第三話 セミラミス~古代の西洋~
「悪事に強い、バビロニアやアッシリアの宮廷陰謀のいにしえの亡霊どもが泥の中の墓から起き上がってきて、武弁のカリフを打ち倒し、その甲冑を脱がせ、絹物と黄金で手足を縛ってしまう」(ベル『シリア縦断紀行』)
紀元前九世紀、羊飼いシンマスの養女セミラミスはアッシリア帝国の軍人オンネスに嫁いだ。
彼女は捨て子であったけれども運良く養親に拾われ、猛々しいほどに美しくて賢い娘に成長した。
顔は黄色味を帯びた乳白色で、物腰は毅然としており、胸は豊かであって体も逞しく、髪は白く輝いていたため、白鳩の子であるとも言われた。
それらのことがオンネスの耳にも入り、アシュケロン市にいたセミラミスを宴会に招待したのが二人の馴れ初めだった。
オンネスはアッシリアの大使としてアシュケロンのあるシリアを訪問していた。
アッシリア帝国の威光を示すため、彼は饗宴を催し、現地の人民も招いて酒や料理を振る舞った。
そこでセミラミスを見初めたオンネスは、彼女を隣の席に座らせて話を交わした。
セミラミスは真紅の簡単な長上衣を着用し、頭にヴェールを被っているだけだったが、それでも、彼女の美貌は輝き、その碧眼には才知の煌めきがあった。
オンネスはたちまちセミラミスの虜となって彼女に求婚した。
大帝国であったアッシリアの高官と結婚すれば、養親の羊飼いに楽な暮らしをさせてあげられたので、セミラミスはオンネスの妻となった。
それもあってオンネスはアッシリアとシリアの仲を深めるという任務を無事に終え、セミラミスをアッシリア帝国の都たるアッシュール(カラト・シャルカト)市に連れ帰った。
シリアにおける功績で将軍に取り立てられた彼は、『ギルガメシュ叙事詩』を読ませるなどセミラミスに教育を受けさせた。
オンネスはセミラミスの美貌だけではなく、その才能にも惚れ込んでいたから、彼女が教養を身に付けると、軍略について助言を求めるようになった。
何でもかんでも聞き入れるというわけではなかったが、彼はセミラミスの献策にはしっかりと耳を傾けた。
オンネスの目に狂いはなかったのか、セミラミスの助言は彼が軍功を上げることに大きく貢献した。
自分の意見にオンネスが耳を傾けてくれることにセミラミスもやり甲斐を感じ、いつしか夫を慕うようになっていった。
セミラミスとオンネスの間にはヒュアパテスおよびヒュダスペスという二児が生まれた。
夫婦の生活は幸せなものだったが、バクトリアからゾロアスター教徒の騎馬民族が攻めてきたことで一変した。
遊牧民の騎兵にアッシリア帝国は苦戦した。
アッシリアの軍は機動力で敵の騎馬隊に劣っていた。
アッシリア軍は白兵戦用の槍と鎧で武装した歩兵が主力の市民軍だった。
アッシリア人の歩兵は政治的な自由のために戦っていた。
元々、アッシリア帝国はアッシュールの都市国家で、そこでは市民が集会に参加し、裕福であって影響力のある年長者に指導されながら合意を形成した。
アッシリア皇帝は緊急時に全権を委任された指導者が危機の頻発で恒常的なものとなり、その大権が灌漑など平時の事業にも活用され、それを継続的なものとするためにその地位が世襲されるようになったのだ。
しかし、アッシリアが帝国となってからも皇帝はアッシュールにおける市民集会の議長を兼ね、長老たちと意見が対立して議論が行き詰まれば集会を召集し、個々の市民に意見を自由に主張させた。
アッシリア帝国の商人が入植したカネシュ(キュルテペ)市でも進歩的な投票様式が用いられ、市民は日常生活の中で社会的ないし政治的に重要な問題を活発に討論した。
そうした原始民主政は、市民の自活に裏打ちされており、彼らはアッシリア皇帝でさえ原則的には没収できない私有地で農業などをしていた。
農民は頑健であって数が多く、戦時には歩兵として出征し、戦闘員の主な供給源となった。
それゆえ、当代の皇帝ニノスも歩兵を軍隊の主力としていたのだが、アッシリア軍は機動性で優る相手に翻弄された。
ニノスの親征に付き従っていたオンネスは、知恵を借りるためにセミラミスを陣営に呼び寄せた。
男装して戦地にやってきたセミラミスは、優秀な兵士で小規模な特殊部隊を編成し、本軍と別に行動させ、連携して攻撃する作戦を進言した。
これが図に当たり、敵軍を撃退したどころか相手の主将を討ち取った。
ニノスは褒賞を取らせるためにセミラミスとオンネスを呼び出した。
ところが、セミラミスの美しさに魅了された彼は、彼女と別れて代わりに自分の娘ソサネスと再婚するようオンネスに求めた。
オンネスは皇帝の娘婿となることには心を動かされず、己の命と引き換えに妻子の意志を尊重してくれるよう主君に願い、それと引き換えに首を吊って自害した。
セミラミスはヒュアパテスとヒュダスペスの安全を考え、ニノスに娶られることを選んだ。
それまで子供のいなかったニノスは、セミラミスとの間に息子ニニュアスを得た。
それでも、セミラミスが恨みを忘れることはなく、彼女は高官たちを抱き込み、ニノスを毒殺してニニュアスを即位させた。
もっとも、ニニュアスはまだ幼かったので、セミラミスが摂政として実質的な女帝となった。
ヒュアパテスとヒュダスペスが政争に巻き込まれぬようセミラミスは二人を国外に逃がし、それは白鳩の孫が飛び立ったと言われた。
彼らが戦禍にも遭わぬよう彼女は諸外国との友好に努めた。
メデイア(アゼルバイジャン)やエジプトと誼を通じ、インド人の王スタブロベテスや美麗なウラルトゥ王アラ、エチオピア人らとも交流して宿敵であったバビロニア王国の都であるバビロン市も訪問した。
また、外交だけではなくて内政でも都市や道路、地下水道などの巨大な建設事業に従事し、内外の情勢が安定すると、セミラミスは成人していたニニュアスに帝位を譲った。
それから、彼女はニノスがニネヴェ市に造営していた離宮へ隠居し、皇妃の立場で見目麗しい男たちと乱交した。
それは孤閨を慰めるだけではなく、妃の夫たるニノスの名を辱めるためのものでもあり、セミラミスはオンネスに対してしか誠実ではいたくなかった。
やがて彼女は人知れず死に、ニニュアスは母から受け継いだ領土を拡大させ、アッシリアはオイクメネで最初の世界帝国となった。
アッシリア帝国がメディア王国とカルデア王国に滅ぼされてもその官僚制や駅伝制はペルシア帝国によって集大成され、アレクサンドロス帝国やローマ帝国に継承された。
アッシュール市などメソポタミアの諸都市における原始民主政もフェニキア人を介し、アテナイ(アテネ)市のようなギリシア人の都市国家にも伝えられて発達した。