士団長。どこからどうみても、岸に打ち上げられた断末魔の鯉そっくりだ。

 

 その死にかけの鯉にクーンツは意見具申する。

 

 「ジョナス騎士団長殿!後方が苦戦。指揮官不在です!このままだと後方が抜かれます! ウデラを!…ウデラ第一歩兵総隊隊長に、後方の指揮を執るように命じて下さい!」

 

 口を開けたり閉めたりするのに忙しいジョナスは、クーンツの言葉が耳に入らないようだ。クーンツ顔を見ようともしない。前を真っ直ぐみているが、視線の先は前方の重装歩兵や、対峙してくるオークどもの姿でもない。見つめているのは…

 

 

 虚空だ。

 

 

 (ダメだ!ジョナス騎士団長殿は…完全に”ブルって”しまっている…どうすりゃいいんだ?)

 

 「クーンツ。騎士団長はほっとけ。俺が行く。此処の指揮は、ウチのベーレンズ分隊長に任せる。奴に任せろ。大丈夫。奴は優秀だ」

 

 いつの間にか横にいたウデラが、クーンツの耳元で力強く話しかけてくる。自信に満ちた口調。力強い瞳。クーンツは頷いた。

 

 「よし、ウデラすまない…。じゃあ…」

 

 (頼むぞ)と言いかけた時だった。突然ジョナス騎士団長が正気に戻った。口を閉じ、何かを考えるような表情になった直後、大声で命令を下す。

 

 「ウデラ!お前は後方部隊の指揮をしろっ!」

 

 ウデラはクーンツの顔を見て、ひとつ頷いて見せるとベーレンズ分隊長の顔を見る。ベーレンズ分隊長も、ウデラの顔を見て頷き返す。

 傍にいる従兵に「よしっ、行くぞ!」と声を掛けると、すぐさまウデラは後方へ消えた。

 

 ジョナス騎士団長は命令を続ける。

 

 「シャルディニー!!! オークはビビッて、まだ近づいてこない!重装歩兵隊は、大至急『ファランクス』の陣形に変更!無敵の陣形でオークを殲滅だ!」

 

 (えっ…?!)クーンツはハッとしてジョナス騎士団長の顔を見た。

 

 「後方の戦力が足りない!重装歩兵隊の右側面護衛隊は移動して、隊後方の援護に廻れ!」

 

 (ええっ…!!?)クーンツは更に驚き、ジョナス騎士団長の顔を凝視した。

 

 

 

 ジョナス騎士団長は、先程までの死にかけの鯉ではなかった。生気を取り戻し、上気した顔を赤く染め、堂々とした声を張り上げて矢継ぎ早に命令を下した。

 

 

 だがそれは、どう考えても見当外れの命令だった。

 

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