決着 3
◇
(…やってやる…だが…こっちは手負いだ。余り激しい動きは出来ない。それは啓亜も分かっているだろう。だから…今度も奴から仕掛けてくるはずだ)
こちらは、不完全とはいえ必勝の剣撃を二回回避している。啓亜は異変に気が付いているだろう。あの驚愕の表情がそれを物語っている。当然、次の攻撃は、単純な体当たりなんて仕掛けてこないはずだ。
(”力”を二回連続で使ってくるかも…いや、連続で使えないのか…連続で使えるならさっきそれをやっているはずだ。しないという事は、”出来ない”と考えていいはずだ)
両者とも身体を低くして武器を構えた姿勢で対峙する。距離は微妙に開いている。両手剣でも大きく二歩は踏み出さないと届かない。手負いの身体で距離を詰めて、攻撃を当てるには少し危険を伴う距離だ。
(あまり時間が経つと…この魔剣の呪いのダメージは消えるどころか…むしろ蓄積されて行っているようだ。このままだと身体が動かなくなるかも)
オーク一族は、この魔剣の呪いを解くことが出来るのだろうか?もし、その手段がないのなら、戦いに勝っても”百人隊長”の肉体の命は尽きることになるかもしれない。
(そうなったら、僕も死ぬことになるのか。まあ、あのバス事故で死んでいたのは間違いないだろうから…別の世界で、少しでも生きられたのなら良しと考えた方がいいのか…。それにしても、二度死ぬ体験をするのか…)
そこまで考えて、英俊は思い直した。
(いや、戦う前からそんなこと考えていてはダメだ。もしかしたら、魔剣の呪いを解く手段があるのかもしれない。今はとにかく戦いに勝つ事だけを考えよう)
その時、啓亜がこちらに大きく一歩踏み込んできた。戦いの最中に雑念が入ってしまった英俊。それを敏感に察した啓亜は、その隙を逃がさなかった。
(しまった!) 英俊は剣を構えなおす。性懲りもなくまた突っ込んで来るのか…?
(違うっ!)
啓亜の大きく後ろに引かれた右足。サッカーボールを蹴るような姿勢を見る否や、英俊は啓亜の意図を察し、身体を左に捩じった。
啓亜は足元の地面、雨で泥濘んだ地面を蹴った。泥と泥水が英俊の顔面を襲う。啓亜が地面を蹴る直前で体をよじったおかげで、両目への直撃は避けられたが右目に泥と泥水が当たってしまった。
(両目を閉じるな!!!)
右目に強烈な異物感が走り、反射的に両目が閉じられそうになる。英俊は意志の力で無事な左目を必死で見開いた。英俊の動きは速かった。泥が右眼を襲ったと分かった瞬間、死角となる右側へ廻り込んできた。
英俊は即座に右側に身体を半回転させる。左半身が開く。空いた左脇腹を切り払おうと啓亜が飛び掛かる。英俊は構えていた剣を下に下げて脇腹を守ろうとした…
(違う!)
啓亜の目線は左脇腹を見ていない…左腕だ。防御のために引き降ろそうとしている上腕部に魔剣を突き立てようとしている。
(くっそ!)
剣を持ったまま左腕を短剣に向かって突き出す。さっき、”百人隊長”は歩兵の攻撃を籠手で受けた。咄嗟にそれを真似たのだ。
鋭く、甲高い金属音と共に、真っ白い大きな炎のような火花が散る。魔剣の斬撃を籠手で受け止めることに成功した。魔剣が青白さを一層増し、籠手も呼応するようにオレンジ色に光る。
英俊と啓亜が死闘を繰り広げるのと同様に、オークの神具たる籠手と、黒魔術師ヴェホラの造し強大な魔剣”青玉の短剣”も、互いに戦っているかのようだった。
攻撃を弾かれ、衝撃で啓亜の手首が返る。短剣が上ずるように上を向く。チャンスだ。追撃のための最適な攻撃方法を、英俊は無意識に選択した。殆ど身体が勝手に動く。
右脚が唸りを上げる。腰の筋肉が躍動する。中段の前廻し蹴りを放った。蹴りの動作に合わせて、魔剣によって傷つけられた右の脇の下と脇腹が悲鳴を上げる。
英俊は痛みを無視して右脚を振り抜いた。筋肉が隆起した太い脚。それが鍛え上げられた腰の筋肉の躍動によって、鋭く重い蹴りとなって啓亜を襲った。
(来るか?!)
必殺の蹴りを放ちながらも、英俊は恐ろしいほど冷静だった。この蹴りを啓亜は避け切れない。
ではガード出来るか?
(…無理だ)
間合い、蹴りの速度、そして人間とオークの圧倒的な体格差。例え啓亜が空手の達人でも受けるのは不可能だ。
(じゃあ、やる事はただ一つ…)
…
…啓亜が蹴りに気が付く。コンマの間、蹴り足を測るように見つめる。次の瞬間、啓亜の眼が食い入るように蹴り足を凝視した。
(来る!!!!)
直後、啓亜の動きが突然加速した。生物とは思えない速さだ。大地を蹴って後ろに跳び退る。
(啓亜の動きは見える…こっちも啓亜より遅いが動ける…が、啓亜の動きが速すぎる…蹴りの軌道を途中で変えて当てられると思ったけど、それは無理か…!)
英俊は啓亜の能力に改めて驚きを感じた。だが、驚いている暇はなかった。戦いは続いている。
蹴りを躱されて勢いがついた身体。英俊は敢えて空振りの勢いに任せた。
身体が半回転して啓亜に背中を見せる形になった。だが、首だけは後ろに廻し、啓亜の姿を視界に捉え続ける。
背中を見せた英俊に向かって啓亜が猛然と突っ込んで来る。啓亜の動きは未だにコマ落としのような速さだ。”魔術”の効果時間は一瞬だと思っていた。違うのか?
それとも、”一瞬の間”というのはこれほどまでに長いのか。
それでも啓亜の動きは予測していた。蹴り足の右脚が地面に着いた瞬間、そのままそれを軸足にし、空振りした回転の勢いを利用して、今度は左脚を思いっきり後ろに突き出した。
空手で言う”中段後ろ蹴り” 英俊にとって初めて繰り出す技。だが”百人隊長”は、既に取得済みの技だったらしい。英俊のイメージ通りにスムーズに身体が動いた。
見開いた左眼で啓亜の姿を捉えた。突き出された左足…足裏が真っ直ぐ啓亜へ伸びて行く。英俊は、時間を止める能力なんて持っていない。それなのに、時が経つのが妙にゆっくりとしたものに感じられた。スローモーションのように、自分の左脚が啓亜へと伸びて行く。
”百人隊長”は啓亜よりも長身だ。そして啓亜は、さっきの体当たり攻撃ほどでは無いにしろ、前傾姿勢で距離を詰めてくる。そのため、瞬間的に啓亜の胴体を狙った後ろ蹴りの蹴り足は、真っ直ぐ啓亜の顔面に吸い込まれて行く。
啓亜は一瞬、愕然とした表情になった。それでも咄嗟に顔を右下に下げて回避しようとする。間に合わない…完全なカウンター攻撃になっている。
刹那、踵に、啓亜の顔面を破壊する衝撃が走った。大抵のオークは裸足で行動している。”百人隊長”も例外ではなかった。なので足の裏の皮膚はガチガチに固まっている。石を踏んでも気にならないくらいだ。
だが、回避しようとした啓亜の顔面の左頬に後ろ蹴りが炸裂した時、その感触と衝撃がしっかり伝わってきた。
薄い陶器か、素焼きの焼き物を破壊するような感触。オークの強力な蹴撃で、硬質だが酷く薄い構造物が砕け落ちる感触。
英俊にとっても、生まれて初めての感触だった。だが初めて感じる感触でも、何が起きたのかハッキリ分かった。
啓亜の頬骨が砕け散る感触だった。