決着 2
握りしめた両手剣に目を落とす。隊長の証である籠手が、同時に目に飛び込んで来る。籠手に描かれた獅子と蛇の線画は、相変わらず赤く光っている。…籠手全体もオレンジ色に薄っすらと光り、線画は赤く浮き出してくるようだった。
赤く光る線画は脈打つかのようにゆっくりと明滅していた。何かを語りかけているようにも見えた。
(そうか…あの声は)
先ほどから聞こえる、”百人隊長”とは違う、もう一人の深く重い声。その声の持ち主は…
(オークが信仰する神『獅子と蛇』の導きなのかも。そうだ。啓亜が”魔術”を持っているのなら、こちらには神の加護がある。僕らを見守ってくれているんだ…やるしかない…僕は絶対に負けない…)
この時、くしくも英俊は神の加護について、”百人隊長”と全く同じことを考えた。
英俊が”百人隊長”に代わり身体をコントロールする。”英俊の精神”がオークの身体に宿っても、魔剣による痛みと不快感は相当なものだった。僅か二か所のカスリ傷なのが信じられないくらいだった。
(いま、”百人隊長”はこれ以上の痛みに耐えているのか…そして、肉体自体も、このダメージにいつまで耐えられるのか…早く決着をつけないと、精神が耐えられても、肉体自体が限界を迎えて動かなくなるかも知れない)
英俊は一瞬顔を下げて、最後の決意…いや、覚悟を決めた。
(次が、啓亜との一騎打ちの最後の戦いだ。次で決着を付ける…!)
そして決然とした態度で顔を上げると、再度、啓亜の顔を…眼を見て、それから気持ちをぶつけるように睨みつけた。
啓亜も負けじと睨み返してくる。二人の視線がぶつかり合い火花が散りそうな勢いだった。
英俊は啓亜の眼に向かって、心の中で叫んだ。
(…いくぞ!)
◇
(避けやがった…今度こそハッキリした!…あのオーク…”力”が通用しねえ!! ギリギリで反応しやがった)
(最初の攻撃は…確かに見えていなかった…だが、”力”が効かないと言うより、アイツの反応がこちらの予想以上って感じだった。…だが…)
…だが
二回目の攻撃の時は違った。こちらも最大限に集中して、これ以上無い速さで攻撃を仕掛けたのだ。しかも、やつはカスリ傷とはいえ、魔剣の強大な呪いのせいで手負いの状態だ。”力”を使った攻撃なら、奴は反応することなど不可能なはずだ。いわんや回避などは絶対に無理なはずだ。
(いや…それでも、完全に反応しきれていた訳ではない。こちらが”力”を使った…その直後の、ほんの一瞬は動きが止まっていた。それから急に慌てたように動き始めた…だから…そう…)
啓亜はオークを窺いながら思案する。対面のオークもまた、何かを考えているのか、それとも痛みに耐えているのか動こうとしない。その様子を確認すると、急いで自分の考えを結論付けた。
(多分、俺の”時間を止める能力”は、奴には”一秒間”の効果は無いみたいだ…いや、一回目は感覚的に”一秒”はあった気がするから…効果時間が減って来ていると考えた方が良いのか。くそ…うぜぇな…そして使えるのはあと一回。段々と効果が無くなってきているなら、どうせ”力”が通用するのも、次の一回くらいだろう。じゃ、おんなじことだ)
啓亜は考えを固めた。
(次の戦闘で決着をつける…あのケガだ。奴は魔剣の呪いで動けない。向こうからは仕掛けてこないだろう。もう一度、こちらから仕掛けて、今度こそ奴をぶっ殺してやる)
啓亜は殺気の籠った眼でオークの眼を睨む。奴も負けじと見返し…そして、睨み返してくる。啓亜はその時、オークの眼を見て違和感を感じた。
(…あれ?)
さっきまで、奴の眼を何度も睨んだ。緑の顔面中央にある、闘気の漲った二つの薄茶色の眼球。
(…そう、薄茶色だったよな…間違いなく…)
不思議なことが起きていた。オークの眼の色が変わっているのだ。薄茶色の瞳がの色が…
(なんでだ?! 黒色に変わっている…? 眼の表情も違う…)
気が付いた時、オークの瞳の色は薄茶色から黒色に変化していた。啓亜の瞳の色は、一般的な日本人と同じ黒色だ。オークの瞳の色も、それと同じような深い黒色になっていた。
薄茶色の瞳は、終始一貫、揺ぎ無き強い闘志に満ちていた。だが、黒い瞳は、思い悩むような気持ちを固めかねるような、”逡巡”する僅かな瞬間があった。
…だが一瞬後、眼から迷いが消え、何か強い決意…いや”覚悟”を感じさせる強いものに変化したのだ。
(なんだ…なんだ? アイツの眼は? なんで眼の色が変わるんだ? オークにあんな習性があるんなんて聞いてねーぞ?…いや、それよりも、あの”眼”…)
見た事がある。
瞬間的に見せた、気弱そうな…迷いが残っているような瞳。小動物のように、こちらを窺うような警戒心を剥き出しにした雰囲気と言ってもいい。…何度も見た。この新しい世界ではない。啓亜が高校生だった前の世界で。
そして、直後に変化した、あの覚悟を決めたような強い確信を持った眼。あの眼も見た事がある。…テニスの試合相手…?いや、そうではない。確かに試合の時は、自分も相手も、そういう表情を良くしたものだ。似ている。けれど違う。
もっと純度の高い怒り。そう、啓亜に立ち向かおうとする決死の眼の色。
啓亜には記憶があった。間違いなくあった。だが、それが誰だったのかどうしても思い出す事が出来なかった。