第二話 シバの女王~古代の中東~
「サバの女王とは、サラマンがジェルザレンに宮殿を造営しているとき金を駱駝に積んで彼のもとへ行ったあの女王のことである」(アルヴァレス『エチオピア王国誌』)
紀元前十世紀、シバの女王マケダは、都のアクスム市があるエチオピアを発ち、イエメンのマアリブ市に渡った。
シバ王国は、エチオピアとイエメンに跨がっており、マケダもアラビア半島ではビルキスの名で呼ばれていた。
エチオピアは、山地でエジプト王国と隔てられていたが、紅海でアラビア半島と繋がっており、イエメンは重要な交易品である乳香や没薬、肉桂、桂皮などを有して「香料の国」として知られた。
そのようなイエメンを押さえたシバの国家経済は、発達した交易網から得られる商業利益が基盤となり、エリュトゥラー海(インド洋)に至る航路の海岸線に沿って交易基地が造られた。
それゆえ、シバ王国では商才が尊ばれ、マケダが即位したのも優れた商人と認められたからだった。
彼女は孤児であったけれども、大蛇がアクスムの住民を恐怖させていると、平然と近付いてその頭を切り落とした。
王はマケダの勇気を評価して彼女を引き取った。
その商才も王の目に留まり、マケダはシバの商業規模を倍にまで成長させ、王室の家督を相続した。
サハラ砂漠の南では個人が労働の分担に基づいて様々な集団に属し、その会議における合意を積み重ねて国政が運営された。
理論的には国政を担当する王が全権を保持していた。
しかし、実際には様々な集団が自治を行っていたので、統治者の意志は被統治者の合意を得なければ貫徹されなかった。
そのためには、陪審員のいる公正な司法機関も必要だった。
個人は労働を分担することで裁判も含めて生活全体に発言権を持てた。
女性もその例外ではなかった。
夫のいない母親が、家族を率いることもあった。
そうしてマケダは、王家を率いるに相応しいと見なされ、それに応えて女王となってからも、大きな商談には自ら出向いた。
ヘブライ王国との商談もそうだった。
ヘブライ王国は、エルサレム市を中心とした小国だったが、メソポタミアをエジプトやアラビアと結ぶ国際的な通商路が縦貫しており、フェニキア(レバノン)の同じセム系民族と協力して、紅海での仲介貿易に従事してもいたので、シバ王国とて無視は出来なかった。
マケダは商人の長タマリンら隊商を率い、紅海を渡って、ヘブライ王国の造船所があるエジオン・ゲベル(アカバ)市へと上陸し、そこからは陸路でエルサレムを目指した。
しかし、仲介貿易や銅鉱山の採掘が盛んであると聞いていた割りに、エルサレム市は野暮ったかった。
シバは王都の人口が優に万を超えていたが、エルサレムは人口千人ほどのごく小さな集落でしかなく、マケダは些か落胆した。
ヘブライ王国は「乳と蜜の流れる地」にあると言われているが、実態は単なる中継地に過ぎない。
マケダはそのような印象を抱いた。
ところが、エルサレム市の王宮に足を踏み入れると、マケダの心証に変化が訪れた。
ヘブライ王ソロモンが住まう宮殿も、ぱっと見にはエルサレムと同じく洗練されていないように思えた。
だが、そこの床は小アシア(アナトリア)の大理石が使われ、濡れているかのように艶やかに磨き上げられており、水を巡らしているかのように涼しげだった。
その洒落た趣向をマケダは好ましく感じた。
宮廷にはものが少なくても、工夫を凝らす知恵があった。
ソロモンもまた知恵のある王だった。
シバの隊商を歓迎したソロモンは、宮殿を案内し、また、行政のやり方について細部に渡って説明しつつ、マケダと機知のある会話を交わした。
そして、彼女が戯れに放ったありとあらゆる謎掛けに答えた。
知的なソロモンにマケダは惹かれた。
ソロモンもマケダの美しさに魅せられた。
彼女はスカーフを頭に巻き、白を基調に刺繍を施されたエチオピアのワンピースの、裳裾は黒色のサンダルにまで届いていた。
太陽に煌めいてゆったりと波打つ髪は、素晴らしい瞳の色と同様に漆黒だった。
胸の豊満な肉体は、黒い肌の覆いを透かして内なる烈しい気性を放っていた。
マケダの華麗な輝きをソロモンは愛した。
軍事に長けた父王ダビデと異なり、彼は経済に明るかったが、色を好むところは父と同じで、「雅歌」という恋愛詩を作ってもいた。
ソロモンは一夜を共にしたいとマケダに申し出た。
マケダは駱駝に金や宝石、黒檀などを乗せてエルサレム市を訪れ、それらをソロモンに贈っていた。
これを超える価値あるものを、果たしてソロモンは出せるのか。
マケダは自分が携えてきた財宝よりも高価なものを出せたら良いと返した。
そこで、ソロモンは塩漬けに酢や胡椒をかけた発酵食品を、マケダに出した。
痛いほど辛いその料理にマケダは水を飲んだ。
しかし、水を飲めば、更に辛みの成分が口の中に広がった。
口を押さえて涙や汗を流すマケダに、ソロモンは冷たい乳製品を出して言った。
これを食べれば辛さは取り除かれるが、シバ王国から持ってきた財宝よりも高値で買ってくれないか。
そうして彼は想いを遂げた。
マケダは、遠隔地交易ならではの品で難題をこなしたソロモンの機知に惚れ、彼の愛人となって一人の子を生んだ。
ソロモンと同棲する中で、彼女は彼の知恵が、その信仰であるユダヤ教に由来するのではないか、と考えるようになった。
ユダヤ教はヘブライ人の父祖アブラハムが奉じた上帝のみを神としていた。
一柱の神に忠誠を捧げるのがセム系民族の常ではあったが、ヘブライ人の指導者モーセがエジプト人らに迫害されつつ確立したユダヤ教は、民族の存亡を懸け、その立場を極度に推し進めていた。
上帝は唯一にして絶対なる神で、ユダヤ教徒は上帝と人民の契約こそが国家の基盤であるとし、指導者とて上帝の法に制約されることを免れない。
そして、君主権に制限が加えられ、平等主義的な社会構造が創出されていた。
ユダヤ教の制度は、君主の宿痾である傲慢を戒めて、心を神の法に向かわせるもので、マケダはシバにもそれを導入したいと願った。
ソロモンは、ヘブライ王国がイエメンやエチオピアにも影響力を及ぼせるようになることを期待し、「契約の箱」を模した聖櫃を作ることさえ認めた。
これにはヘブライ人からも反対があり、マケダを魔性の誘惑者だと批判する声さえ囁かれたが、ソロモンは押し切った。
後にシバ王国は、エチオピアのアクスム王国とイエメンのサバ王国に分かれたが、マケダとソロモンの息子であるメネリク一世は、ソロモン朝における初代のエチオピア皇帝となった。
エチオピア帝国の他にも、サハラ砂漠の南ではマリ帝国やソンガイ帝国、カネム・ボルヌ帝国などが経済的に繁栄し、洗練された文化を誇った。
他地域からの旅人もこぞって、これらの文明を賞賛した。
だが、アフリカは、やがて奴隷貿易で社会を破壊され、植民地支配で部族の対立を煽られて、「暗黒の大陸」にさせられていった。
この時代を題材とした映像作品には『ソロモンとシバの女王』があります。