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第四話 アルキビアデス~古代の近東~

「最初の民主主義的制度が成立し、これがポリュビオス以後、ギリシア全土における終わりのない政治=社会的変革の皮切りになりました。すべてのギリシア諸都市にこの変化が生まれ、この没道徳的な敗者の勝者に対する勝利は、不正と暴力と殺人をもたらしました」(ホッケ『マグナ・グラエキア』)

 紀元前四世紀、アテナイ市の貴公子アルキビアデスは幼い時に父を亡くし、アテナイの指導者ペリクレスが後見人となった。

 それはアルキビアデスに約束された輝かしい将来をより確かなものにするかのごとく思われた。

 アルキビアデスは家柄が良く、財産に恵まれており、その容姿も端麗だった。


 プラチナブロンドの長い髪を束ねた彼は、冷ややかな灰色の瞳をしており、顔の美しさは背筋をぞっとさせ、着物を引き摺ってしゃなりしゃなりと歩く姿も妖艶だった。

 そのようなアルキビアデスに言い寄る男は多く、彼は注目される快感を知り、飽きられぬよう努力を惜しまなかった。

 そのおかげでアルキビアデスは教養を培って弁舌も上手くなり、巧みな話し振りで人気を保った。


 弁舌は政治にも役立ち、ペリクレスの後ろ盾があることは、政界に進む上で大きな助けとなった。

 アテナイ市の将軍職にあったペリクレスは、イオニア地方にかつてあった政治体制を再建しようと企てた。

 ギリシア人が植民したイオニアはリビュア(北アフリカ)とアシア(西アジア)、エウロパ(ヨーロッパ)との交易で栄え、エジプト王国の「アマルナ文書」などから察せられるようにフェニキア人が交易品のみならず、メソポタミアの原始民主政も扱っていた。


 海上貿易で富を蓄えた中流階級は、多くの都市国家で新しい政治形態の実験へと取り組み、伝統的な支配関係から自由であって経済的にも平等な万民同権を実現した。

 そうしてイオニア地方は芸術や哲学も栄え、イオニアと同様に海上貿易で繁栄したアテナイも、それに倣おうと試みた。

 ペリクレスは諸改革を行ってアテナイ市の民主政を完成させ、文化面でも大きな役割を果たし、アテナイの黄金時代を現出した。


 民主政の国家で出世するには民衆の人気を得なければならず、それには家柄や財産、容姿、武勲など様々な道があり、アルキビアデスは全部を持ち合わせていた。

 彼は体力にも恵まれており、兵士として哲学者ソクラテスと共に戦場で活躍した。

 ソクラテスの深い思想に魅せられたアルキビアデスは、彼と暮らして知性にも磨きを掛けた。


 しかし、アルキビアデスが政治に利用したのは、弁舌の力と素行の悪さだった。

 露悪的である方が人の気を引けるとアルキビアデスは考えていた。

 実際、アルキビアデスが暴れ回ればその痛快さに人々は喝采し、言い寄る男に素っ気ない態度を取れば、相手はなおさらご執心になった。


 それゆえ、政界に入ったアルキビアデスは、敢えてやりたい放題をしてみせた。

 取り寄せを頼まれた馬を自分のものにしてオリンピア競馬場で優勝させ、政敵ニキアスがスパルタ(スパルティ)市と仲が良かったから、スパルタに喧嘩を売った。

 無茶苦茶であったけれどもアルキビアデスの人気は高まり、ペリクレスと同じく将軍職にも就いた。


 破竹の勢いであるアルキビアデスは幾多の女性と関係を持って豪華な生活を送り、長老たちは彼に懸念を抱いた。

 だが、アルキビアデスはそのようなことにはお構いなしにシチリア島への遠征に乗り出した。

 シチリアにもギリシア人が植民し、デロス同盟とペロポネソス同盟が覇を競っていた。


 デロス同盟はアテナイ市を盟主としてデロス島で結成された同盟、ペロポネソス同盟はペロポネソス半島のスパルタ市を盟主とする同盟だった。

 アテナイとスパルタはギリシアへ遠征してきたペルシア帝国を撤退させ、自国の強さをギリシアやペルシアに示し、自身がギリシアの都市国家を支配しようとする帝国になっていた。

 シチリア島を征服する試みはアテナイ人を熱狂させたが、無謀な企てであったため、長老たちはアルキビアデスを訴え、裁判で足留めしようとした。


 ところが、アルキビアデスは勝手に出発し、アフリカ(チュニジア)にあるカルタゴ共和国の征服まで視野に入れた。

 帰国の命令も無視するアルキビアデスにアテナイ市は激怒して死刑を宣告した。

 すると、アルキビアデスはスパルタ市に身を売った。


 ギリシアの都市には様々な党派が自己の利益になるような政策を追求し、それを実現させるためには外国の力を借りることも厭わなかった。

 自分に都合の良い政権を樹立すべくアルキビアデスはスパルタがアテナイを攻撃するのに助力し、スパルタ人の人気を得られるようその生活にも馴染んだ。

 ただし、自由奔放なところは変わらず、后ティマイアを寝取ってスパルタ王アギスに暗殺されかけ、次はペルシア帝国に走った。


 ペルシアと戦争したアテナイやスパルタではペルシア人がギリシア人の価値観と相容れない蛮族とされた。

 もっとも、それは政治的な宣伝でしかなく、ペルシア帝国に仕えるギリシア人やギリシアの都市は少なくなかったし、イオニア地方もペルシアの支配で繁栄した。

 そもそも、ペルシア帝国がギリシアに侵攻したのは、ペルシアでの権力闘争に敗れたイオニア人の指導者がペルシア皇帝に叛旗を翻しただけで、皇帝の支配を専制的であると非難するのも、叛乱を正当化するための宣伝に過ぎなかった。


 それ故にペルシア人への蔑視はギリシア人の間にそれほど浸透しているわけではなかった。

 アルキビアデスはフリュギア地方の太守ファルナバゾスに取り入り、スパルタ市の時と同じく今度はペルシアの生活に馴染んでペルシア人の人気を得ようと画策したが、全幅の信頼を寄せられるには至らなかった。

 ペリクレスが疫病で呆気なく死んだのを見ていたアルキビアデスは、生きている内が華であると考え、年を重ねるごとに焦りが増し、拙速な行動に出て信用を失っていった。


 それでも、アテナイ軍がスパルタ軍に苦戦させられ、アルキビアデスがペルシア帝国から戻り、アテナイ軍に味方してスパルタ軍を倒すと、アテナイ市は死刑の宣告を取り消して彼の帰還を許した。

 アルキビアデスは財産や将軍職も取り戻したが、なおもアテナイとスパルタの攻防は続いた。

 彼はアテナイ市を救うため、ペルシア軍の助けを求めて小アシア(アナトリア)向かった。


 それを知ったスパルタ市は、アルキビアデスの暗殺を計画し、彼に姉妹を誘惑されたペルシア人の兄弟たちが実行を引き受けた。

 兄弟たちはアルキビアデスがたまたま泊まっていた家を夜に焼き討ちし、火の中から飛び出してきた彼を射殺した。

 アルキビアデスの亡骸は最後に彼の側にいた芸者ティマンドラが手厚く葬った。


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