決着 4
啓亜は、なりふり構っていなかった。勝利への執念は凄まじいものがあった。だから『目潰し』という…少なくとも指揮官や騎士団などの、”上級”と呼ばれる兵士が決して行わないであろう、『卑怯』と定義される戦法も、全く迷いなく実行した。
(いや、気にしてなかった訳じゃないんだよ。気にしてねーなら、最初からやってたわ! こうなったら、”騎士道精神”なんてクソ喰らえだ。勝てばいいんだ!それだけなんだよ!)
目潰しが成功して”百人隊長”が右眼を閉じた瞬間、一気に死角に廻り込み距離を詰める。ガードの空いた脇腹を狙う素振りを見せる…だが本当の狙いは防御するために下げてくる剣…を持っている剥き出しの上腕部だ。
(急所を気にしすぎた。この魔剣ならどこを傷つけても、奴に深刻なダメージを与えられる。どこでも良い!どこでも良いんだっ!)
啓亜は焦っていた。そのため一撃を加えたいと思う余り、攻撃したい場所を凝視してしまった。焦燥から初心者並みのミスを犯してしまっていた。
啓亜の狙いを察したオークがいとも容易く反応する。ガードしようとしていたオークの腕の軌道がいきなり変わる。オレンジ色に輝く鉄の籠手が眼前に迫り、魔剣を弾かんとしてくる。
オークの膂力は半端ではなかった。魔剣と籠手が衝突した瞬間、真っ白な火花が散り、啓亜はのけぞり、転倒しそうになるくらいだった。
(くっそ…剣が飛ばされる!)啓亜は必死で短剣を握りしめる。オークの攻撃で、手首が返る。肘が跳ねる。オークの馬鹿力による衝撃に耐えるため、右脚を大きく引いて転倒を防ぐ。完全に体勢が崩れた。
オークの身体が一瞬沈む。
(来る!追撃だ!…体勢を!体勢を!)
オークの下半身が一気に回転する。それに連動して、逞しい腰の後から丸太のような巨大な影が飛び出してくる。
(ミドルキック…!?)
風切りの唸りが聞こえてくるような凄まじい蹴りだ。濁流を流れる倒木のような凶暴な勢いで、啓亜を打ち倒そうと襲い掛かってくる。
(間に合わねぇ!!!)
無意識だった。エリオットの荒地で、野盗と初めて剣を交えて戦ったあの時のように、啓亜は無意識に心の中で叫んだ。
(とっ! 止まれぇぇぇぇぇっ!)
『…終わり』
今までとは違う言葉。数字ではなかった。ひそやかに、だが頭の中で大きく響く女性の声。その声ははっきりと啓亜に伝えた。
『”力”は、もう使えない』…と。
◇
啓亜は、女の声は気にしていなかった。気にしている暇もなかった。咄嗟にオークの中段蹴りを飛び退いて避ける。そのまま蹴りの最中で棒立ちになっている筈のオーク魔剣を突き立ててやろうと、今度は一気に突っ込む。
(えっ…?! もう効果が切れ…)
奴は動いていた。棒立ちどころか、既に”蹴り終わり”の動作を見せているオーク。首を後ろ向きに捩じって、こちらをしっかり見据える奴の黒く光る眼は強い意思を湛えている。
(やべ…止ま…)
こちらの動きを読んでいるような、奴の眼の光。それに気が付き、身体を急制動させようと自分の肉体に命令を下す。だが勢いが付いた身体は、自分の意識とは無関係に飛び出してしまった。止められない。
突然、オークの左脚がこちらに向かって飛び出してきた。後ろ廻し蹴りだ。視界に、巨大な泥だらけの汚い足の裏が急速に迫る。
啓亜は身体を右下に沈みこませながら、本気で心の中で叫んだ。
(止まれっーーーーーッッ!)
………
……
…
…何も起こらなかった。
あの女が囁いた通り、時を止める”力”は、あれで最後だった。
オークの動きは止まらず、そしてためらうこと無く、巨大な踵が左頬にめり込んで来た。次の瞬間、目の前が真っ赤になる。その真っ赤な視界を白い稲妻が切り裂く。
強烈な衝撃が顔全体を襲う。
顔面の内側で何かが砕け、崩れ落ちるような感覚をしっかりと感じ取った。
左側の視界は真っ赤になったあと、すぐに赤黒い色に変化し、大量のオレンジや白、黄色の派手な蛍光色に光り輝く、蛇か魚のような模様、が視界内を跳ね回った。
意識が殆ど飛び掛けている状態。啓亜はそれでも戦士だった。無事だった右眼を何とか見開いてオークの方を見やる。
後ろ蹴りを炸裂させた奴は、身体を回転させてこちらに正対している。早くも、両手剣をこちらに向かって下段から振り抜こうとしていた。余りにも安定した美しいフォームを見て、啓亜は何故か場違いな感想を抱いた。
(プロゴルファーかよ)
啓亜の残された右眼の視界。オークの顔が目に入る。瞳は相変わらず黒く、強い怒りと…決意、いや覚悟を秘めた強い光で満たされていた。
(…そうだよ…どこかで見た記憶がある、あの眼の光…)
ずっと、怯えるような警戒心に満ちた揺れ動く瞳だった…それが、一回だけ…そう、一回だけ、それも一瞬だけ、強い怒りを帯びてこちらを睨み返してきた時があったんだ…
いま、その強い感情に彩られた黒い瞳を持つオークが、美しくも凶暴な軌道を描いた払い上げるような斬撃を飛ばしてきた。
回避なんて不可能だった。
またもや、視界に真っ白な稲妻が走った。右腕に灼熱のような激痛が襲う。両手を突き出したまま転倒する寸前、短剣を持っている右腕をオークの斬撃が襲い、肘から下を斬り飛ばしたのだ。
仰向けに倒れる直前だった。啓亜の右眼には、雨が降りしきる曇天の空を、何か…いや、自分自身の短剣を握ったままの前腕部が、見事な弧を描きながら空中を飛んでいくのが見えた。
蹴りと斬撃。超級の連続攻撃を受けた啓亜の身体は限界だった。ショック状態になり、急速に意識が薄れる。
(くっそ…ここまでか…)
どこかに吸い込まれるような感覚…この感覚に身を委ねれば、意識を失うことは分かっていた。だがどうやっても抗うことは出来なかった。
(だめ…か)
気絶しようとする肉体との戦いに敗れ、啓亜が意識を失う直前、唐突に、彼は思い出しかけた。あの、『強い意志を持った黒い瞳』について。
(あの眼…あいつだ…、”虫けら”だと思ってた”アイツ”にそっくりだ…)
急激に意識が薄れる。まるで誰かに足首をつかまれて、夜の暗い海に引きずり込まれているようだ。啓亜は懸命に抵抗し、”アイツ”が誰かを思い出そうとした…
(そう…”夜の海”みたいに陰気でうぜー奴だ…こっちの眼もまともに見れねーダセー奴だった…アイツは…そう、アイツは…)
夜の海のような暗くて、ダセー奴…絶対に反抗してこないことが分かっていたから、散々イジメてストレス発散してたアイツ…そして…
(そうだ、事故る直前に、アイツはこっちを睨みつけようとしてきたんだ…ゴミのくせに生意気にも…アイツのあんな眼は初めて見た…アイツの名は…)
意識を失う瞬間、ついに啓亜は想い出した。
そう
アイツの名は…
南條 英俊
啓亜は意識を失った。